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南東の島国7
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「キー…」
「…どうした?苦しいのか?」
セブさんを呼んだつもりだったが通じるわけもなく、答えてくれたのはスペンサーさんだけだった。
俺が首を横に振ると、スペンサーさんは驚いて瞬きを増やした。
「もしかしてお前、人の言葉がわかってる?」
今度は縦に首を振る。スペンサーさんが不気味だと言わんばかりに顔をしかめた。当然の反応だが少し傷付く。今にも手のひらから落とされそうなので、用件は手早く済まそう。
小さい獣の手を少しだけ持ち上げて、意識を集中する。たぶん、一度しか出来ないだろうから、少し大きめに書こう。俺は奪われるばかりの魔力と気力を振り絞って、空中に魔法で自動筆記する。書いてるそばから体から力が抜ける。こんな簡易魔法を死ぬ気で使う日が来るとは思わなかった。
「は?“俺がハバト”?」
俺の渾身の書付けは、我がことながら端的過ぎてもはや笑えてきてしまって、意味不明なことを言って急に「ケケッ」と笑う不気味なリスになった。
スペンサーさんが上げた素っ頓狂な声に、セブさんが酷く胡乱げにこちらを見た。俺の書付けは、セブさんの目に触れるか触れないかの微妙な間で掻き消えてしまった。でも、残念ながらもう書ける気がしない。手を持ち上げるのも酷く億劫だ。
「ハバトなのか…?」
幸いなことに、俺の言葉はなんとかセブさんに見てもらえたらしい。セブさんの絞り出すような呟きが聞こえた。俺はそれに首肯したつもりだったが、頭がぼんやりしていてうまく出来たかわからない。
「バルダッローダ、“これ”は十中八九、魔獣だぞ。まさか魔獣の言葉を信じるなんて言うなよ。そんなの正気の沙汰じゃない。今自分が冷静じゃないことくらい、お前もよくわかっているだろう」
「だから何だ」
必死に正論で説得する酷く正しい同僚を、セブさんはたった一言で切り捨てた。怒りと、悲しみが混じった切ない声だった。俺のせいで、そんな思いをセブさんにさせているんだろうと思うと、とんでもなく心が痛む。
彼の左手が、ゆっくり俺の眼前に近付いてきた。大きく厚い手のひらと、節のある長い指と、いくつもある硬い胼胝。その薬指には、未だにプラチナの指輪があることに気付いて、息が止まりそうなほどに胸がぎゅうっと締め付けられた。
ごめんなさい。どうしようもなく貴方が好きだ。どんなに嫌われてももう逃げないから、最期までそばにいさせて。死ぬなら貴方のそばがいい。
全てが愛おしくて、必死に伸ばした両手でその薬指にしがみついて鼻先を擦り付ける。セブさんはしばらく俺の好きにさせてくれていたが、徐ろに俺をスペンサーさんの手のひらから掬い上げた。とても優しい手つきだ。
案の定「おい、バルダッローダ」とスペンサーさんがセブさんを止めるのを、セブさんは「わかっている」と意外にも落ち着いた表情と声で応えた。
「呪いの類が掛けられている可能性が高い」
「…なんでわかるんだよ」
スペンサーさんの言葉には、言外に「お前、やっぱり魔獣に惑わされてるんじゃないのか」という疑りが多分に含まれている。セブさんは小さく口の端だけで自嘲的に笑った。
「“私にわからないから”呪いの可能性が高い。呪い“は”完全に私の管轄外だ」
「…それは、一体どういう意味だ?」
セブさんの手のひらの上でぐったりする俺の頬を、彼は親指の腹で優しく捏ねてくれる。それがとても幸せで、俺は「キュ」と何度も小さく鳴く。伝わるわけがない「好き」だ。
目の前の形良い唇から、「君は魔獣になっても愛らしいのだな」と極々小さな囁きが落とされた。
「呪いは魔女の得意分野だろう。その力を借りればわかることだ」
片手に俺を乗せたまま、セブさんはもう一方の手で暗藍色のマントの下から何かを取り出したようだった。俺はセブさんの指先に口付けるのに夢中で、それどころじゃないけど。
「それはなんだ。薬か?」
「解呪効果のある解毒剤だ。もしこの魔獣がただの魔獣なら、何の変化もないはずだ」
「は?解呪が出来る薬なんてものが実在するのか?そんなもの世に出回ったら、巷の祈祷師たちが泡を吹くだろう」
「治療士たちが卒倒するような効果の高い治療薬を、無償で渡そうとする迂闊な人間をお前も知っているだろう」
「あ。あー…なるほどね」
納得したらしいスペンサーさんが、反論の勢いを一気に弱めて引き下がった。
「ハバト、しっかり飲めよ」
