白銀の竜と、金の姫君

真麻一花

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2 白竜の恋

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「でも……。では、後は白竜様をお守りするような機会ですわね……」

 ぼそりとつぶやく声がした。
 不可能……と、思っていたが、今、不可能に近いまさかの第一段階を突破した例外が白竜の目の前にいるらしい。己の足一本よりも小さな存在にもかかわらず、民家よりも大きな巨体に向かい、精一杯に幼さを宿した愛情を幾日にもわたり語ってきた少女。それが友愛なのか恋情なのかまでは確信に至らなかったのだが。いつまで続くやらわかった物ではないが、ともかく現時点では本気であるらしい。

 その例外の金の姫はというと、竜の答えを聞いて、真剣になにやら考え込んでいた。
 白竜にはそれがどうにもよくないことを考えているように見えてならない。
 こらえきれず低い声で金の姫に釘を刺した。

「姫よ……、何を考えておるのだ。言っておくがそなたが命を賭したところで、無駄死にぞ。相思相愛であることが必要なのだからな。そもそも人間などに命を賭して護られなければならぬ事になどならぬ。人よりも、我は強い」

 竜の言葉に姫は考え込んでいた顔をふっと和らげ、困ったように首をかしげた。

「何から何までえげつないですわねぇ……」

 白竜は低く笑った。
 思い出したのは、このまさしくえげつない呪いをかけた魔術師の最後だ。
 この身を竜にするために、命をかけてその力を召喚した。
 いけ好かない男だと思ったが、不思議と憎めない男だった。



*****


「なぜおまえが命をかける」

 王子の問いかけに魔術師が笑った。

「俺が生き延びてさぁ、あんたへの呪いをふっつーに望まれてるように成就させたとして、だ。俺が解放されると思う?」

 王子は沈黙をした。

「思わないよなぁ!」

 男は王子の沈黙を楽しげに笑い飛ばす。

「てっことはだ、俺は生きている限り大切な者を質にとられ、いいように使われるしかねぇって事だろー? 冗談じゃねぇよなぁ? どうせ俺の人生を好きなように生きれねぇってんのならさぁ、今がそれに抗う唯一の絶好の機会じゃねぇの。あんたはさぁ、あいつらを放置したりしねぇんじゃないかなーって思うし? おりゃぁ俺の大事な者が守られさえすれば、それで良いんだなぁ。最善ってヤツを見つけたってぇのに、命出し惜しみにしてたら守れるもんも守れなくなるってーの。まあ俺みたいなクズは、あいつの前から消えるに限るってなもんだ」

 最高だろ? そう言って魔術師は、何がおかしいのか「ひゃはは」とまた楽しげな笑い声を上げた。


*****



 魔術師は金の姫がえげつないと評したその呪いをかけたあと、まもなくして死んだ。
 数百年が経過しても、未だに忘れられぬあの出来事を思い出し、白竜は金の姫の視線を避けるように瞑目する。

 白竜にかけられた呪いの内容を考えたのは間違いなくあの魔術師なのだろう。あえて解き方を教えることで確実に白竜に絶望を与えた。そして人の身を消し去り竜に変えることで、呪いの条件を満たし、男は己にかけられた呪いを解呪した。それで大切な者を守る事ができたことに安堵したのか、満足そうに逝った。

 その後に訪れた白竜の苦悩と苦痛は筆舌に尽くしがたい。この呪いをかけた魔術師を恨む気持ちもある。あのとき竜などにならず、恨み辛み、そして悔しさや嘆きと共に死んだ方が、おそらく楽だっただろうと思う。
 解けることのない呪いも、人にとっては永遠に等しい命も、ひたすらに白竜を苦しめ続けてきたのだから。

 けれどあの魔術師を思うと恨む気持ちだけではない感情も確かにある。確かにあの時できうる最善だったのだろうと思う気持ちがあるからだ。もしあのとき、そのまま死にゆくことと、竜になることを選べと言われたのなら、迷わず竜になることを選んだだろう。竜になったことでそれと引き替えに国に対して憂いを残すことはなかったのも事実だった。
 白竜は国に禍根を残すこととなる者達を直接的に排除した。もう人の法に縛られることのなくなった身だ。王子という身分であればできなかった最も簡単な解決法をとることができた。あらゆる感情に支配され、迷うことなく排除した。それが残虐な方法であったためか、国に仇なす心を持つ者たちは竜の裁きを恐れ、ようやく国は正常に機能しはじめた。
 その後白竜は王子としての最後の責を果たしたとし、もう国に関わることはないものとして国を出て山奥へと引きこもった。

 人と関わる事への厭わしさがあったのかもしれない。もう王子としてどころか人としても扱われず、敬われつつも内心では忌避される存在だと突きつけられるのが、苦しかったのだ。
 その後は、生きるというただそれだけのことに、ひたすら苦しむ日々を過ごした。
 やることなど何一つない、ただ生きるために生きる。

 強すぎる竜の身は、自ら死ぬことさえできないと知った。

 人ですらなくなった孤独と絶望を理解できる者などいない。
 それでも人に焦がれる心を捨てる術などなく、求める気持ちとは裏腹に、人に疎まれ、恐れられ、心が削られてゆく。何かを感じる心を持つことさえ苦痛となった。

