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後編
しおりを挟む「何でそんな事考えた?」
不安そうな顔で見上げてくる彼女に尋ねる。
彼女の目に、俺はどう映っているのだろう。言ってる内容は責めながら、なのに笑っている俺に戸惑っているようだった。俺の言葉が彼女の不安をさらに強めているらしいのは感じるが、それをぬぐってやる気にはなれなかった。俺ばっかりはずるいだろう? お前も悩め。
こんな子供に振り回されて、というプライド、子供じみた意地悪心だった。
「だ、だから、手を……」
「そうじゃなくて。何がきっかけ? そんな事考えたのはなんで?」
のぞき込むように見つめると、情けない顔をした彼女が困っていた。
「……言わないと、ダメ?」
「ダメ」
即答すると、彼女はうつむいて言葉をなくす。
「この前……女の人と歩いてたの、見て」
ようやく出てきた言葉が、思いがけない内容で一瞬ひるむ。そんな事あったっけ?
「俺?」
彼女がうなずいた。
「腕、くんでて、綺麗な人で……」
その言葉に、そういえば、と思い当たる。
「……妬いた?」
彼女から見えないのを良い事ににやにやと笑いながら耳元でささやく。嫉妬されてうれしいとか、頭わいてるよな。女の嫉妬とかって、うっとうしいと思っていたのに。
「……あの人、誰?」
「たぶん……高校時代の同級生。久しぶりに会ったんだよ。人妻で、男女関係なく誰にでも腕にぶら下がるのが趣味」
「……そんな趣味の人、いるの?」
「世の中は、広いんだよ」
不審そうな声に、俺は笑う。
俺もあいつ以外に、そんな事するヤツは知らないけどな。
「まあ、それに対抗して、冬の夜の海にまで引っ張り出して手をつなぐ事を画策する女子高校生とか、想像つかない事するヤツもいるわけだから。……世の中、広いだろ? いろんな人間がいるんだよ」
矛先が自分に向いて腕の中で彼女が一瞬固まる。「うー」とくぐもったうなり声が響く。
「ごめんなさいっ」
「気にすんな?」
さんざんからかって、ようやく満足がいく。
「おこってる?」
「いや?」
「じゃあ……あきれてる?」
「それなりに」
「……いやだった?」
「寒いのは。でも、それ以外は別に」
不安そうに詰め寄ってくる彼女に、俺は笑いながら答える。そのたびに彼女の表情がほぐれていく。
「だいすき」
腕の中で彼女がつぶやいた。
不意打ち過ぎる。このタイミングで言うのか。
このままキスしてやろうか、コラ、とか、手を服の中に突っ込んでしまおうかとか、いろんな煩悩が脳裏を駆け巡るが、奇跡的な忍耐力でこらえる。その代わり、俺の無反応に彼女の体がこわばっている。
「……帰るか」
何とか葛藤を隠して、ごまかす事にする。
帰りの車の中は、ひたすらに沈黙が続いていた。
会話がほぐれたと思ったとたん、突然の俺の沈黙に、彼女は戸惑っているようだった。時折、彼女がなにか物言いたげにこちらを窺うのに気付いていたが、あえて何も言わなかった。口を開けば、このまま口説いてしまいそうだった。口説くだけならまだしも。その先は考えたくもない。
彼女の家の前に車を着ける。
真っ暗な家をちらりと見て、彼女がためらいがちに言う。
「良かったら、コーヒーでも」
「遠慮しとくわ」
俺は即答した。答えると、妙な疲労感でため息までこぼれる。
今日は、彼女に試され通しだった気がする。こんな時間に、彼女一人しかいないと分かっている家に通されて何もせずに帰るとか、そこまで自分を信用してない。
分かっているのか、分かっていないのか。
分かっていないのだろうな、と思うと、なおのこと疲れが襲う。
いっそ分かっていて、わざと誘っているのならそれに乗っかるのも悪くないのに。彼女が、そこまで覚悟決めているとは思えない。雰囲気に流してしまえば流されてくれるかもしれないが、相手がまだ女子高校生だと思うと三十手前の大人としては、つけ込んでおいしくいただいてしまうというのは理性と常識が邪魔して踏ん切りがつかない。
据え膳前にして、最低すぎる。
彼女がどこか悲しそうに、うつむいて車のドアを開けた。
「今日は、ありがとう」
ちいさい声でつぶやき、彼女が車を降りた。
寂しげに見えるその背を向けた姿に、耐えきれなくなる。
甘いのか、それとも、振り回されているのか。
「おい、忘れ物」
彼女の背中に向けて声をかけた。
「え?」
振り返った彼女に、俺はおいでと手招きをする。
招かれるままに助手席のシートに膝をついて体を乗り出してきた彼女へ手を伸ばし、ぐっと頭を引き寄せる。
「……ひゃっ」
彼女の小さな悲鳴を、口でふさぐ。
短いキスの後、彼女の唇の感触だけを堪能して体を離す。
「……え?」
突然のキスに呆然としている彼女に、にやりと笑う。おっさんも、余裕ぶっこくのはそろそろ限界なんだよ。このくらいのいたずらは許してもらおうか。
「さっさと、卒業しやがれ」
真っ赤になった彼女を見て笑う。
「え? ……え?」
「ちゃんと戸締まりしろよ」
そう言って追い払うように手を振ると、呆然としている彼女が、呆然としたままうなずく。そしてぎこちなく車を降りて、ふらふら~と玄関の鍵を開けた。家に入る前に振り返った彼女に手を振ると、彼女がようやくぎこちない笑顔を浮かべて手を振り返してきた。俺のした事がよく分かっていない様子の彼女に満足する。これから二ヶ月、悩みやがれ。俺の事ばかり考えてろ。ドアが閉まるのを確認してから、俺は車を出発させる。
そして運転しながら気がついた。
しまった。
頭をがしがしとかきむしった。
いつの間にか、大学入学してからの予定が、高校卒業後に早まっていた。
気付いてみると、おかしさがこみ上げて声を上げて笑う。そんな失態が訳もなくただおかしく思えた。そしておかしいぐらい浮かれながら運転している自分に、一種のあきらめを覚える。
まあ、いいか。
彼女を思い浮かべると、我慢しているのさえばからしく思える。
何もかもどうでも良いと感じるほど、気分が良かった。何とかなるだろうと思えるほどの楽観さでもって。
さて、どうやって口説くかな。
バカみたいに浮かれながらカーステレオから流れる歌を口ずさむ。ほんの少し未来を期待して、情けないぐらい顔がにやけていた。
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