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最終章 消えたものと見つけたもの

7 「――大丈夫? 刹那っち」

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 俺とモリノミヤはよく話し合って、世界中の人々から俺たちの存在を消すことに決めた。
 精神系能力者がいたという記憶も消し、人を操って記録さえも消してもらう。
 俺たちや精神系能力者が存在した事実を、人々が自然と忘れていけるように。

 これは、遺された大好きな人達を悲しませたくないという俺たちの身勝手なエゴだ。
 俺たちは弱いから。
 一人でも引き止めたり、悲しむところを見たら去れなくなってしまう。

 だから二人だけで勝手に決めて、勝手に実行した。

 不可思議阿摩羅のようなミスはしないようモリノミヤが考え俺が動く。
 記憶の不自然な改変ではなく、自然と忘れ去ったように処理をする。
 決して思い出さないようにプロテクトをかけて。
 そうすれば、優秀だが単純でもある人の脳は欠けた部分を勝手に自然な風に補完してくれるから。

 静かな病室で、それほど時間は経っていない。
 しかし世界はゆるやかに変化していく。
 <異能>を世界中に届けるのは阿摩羅事件で実践済みだ、滞りなく進んだ。

「――大丈夫? 刹那っち」
「ん……」

 俺たちの名前くらいしか知らない人の記憶を弄るのは簡単だった。
 でも深く関わりがある人だとそうはいかない。

 タスマニア支部の構成員からモリノミヤの記憶を消す。
 倒れた支部長を心配していたことを忘れ、変人の支部長がかつて在籍していた程度の記憶に置き換わっていく。
 副部長が支部長に昇進していたことにして組織としての整合性を保った。

 『悪の組織』から俺の記憶を消す。
 阿摩羅事件収束後、阿摩羅が指名手配した第13代総統である阿僧祇刹那については引き続き失踪中だと報道してもらっていた。俺が今更注目されるのは望まなかったからだ。
 でも俺をよく知る人たち――俺の代の幹部達などには生存を伝えていたのだが、その記憶を消去した。
 俺は引き続き失踪中であり、どんな総統だったかは遠い記憶となり思い出せないように改変していく。

 蛸薬師(たこやくし)テトロさん――これほど腹の底を探り合った相手だと改変はかなり難しいと思っていたが、その逆だった。
 どうも<異能>のランクが高いほど、精神系の<異能>に対する耐性が低くなるらしい。
 阿摩羅がテトロさんからしか情報を引き出せなかったのはそのためだろう。『正義の味方』は低ランクの<異能>持ちが多い分、精神を弄る労力も大きくなる。
 だからテトロさんは簡単だった。ざっくりと消して、記憶の置き換えのヒントだけ植え付けて後は脳の修正に任せた。
 他の『正義の味方』や俺の同僚だった人たちも記憶を消していく。

「……もう少しだね、刹那っち」
「ああ」

 ――震える俺の手を、モリノミヤが力無く握る。
 人類のほぼ全ての記憶改変が終わり、残るはたったの1人と1羽。

(ベス、レイン……)

 ベスの記憶まで弄るかは悩んだ。

 俺の翼。
 そして俺はベスの終の巣。
 幼い頃からずっと助け合って生きてきて、死ぬ時は一緒だと誓った仲だ。

 俺が死ねばベスも死ぬ。
 それがベスの望みだから躊躇はない。
 しかし俺の存在を忘れさせることは、あの鳥に対する重大な裏切りだった。

 かつて阿摩羅に記憶をいじられて俺との記憶をそのまま阿摩羅に置き換えられた時、ベスはずっと眠っていたという。
 俺でなければ退屈で退屈で世界に興味が湧かず、ずっと眠ってしまったのだと言っていた。

 俺との記憶を消せばベスは世界に興味を失ったかつてのベスに戻るだろう。
 当時からベスの望みは今と変わらず、自らの死だった。
 でも――感情豊かに世界を羽ばたくベスを知った今、世界をつまらないと思ったまま死なせて良いのだろうか。

 ベスは俺の決定に逆らわない。俺の不利益になるような行動もしない。
 だからベスまで弄る必要は無いはずなのに――ベスは俺がこのような形で死ぬことを、決して許さないだろうと思うのだ。

 俺のことを引き止めて、悲しんで、死に抗おうとしてくれるだろう愛しい鳥。
 もしベスに死ぬなと言われれば、俺は死にたくないと言ってしまう。
 その可能性が少しでもある以上、ベスからも俺の記憶を消すしかなかった。

(……ごめん。謝ったって、許してもらえることじゃないけど)

