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回想、主治医の苦悩
医師であること
しおりを挟むのんちゃんと一緒に頑張るのは、想像以上に大変なことだった。
うまくいかないこともあれば、のんちゃんが泣いてしまって、どうしようもないことなんて、いくらでもあった。
でも、少しずつ、のんちゃんは成長していく。
少しずつできることが多くなってきた。
食事量も増えて、少し調子を崩しても点滴をしなくて済むようになるくらいになってきた。
見守りながら、あやしながら、抱っこもたくさんして……どうにかこうにか毎日を過ごして行った。
***
ある日の夜。
時刻は9時を回り、病棟は静かになり始めていた。
小さい子はもう眠る時間だった。
だいたい、起きてるのは小学生や中学生の子どもたち。
「やべ、陽太先生きた!」
「いつまで起きてんの。早く寝な~」
ナースステーションまでの道のりを歩く間、灯りのついた子どもたちの病室に声をかけていく。
「まだ9時だよ。寝られないんだもん」
不服そうに、唇を尖らせる子どもたち。
「明日は朝から、なかよし教室でしょ? 体調崩したら許可出せないよ」
なかよし教室とは、院内学級のことである。
調子が良くなってきた長期入院の子どもたちは、教室に出席して勉強する。
子どもたちにとって、院内学級は楽しみのひとつだったりするので、
「はーい……おやすみなさい」
教室がある日の前日は渋々ながら、布団に入って休んでくれる子が多い。
「うん。おやすみ。ゆっくり休むんだよ」
他にも何人か、気になる子どもの様子をチェックしてから……
のんちゃんの部屋へ行く。
のんちゃんはここのところ、喘息が落ち着いてきたと思ったら、今度は、先週の血液検査の結果が思わしくなかった。
こちらの方が、治療は難しい。
小児での症例がなかなか少なく、国内や海外の文献を読み漁り、さまざまな情報を集めながら、治療に当たるしかなかった。
薬を調整して、新しいものを使ってみることにしたけど、思ったより副作用が強く出てしまっていた。
つらい思いをさせてしまっている。
『せんせー、のんちゃん、なんかねむい』
これは今日の昼間のこと。
のんちゃんに言われて、首元に触ると、じんわりいつもより熱を持っていた。
体温計を挟むと、37度6分。
微熱があった。
のんちゃんは、感じているだるさを表現するのに、まだ十分な言葉を持っていない。
この体調不良を、「ねむい」という言葉で表していて……。
静かに、病室のベッドに横になっていた。
ご飯も、喉を通らないようだった。
『おなか、いっぱい』
まだなにも食べていないうちから、そう言って起き上がりもしなかった。朝からそんな感じだったので、今日は合格ラインギリギリの水分量しか摂れていない。
そして、夜。
病室に訪れると、のんちゃんはまだ起きていた。
「ようたせんせー」
「ん?」
「ねむれないの」
午前も午後も、横になって過ごしていたのもある。眠れなくても仕方ない。
「そっか、今日はいっぱい眠かった?」
「うん。あのね、あそびたかったけど、ねむいの」
そう言って、だるそうにあくびを繰り返した。
少し撫でていたら、眠りそうだな。
そんな様子だった。
「うん、いっぱい寝られることも大事だからね。お腹空いてない?」
「おなかすかない」
「そっか~」
言いながら、額と首元に触る。
「ちょっとお熱測るよ」
パジャマのボタンを開けて、体温計をのんちゃんの脇に挟む。
静かな病室に、電子音が鳴り響いて。
……37度5分。
熱は、急激に上がることもなければ、下がることもない。
サチュレーションは悪くない。
やはり、血液の薬の副作用からくる、体調不良だった。
明日、なにも食べられなかったら……かわいそうだけど、点滴かな。
そんなことを思いながら、のんちゃんの頭を撫でる。
「とんとんしようか?」
聞いてみると、
「だっこしてとんとんがいい」
意外と元気な声が返ってくるから、ほっとしつつも苦笑いしてしまう。
