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第13話 真夜中のウェルッシュケーキ

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  扉を開くと突然、昨晩と同じガウン姿で現れた公爵令嬢エレノアに驚いた三人であったが、年嵩のペトゥラが真っ先に礼をとる。続けてマーサとエヴェリンも同じように礼をする。
 頭を下げたままの三人に困ったように笑ってエレノアは口を開く。

「どうか頭を上げて。ここにいては誰かが来るわ。中に入ってもいいかしら?」
「……失礼いたしました。どうぞ、中へ」

 サッと後ろへと下がった三人に少し寂しさも感じながら、エレノアは昨晩と同じように使用人用の厨房へと入っていくのだった。

 
 使用人用の厨房はやはり貴族用の厨房と比べれば、こじんまりとしている。だが、ハルの実家のキッチンのようでこちらの方が親しみを感じる。
 今日はどんな食材があるかとテーブルをちらりと見るエレノアの後ろで、控えていたペトゥラたちが再び頭を下げた。

「昨晩は失礼を致しました。改めまして、クーパー侯爵家のスカーレット様に仕えるペトゥラでございます。右に控えるのがマーサ、左におりますのがエヴェリンでございます」
「マーサでございます」
「エヴェリンと申します」

 ペトゥラは眉間に皺を寄せ、恐縮したように言葉を続ける。
 クーパー侯爵家という名前には聞き覚えがあるエレノアだが、どんな令嬢であったかすぐには思い出せない。
 
「昨夜は、そのコールマン公爵家のご令嬢とはつゆ知らず、調理をさせるというご無礼を致したことを――」
「私が望んだことよ。固いパンをそのまま食べるなんて私が知った以上、許されない行為だったの。誰かに何か言われたのかしら?」
「いえ、昨晩のことは誰にも申し上げておりません。この子たちも同様です」

 エレノアの言葉に慌てて、ペトゥラは首を振る。実際、彼女たちは昨晩の出来事を誰にも話してはいない。他家の令嬢に使用人が菓子を作って貰ったなど、彼女たち自身も信じがたい出来事だ。それを話してもおそらく皆、冗談だと思ったことだろう。
 何よりそれを口外して良いのかも安易に判断出来ない。貴族令嬢が厨房に立つ、その家の者が不名誉なことと考える可能性もあるだろう。
 口が堅いことは貴族の使用人として必要な素養なのだ。
 否定したペトゥラたちの様子にエレノアはにこりと笑顔を浮かべる。

「では、昨晩のこともこれからのことも私たちだけの秘密といたしましょう」
「……了承致しました。あ、あのこれからのこと、とは一体……」

 エレノアはガウンの袖を腕まくりし、紫の瞳を輝かせてペトゥラの手を取る。驚くペトゥラにもその後ろのマーサにもエヴェリンにも、エレノアはにこやかに笑いかける。それは公爵令嬢としてではなく、普通の少女のように自然な愛らしいものだ。

「昨晩のように、一緒に何か作りましょう! 今日はどんな材料があるのかしら?」
「あ、あたし、魔法貯蔵庫を確かめますね」
「私も中を見てみたいわ」

 ペトゥラの手を放し、エレノアはマーサと共に魔法貯蔵庫の中身を確認する。その様子は高位貴族でありながら、柔らかで圧がなくペトゥラは驚く。
 エレノア・コールマン公爵令嬢は淑女らしく端麗ではあるが、あまり感情を出さない。同時に気難しいと伝え聞いたことがあった。
 噂など、やはりその信憑性は低いものなのだとペトゥラは思う。
 
 一方のエレノアが秘密にするようにと言ったのには理由がある。
 エレノアとしても他家のメイドを使っていると見られれば非難される。
 だが、何よりエレノアは偶然、知り合った彼女たちとの距離をこれ以上遠いものにしたくはなかったのだ。
 魔法貯蔵庫からマーサが卵を取り出す。

「今日も卵はあります!」
「牛乳はある? あとはバターとか」
「牛乳は……ありません。あ、でもバターはあります。あと今日はジャム以外にも干しぶどうがありますよ!」

 張り切って報告するマーサだが、今日もまた十分とは言えない内容の魔法冷蔵庫である。そもそも使用人たちが使える厨房は、食事以外に休息を取る意味合いもあると思うのだが、夕食までに材料を使い切ってしまうらしい。
 だが、昨日の話では砂糖や小麦などは支給されているということであった。

「卵にバターに砂糖に小麦粉、これがあれば十分ね。おまけに干しぶどうもあるなんて……! 今日もお菓子が作れるわ!」

 嬉しそうに微笑むエレノアにマーサもにこにこと笑う。
 今日もまた菓子を作るというエレノアに驚くペトゥラとエヴェリンではあったが、失礼がないように努めようと思うのであった。


*****


 テーブルの上に並ぶのは、バターに砂糖、小麦粉に卵、そして干しぶどうである。
これで何かを作るというエレノアだが、ペトゥラたちにはピンと来ない。わかるのは固いパンを使わねばならなかった昨日に比べれば、マシだということくらいだ。
 だが、エレノアは嬉しそうにまたじゃぶじゃぶと小さな桶の水で手を洗い出す。