そう言って、セブさんが小瓶に入った薬液を煽る。ぼーっとそれを見ていると、不意に両頬をつままれて口を開かされた。そして、何事かと目を白黒させているうちに、眼前の端正な顔が近付いてきて、俺の口に直接口付けた。
横から「魔獣にキス出来る度胸がすごい」という歯に衣着せぬ感想が聞こえた。それは俺も同感だ。
ゆっくり流し込まれる液体を、リスの細い喉でこくこく必死に飲み込んだ。唇が離され一息つくと、胃に落ちた薬液がじわじわ全身に染み渡りながら熱を持つ。またあの変体の痛みが来るかと身構えるが、体が勝手に跳ね動く妙な気持ち悪さはあるものの、悶絶する痛みはいつまでもやってこなくて、気が付けば目線が高くなっていて目を瞬く。体に力が入らないのは相変わらずで、首を動かすのも億劫だが、なんとかぐるりと周りを見渡す。見慣れたひょろい手足と、薄い腹、首筋にかかる赤毛もちらりと見える。
無事、呪いは解けたらしい。ほっ、と息をつく。
「スペンサー、こちらを見るなよ」
「はいはい」
どうやら、俺はまだセブさんに抱えられたままらしい。リスから人間に変わっても、取り落とさず抱え続けてくれていたのか。とんでもない筋力だ。「少し我慢しなさい」と声をかけられると、揺するように片腕に抱き直され、セブさんはもう片方の腕で自身のマントを取り、いつかのようにそれで俺を包み込んで抱え直してくれた。彼の腕の中だと思うと心地よくて、うっとりと首筋にすり寄る。
「そんな愛らしく媚びて、全てを誤魔化すつもりか?」
「…?」
俺の頭を柔く撫で漉きながらも、彼の声は少し堅い。
「君は誰かに暴行されたのか?」
まどろみの中で「いいえ」と声を出したつもりだったが、喉が異様に乾いていて音が出なかった気がする。ゆっくり首を横に振る。それもだいぶ緩慢だっただろう。まぶたがとろりと重さを増して、とても眠い。
「自ら呪いをかけた?」
ふわふわした頭で頷く。
「何故だ?」
なんで…?それは、死にたくなかったからで、えっと、なんて言えばいいんだろ。考えるのすらめんどうだ。
「…そうまでして、私から逃げたかったのか?」
なにを言ってるんだろう。おれはただ、あなたに嫌われたくなかっただけなんだ。
くつくつと、セブさんがわらってる。うれしい。
「だが、もう手遅れだ」
あなたがわらってくれるなら、おれはうれしいんです。
「ハバト。もう、どんな手を使ってでも離さない」
おれは、あなたを愛しています。
「…どうした?苦しいのか?」
セブさんを呼んだつもりだったが通じるわけもなく、答えてくれたのはスペンサーさんだけだった。
俺が首を横に振ると、スペンサーさんは驚いて瞬きを増やした。
「もしかしてお前、人の言葉がわかってる?」
今度は縦に首を振る。スペンサーさんが不気味だと言わんばかりに顔をしかめた。当然の反応だが少し傷付く。今にも手のひらから落とされそうなので、用件は手早く済まそう。
小さい獣の手を少しだけ持ち上げて、意識を集中する。たぶん、一度しか出来ないだろうから、少し大きめに書こう。俺は奪われるばかりの魔力と気力を振り絞って、空中に魔法で自動筆記する。書いてるそばから体から力が抜ける。こんな簡易魔法を死ぬ気で使う日が来るとは思わなかった。
「は?“俺がハバト”?」
俺の渾身の書付けは、我がことながら端的過ぎてもはや笑えてきてしまって、意味不明なことを言って急に「ケケッ」と笑う不気味なリスになった。
スペンサーさんが上げた素っ頓狂な声に、セブさんが酷く胡乱げにこちらを見た。俺の書付けは、セブさんの目に触れるか触れないかの微妙な間で掻き消えてしまった。でも、残念ながらもう書ける気がしない。手を持ち上げるのも酷く億劫だ。
「ハバトなのか…?」
幸いなことに、俺の言葉はなんとかセブさんに見てもらえたらしい。セブさんの絞り出すような呟きが聞こえた。俺はそれに首肯したつもりだったが、頭がぼんやりしていてうまく出来たかわからない。
「バルダッローダ、“これ”は十中八九、魔獣だぞ。まさか魔獣の言葉を信じるなんて言うなよ。そんなの正気の沙汰じゃない。今自分が冷静じゃないことくらい、お前もよくわかっているだろう」
「だから何だ」
必死に正論で説得する酷く正しい同僚を、セブさんはたった一言で切り捨てた。怒りと、悲しみが混じった切ない声だった。俺のせいで、そんな思いをセブさんにさせているんだろうと思うと、とんでもなく心が痛む。
彼の左手が、ゆっくり俺の眼前に近付いてきた。大きく厚い手のひらと、節のある長い指と、いくつもある硬い胼胝。その薬指には、未だにプラチナの指輪があることに気付いて、息が止まりそうなほどに胸がぎゅうっと締め付けられた。
