異世界に帰った想い人を待つ男と、異世界渡りで記憶と顔をなくした想い人が二度目の恋をする話

こぶじ

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第一章

2:行きつけ1

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 酒飲みに溢れた騒がしい酒場は嫌いじゃない。喧騒の中で黙々と飲む酒が好きだ。

「ロードリック、また一人で来ていたのか」

 宵の口、賑わう酒場の壁席で二杯目の蒸留酒を口に含んでいると、背後から別室付けの上司の耳慣れた声に呼ばれた。軽く振り返り会釈をすると、声の主であるイヴェット女史は許可を得るでもなく、私の横の空席に腰を下ろした。
 件の仕事以降、魔導具の利便性に味をしめたらしいこの刀自は、魔導具研究室を我が物のように気安く使うのでもはや馴染んだ顔だ。

「一人が好きなんです。悪い酒では有りません」

「ああ。だろうな。貴公はどれだけ女に誘われても一人だものな。今まで一体どれだけ袖にしてきたんだろうねえ」

 慣れた振舞で麦酒を注文する女史の手元に乾き物の皿を寄せると、遠慮の無い手が伸びて木の実を二、三攫う。

「さあ。誰とも親しくした覚えも袖にしたつもりも有りません」

 何も面白い事など言っていないのに、イヴェット女史は健康的な白い歯を見せてハハと豪快に笑った。

「若い娘らは、こんな朴念仁の何処がいいんだろうなあ。何が謎めいてて素敵、だよ。色男なのは見た目だけじゃないか」

「それは私も同感です」

 再び女史は大口で笑ったが何も不快はない。私の本質を心から好んで愛してくれるのは、きっと今生のうち彼一人きりだ。それでいいし、それがいい。



 彼を故郷に見送ってからニ年が過ぎた。当然のように音沙汰などない。気にかかるのは唯一彼の安否だけだが、こればかりは今更私が気を揉んでも何もならないと、このふたとせでよくよく自分に言い聞かせた。
 傍から見たなら、私の暮らしは彼と出会う前から長く何も変わらないだろう。それで構わない。私の心内など、私だけが知っていればいい事だ。
 ふとした時に彼との少ない思い出を反芻しながら彼の幸せを願う、そんな日々は悪くないのだ。私が彼を想い続ける限り、今この時も私は「愛する人の帰りを待つ幸せな男」のままでいられる。

 そんな私の腹積もりを、この長上の同席者は見透かしている。だから「一途どころか盲愛だな」と繰り返し揶揄するのだ。

 グラスの中身を煽り、追加を頼もうかとひっそり思案していると、酒場の中央が一際華やかな声で沸いた。見れば、この繁華街でよく顔の知れた華やかな見目の男性給仕が、客の女性らに囲まれ談笑しているようだった。名までは知らないが、正真正銘名実揃った色男だとかで、歓楽通りだけでなくうちの研究所内の職員にも人気があると言う。妙に顔の広い不思議な男だ。

「あっちの坊っちゃんは、来るもの拒まず去るもの追わずの色男なんだってな。まるで貴公と真逆じゃないか」

 同じ男に目をやっていたイヴェット女史は、「若者はいいなあ」と至極楽しそうにけらけらと声を上げ、更に麦酒をたっぷりと喉に流した。そして、「わたしも貴公くらいの頃はそりゃあ遊び歩いて無茶ばっかりしててなあ」と何回目になるかわからない若気の至りを語り始めた。こう見えてこの豪放磊落な上司は酒に弱い。こうなってしまえば、私からすれば心地良い酒場の喧騒の一つだ。適当に相槌を打ちながら、たまには軽い飲み口の酒でも楽しもうかと酒場内に視線を巡らせると、予想外にも例の色男の給仕人と目が合った。
 大きく形のいい琥珀色の目がにこりと義務的に微笑んで、「ご注文ですか」と声を張ったので面食らった。女性客の目が一斉にこちらに向き、そのうちいくつかの口から「リックさんだ」と許してもいない愛称を呼ばれいい気はしない。とは言え、原因である給仕人は職務に従っているだけで悪意があるようには見えず、苦いものを飲み込み黙って首肯した。
 人の間を縫ってこちらにやってくると、「伺います」と酒場の従業員にしては丁寧な所作で腰を折った。

「柑橘の果実酒を一つお願いします」

 私の目を見て「かしこまりました」と静かに応じた給仕人に、横に座った赤ら顔のイヴェット女史が「わたしにも同じのをくれ」と機嫌よく追加した。

「ご婦人にはお水もお持ちしましょう。一緒に軽食はいかがですか?お酒ばかりでは悪酔いしてしまいます」

「あーあー。これは優しい子だなあ。じゃあ魚介の炊きものもいただこうか」

「かしこまりました」

 厨房へ下がっていくすらりとした後ろ姿をぼんやりと目で追っていると、イヴェット女史が意味あり気に高く唸りながら「気になっちゃう?」と木の実を噛み砕いた。酔っぱらいの割に人の機微をよく見ている。

「ほーんのちょびっと、雰囲気だけ?声もか?似てる?気もしなくもないか?」

 案の定、私の視線の意図まで正確に汲んでいて無駄に勘が良い。

「何がですか」

「しらばっくれんじゃねえか。当然、貴公の愛しの“マサチカ”君にだよ」

 チカが私の忌諱だと知っていて、あえて口を出すのだから面倒な上司だ。果実酒などではなく、店一の重い酒で潰してしまおうか。

「彼の代わりはいません」

「心変わりしろなんて言わないよ。一途な貴公が幸せそうで何よりだねえ」

「嫌味ですか」

「そう受け取るならそれは貴公の方の問題だろうな」

「食えない人だ」

 彼の代わりなどいらない。それは本音だ。ほんの一片とは言え、彼の面影を他人に見てしまった自分が憎らしくて仕方ない。
 苦い気持ちを苦い酒で流し込みたかったが、もう手元には空のグラスしかない。口をきつく閉じて結露を握り締めた。
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