「……まったく、甘えん坊だねぇ。……ほら。」
抱き上げて、ベッドに腰掛ける。
いつもより少し、高い体温の体。弱っていると、のんちゃんの体重が軽く感じられてしまう。
ゆっくりとゆれながら、とんとんと、腰のあたりをさする。
「気持ち悪くない?」
「うん……」
のんちゃんの顔色は、少し悪い。
ねむくない、と言った割には、今にも眠りそうな表情をしている。
……やれることは充分やっている。
のんちゃんも、頑張ってついてきてくれている。
でも、今は……
薬が効いて早く良くなるように、
祈ることしかできない。
効いたら経過をみて、効かなかったらどうするか、その方法を少しずつシラミ潰しに探していくしかない。
ときどき、医師であることが、自分を苦しめることがある。
病気ひとつ、怪我ひとつ、痛みひとつ、魔法のようにすっと消すことはできない。
……例え、治す方法は知っていても。
患者を診て、情報を集めて、経過を見て、薬を調整して……やれることをひとつずつやっていくしかないのだ。
医師がやれることは、それしかない。
あとは、現状より良くなるように、その回復を願うことしか残されないことがある。
それでも。そんな祈るしかない状態でも……俺は医師なのだ。
この感覚は、背中をドンっと殴られるような感覚である。
「よーたせんせ、おはなしして」
のんちゃんの、小さな声が響いて、はっとする。
のんちゃんの前で、難しい顔をしていなかっただろうか。
意識的に、顔の筋肉を緩める。
「んー、なんの?」
横抱きにしたのんちゃんと目が合う。
「ようたせんせーのおはなし」
その、意外な言葉に、思考を巡らせた。
「うーん、そうだな。」
揺れながら、昔のことを思い出す。
「陽太先生の小さい時は……」
ゆら、ゆらと、小さく揺れる。
揺れるたびに、思い出すのは、体の弱かった幼少期。
のんちゃんを抱っこするたびに、幼かった頃の自分がそこにいる気がした。
「のんちゃんと同じ。よくお熱出したり、咳こんこんの病気で、苦しかったんだ」
「……ほんとに?」
「うん。ほんと」
びっくりしたように、のんちゃんは目を丸くする。
「のどのおそうじも、もくもくも、ちっくんも、やったことある?」
「あるよ」
「のんちゃんといっしょだ」
少し嬉しそうに、のんちゃんが笑う。
笑うと少し、頬に赤みが差した。
「その時にね、お医者さんがすごく、優しくしてくれたんだよ。頑張れ、大丈夫っていっぱい言ってくれたから、元気に大きくなれたんだよ」
その医者は、亡き父でもある。父もまた、尊敬する小児科医のひとりだった。
「よーたせんせーも、のんちゃんにいってるよ」
のんちゃんが、あまりに嬉しそうに笑うもんだから。
「ふふ。そうだね」
気持ちが少し上を向く。
沈みかけた思考を、ゆっくりと掬いあげるように、ひとつだけの事実に辿り着く。
俺は、腐っても医師なのだ。
ここで、のんちゃんにかけてあげられる言葉は、何が正解かわからないけれど。
その事実が、のんちゃんに言葉を渡す、背中を押した。
「のんちゃん、もういっぱい頑張ってるんだよね」
「……うん」
「その頑張りは、絶対に報われるよ」
この子に、病気であること以外の未来を見せてあげたい。
……俺がそうやって、治してもらったように。
「……むくわれるって、なーに?」
「頑張ってよかったな、って思える日が来るんだよってこと」
「なおるってこと?」
「うん。陽太先生が、治す。ぜーんぶ、治す」
のんちゃんにとって、俺は医師だ。
治してくれる存在がいる、そういう柱に、きちんとなってあげなくては。
のんちゃんがつらい時に、少しでも希望を待たせてあげられるように。
「のんちゃん、はやくげんきになりたい。おそとでいっぱいあそびたい」
「そうだね。もう少し頑張ったら、お外行こうね」
のんちゃんは、俺に小指をせがんだ。
「ゆびきりげんまん」
どこで覚えたのか、しっかりと俺の小指を握った。
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