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遠い記憶と健康診断

雨の再開

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午後からは雨。ぎりぎり引っかからずに帰れるかと思ったけれど……
採血で倒れて休憩していたら、降り始めていた。



大粒の雨が、瞬く間に地面を濡らしていく。
常備していた折りたたみ傘を、カバンから取り出した。

同じようにしていた何人もの人が、傘を差して雨の中に吸い込まれていく。
わたしもそれに続こうと思って、傘を差そうした時だった。

玄関の端っこ、困ったように顔をしかめたおばあさんが、空を見上げて立ち尽くしていた。
きっと、病院帰り。傘を持たずにここへ来たのかもしれない。

止みそうにない雨を前に、ずっとここにとどまっているつもりなのだろうか……。



気づいた時には、話しかけていた。



「雨、降ってきましたね」


「そうだねぇ……傘が無くて」


困ったような笑顔が、こちらを向き、また空に視線が戻る。


……やっぱり、傘なかったんだ。


わたしは、手に持っていた傘を差し出した。


「あの、良かったら。使ってください」


「え? いいのかい? あなたが濡れるわよ」


「大丈夫です! あっ、えーっと……わたし、折りたたみでもう1本持ってるので」


嘘だった。
傘は1本しかない。

でもきっと、このおばあさんより、わたしの方が家は近いし、走ればそれなりの速さで家に着く。


「……そうかい、それなら……」


傘を手渡す。
放っておけなかった。
きっと、わたしが差して帰っていたら、後悔するから。


「ありがとうね」


おばあさんもまた、傘を差して、ゆっくりと雨の中へ吸い込まれていく。
その背中を見送ると、玄関にはわたししかいなかった。

雨足が弱くなることは無さそうだ。



……よし、走ろう。家までは歩いて10分かからない。きっと走ったら5分くらいで着くはず。




意を決して、雨の中へ飛び込もうとした時だった。





「……のんちゃん!」





右腕を掴まれる。

雨が、スローモーションになって……

走ろうとした体が、反動で引き寄せられた腕の中へ収まっていく。

揺らめいた体が、バランスを崩す。
その瞬間も、ひどくゆっくりに感じた。




「あわっ……!!」



頭ひとつ分大きい、その人の胸の中に、抱きとめられた。
瞬間的だったけれど、温かくてゆっくりとした鼓動が、たしかに伝わってきた。

消毒のような匂いの中に、微かに柔らかい柔軟剤の匂いが混ざっていて……なんだかすごく懐かしかった。


「おっと……危なかった」


……この声は……!!!


声の主がわかった瞬間に、心臓が飛び跳ねた。
慌てて離れようとしたわたしの体を、その人は離さなかった。
バランスを崩したわたしが、安定して立てる状態にしてから、ゆっくりと手を離す。



「……忘れちゃったかな?」


顔を覗き込まれて、まともに目を合わせることができないでいた。


……忘れるわけない。



「……陽太先生……」


陽太先生の大きな手が、わたしの頭を撫でた。
陽太先生の体温が体に触れる度に、胸が跳ねる。


「そう、当たり。覚えてて良かった」


陽太先生がにっこり笑った。
雨に似合わないその笑顔は、直視できないくらい明るい。


「のんちゃん、何しようとしてた? 」


赤くなった顔を見られたくなくて俯いていたら、陽太先生がしゃがみこんで、わたしの顔を覗き込む。


「……家に、帰ろうと思って……走って……。傘がないから……」


心臓が、バクバクと音を立てて、言葉が上手く出てこない。
それでも、陽太先生はわたしの言葉を拾う。

変わらなかった、小さい時も。
陽太先生は、わたしの言葉を待っていた。


「自分で持ってきた傘は、貸しちゃったんだ?」


頷くと、陽太先生が優しく笑う。


「……全く、お人好しなんだから。全部見てたよ。顔上げて」


驚いて顔を上げると、陽太先生がもう一度わたしの頭を撫でた。
感慨深そうに、陽太先生の心の底から出てきた言葉に包まれるようだった。


「大きくなった、本当に」


本当に、嬉しそうにしてくれるから。
わたしは心の底がくすぐられて、変な表情になっている気がする。


「……もう、そんな子どもじゃないです……」


苦し紛れに声を絞り出すと、陽太先生が声を上げて笑う。


「ごめんごめん……でも困った時に、1人でどうにかしようとするのは、変わってないね」


「……そんなこと……!」


「ある。ちゃんと周りの人に助けを求められないと。雨の中、走って帰ったら風邪ひくよ? 皆勤賞、継続してほしいしね」


「…………!!」


「蒼音くんから聞いたよ。すごいじゃん、あののんちゃんが2年も体調崩さずに頑張ってたなんて」


陽太先生がまっすぐ目を見つめてそんなことを言うから、頬が赤い。また俯くことになってしまう。
……もう少し、しっかり目を見て話したいのに。


「傘、受付で貸せるから、ちゃんと借りていって帰りなね」


陽太先生は、最後にもう一度だけ頭を撫でると、小児科病棟の方へ歩いていった。
去っていく大きな背中を見送りながら、胸がチクッと痛む。

……久しぶりに話したのに。
全然、言葉が出てこなかった。




言われた通り、受付で傘を借りて、雨の中へ入っていく。家路を辿りながら、複雑な気持ちを抱えていた。

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