 ――そして、レイン。

 俺の家族。恋しい人。宝物。
 俺の最大の未練。

 忘れてほしくない。
 俺のいない世界でレインが幸せになることを祝福なんてできなかった。

 俺と一緒に死んでほしい。それが駄目なら一緒に生きてほしい。
 どちらも地獄。
 でもきっと、どちらであってもレインは叶えてくれるだろう。

「刹那、ごめんね……」
「っ、お前が謝ることじゃないだろ、モリノミヤ」

 ――だから、消した。
 これだけは世界も何も関係なくて、ただ俺だけのために。
 俺がレインを諦めるために。

 俺はひどいやつだ。
 本当に――ひどいやつだ。

「……終わった。じゃあ俺、行くな」
「うん」

 涙に濡れた俺の頬をモリノミヤのかさついた指が撫でる。

 俺もモリノミヤの頭を撫でた。
 きっと小さい頃、一度か二度はこうしたこともあるのかもしれない。

 俺の大切な大切な、家族だったはずの子。

「さよなら、須臾モリノミヤ
「さようなら、お兄ちゃん刹那っち

 モリノミヤに会うのはおそらくこれが最後だ。
 それでも互いに普段と変わりない口調で挨拶をして――その中に万感の思いを篭めて――病室を後にする。

 ベスとレインを避けるように病室の窓から外に出た。
 服はモリノミヤのものに着替え、アンクレットやスマホ、私物も貰った物も全て置いていく。

 こうして俺は逃げ出した。
 恋心から気をそらし、愛する者に背を向けて。


***


 極力悔いが残らないようにしようと、まずは故郷に向かった。
 遠く掠れた記憶を辿りどうにか『阿僧祇』と表札に書かれた家を見つける。

 離れたところから少しの間眺めていると、運良く帰宅した両親と少女を見ることができた。

「あんな顔だったんだなあ……妹も、皆……元気そうだ」

 俺は人の顔を覚えるのが得意なはずなのに、なぜか両親の顔はひどく曖昧だ。
 見覚えはあるはずなのだが、初対面のような気さえする。不思議な感覚だった。

 おそらく模糊(もこ)という妹であろう少女は背中に生えた小さな羽をパタパタと動かしている。
 身体変化系の<異能>だ――モリノミヤから聞いてはいたが、精神系でないことを自分の目でも確かめられて胸を撫で下ろした。





 次に蕎麦屋に向かう。
 かつての『悪の総統』本部近くにあり、ベスとレインと一緒によく来た店だ。

 名物の月見そばが美味そうで食べてみたかったんだが、他の卵を食べるとベスが嫉妬するからいつも違うものを頼んでいた。
 初めて月見そばを注文して、少し待つ。

 壁の染みも貼られた値段表も何も変わっていない店内。
 あの席でレインと食べたよなあとか、あの店主さんベスのことも快く受け入れてくれたんだよなあとか、とりとめなく思い出す。

 提供された月見そばは、きっと美味しかったのだろう。
 でも胸がいっぱいになってしまってせっかくの味がわからなかった。

(もう一度、この店にベスとレインと来たかったなあ……)





 家族と、月見そば。
 関わった人々の記憶を消した今、俺の悔いはそれくらいだった。

 全てを終わらせ、僅かに夕陽が差し込む鬱蒼とした山中を記憶を頼りに歩く。

 ――ここはかつてレインを拾った山だ。

 人工の明かりは存在せず、生い茂った草木によって限りなく闇に近い。
 でもどうしてか目的地がなんとなくわかった。
 山頂近くだからだろうか。時折休みながらも、足は迷いなく進む。

「ここだ……」

 辿り着いたのは何の変哲も無い場所だった。
 そこまでの道があるわけではなく、目印も無い。
 でも俺はここが確かにレインを拾った場所だと確信する。

 当時は今ほど木が生い茂っていなくて、差し込む光に照らされたレインがとても神々しかった。

(あの時は、俺とレインの二人きりで――あれ、なんでベスはいなかったんだっけ……? たしか、危ないから離れていてくれと……危ない? 何がだ?)

 曖昧な記憶が少し気にかかる。
 しかし、今更気にしても仕方ないことだろう。

「よっこいしょっと」

 手近にあった木を背にして座り込んだ。

 この山には凶暴な野生の獣が数多くいる。
 俺はどうも無意識のうちに<異能>で獣を警戒させ近づかせないようにしているようなのだが、意識して止めればいい。
 それだけであとは獣がどうとでもしてくれるだろう。
 人なんて踏み入らない山の中だ。ここでなら、静かに消えることができる。

 俺とレインの始まりの場所。
 ここが俺の終わりの場所になるのは、悪くないと思えた。

 膝を抱えてそっと目を閉じる。


 ――その時。


「――――」

 遠くから、何かが聞こえた。
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