ごめんなさい。どうしようもなく貴方が好きだ。どんなに嫌われてももう逃げないから、最期までそばにいさせて。死ぬなら貴方のそばがいい。
全てが愛おしくて、必死に伸ばした両手でその薬指にしがみついて鼻先を擦り付ける。セブさんはしばらく俺の好きにさせてくれていたが、徐ろに俺をスペンサーさんの手のひらから掬い上げた。とても優しい手つきだ。
案の定「おい、バルダッローダ」とスペンサーさんがセブさんを止めるのを、セブさんは「わかっている」と意外にも落ち着いた表情と声で応えた。
「呪いの類が掛けられている可能性が高い」
「…なんでわかるんだよ」
スペンサーさんの言葉には、言外に「お前、やっぱり魔獣に惑わされてるんじゃないのか」という疑りが多分に含まれている。セブさんは小さく口の端だけで自嘲的に笑った。
「“私にわからないから”呪いの可能性が高い。呪い“は”完全に私の管轄外だ」
「…それは、一体どういう意味だ?」
セブさんの手のひらの上でぐったりする俺の頬を、彼は親指の腹で優しく捏ねてくれる。それがとても幸せで、俺は「キュ」と何度も小さく鳴く。伝わるわけがない「好き」だ。
目の前の形良い唇から、「君は魔獣になっても愛らしいのだな」と極々小さな囁きが落とされた。
「呪いは魔女の得意分野だろう。その力を借りればわかることだ」
片手に俺を乗せたまま、セブさんはもう一方の手で暗藍色のマントの下から何かを取り出したようだった。俺はセブさんの指先に口付けるのに夢中で、それどころじゃないけど。
「それはなんだ。薬か?」
「解呪効果のある解毒剤だ。もしこの魔獣がただの魔獣なら、何の変化もないはずだ」
「は?解呪が出来る薬なんてものが実在するのか?そんなもの世に出回ったら、巷の祈祷師たちが泡を吹くだろう」
「治療士たちが卒倒するような効果の高い治療薬を、無償で渡そうとする迂闊な人間をお前も知っているだろう」
「あ。あー…なるほどね」
納得したらしいスペンサーさんが、反論の勢いを一気に弱めて引き下がった。
「ハバト、しっかり飲めよ」
そう言って、セブさんが小瓶に入った薬液を煽る。ぼーっとそれを見ていると、不意に両頬をつままれて口を開かされた。そして、何事かと目を白黒させているうちに、眼前の端正な顔が近付いてきて、俺の口に直接口付けた。
横から「魔獣にキス出来る度胸がすごい」という歯に衣着せぬ感想が聞こえた。それは俺も同感だ。
ゆっくり流し込まれる液体を、リスの細い喉でこくこく必死に飲み込んだ。唇が離され一息つくと、胃に落ちた薬液がじわじわ全身に染み渡りながら熱を持つ。またあの変体の痛みが来るかと身構えるが、体が勝手に跳ね動く妙な気持ち悪さはあるものの、悶絶する痛みはいつまでもやってこなくて、気が付けば目線が高くなっていて目を瞬く。体に力が入らないのは相変わらずで、首を動かすのも億劫だが、なんとかぐるりと周りを見渡す。見慣れたひょろい手足と、薄い腹、首筋にかかる赤毛もちらりと見える。
無事、呪いは解けたらしい。ほっ、と息をつく。
「スペンサー、こちらを見るなよ」
「はいはい」
どうやら、俺はまだセブさんに抱えられたままらしい。リスから人間に変わっても、取り落とさず抱え続けてくれていたのか。とんでもない筋力だ。「少し我慢しなさい」と声をかけられると、揺するように片腕に抱き直され、セブさんはもう片方の腕で自身のマントを取り、いつかのようにそれで俺を包み込んで抱え直してくれた。彼の腕の中だと思うと心地よくて、うっとりと首筋にすり寄る。
「そんな愛らしく媚びて、全てを誤魔化すつもりか?」
「…?」
俺の頭を柔く撫で漉きながらも、彼の声は少し堅い。
「君は誰かに暴行されたのか?」
まどろみの中で「いいえ」と声を出したつもりだったが、喉が異様に乾いていて音が出なかった気がする。ゆっくり首を横に振る。それもだいぶ緩慢だっただろう。まぶたがとろりと重さを増して、とても眠い。
「自ら呪いをかけた?」
ふわふわした頭で頷く。
「何故だ?」
なんで…?それは、死にたくなかったからで、えっと、なんて言えばいいんだろ。考えるのすらめんどうだ。
「…そうまでして、私から逃げたかったのか?」
なにを言ってるんだろう。おれはただ、あなたに嫌われたくなかっただけなんだ。
くつくつと、セブさんがわらってる。うれしい。
「だが、もう手遅れだ」
あなたがわらってくれるなら、おれはうれしいんです。
「ハバト。もう、どんな手を使ってでも離さない」
おれは、あなたを愛しています。
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