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メゾンボナール305号室
日常の形
しおりを挟む退院してきて、1ヶ月が経った。
ネクタイを手早く結びながら、春ちゃんは井田先生へと早変わりする。
今朝は一段と急いでいる様子だった。
「咲、朝ごはん。俺は先に家出るから、ちゃんと食べて出てきなね」
なんか、親って感じがする。
いつもは春ちゃんと一緒に朝食を摂るけれど、今日は職員会議と授業の準備で、早めに家を出るらしい。
家では春ちゃん、学校では井田先生。
退院してからできたルールだ。
それと、春ちゃんは先生をしていない時、一人称が俺になる。
まだ起きたばかりでぼーっとしながら、春ちゃんが忙しなく動く様子を目で追っていた。
「白いご飯だけでもいい……?」
「半分でもいいから」
「わかった」
「優、昨日当直明けで寝てるから、鍵かけて家出て。洗濯回してあるから、干すのお願いね」
「うん」
玄関までついていく。せめて、見送りはしようと思っていた。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい、気をつけてね」
慌ただしく言い残すと、春ちゃんは一足先に家を出た。
家の中が急に静かになって、寂しくなる。
戻って朝ごはんを食べようと振り向く。
優があくびをしながら後ろに立っていて、驚いて身を引く。
「わっ、おっ……はよう」
「おう。……ったく春斗のやつ、俺をなんだと思ってんだ」
優は、起きたばかりで髪を束ねながら、踵を返して、ダイニングの方へ向かう。
わたしは、少し不機嫌な優の顔を見てクスクス笑う。
「ほら、一緒に飯食うぞ。まだ薬、あるんだから」
「そうだった」
わたしは焦って食卓につく。
「薬飲み忘れたりなんかしたら、怒るぞ。春斗の方が怖いだろうけどな」
そう言うと、優はニヤッと笑う。
澤北先生のことは、家では優って呼んでいる。何となく、優ちゃんより、優の方がしっくりくるから。
それと、春ちゃんのお小言を共有して、2人で笑い合うのも、似た者同士な感じがして、わたしたちは仲間だ。
「うん。昨日、洗濯物にティッシュ入ってた時、めちゃくちゃ怒ってたよね」
「……あぁ、久しぶりに怒らせたなぁ」
昨日の夜、洗濯物にわたしがティッシュを混ぜたまま、洗濯機をまわしてしまった。
春ちゃんが洗濯物を干していてうんざりしていた。
木っ端微塵になったティッシュが、ご丁寧にも洗濯物のひとつひとつに、しっかりとくっついていた。
「咲~? 言ったよね、ポケットの中身ちゃんと確認しなさいって」
「ごめんなさい……」
「前もあったよね? これで3回目だよ」
ぷりぷり怒る春ちゃんは、なかなか解放してくれなかったので、優の方へ走って逃げた。
「優、春ちゃんが怒る」
当直明け、寝室で寝ていた優が、そろそろ起きる時間だと思って駆け込む。そこら辺はしっかり計算して助けを求める。
ベッドで寝ている優にすがるように言うと、優が眠そうな目でわたしの頭をポンポンと叩いた。
「もー、うるさい。静かにしろ……何悪いことしたんだ?」
優は口では疎ましがりながらも、ちゃんと話は聞いてくれる。
「……洗濯物にティッシュ入れちゃった」
「春斗もそんくらい許してや……」
優は半分呆れた顔で言いかけて固まる。
寝室の入口には春ちゃんが仁王立ちしてわたしたちをみつめている。いつものふんわりした春ちゃんの雰囲気が全くない。
無表情で、冷たい目をしていた。沸点に達すると、熱が引いたように氷点下になるタイプのようだった。
「え? そんくらいじゃないんですけど。ん? この家の家事を誰がやってます? お前ら、1回正座な?」
逆鱗に触れるとはまさにこのこと。
