創煙師

帆田 久

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第1章

第6話 煙草と男と幼女と少女〜“私室”と包帯の下①〜

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 ひとしきり室内にいる女達と紫円、雫を睨みつけてから、後ろに控えていた番頭兼鹿火の側近・龍治という強面の男に“暫く下は任す。間ぁ持たせとけ”と指示を下すと、件の女楼主はジロリと紫円に視線を固定し、廊下に向けてくいっと顎をしゃくった。あからさまな“ツラ貸しな”というケンカ腰の仕草に、彼を大広間に引き止めていた太夫らが顔色を変える。

「あのあの楼主!そのお方、紫円様は私達が無理に留め置いたのです!!」

「その通りですわ!迷惑になることを危惧されていた紫円様を私達が」

「問題ないと、“今晩楽しませる”と約束しましたの!これもこの楼の太夫として立派な“仕事”だと」


「五月蝿い。あまりさえずるな太夫ども」

次々と紫円を庇う発言を挙げる太夫達を、高い声ながら圧力を乗せた一言で一蹴すると、一転噛んで含ませる口調で女達を諭す。

「下で多少聞いたが、雫の恩人なんだって?楼の皆衆には“一刻”の歓待を告げたのだろう??歓待ってぇのはこっちの善意を相手に一方的に示す“接待”であって、金を取る“商売”じゃあない。どうしても歓待をするとなればせめて商売女らしく、自分達が決めた刻限は守れ。お前達に合わせて動いてくれている働き手達にも迷惑がかかるし何より、他の女衆に示しがつかんからな」

 太夫だからと何でも思う通りになると思うな、それくらい分かってるだろうがと言外に釘を刺された太夫達は細い肩を落として項垂れた。その様子を見てふんっと一笑すると、

「心配はいらん。悪いようにはせんよ」
「「「え?」」」
「言ったろう、下で多少聞いたと。雫は楼にとって必要な働き手であるし、なにより私の。それこそ経緯はどうあれ、助けてくれた恩人を蔑ろにするような真似はしねぇよ。ただもう少し詳しく話しを聞かせてもらおうってだけだ」

わかったならさっさと仕事に行きな、と手首を動かし追い払う仕草をする楼主の言葉にほっと胸を撫で下ろした太夫達は、少々名残惜しそうな顔をしつつも、大広間を去っていった。

「さぁて、やっと静かになった所でそこの男!!確か紫円といったか」
「はい」

女達が完全に去るのを見届けた鹿火は再度紫円に向き直り声を掛けると、じぃぃ...とその顔を見つめ,目を細めた。そうして徐に踵を返し,カコカコと下駄を鳴らしながら部屋の外へと向かう。

「?どちらへ?」
「...ここじゃあ落ち着いて話しが出来ねぇ。あんた、顔立ちも身形もやたら派手だからな?客のつかなかった女衆に押し掛けて来られても面倒だ。てわけで、紫円、雫。私の“私室”に行くぞ」
「...え?」
「部屋?...ああ、楼主殿の私室ですか」
「楼主殿てお前...。肩ッ苦しいのは好かん。鹿火でいい」
「では鹿火殿で」
「”殿”もいらんのだが。はぁ、まぁいい。とにかく行くぞ」
「はい。では雫も、参りましょうか」
「......うん」

 頓着せず先頭を歩く鹿火、疑問を持つ様子なくその後に続く紫円。そうして最後尾に続いた雫は実の処この時、かなり驚愕していた。

  ー 楼主・鹿火の“私室”
 それはこの魏楼“火車”の何処かに存在しているとされながら、誰もその場所を知らない部屋。
二時間しか人前に出ない楼主が寝起きは勿論、日の大半を過ごしているであろう部屋とあって、興味を抱いた者は数知れず。幾度となく、働き手のみならず客らに至るまで、退楼時刻前から彼女の後を付けて探ろうとしたが、その度に、結局現在まで見つけた者も、入った者もいないとされる“火車”最大の謎スポット。
 そんな場所に,本日が初対面の男と自分を、まるで“庭でも散歩しようぜ”程度の気軽さでもって誘い、“入室”を許すというのだから。

 大して距離を歩かず鹿火は足をとめ、後に続く雫達もそれに習ったのだが。彼女が足を止めたのは、大広間がある3階廊下の一番奥、予備の布団や枕等を収納している、いわゆる物置部屋の引き戸の前。
(何故に物置?)
頭上に?マークを浮かべて、日頃何度も入ったことのある部屋の戸を眺める雫をよそに、軽く人差し指でトンっと戸を叩くと、無造作に引き戸の手口を横に引く。

「は??」
「わぁ...、これはまた。趣がありますねぇ」
「うるせ。うだうだ言ってねぇで早よ入れや」

 うそ、と知らず呟き、驚きを露わにする雫と、ひどく感心した様子で中を伺う紫円に億劫そうに言葉を返し、鹿火はさっさと部屋に入っていく。

戸の先に広がる部屋。
ーそこは、物置部屋とは似ても似つかぬ完全なる〈私室〉だった。
 広さはおよそ10畳ほどだろうか。棚や机の類は一切なく、奥の壁には墨で描かれた龍の絵の掛け軸が掛けられ、その隣にぶら下がるように固定された小さな網かごの中には淡く赤い灯りを放つ不思議な花。右奥の隅には畳まれ置かれたふかふかの布団と枕。そして部屋の中心には、灰の中に火種を宿したままの囲炉裏が存在を主張している。

 部屋を入りすぐのところに積まれた数少ない座布団をポイポイポイッと三点に放ると、下駄を飛ばして脱いで奥一点に着地したそれの上に座り、“早よ戸を閉めて座れや”と部屋の前で佇む二人に入室を促した。遠慮する紫円を先に入れ、続いて部屋に足を踏み入れた雫が後ろ手に戸を閉めると“カチリ”と小さい音が微かに聞こえた。

