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回想、主治医の苦悩
旧友、吹田凛
しおりを挟むその晩。日勤終わりの吹田先生と更衣室で一緒になった。
「浮かない顔だねぇ」
吹田先生に話しかけられ、
「まあね」
と短く答える。
白衣を脱いで、私服に着替えた。
明日は、非番だ。久しぶりの休み。
『陽太先生、頑張りすぎだ。ちょっと休め』
優先生にもそう言われて、休みを取るのが3ヶ月ぶりだったことに気づく。
まだやれるんだけどなぁっていうか、優先生に言われたくないし。と思いつつも、今日ののんちゃんとの一件を考えると、モヤモヤしたままで仕事に打ち込むことはできない。
着替え終わって、顔を上げると、
「飲みに行く? 久しぶりに」
大学時代のあの頃のような顔をしている吹田先生がそこにいた。
特に断る理由もないので、
「うん。……かなり、久しぶりだね」
少し疲れた顔になってしまったけど、笑顔で返事をした。
病院から、そのまま居酒屋へ直行した。
乾杯も早々に、
「さて、今日のその浮かない顔の原因について聞こうかな」
と、吹田先生は楽しそうに話し出した。
今日までののんちゃんとの経緯を洗いざらい、吹田先生に話す。酒を飲みながら、ぽつぽつと。
……それはまるで、悪いことを懺悔するかのように。
そうなったのは、話している途中から、吹田先生の表情が段々と険しくなっていったからでもある。
俺が話終わるまで、吹田先生はじっくりとその話を聞き……
話終わると、ひと呼吸おいて、バシッと言い切った。
「あのさぁ、日野くん、まず女の子に叶えられない約束はしちゃだめだよ」
言われると思った……厳しいことを……。
日本酒を舐めるように呑むその顔は、吹田先生、いや、吹ちゃんになっていた。
「まあ、女の子じゃなくてもだけど」
……それは、古くからの友だちの顔である。
大学時代、どちらからともなく飲みに誘って朝まで話す日が、よくあった。
その頃はお互いのことを「吹ちゃん」と「日野くん」と呼んでいたから、飲みに行くと今でもその名残が出る。
「いや、でも……」
ぐうの音もでない。詰まらせた返事を、酒で飲み下す。
ガヤガヤとした居酒屋の雰囲気の中、迷ったような表情をしているのは自分だけのように感じた。
苦し紛れに、言葉を発する。
……もう吹ちゃんには、言い負かされるとわかっていながら。
「良くなったら中庭で散歩くらいは……」
手元にあったおしぼりをいじりながら言いかけると、すかさず、突っ込みが入る。
「良くなったらって、どれくらい? 数値で言うとどんなもん?」
真顔で理詰めにされるから、さらに言葉を失う。
忘れていたけど、吹田先生は、合理化•効率化の鬼である。無駄は大嫌い、ぼやかした答えも好きではない。
吹田先生は、昔から、全てを正確に計算してから行動するようなところがあり、俺にはとても真似できたものではない。
「それは……」
言い淀むと、さらに言葉を畳み掛けてきた。
「日野くんのその、感覚頼りなところ、約束する時は使わないほうがいい」
枝豆を口に含みながら、ピシャリっと言い放った。
それはもう、なにか食べながら言うような鋭さではないくらいに。
勘弁してくれと言いたくなるくらい、痛いところを突かれっぱなしだった。
言葉で吹田先生に勝ることはできない。
しかしこのままくらってばかりもいられず、「でも」と反射的に言い返した。
「俺が治すって約束だけは、してあげたい。俺が治さなきゃ。あの子の心の拠り所は、今、俺だから。」
治してあげたい。
決して治らない病気ではないのだから。
長くなったとしても、ずっと支えて付き合っていく覚悟はあった。
そして、こうやって諦めないで味方でいる医者が、ひとりでもいることが、のんちゃんの拠り所になるはずだと思っているから。
「ふふ、言い切ったね。それがあるから、あの子はちゃんと日野くんについていくんだなぁ……」
酒が少なくなったお猪口に、日本酒を追加で注いでやると、吹田先生はご機嫌そうに笑った。
「今日見てたけど、あののんちゃんの表情は、『好きな人』にしか見せない顔だと思うよ、色んな意味で」
「いや、好きな人って……」
吹田先生に捕まり俺に引き渡される、幼いその泣き顔を思い出して、苦笑いする。
しかし、吹田先生は真面目な顔で言い返した。
「幼児、あなどるなかれ。子どもだって人間だよ。まあ、俺には絶対に見せない顔だね」
なんと返して良いかわからず、話題を濁す。
「ってか、吹ちゃんのこと、のんちゃんは警戒しつつも信用してるっていうか……そんな感じだけど、のんちゃんに何したの?」
そういえば、吹田先生は研修医時代に入院していたのんちゃんと、関わりがあった。
噂では、研修医でのんちゃんに当たって、コントロールできた医者は、吹田先生ただひとりだったという。
俺の小児科ローテのときには、のんちゃんはぎりぎり入院を免れて外来で診ていたので、関わることがなかったのだ。
「ん。ひみつ。いろいろ工夫はした。あの手の子は僕にはパワーが強すぎる。……俺はなるべく省エネで生きていたい人間だからね。」
ゆるり、とかわされた上に、喧嘩を売られた気がする。
「それはなに? 俺が無駄なエネルギーを使ってるってこと?」
しかし、吹田先生を相手に口喧嘩は賢くないので、遠慮がちに不服を伝える。
「そうじゃないよ。のんちゃん相手に正面から向き合えるだけのパワーが、日野くんにはあるってこと」
「ふーむ……なんか褒められてる感じしないんだよなぁ」
「褒めてる、ベタ褒め。まあ頑張りなよ、陽太先生」
背中をトントンと叩かれ、その場を丸く収められてしまう。
結局この日は、2件目をハシゴし、日付が変わるまで2人で飲んだ。
2件目は、吹田先生の愚痴だった。それはもう仕事からプライベートまで、よりどりみどり。
それでも、笑えるような愚痴ばかりだったのは、俺を元気つけようとしてくれたからかもしれない。
2件目のお代を「持つよ」と俺に奢った吹ちゃんは、満足そうな顔をしていて、『これ絶対、自分が飲みたかっただけじゃん』と、また笑わずにはいられなかった。
それでも、話してみて、なんとなく元気が出たのは事実。
同期と旧友の間を行き来する吹田先生は、頼もしくも懐かしかった。
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