わたしたちは抵抗する余力もなく、仁王立ちの春ちゃんの前に2人揃って床に正座する。春ちゃんから散々説教をくらった後に、ティッシュの着いた洗濯物を干すこと命じられた。
こんなに大変だと思ってたなかったから、3回も春ちゃんをこんな目に遭わせて、素直に悪かったなと反省する。
春ちゃんの機嫌は、わたしと優も家事を負担することを約束し、優の奢りで買ってきたちょっと高いアイスを3人で食べるまで直らなかった。
わたしと優は大いに反省したのだった。
「まぁでも、春斗の言う通りだ。俺も忙しさにかまけて家の事何もしなかったから。家事好きとはいえ、春斗も仕事してるわけだしな」
わたしたちは食卓に揃って2人で手を合わせる。
今日の朝食は和食。
ご飯、味噌汁、鮭、煮物、サラダ……と、バランスよく並んでいる。
時間が無いのに、春ちゃんは毎朝、しっかりとわたしと優の分の朝食と弁当をつくっていってくれる。
春ちゃんは働き者だ。仕事して、動物たちの世話もして、家では家事をして、わたしの世話もやいてくれる。
わたしは味噌汁をゆっくりと啜りながら、優を見た。
「なんか春ちゃんって、感覚的に、お母さんって感じする。わたしの母親はまともじゃなかったけれど」
「春斗はそうだよなぁ」
優は、鮭を箸でほぐしつつ、笑いながら頷く。
「それで、優はお父さんとお兄ちゃんの真ん中って感じ。お父さんもお兄ちゃんも……いた事ないけれど」
『父』と名乗る人は、人生で1度だけ出てきたが、一緒に暮らしたことは無い。
わたしがそう言った瞬間に、優は一瞬、驚いたような顔をしたが、直ぐに表情は元に戻る。
「優は春ちゃんに怒られたわたしを庇ってくれるか、一緒に怒られるかだから」
優は笑みを浮かべながら、穏やかに言った。
「……2人とも、咲の新しい家族だ」
「うん」
ご飯とお味噌汁と、煮物を少し食べたところで、お腹がいっぱいになってしまった。
優から薬を受け取って、飲み込む。
優が朝食を食べ終えたところで、昨日約束した通り、2人で洗い物を済ませて、春ちゃんが回していった洗濯物を干す。
あの事件から、制服は新しいものを新調してもらった。
わたしが制服に着替えて部屋から出てくると、優もスーツに着替えて、家を出る準備をしていた。スーツを着ると、いつもの無精な感じが相殺されて、別な人に見える。
「あれ、今日は休みじゃないの?」
首を傾げたわたしに、優は言った。
「ん、今日は勉強しに、隣県の大学病院に行くんだよ」
「……忙しいんだね」
休みの日なのに、仕事のこと考えていることが、単純にすごいと思った。
「勉強しとけば、救える命が増えるかもしれないからな」
そう言いながら、ネクタイを結ぶ。
優は、一緒に暮らし始めてから、印象が少し変わった。入院してる時は厳しくて怖い先生だったけれど、退院してきたら、なんだかんだ優しくて、話を聞いてくれる。
その綺麗な横顔に目を奪われていると、優がわたしの前にしゃがみこんだ。
「ちょっとごめんよ」
両手でわたしの顔をすっぽり包み込むと、親指で下瞼を裏返して、色を確認する。
そのまま、首を包み込んで触っていった。
優が家にいる時は、1日1回、こうして軽く体調をチェックされる。
手が、大きくて温かくて、気持ち良い。
「……問題なさそうだな。ネクタイ、曲がってる」
最後に、わたしの制服のネクタイに手を伸ばして、形を整え直す。これはおまけだ。
「ありがとう」
ちょっと恥ずかしくなって目を逸らすと、頭をポンポンと撫でられた。
優は立ち上がると、ハチワレのチャームがついた鍵を手に取ってわたしに渡す。
「遅刻するぞ。今度は井田先生に怒られる」
と、冗談っぽく言って笑った。
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