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三章 総統閣下の無くしもの

18 「――あなたの声で言ってほしい」

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***


 ――時間はタスマニア支部に集っている現在から、1日前にまで遡る。

 阿摩羅(あまら)が目の前から姿を消し、洗脳が解けたテトロさんが『悪の組織』本部ビルまで殴り込んできた、その後。

 テトロさんは俺からざっくり経緯と阿摩羅対策を聞くなり、世界中の広報へ連絡しにとんぼ返りした。
 俺も翌日にモリノミヤと会談するセッティングを。
 レインは混乱する『悪の組織』に指示を出しに行き、久寿米木(くすめぎ)は有能だからと陣頭指揮をとらされている。

 しかし、それらが終われば以降は俺たちにぽっかりと空き時間ができた。
 表の仕事はほとんど『正義の味方』が受け持っているため、『悪の組織』はこういう時は結構気楽だ。

「ふう、とりあえず一旦解散かな……」
「刹那」
「うん?」

 モリノミヤへの連絡を終えた後、ぐぐっと体を伸ばしていると、自分の分の仕事を終えたレインが戻ってきた。

「こちらへ。ベス、しばらくいいか」
『……仕方ないですね。少しだけですからね』

 レインが俺の上に断固として居座っていたベスに声をかけると、赤い翼は渋々飛び上がる。
 バサバサと部屋を旋空し、テーブルに寝かされたかつての俺の体の隣に着地した。

 俺だった改造人間の体を温めることはしない。
 あの体はもうベスにとっては俺じゃないらしいが、それでも寄り添っているように見えた。

 レインは俺の手を引き部屋の奥へ向かった。
 棚の陰に小ぢんまりとした扉がある。
 レインが開き、俺を中に招いた。

「ああ、懐かしいなーここ」

 ベッドと間接照明と緊急用のベルがあるだけの、四畳程度の部屋。
 窓は無く防音で、扉を閉めるとシンとした静寂に包まれる。

 ここは総統用の仮眠室だ。
 レインが今よりもっと小さかった頃は、俺の仕事を待つ間ここで眠っていることも多かった。
 俺も一緒に寝ることがあったからベッドは大きめだ。とはいえ、セミダブルだが。

「今だと2人で寝るのは窮屈だろうな……ん?」

 懐かしさに見回していると、俺の背後でカシリと鍵を閉める音が聞こえた。

「なんで鍵――うわっ」

 急にふわりと体が浮いて、ベッドの上に背中から柔らかく着地していた。
 瞬きの間に俺を抱きかかえて運んだレインが、ベッドマットを沈ませながら俺の上に覆いかぶさってくる。

「……っ!」

 つい、とレインの白磁のような指先が俺のあごをくすぐった。
 びくんと身を竦ませる俺を見下ろすレインは、間接照明の輝きの中で再びニコニコと嬉しそうに笑っている。

「レイン……? ん……」

 レインの親指が、俺の下唇をゆるく押した。

「刹那。キス、しても?」
「き……聞くなよそんなこと」

 唇に触れたレインのひやりとした指が徐々に俺の熱と混ざって温まってくる。
 それだけのことなのに妙に意識してしまい、顔を背けたいのに上手く力が入らない。

 あまい眼差しに見つめられるだけで、体から力が抜けた。

 レインが俺の耳元に自らの唇を寄せて、囁く。

「良いと――あなたの声で言ってほしい」
(うぅ……!)

 養い子に手玉に取られるのは歳上としてどうなんだという気持ちと、全てを差し出して好きにしてほしいという気持ちがせめぎ合った。
 俺の葛藤を見透かしたレインはクスリと笑い、頬に軽く唇を落としてくる。

 頬の次は額に。耳に、瞼に、首に、顎に。
 花がつぼみを開かせる時のように静かに、柔らかく、レインは俺の顔中に唇を触れさせた。

 宝物のように大切にされている。
 心臓がぎゅうぎゅうと締め付けられた。

「お、おれ、で、いいのか……?」
「いいのか、とは?」
「おれ、もう小柄じゃないし、若くないし、育ての親だし、精神弄るし、か、かわいくないし……」

 改造人間の体も別に可愛くはなかったが、今のぱっとしないおっさんよりはマシだろう。
 レインより少し目線が低いだけの俺と違いあっちは小柄だったし、歳も1歳しか離れていなかった。

 レインからの愛情は疑いようもなく感じてはいるが、それでもレインにはもっとふさわしい人間がいるんじゃないかと思う。
 人間じゃなく、ベスのような可愛くて気高くて美しい鳥もいい。

 俺は、よくない。

 総統時代に何度と無く言われた「あなたにレイン様はふさわしくない」。
 俺もそう思っている。
 少なくとも、恋人としては。

 レインの隣に俺は似合わないという考えは、いつまでも俺を苛むだろう。
 きっと一生頭から離れない。

 ――そう、思っていた。
 この瞬間までは。

「……」

 黙り込んでしまったレインに俺はいたたまれなくなって目を逸らした。
 そうしていると悪い考えばかりが頭を巡る。

 レインからの好意を感じて両思いだと舞い上がっていたが、歳上として俺から振って離れるべきなんじゃないかとか。
 俺がレインを振るなんておこがましいからもう一度嫌われようとしてみるべきかとか。

「――ふふ」

 ぐるぐると考える俺をじっと見下ろしていたレインは、うっそりと笑った。
 凶悪さを孕んだ歓喜の声。


「あなたは――本当に可愛いらしいな」


 ぐっと顎を掴まれ、レインの唇が俺の唇に重なった。

「んっ……!?」

 軽く握られているだけに思えるのにびくともしなくて、さり気なく顎を掴まれ口が開く。
 今そういう空気だったか!?とパニックで押し返そうとするも、レインの手が俺の両手をまとめてベッドに押し付けてしまった。

 膝で体も押さえられ、身動きができず嫌でもレインと触れている部分を意識させられる。

「んくっ……んっ……」

 優しく侵入してきた舌が、容赦なく口の中を舐め回す。
 重なる唇から淫靡な水音が溢れて、耳まで侵されているようだった。

(たべ……たべられてる……)

 紛うことなき愛撫のはずなのに、捕食されていると勘違いするような激しさだった。
 逃げた舌は引きずり出され、ひとつになりそうなほど絡まったり、真珠のような歯で甘噛みされる。

「んん……ふ……、んぁ……」

 俺に許されたことはレインの愛を受けることだけだった。
 呼吸や思考すら放棄し、レインに愛でられるだけの愛玩物にされていく。

 ようやく解放された時、俺はしまえなくなった舌を唇の端に垂らし、焦点の合わない目でレインの視線を受け止めることしかできなくなっていた。

「年齢? 育ての親? 異能? ――そんなもので俺から逃げられると思うな」

 俺の頭を撫でたレインが、聞き分けの無い子どもに言い聞かせるように優しく、しかし有無を言わさない強さで囁く。


「あなたは俺のつがいだ、刹那」
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