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一章 総統閣下の茶飲み友達

3 理想の悪の総統ムーヴ

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「……」

 レインはしばらく無視をしていたが一向に鳴り止まない。

「何だ」

 漏れ聞こえる音が聞こえないようにだろう。俺をソファに残し、レインは扉の方へ向かった。
 出ていくならその隙に仕事に戻るフリして逃げようと思ったが、扉の前に陣取り俺をしっかり見ている。抜け目がない。

 仕方なくソファに身を預け足をブラブラさせながら、聞き耳を立てる。
 さすがに通話相手の声までは無理だったが、レインのやる気なさげな応答は聞き取れた。

「目星がついているならば、前に指示した通りに。謝る暇があるなら元から俺の手を煩わせるな」
(うーん部下には塩対応。悪の総統として百点満点……)

 改造人間にされた俺がここへ来たのは偶然だ。『正義の味方』の資金集め用の、正義無関係なフロント企業から派遣されただけ。
 しかし、来たら来たで養い子の職場見学のようで中々に心が弾む。

 ソファごしに顔を出して覗くと、扉に軽く寄りかかり長い足を組んだ立ち姿が様になっていた。
 顔は拾った時から物凄く整っていたが、あそこまで背が伸びたなら良い物を食べさせた甲斐もあるというものだ。

「――これ以上しくじるならその目は不要だな。両目を潰したら『正義の味方』の本部にでも投げ入れてやろう。やつらはさぞお前を丁寧に扱うだろうさ」
(悪の組織が一番やられたくないことを! これは芸術点が高い脅し! 10点10点10点! フルスコア出ました……!)

 理想の悪の総統ムーヴに脳内実況が捗る。
 正義の味方は備品には厳しいが一般市民にはとてもとても優しいので、悪の組織に両目を潰された人なんて来たら憐れんで親切にするだろう。
 だがそれは悪の組織の一員として死ぬより屈辱的なことだ。正義の味方に憐れまれる時点で羞恥心で死ねる。

 まして、仕事をしていて知ったが現在の『悪の組織』本部の構成員はほぼ全員レインに心酔していた。
 崇拝と言って過言ではなく、レインの傍で働けるなら何でも良いがレインから離れるのは耐えきれないというレベルだ。

 無理もないだろう。レインは今20歳だが、俺が拾った5歳の頃からずっと、悪の心を少しでも持つ人間を魅了し続けていた。
 悪のカリスマとはレインのためにある言葉なんだと思うほどに。

 ただそこにあるだけで悪を惹きつけ、正義の者すら悪に寝返らせる。強大で凶悪で最高の、悪のトップ。
 そんなレインに捨てられるくらいなら、電話の相手も死ぬ気で働くことだろう。

(それにしても、何か大きいトラブルが起きているみたいだな。どうしてもレインの判断を仰がなければ処理できないような――ふむ、幹部が裏切りでもしたか? ありえないが、ありえることでもあるな)

 構成員にレインを裏切るような者はいないはずだ。
 まして幹部ともなれば忠誠心は計り知れない。
 だが、崇拝とは時に複雑なものでもある。

(これは、ちょっと調べてみるか)

 電話を切ったレインが戻ってきた。
 その眉間には皺が刻まれている。しかしレインの美を損ねるどころか引き立てていた。

「用事ができた」
「あ、はい。お仕事ですね、お疲れ様です」
「……話は、また。お前には聞きたいことがある」
「はあ。俺は何も知りませんけどね」

 総統の私室から出て、一つ下の階に降ろされた。
 総統の私室がある最上階は本来俺のような外部の者は立ち入り禁止なのだ。掃除は専門の部下がやるし、それ以外では幹部すら滅多に足を踏み入れることを許されない。

「さあて……」

 俺は髪をかき上げ、掃除の道具を手に取る。
 通常業務以外にもやるべきことができた俺に、一刻の余裕も存在しない。
 しかし。

「……この後どうしよ……」

 レインという後ろ盾を失った俺は、とりあえずこのビルからどうやって生還するかを悩むハメになった。





「ベス、ベスー!」

 最終手段と考えていても、最終的に一番大事なのは命だろう。
 だから命の危機を感じた俺は、初っ端から最終手段に頼ることにした。
 俺が正義の味方の下っ端構成員だとバレた時などにと考えていた伝手だ。

 ――何を隠そうこの『悪の組織』本部ビルはかつての俺の古巣である。
 だから2年経った今でも顔なじみというものが存在した。

 とはいえ2年前までの俺はレインに心酔する輩から大変に疎まれていた。
 なんたって悪のカリスマの育ての親。
 レインが成長し魅力が増すにつれ、羨みはやっかみに変わり、殺意すら抱かれたほどだ。

 俺の<異能>は"ランクC"という本来幹部になるどころか本部に務める資格すら無いもので、採用された理由だってコネ100%だった。
 つまり平凡で自分以下の男が、レインという素晴らしい存在の親ヅラしているのが許せない……という者だらけだったわけだ、当時。
 あれ、今とあんまり変わらないな?

 それでもかつては俺に味方してくれた者も何人かいたものだが今は見かけない。おそらく偉くなって各国支部を治めに出たのだろう。
 しかし、本部から絶対に動いていないだろう存在をただ一人俺は知っていた。

 それが、ベスだ。

「ベスー! ベスってば! おーい!!」

 コツコツと窓を叩き、唇をガラスに張り付かせ必死に呼びかける。
 大声を出すと他の人にもバレるリスクがあるため控えたかったが、中で優雅に佇むベスが全く興味を示してくれないため徐々に声が大きくなった。

 俺は今、窓掃除のフリをして最上階の部屋の窓の外に張り付いている。
 最上階のフロアには総統の私室の他にもう一部屋あり、その部屋の窓だ。

 窓は閉め切られているがカーテンは開かれていた。だから中で背を向けているベスの姿がよく見える。

「俺だよ俺! ベス、俺俺!」

 今どき悪の組織でもやらない詐欺のような言い回しになってしまう。
 しかし万一にも俺が阿僧祇刹那だと知られるわけにはいかないから、名乗ることもできない。
 ベスは俺の渾身の呼びかけにも興味なさげに身を揺らすだけだった。

「仕方ない……」

 俺はガラスから唇を離し、上がった息を整える。
 なるべく誠実に、プロポーズするような気持ちで、大きくも小さくもない声でそっとつぶやいた。

「ベス。俺の愛しき翼。お前の力が必要なんだ、助けてくれ」

 すると、俺の声に無反応だったベスの身がぴくりと揺れ、ざわざわと毛が逆立った。
 怒っている。物凄く怒っている。
 振り向いたベスの瞳には燃え盛らんばかりの炎が宿り、俺を睨みつけていた。

「ベス――俺だよ」

 俺はツナギの胸元をくつろげる。
 トン、と指差した心臓の位置に、今の体は何もない。
 ただかつての俺は、そこに大きな火傷があった。

『――刹那?』

 ベスは――部屋の中のとまり木に佇む、大きく美しい赤い鳥は、目を見開くと俺にだけわかる言葉でそう呼んだ。
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