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三幕
15 時渡りの姫巫女
しおりを挟む大河をゾルタンに占領されて二年近い年月が過ぎていた。
エドヴァルドはまだ異人街の者への視線が厳しく、安心して暮らせる場所に戻っていない。その為に異人街を出て新しく作った村グレンタールで生活する者が増えてきた。港を整備したカルコシュカと、港とエドヴァルドとの中間地点になるリュッカには多くの異国民が居を構え、以前の小さい集落だった時から驚くほどに発展した町となっている。これからまだ更に大きな町へと発展していくだろう。
グレンタールは街道から少し奥に入ることもあり、まだ村としての様相は整っていない集落に過ぎないが、カルコシュカを経由した陸路での流通もそれなりに行われるようになったため、カルコシュカとリュッカを行き来する商人や労働者には経由地点として重宝されている。一度に多くの物流が見込めないため、流通の頻度が高い事もグレンタールの需要を大きくしていた。
同時に、エドヴァルドで家や仕事を失った者達、親を亡くした子供達など、弱者もまた、新天地を求めてカルコシュカ、グレンタール、リュッカ、それぞれの土地へと移住する為、村は着実に開拓されていた。
ヴォルフはそれを感慨深く見つめていた。
ようやく、リィナに約束したグレンタールの基礎が形になろうとしているのだ。
大河周辺の復興は相変わらずめどが立たず、大河を経由しての交易も滞っている。
いち早く陸路での交易に手段を移した異人街の組合は、組合上げての事業の成功を確信していた。
その中でもヴォルフの功績は大きい。
次期領主として育ったヴォルフは、小さいながらも国内で重要な領地を継承する者として、人の上に立つために必要となる相応の教育を受けていた。その為、たとえグレンタールを起こした姫巫女と剣士がいなくても、グレンタールの基盤を作れるだけの自負があった。
事実、組合とは関係のない立場にあったにもかかわらず、現在ヴォルフは、組合の中心的存在となり、実質この事業の中枢を担う指導者的立場になっている。
グレンタールの土地の、どこが何に適した地なのかを知っていた。どういう生活がグレンタールの基盤となるものかを知っていた。
自分なら彼らを導き、やっていける。そう思っていた。
けれど、とヴォルフは軌道に乗り始めた今に至るまでを思い返して思う。
自分の力など、小さな物だった。いざやってみると、自分の力で作り上げているのではないのだと知った。
導いているつもりでいて、助けられているのは彼自身だった。自分ならできると思っていたのがいっそ滑稽だと思える。人一人の力など、大したことはないのだ。それを支える人がいて、初めてヴォルフは先導をとれるのだ。
確かに中心にヴォルフは居た。彼らを巻き込みもした。指針を示し導きもした。けれど、それだけなのだ。作り上げてきたのは、ここにいる住民一人一人の力があってこそなのだ。
リィナを待ちたい。その欲求のためだけに巻き込んだともいえる。けれど彼らはヴォルフを信頼し、ついてきてくれている。
グレンタールのために立ち上がり絶望から顔を上げ動き出してから、感情がまともに動き出すのに、どれだけ彼らに助けられただろう。それから我に返って周りを見渡せば、人の手を必要とする弱者が溢れていることに気付いた。苦しんでいる人たちをそこから連れ出したい思いが込み上げた。彼らを救いたい、守りたいという思いが生まれた。
ただリィナを待つためだけにグレンタールを作ってこれたわけではなかった。もしそれだけだったなら、今、こうして、ここまで穏やかな気持ちでこの村を眺めていることはなかっただろう。
これだけひたすらにここまでこぎ着けてきたのは、彼らが居たからだ。
ヴォルフの熱に浮かされるように、彼らは戦争の恐怖と絶望に流されて、新たな希望に縋って新しい未来のためにここまできた。計画の中枢に携わった責任を忘れたことはない。そして、感謝も。
自分のために始めたこのグレンタールへの移住だった。けれど、だんだんとその意味は変わりつつある。リィナを待つ為の手段でしかなかった陸路の開拓は、いまはリィナを待つための、大きな支えとなっていた。