 自国であれば、恐れられながらもまだ少し人と関わることも出来たのかもしれない。国の護りとして敬われたかもしれない。
 けれど白竜はその後の自国に関わることはなかった。粛清を行ったときに己のその力は人の手に余るほどの物であると思い知ったためだ。そのことが恐ろしかったのだ。
 ひとたび望めば国を滅ぼすことのできる身となっていた。そのような者が人間同士の争いに関与する意味を考えれば、自然とどうすべきか答えは出た。この身が自国にあればいつしか人の世のあり方を崩すだろう。しかし自国の状態を知れば関わりたくもなる。
 それではだめなのだ。国の先を担うのは残された国の者達だ。故に人智を越える力を持つ白竜は、自国のことに関わる事ができぬよう、離れるのを最善とした。

 その後、いくつもの国が繁栄し、そして衰退していった。時の流れの中で白竜の国も、今はもう別の国の名となった。
 思い返すこれまでの日々は、白竜にとって息苦しさを感じさせるばかりの物だ。
 あらゆる事にあきらめを覚え、人から向けられる感情に何も感じないように心を閉ざす術も身につけ、ただ、命が絶える日を過ごすだけの日々となっていた。

 けれど、金の姫と出会った。
 人の命とは、竜の身となってしまえば短い物だ。けれど、金の姫が示してくる好意は、懐かしくも暖かい物で、もはや遠ざけることがつらくなってしまっている。これまで竜として生きてきた時を思えば、姫と出会ってからのいくばくの日など、瞬く間でしかなかったというのに。それでもこうして過ごすひとときひとときのなんと尊いことか。

 そこまで考えて、白竜は、ああ、と心の中で嘆息する。
 楽しいのだ、と認めた。
 姫とのひとときを愛おしくなる前になど、もう考えるだけ無駄だったのだ。
 既に己は彼女との時間を愛おしんでいるのだ。
 既に手離したくなくなっているのだ。

 それはひとたび自覚してしまえば、ひどく甘く、ひどく苦しいことだった。
 まだ幼さの残る愛らしい姫だ。いずれは美姫としてその名を知られるようになるかもしれない。そしていつかこの国の姫として、それにふさわしい伴侶を得ることになるだろう。

 けれどその伴侶は、決して己ではないのだと、白竜は思う。
 人と竜などという垣根は取り払えぬ。いくら慕われようと、それは人と竜との交流の域は越えられず、伴侶としてではない。今は幼さ故に盲目的になっていようと、そのうち姫も目を覚ますだろう。そして姫は人間の男の元へと嫁いでゆくのだ。
 姫が今こうして慕ってくれるのを受け入れるというのであれば、そんな姫の生涯を見届ける覚悟をしなければならない。
 愚かな物だ。たかだか幾日かを共に過ごしただけだというのに。出会って一年にも満たぬ程度の浅い関わりだ。

 それほどまでに人の存在に餓えていたのかと己をあざ笑う。こんな幼さの残る小娘に、幾ばくかの交流のみで心を捧げてしまうほど、孤独に耐えきれなかったのかと。
 しかし、嘲笑ったところで何も変わりはしない。姫と過ごした時は、消えてなくなることはない。
 黙りこくる白竜のそばに、姫は何も言わずに寄り添っている。恐れも知らぬ様子で、幸せそうな笑みすら浮かべて。
 その姿を見て、どうして慈しまずにいられようか。今の竜の身には、姫など小さな小さな、矮小なほどのか弱い存在だ。けれど、そんな少女に心を奪われたことを心地よいとすら思っている。
 しかし、恋い焦がれる想いを自覚して、永の孤独からすくい上げてくれた姫が己以外の者と添い遂げるのを祝福するだけの度量などない。

 自覚などする物ではないな、と白竜は自嘲する。
 もう少し、知らぬふりを決め込んでおくべきであった。けれど、もう己の感情を知った以上は、これ以上を許すわけにはいかないのだ。
 薄く目を開け姫に目を向けると、彼女は何をするでもなく、ただしあわせそうに白竜を見ている。
 その事実に、白竜はこみ上げてくる感情を抑える。
 愛らしい面立ちも、柔らかな曲線を描く金の髪も、側にいるだけで幸せだと訴えてくる瞳も、何もかもが愛しいのだと知る。

 認めてしまえば、これほどまでに愛しい存在だったのだと気付く。
 なればこそ、と白竜は己を奮い立たせようとする。
 己のそばに囲い込んでしまいたいほどの存在は、己のそばで生きていくことはできない。そばに留めることはできぬのだ。どんな苦痛を伴おうと、手放せるうちに離れねばならぬ。
 この想いが長じた先には、姫が人間の元に嫁ぐことを許しがたく思える日が来るだろう。現実をわきまえず、彼女の生涯を己に捧げることを求めてしまう日が来るだろう。
 それは許されぬ。誰が許したとしても白竜自身がそれを許すことができない。姫の生涯を無駄に散らすことなど許せるはずがない。ましてや己自身の手で、など。

 十分ではないかと思う。たとえ幼さ故のひとときであろうとも、このような竜の身を慕ってくれた。こうしたまなざしも、交わしたたわいのない言葉の数々も。何もかもが己の孤独を満たしてくれたではないか。瞬く間のひとときは、竜としていき続ける上で、この上ない光となるであろう。

 これだけで、もう、呪いなど解けなくても満足だと思えた。このひとときがあれば、またこれから先の数百年を耐えるに足りると。
 そう、思うより他、なかった。
 だから、そろそろ終わりにせねばなるまい。手放せないと思う前に、手放すことを恐れて気が狂う前に。

 金の姫は国に戻すべきなのだ。
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