 二人が囲炉裏を挟んだ向かいに腰を下ろすのを見届けた鹿火は、着物帯の合間から煙草入れを引っ張り出すと、中より火皿と吸い口以外木製の煙管を取り出す。火皿に丸めた刻み煙草を詰めると、囲炉裏の灰山に刺してあった二本の火箸を抜き取り、火種を掴み取って火皿にあてる。
  ジジ…と独特の音を立てて火皿の中の煙草が燃え始めると同時に吸い口に口をつけ、すぅっと息を吸い込んだ。
少女、もとい幼女が堂々と喫煙する姿はともすれば違和感を抱くものであるはずだが彼女にはそれがなく、むしろ不思議と似合っていた。

「んじゃあ、改めて。仕切り直しと行こうか。私の名は鹿火。今ではここ赤煙国城下の花街でも老舗となったこの妓楼“火車”のを務めている」
ふー…と煙を吐き出し、それであんたは?と何故か挑むような眼差しで先を促された紫円は、僅かに居住まいを整えると自身の名をはっきりと告げて頭を下げた。

「これはご丁寧にご挨拶のほど、有難うございます。私は紫円という名のしがないをしている者です。この度は縁あってそちらの身内である雫さんに山中より同行させてもらいまた、高値だとお聞きした太夫と呼ばれる美々しい女性方に身に余る歓待をしていただき、御礼の申し上げようもございません」
 鹿火殿、と口にしたのを最後に頭を起こすと穏やかながら真っ直ぐな強い眼差しでもって返礼する。
(…なんか、怖い?)
二人はただ、挨拶を交わして視線を合わせているだけ。しかし、その間大人しく傍観していた雫は部屋の中が痺れを錯覚させるある種の緊張に支配されていることに戸惑いを隠せない。まるで空中に小さな雷が弾けているようだ、と密かに背中に冷たいなにかを走らせる雫を余所に、二人の会話は続く。

「紫円、と呼ばせてもらおう。ー…私の“紹介”を聞いても動じねぇな…?」

「ええ、まぁ」

「この部屋ぁ見たときもそうだったがまぁ…、つまりはてめぇも私とってことか」

「ええ、まぁ」

「山中の件からここまでの同行、こりゃあ偶然か?それともわざとか」

「ええ、まぁ……と言いたいところですが、彼女との出会いは本当、偶然ですよ。しかしまぁ、彼女に声を掛ける前、くだんの山賊達がなにやら“興味深い話”をしてましてね?老婆心ながらその後少々心配になった為に、迷子などと駄々をこねてここまで強引にくっついてきた訳ですが」

「…では逃げたという賊達は」

「それは、ええと、まぁ。ご想像におまかせしますが、おそらく解決で合ってますよ」

「・・・・・・。」

「・・・・・・。」

「喰えん奴め」

「おや、お褒めに預かり恐悦至極、とでも言ったほうがよろしいですか?しかしそれはこちらの台詞だと言いたいですねぇ」

 会話というより鹿火の一方的な質問(尋問?)とのらくらとした受け答えのやり取りはどうやら、フンっと少し悔しげに鼻を鳴らした鹿火と、ふふっと楽しげに口角を上げた紫円という形で一応の決着をみせたようだ。
息つく間もなく交わされる会話に眼を白黒させていた雫だったが、その会話の中で自身と関わりのある事由が語られていたことにはた、と気づく。

「あの。さっき“山中の件”とか“迷子だと駄々をこね”とか“賊達がなんちゃら”とか。一体何のは」

「ああ気にすんな雫。てめぇが知る必要は全くねぇから早ぅ忘れろや」

「そうですよ雫さん。あなたが気にかける必要も価値も特にない、ただのですから」

「…。」
“な!(ね?)”と被せる形で言葉をかき消され、感じた疑問を消化することは叶わなかった。その、二人のある種のあからさまな誤魔化しに雫はしかし、特に気を悪くした様子もなく。

「はぁ。わかりました忘れます」

別にまぁいいか、とあっさり質問を取り下げた彼女に、紫円は僅かに目を瞠る。普通、人間というものは兎角、疑問を疑問のまま放置しておくことができない。自身の知らないことがあると知るや、それについて知りたいと強く思うし、隠されたり誤魔化されたりすると尚気にするものだ。

 まして彼女は、日中に山の中で山賊に襲われるという非日常的事件に遭遇している。それに関すると思われる会話を目の前でされたのだ、強い関心を示して当然。自身も当事者なのだから隠さず教えろと言い返してきても全くおかしくない。だというのにこの隣に座す赤髪の娘は本当にすぐその事柄に興味を失った様子で“忘れる”、そう言ったのだ。 
 ついまじまじと彼女を見つめる紫円にクククッと忍び笑うと、鹿火はニヤリと唇を歪めた。

「どうよ?面白ぇ奴だろ」

「ええ本当に…大変興味深い反応です」

「??」

 何故紫円が自分をこのように凝視するのかまるでわからず、雫は不思議そうに二人を見つめるだけ。 
そうして彼女を見つめてようやく、紫円は雫の左眼を覆う包帯に意識を向けた。

「その左眼。もしや……」

「ほぅ、解かんでも気がついたか。目敏い奴め」

 ぷかぁ、ぷかぁ、と吐き出す煙の形を変えて遊んでいた鹿火が雫に“外してご覧”と顎を軽くあげて促す。

「?いいですけど」

何のために?と思いつつも、素直に包帯の結び目に手をやった雫は、固く結わえられたそれを解いてみせた。

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