「あぁ、お止めください。生活魔法で水を出しますゆえ……」
「もう洗ったから大丈夫よ」

 エレノアとしての生活魔法の記憶がないわけではないが、まだ不安で使ったことがない。シルバーの話では、そろそろ使えるとのことだった。使い方をカミラに聞いておかねばとエレノアは思う。
 小さな厨房を見渡すが、貴族用の厨房で見た魔法オーブンは見当たらない。
 となると、ケーキなどは難しい。今晩も魔法コンロを使った菓子になりそうだ。

「牛乳がないからパンケーキは無理ね。でも、材料は十分にあるから大丈夫」
「そうでしょうか?……恥ずかしながら私たちは調理の知識が乏しいので……」

 ペトゥラたちはメイドであり、調理人ではない。貴族令嬢はもちろん、平民出身でも商家の娘などであれば厨房に立った経験がないこともあるのだ。
 
(でなければ、昨日固いパンを齧ろうなんて思わないわよね)

 経験のなさで手伝うことが出来ず、おろおろとするペトゥラとエヴェリンだがマーサはキラキラと目を輝かせてエレノアに尋ねる。

「それで、こちらの材料で何をお作りになるのですか?」
「えっと、ベーキングパウダー……膨らますための粉ってあるかしら?」
「あ、ございます! 魔法調理人が開発した最新のものだと聞いております! ……その使ったことはございませんが……」
 
 背の硬いエヴェリンが取り出したのはベーキングパウダー、ふくらし粉である。
 日中に見たパンケーキを見て、きっとこの世界にもあるだろうとエレノアは思ったのだ。これがあれば菓子の調理は様々な種類が作れるだろう。

「じゃあ、ウェルッシュケーキを作ろうかしらね」
「ケーキ……でも、こちらには魔法オーブンがありません」

 戸惑うマーサにエレノアは昨日使ったフライパンを持ち上げてコンコンと細い指で叩く。その意図がわからず、マーサはペトゥラたちを見るが彼女たちにもそのいみがわからない。

「このフライパンでウェルッシュケーキは作れるのよ」

 楽しそうに笑ったエレノアはさっそく、ウェルッシュケーキの調理へと取り掛かるのだった。

*****

 ボウルに冷えたバターを細かく切って入れ、ふるいにかけた小麦粉や砂糖を加え、木べらでサクサクと切るように混ぜていく。バターがある程度、小さくなってきたら今度は手ですり潰すように粉と混ざり合わせていく。
 エレノアは近くにいて、興味津々に様子を眺めていたマーサに話しかける。

「マーサ、卵を溶きほぐして少しずつこの中に加えて貰える?」
「かしこまりました!」

 皿に卵を割り入れたマーサはチャカチャカと不慣れながらも懸命に溶きほぐし、ボウルにほんの少し入れる。

「こ、このくらいですか?」
「ありがとう。また混ぜて、様子を見て加えていくからね。卵を入れすぎると、生地と分離してしまうから気を付けて」
「は、はい!」

 真剣な様子で隣に立ち、マーサは卵を入れていいのかとエレノアの表情を窺う。そんな視線を感じつつ、エレノアは次はエヴェリンにも話しかける。

「ねぇ、エヴェリン。干しぶどうをこの中に入れて貰ってもいいかしら」
「はい! ただいま!」
「マーサはもうちょっと卵を入れて。そう、それでもう卵は終わりよ。ありがとう、マーサ」

 重要な仕事を終えたかのように、頬を染めてマーサは笑顔を見せる。
 卵を入れてまとまってきた生地にエヴェリンが干しぶどうをそっと加えた。エヴェリンもまた、不慣れなことに緊張しているようでほんの少し加えた後、エレノアの表情を見てこれでいいのかと気にかけている。
 
「大丈夫よ、エヴェリン。もうちょっと加えてもいいわ」
「はい! このくらいでしょうか?」
「えぇ、ちょうどいいわ。ありがとう、エヴェリン」
「い、いえ。とんでもございません」
 
 ここ正道院では他家の使用人であろうが、格下の家の使用人には当たり前のように令嬢たちは指示を出す。高位貴族であれど、正道院に呼べる使用人は数名なため、人では慢性的に足りていないのだ。
 無論、研修士としての生活では日常的な不便はないはずなのだが、彼女たちはここでも貴族令嬢として恥ずかしくない生活を送ろうとしている。
 本来、謹慎処分でここにいるのだが、信仰会への寄付金が正道院内での彼女たちの扱いを難しいものにしていた。

 だが、今この正道院で最も身分の高い公爵令嬢エレノア・コールマン、彼女は嬉々として使用人であるマーサやエヴェリンと菓子作りに励んでいる。
 そんな不思議な光景に、やはり真夜中に見ている夢か幻の類なのではとついつい思うペトゥラなのであった。

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