桜姫 ~50年後の約束~

ねこ

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桜ノ国編

2.桜ノ過去

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玉座の間を後にした私は、桜庭園と呼ばれる庭を散策していた。

桜庭園には池が流れており、その上には小さな赤い橋が架かっていた。

水の流れる音と、時折、鹿おどしのコンッという音が鳴り響いてる。

橋を渡った先には、一際、大きな桜の木が聳えそびえ立っていた。

微かに甘い香りが漂う。

桜ノ国には至るところに桜の木が植えられており、それらは枯れることがなく、一年中淡い薄紅色の花を咲かせていた。

この木は桜ノ国の数ある樹木の中で、もっとも古い樹木と云われており、樹齢・千年は優に超えている。

桜ノ国の守り神でもあり、この木の前でお祈りすると、願いが叶うと古くから信じられていた。

私の大好きな場所だ。
何かある度に私はここに来ては、心を落ち着かせていた。

--桜の花弁が、はらはらと舞い落ちる。

(嗚呼、何て美しいのかしら)

幼きころはよく大和と二人で見上げたものだ。
この桜の木は、私にとっては、掛け替えのない大切な思い出が詰まっていた。


--目を閉じると、今でも鮮明に浮かんでくる。
確かあれは、私がまだ六つのときだった。


あのころの私は早くに最愛の母上を亡くし、母上の後釜である紅華コウカ妃からは、邪険に扱われる日々を送っていた。

あの日も紅華妃に酷いことを言われた私は、この場所で泣いていた。

辛くて、苦しくて、悲しくて堪らなかった。
いっそのこと、天国にいる母上のところに逝ってしまおうかとすら考えた。


--そのとき、

「桜姫」

不意に後ろから名前を呼ばれた。

「……大和」

黒い瞳、黒い髪、秀麗な顔をした大和は、とても同じ子供とは思えぬほど落ち着いた雰囲気を醸し出していた。

歳が一つ上の大和は私の乳母の息子で、ともに育ち、ともに遊び、ともに学び、私たちは本当の兄妹けいまいのように育った。

唯一、私が心を許せる相手だ。


「また紅華妃に何か言われたのですか?」

大和は、心配そうに私の顔を覗き込む。



「うっ…うっ…ヤマトォ!」


私は、大和の胸に飛び込み泣きじゃくる。
ただひたすら涙が枯れるまで、泣き続けた。
その間、大和は私の頭を優しく撫でてくれていた。

「落ち着きましたか?いったい何があったのか僕に話してください」


私はコクリと頷いた。


--事の経緯は数時間前に遡る。
紅華妃からある衝撃の事実を告げられたのがきっかけだった。

「私に、もうすぐ妹か弟が産まれるの」

「それは本当ですか!?」


「うん。だから私はもういらない子なんだって…疫病神の私は邪魔者だって…父上もそう思ってるって…ううっ…だから私、言ったの……そんなことない!父上は私を愛してる!って…そしたら頬を打たれたのよ!!」

枯れたと思っていた涙が再び溢れてくる。
打たれた衝撃を思い出して、また頬がヒリヒリと痛んだ。
けれど頬より心の方がずっと痛かった。

「頬を!?見せてください」

成績優秀で医者を目指してる大和は、私の頬を熱心に観察する。

「確かに少し赤く腫れていますね。ですが生の葉を揉んで、その汁を頬に塗布すれば、じきに腫れは治まります。後で僕が作って差し上げますね」

「あり、がとう…」

こんな時でも大和は頼もしかった。

「それに僕は桜姫がいらない子だなんて絶対にそうは思いません。陛下も桜姫を愛しています。すべて紅華妃のついた戯言に決まってます」

「いいえ!私はいない子なのよ!大和に私の何がわかるというの?私は一人ぼっちなのよ……!!」

悲鳴にも似た私の声が響き渡る。
言った後に、しまったと思った。
決して大和を傷付けるつもりではなかったのに…
もう涙で顔がぐちゃぐちゃだ。


「……桜姫は決して一人ではありません。だって僕がいるじゃないですか?それとも僕では不服ですか?」

大和は、真っ直ぐな目で訴える。
私は慌てて首を横に振った。


「ううん。そんなことないわ。でも大和も母上のように、いつか私の前からいなくなるかもしれないと思うと私…怖いの」

すると大和は突如、桜の木に向かって深いお辞儀をして、手を二回ほど叩いて目を閉じた。

辺りは数秒間の静寂に包まれる。

(えーと…大和?何をしているの?)


私が呆気に取られていると、

「知っていますか?この桜の木の前でお祈りすると、どんな願いも叶うらしいですよ。前に女官たち達が話してるのを聞きました」

「願い?」

(そういえば聞いたことあるような、ないような…)


「だから僕は今、桜姫とずっと一緒にいられますようにとお祈りしました。これでもう大丈夫です。僕と桜姫はこれからもずっと一緒です!」

大和はニッコリと微笑む。
その瞬間、心の奥底から暖かな気持ちが溢れてきた。
暗闇だった世界が、一瞬にしてパアッと明るくなるのを感じた。


「うん!!」

私は涙を流しながら笑顔で頷いた。
気付けば悲しみの涙から、嬉し涙に変わっていた。
大和が笑顔の花を咲かせてくれたんだ。
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