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第1部序章
第3話 聖なる泥濘と童貞将軍
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聖暦514年、12月14日。
帝都の中心に聳える至高神正統教の大聖堂に、荘厳なパイプオルガンの重低音が響き渡っていた。
両脇を埋め尽くす数百人の大貴族たちは、完璧な礼節で微笑み、優雅に手を打ち鳴らしている。
だが、大聖堂の空気は凍りつくように冷たかった。
扇子の陰から突き刺さる、粘り気を帯びた悪意の波。
儀礼という仮面を被った、何百もの冷酷な石打ちの海を、『漆黒と白金』の二人はピクリとも揺らがずに進む。
――その夜。
誰もいないプルケリア男爵邸の寝室。
蜜蝋の蝋燭が、天蓋ベッドと二人の影を暖炉の壁に長く引き伸ばしている。
「……皇女殿下。本当に、私のような男の妻で良かったのですか」
漆黒の寝巻き姿となったフラウィウスが、ベッドの端に腰掛けるアエリアを見下ろす。
190センチの巨躯。軍人特有の分厚い胸板と、戦傷の刻まれた無骨な顔。
アエリアは小首を傾げ、ふんわりとした微笑みの裏に自嘲気味な棘を忍ばせる。
「あら、フラウィウス様は……わたくしの噂を聞いて求婚されたのではないですか?」
「噂? ああ、アエリア殿下が数年前に、教育係の男と不貞を働いたというやつですか」
「知っておられるのであれば……わたくしは父ほども歳の離れた男に身を任せた、汚れた女ですよ」
自分から泥を被り、防壁を高くする不器用な女。
フラウィウスは低く息を吐き、静かに名を呼んだ。
「私が何年、貴女に焦がれていたと思っているのです? 不満に思うことなどない。男で例えれば、結婚前に娼館で女を抱いているみたいなものでしょう。夫となる私が気にしないと言うのだから、殿下もそう自分を責めないで頂きたい」
次の瞬間、フラウィウスの太い腕が、その華奢な肩を躊躇いなく引き寄せた。
驚愕に目を見開くアエリアの頭上から、愛おしげな苦笑が降ってくる。
「それに――この年まで戦場に明け暮れ、娼館に行く事もなく女を知らずにきた私が、本当の処女など娶ったら……おそらく一生、子など出来ませんよ」
氷の融解。
数秒の静寂の後、アエリアの白い頬が、カッと鮮やかな朱に染まった。
歴戦の英雄でありながら、女性の前では初陣のような男の、あまりに不器用な軽口。
彼女が纏っていた分厚い氷の鎧が、音を立てて崩れ去っていく。
――その時だった。
部屋の隅で控えていた侍女のマリアが、床に膝をつき、堪えきれない嗚咽を漏らした。
「違います……っ! 将軍閣下、違います……っ!」
涙で顔をぐしゃぐしゃにした少女は、床に額を擦り付けながら叫んだ。
「殿下は、私の父を……あらぬ疑いをかけられた家庭教師の父と、残された私を救うために、ご自身の名誉を捨てて泥を被ってくださっただけで……っ! 殿下は、今も清らかなお体のままなのです……っ!」
寝室を支配する、熱を帯びた沈黙。
全てを理解したフラウィウスの胸の奥で、目の前の妻への底知れぬ愛しさが、爆発的な熱量となって溢れ出した。
窓の外では、冷たい風が帝都の夜を嘲笑っている。
だが、この小さな寝室だけは、不器用な二人の体温で、春のような熱に満たされていた。
帝国の歴史がひっくり返る、甘く、そして凄惨な反撃の狼煙が上がるのは、夜が明けてからのことである。
帝都の中心に聳える至高神正統教の大聖堂に、荘厳なパイプオルガンの重低音が響き渡っていた。
両脇を埋め尽くす数百人の大貴族たちは、完璧な礼節で微笑み、優雅に手を打ち鳴らしている。
だが、大聖堂の空気は凍りつくように冷たかった。
扇子の陰から突き刺さる、粘り気を帯びた悪意の波。
儀礼という仮面を被った、何百もの冷酷な石打ちの海を、『漆黒と白金』の二人はピクリとも揺らがずに進む。
――その夜。
誰もいないプルケリア男爵邸の寝室。
蜜蝋の蝋燭が、天蓋ベッドと二人の影を暖炉の壁に長く引き伸ばしている。
「……皇女殿下。本当に、私のような男の妻で良かったのですか」
漆黒の寝巻き姿となったフラウィウスが、ベッドの端に腰掛けるアエリアを見下ろす。
190センチの巨躯。軍人特有の分厚い胸板と、戦傷の刻まれた無骨な顔。
アエリアは小首を傾げ、ふんわりとした微笑みの裏に自嘲気味な棘を忍ばせる。
「あら、フラウィウス様は……わたくしの噂を聞いて求婚されたのではないですか?」
「噂? ああ、アエリア殿下が数年前に、教育係の男と不貞を働いたというやつですか」
「知っておられるのであれば……わたくしは父ほども歳の離れた男に身を任せた、汚れた女ですよ」
自分から泥を被り、防壁を高くする不器用な女。
フラウィウスは低く息を吐き、静かに名を呼んだ。
「私が何年、貴女に焦がれていたと思っているのです? 不満に思うことなどない。男で例えれば、結婚前に娼館で女を抱いているみたいなものでしょう。夫となる私が気にしないと言うのだから、殿下もそう自分を責めないで頂きたい」
次の瞬間、フラウィウスの太い腕が、その華奢な肩を躊躇いなく引き寄せた。
驚愕に目を見開くアエリアの頭上から、愛おしげな苦笑が降ってくる。
「それに――この年まで戦場に明け暮れ、娼館に行く事もなく女を知らずにきた私が、本当の処女など娶ったら……おそらく一生、子など出来ませんよ」
氷の融解。
数秒の静寂の後、アエリアの白い頬が、カッと鮮やかな朱に染まった。
歴戦の英雄でありながら、女性の前では初陣のような男の、あまりに不器用な軽口。
彼女が纏っていた分厚い氷の鎧が、音を立てて崩れ去っていく。
――その時だった。
部屋の隅で控えていた侍女のマリアが、床に膝をつき、堪えきれない嗚咽を漏らした。
「違います……っ! 将軍閣下、違います……っ!」
涙で顔をぐしゃぐしゃにした少女は、床に額を擦り付けながら叫んだ。
「殿下は、私の父を……あらぬ疑いをかけられた家庭教師の父と、残された私を救うために、ご自身の名誉を捨てて泥を被ってくださっただけで……っ! 殿下は、今も清らかなお体のままなのです……っ!」
寝室を支配する、熱を帯びた沈黙。
全てを理解したフラウィウスの胸の奥で、目の前の妻への底知れぬ愛しさが、爆発的な熱量となって溢れ出した。
窓の外では、冷たい風が帝都の夜を嘲笑っている。
だが、この小さな寝室だけは、不器用な二人の体温で、春のような熱に満たされていた。
帝国の歴史がひっくり返る、甘く、そして凄惨な反撃の狼煙が上がるのは、夜が明けてからのことである。
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