彼女が帰ってくるのがどのくらいかかろうとも、ここで生きていけるだけの力となっていた。
「おいヴォルフ、最近ナネッテと仲がいいそうじゃないか」
突然そう話しかけてきたのは木こりのカスパルだ。ヴォルフより幾分年が上だが、まだ所帯は持っていない。彼が狙っているのはそのナネッテだ。
「ヴォルフさんに女の話をしても無駄ですよ」
突然別の声が後ろからかけられた。笑いながら声をかけてきたのはラウスだ。成長し体つきも成年の物となり、男らしく鍛えられて、出会った頃に比べると、ずいぶんと逞しい印象へと変わっている。彼の店も異人街の陸路開発に携わり、カルコシュカからエドヴァルドまでの交易を積極的に取り入れている。たまにこうしてグレンタールに寄ったときは挨拶がてらヴォルフの元に顔を出すのだ。
「カスパルさん、ちょうど探していたんですよ。この前言ってた鋸と砥石、それから鑿仕入れてきたんですけど、見てもらえますか?」
ラウスはそういうと、ヴォルフにちらっと目をやり、そのまま笑って木こりの男を連れて行った。
どうやら面倒ごとから離してくれたようだ。相変わらず商人らしい気遣いの男だとヴォルフは笑う。
リィナを失った後のヴォルフを知っている者は、あまりヴォルフに女性を薦める者はいない。
とはいえ、グレンタールへの移住後、落ち着いたところで、そろそろリィナのことを忘れて前を向いてはどうかと、所帯を持つことを勧められることは度々あった。民を先導する実質的な若き指導者に好意を持つ女性は少なくない。
しかし、すぐに彼らはヴォルフにその意図がないことを知った。
「おいおい、俺がそんな女性を作ったら、リィナが戻ってきた時に泣くじゃないか」
当時見合いを勧められたヴォルフはそう冗談めかして笑って断っていた。
その時見合いを勧めていたのはリィナがいた頃からの付き合いがある、長屋の住人だった。
彼女は困ったように笑うと低い声で気遣うように問いかけてきた。
「まだ、忘れられないのかい?」
「……忘れるとでも、思っているのか?」
心配する彼女に、ヴォルフはおどけた態度を消し、代わりに穏やかな微笑みで返す。女は「そうかい」とうつむいて呟く。
「もっとも、泣いてくれるのなら、まだ良い方だな」
女が不可解そうに首をかしげる。
「リィナは、泣かずに、苦しいのをこらえて、笑って「お幸せに」とか言いそうだから怖い。そんな危ない橋は、渡れないな」
「……そうだねぇ。でも、あんたは、本当にそれでいいのかい? ずっと、あの子の面影を抱いて生きていくのかい……?」
「いや」
ヴォルフが静かに否定する。けれど否定はしたが、それは他の女性との未来を考えるつもりという意味ではないことを感じ取り、彼女は更に言葉を重ねる。
「リィナは、あんたがいつまでもそうやって一人もんでいることを、望むかねぇ……?」
「勝手に、リィナを殺さないでくれるか?」
ヴォルフが苦笑いをした。ヴォルフは相変わらずリィナの行方の詳しいことを説明することがなかったために、そう思われても仕方がない部分もあった。時渡りをしたなどと言えるはずもない。そのため怒るようなことはしなかったが、余り良い気分はしない。
「二度と、リィナが死んだように言うのはやめてくれ。リィナは生きているし、必ず戻ってくる。……そう約束したからな。だから心配するような事にはならないさ」
そう語るヴォルフは、決して死んだ人間を思っているような様子ではなかった。本当に戻ってくるのを信じているのだと思わせるに十分な力強さだった。女は少し困ったような笑みを浮かべた後、気分を切り替えるようにおどけて見せた。、
「……そうかい。じゃあ、リィナが帰ってきた時、私がこんな事を言った事は、内緒にしておいておくれよ」
「ご婦人のお願いとなれば、断れないな」
ヴォルフは小さく肩をすくめると軽く笑ってその話を終わらせた。
それ以上その話題を彼女が口にすることはなかった。
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