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第三章
No.51 撤退
しおりを挟む取り引きを持ち掛けている間、ゾーイはずっとクスクス笑っていた。こいつ、わかっていたんだ。
絶対にカレン達が取り引きを呑まないとわかっていた。本当にただ、そのやり取りを見たかっただけなのだろうか。
そしてソフィア自身も、取り引きが成立するとは微塵も思っていなかった。それはカレンに語りかけている時の、少年二人の顔を見て確信した。
だから、その瞬間にソフィアは動いた。
思惑通りに行かぬ事に苛立っていると見せかけ(本当に腹は立ったが)、気取られぬ様ゆっくりと、慎重にゾーイへ糸を貼り付ける。
ゾーイは場面を見て、笑みを浮かべながら満足そうに目を細めている。大丈夫だ、気付いていない。
「後で存分に後悔なさい。」
そう言ってリリィから離れた時には、触れた手からゾーイの中へと無数の糸が流れていた。
操りをかけようなど、そんな不可能な事は考えていない。一瞬でいい、ほんの少しの間だけでも、この少年の動きを止める事が出来たら。それだけで、この場を切り抜ける好機が手に入る。
殺せる、倒せるとは思っていない。ただ、逃げる事だけを考えていた。
「おばさん、残念だったね。」
楽しそうに言い、手を退けるゾーイ。
今だ、今しか無い。
持てる全力を、その糸へと集中させた。
ゾーイの動きが止まった。希望していた時間はほんの一瞬であったが、驚いた事にゾーイは抗いもしなかった。
気付いたものの間に合わなかった、というわけでは無い。それはゾーイの表情を見れば瞭然だった。
“そうさせてあげる”かの様な、不敵な笑み。
きっと、話の途中で糸を流した事だってその時に気付いていたのだろう。
「ば、馬鹿にするな!!」
恐怖と怒りに任せ、そのままゾーイを勢い良く後ろへ飛ばす。数十メートル先の壁に大きなクレーターを作り、ゾーイは血を吐いた。
クレーターの真ん中で、暗い目をして微動だにしないゾーイ。操った。完全に、完璧に操ってやった。これ程隅々にまで糸を通せば、幾ら“彼”であろうと簡単に千切る事は出来ないだろう。
だがこの状況を持ってしても、ソフィアの中の恐怖心はまるで拭えなかった。それどころか、溢れ出て来るのだ。
「そのまま死ね...」
震える声でそう呟き、両腕を前に出す。
ゾーイへと狙いを定め、両掌から糸を出した。それは操りにかける時の様な細いものでは無い。太く硬い、限界まで捻らせて先端を鋭利にさせた武器だ。
溜めに溜め、発射する。
目にも留まらぬ速さでゾーイへと向かう。
だが、それは漆黒に遮られた。
ソフィアは驚嘆に目を見開いた。
一体何故。操りは解かれていないのに。
脳も身体も、ゾーイの全てを今尚自分は握っている筈なのに。何故能力を発動出来ている?
そう思った時には既に、漆黒はソフィアへと襲い掛かっていた。
まずい、と脳が瞬時に反応し、ソフィアがそうしようとする前に意識は防御へと回った。
分厚い、例えば大砲を四方八方から撃ち込まれたとしても突破されないであろう糸の壁を作り出す。
ゾーイの漆黒が到達する前に、その壁はソフィアの周りを隙間無く囲んだ。
だが安堵などする暇は無かった。
一瞬にして、その壁は呑み込まれた。
視界が黒一色に染まる。
絶望という感情が浮かぶ前に、その漆黒はソフィアを呑み込んだ。
「あ"あ"あぁぁ...!!!」
宿主の意識という鎖から解き放たれ、絶望しか生まぬ黒は思うが侭にソフィアを、そして飽き足らずミジュラの抜け殻さえも喰らいまくった。
ソフィアの叫びを、ゾーイは聞いた。
自分が自分のものへと戻って来た。
地面へと着地し、ゾーイは渦巻く黒の中心にいるであろうソフィアを見つめた。
「痛いなあ、怪我なんて久し振りにしたよ。」
口の中に溜まった血を吐き捨てながら、ゾーイが言った。きっと聞こえていないだろうが。
「僕は“彼”じゃないと言ったでしょう?僕が無くなれば、彼は暴走する。僕を殺せば、彼は器から解放されてこの世の全てを喰らい尽くすだろう。」
「つまり僕を殺す事はイコール、君が死ぬ事になるんだよ。まあ君だけじゃなくて全てが、だけど。よく理解出来たでしょう?」
黒が引いて行く。宿主の中へと帰る。
ゾーイの身体がうんと重くなった。ああ、いつもの感覚が戻って来た。
“喰らわれた弱者”は縮こまって震えていた。
その震えの理由は恐怖もあるが、それよりもその萎び切った身体にあった。
ソフィアの黒髪は疎らに生えた白髪へ、元より年相応の小皺はあったものの、今や満遍なく深い皺が刻まれている。肉は削がれ、肌はたるみ、その姿はどう見ても老婆だ。
「凄い、やっぱり化け物だね。あれに喰われてもまだ死なないなんて。だけど、死んだ方がマシだったかもね。」
「貴様、貴様...!!」
ケラケラと笑うゾーイに、ソフィアは憎悪の目を向けた。が、その姿では凄味など皆無である。
よろけながらも立ち上がったが、立ち向かう気力は残っていないらしく、そのまま後退りした。
「あと一つ、あと一つ揃っていれば!完全に操って無様な死に様を与えてやるのに!こんな事にはならなかったのに!!」
「だから...君、何にも聞いてなかったの?まあいいや。可哀想だから見逃してあげるよ。ミジュラはまだ君の中に存在してるから、あと一つ揃えれば間違い無く完全体だ。」
見逃してやる。の言葉に、ソフィアは瞼に覆われた目を見開いた。完全に、このまま殺されるものだと思っていたのに。
だがその言葉を受けての感情は、安堵や嬉しさでは無く憤怒であった。どこまでも馬鹿にしている。たとえ完全体になっても、さして問題は無いと言う意味だ。
ソフィアは口を開いた。が、言葉を発する前に別の誰かの声が聞こえた。
「生きてるか...って、おいババア、お前そこまでババアだったか?」
「ゾーイ!怪我してるの!?」
ソフィアから二メートル程離れた地面に、突如二つの顔が生えて来た。
老婆となったソフィアの姿に驚くホラーと、ゾーイを見て急いで地面から這い出ようとするアルビノ。
だが完全に外に出てゾーイへと駆け出す前に、ホラーがアルビノの手を掴んで阻止した。
『報告、大蜘蛛が全部...いきなり苦しみ出して破裂して行った!他はどうなっている!?』
『本基地内も同じく!』
『こっちもだ。一体何があった!?』
対峙の間に、無線が鳴った。
ソフィアの能力が全て解かれた。
ああ、ギルは間に合ったかな?リリィの操りは封印出来ただろうか。
「あの女に、制約の猛毒を仕込んだ。」
ゾーイの考えを知ってか知らずか、ホラーが唐突にそう言った。
「操りが解かれた瞬間に発動する。あの女はどうやったって助からない。残念だったな。」
「君は“何”?」
言葉を無視し、ゾーイが問い掛ける。
だがホラーも、その言葉を無視した。
ゾーイをうっとりと見続けるアルビノとソフィアの骨張った腕を(嫌々)掴み、また地面の中へと沈んで行く。
「ヴァレンシア国でまた会おう。」
「ゾーイ、またね。」
その言葉を最後に、三人は姿を消した。
暫くゾーイは動かなかった。何を考える事も無く、ぼうっと空中を見つめる。その間もずっと無線は鳴り響いていたが、その全てがゾーイの耳には届かなかった。
すると、すぐ左側に突風が吹いた。
アランかキキかの二択だ。最初にかけられる言葉が説教か、心配かのどちらかによって、誰が来たかが判明する。
「お前、馬鹿か!」
アランだった。
姿を現すなり、ゾーイの頭を小突く。
もしキキが見ていたら、その百倍、いや千倍の力でアランを殴っただろう。
「リミッターを外したな?それも二度!そこまで手強い相手でも無かったろう。意味の無い事はするな!」
「...ありがとうアラン。」
怒りの言葉を連ねるアランに、ゾーイがぼそりと呟く様に言った。
アランは息を呑み、口を閉ざした。
こちらを見るゾーイの目が、いつもに増して暗闇を映し出していたからか、無表情の中に悲しみらしき影が浮かんで見えたからか。
そのどちらも、ただの気のせいだという可能性の方が大きいが。
「僕、行って来るね。」
「仕上げが残ってるから。」
そう言って、ゾーイは歩き出した。
アランを残し、扉から外へ出た。
最後まで、見えなくなるまでアランはゾーイの姿を見つめた。そして完全に視界から消え去った後で、大きく舌打ちをした。
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