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第一章
13:友人の領分1
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「例の酒場の坊ちゃんにご執心なんだって?まさか貴公がこんなにすんなり宗旨変えするとは思わなかったよ」
いつものようにこちらの研究室に我が物顔でやってきたイヴェット女史は、小動物のようなどんぐり目を意味深な笑みに眇めて得意の嫌味を飛ばした。どうやら、ここふた月程でユセと私が交友を深めている事をどこかで見聞きしたらしい。特段隠している訳でもないので当然と言えば当然だ。
だが、まるで私達が恋人関係のように囃し立てられる事は不本気だ。
「私は変わらず主教会を信仰しています。宗旨変えは語弊があります」
イヴェット女史とは目を合わさず、動作確認を終えた魔導具を脇に避けつつ、同机上に置かれた未検品のものを新たに手元に寄せる。
「あ?ロードリック、しらを切るつもりか?随分可愛げがあるじゃないか」
「そちらの研究室は仕事が立て込んでいるのでしょう。室長自らこんな所で油を売っていていいんですか」
ここ半月程、非常に重要な漂流物が発見された為に、その調査と各署への手回しで忙殺されていたとイヴェット女史自身がたった今ぼやいたばかりだ。こちらに来たのは記録用魔導具の新規持ち出しをする為であって、雑談をする為ではないはずだ。壁面付けの作業机にほぼ座るように寄りかかっている女史の足元には、すでに小型記録器が複数入った保存箱が置かれている。
「話をそらすって事は触れられたら反論できないってことでいいのか?」
「……屁理屈を捏ねるのはやめてください」
大仰に溜め息を吐いて、検品異常の出たものを隣席の机上の文箱の中に放る。離席中のアクロイドが戻れば勝手に調整し直すだろう。
「いいんだいいんだ。どうぞしらばっくれててくれ。もうほとんどの酒場の客は、貴公らのことを祝福してる。現に、最近は女の子から粉をかけられることも減っただろ?」
イヴェット女史は冗談めかしてからりと笑い、波々と紅茶を注いだ手元のカップに口を付けた。茶化す口振りではあるが、どうやら本格的にユセと私の間柄を勘違いしている。
イヴェット女史がこの件の何をどう私から聞き出したいのかは知らないが、顔の広いこの人に、ユセと私が恋仲だと思い込まれているのはなかなか面倒な事ではある。
「変な勘違いをしないでください。ユセは友人です」
「なんだ。ちゃんと会話できるじゃないか。勘違いとやらをされたくないなら貴公の言葉で弁明すればいいだろう」
先程より声を弾ませた女史は、カップを荒っぽく机に戻すと腰を浮かせて前のめった。明らかに面白がっている。他人の色恋の噂など探って何が楽しいのだろうか。
気乗りはしないが、浅く溜め息を吐いてから渋々と口を開いた。
「あの子は私の事を愛称で呼ばないんです」
「おい、待て。一体どこから話し始めるつもりなんだよ、この唐変木」
「貴女が私の言葉で話せと言ったんでしょう」
口煩くて厄介な相手だ。それを隠さず顔を顰めれば、相手も同じく厄介だと思ったのか、緩い表情で「あーあー、わかったよ」とわざとらしく肩をすくめてみせた。
「で、貴公はあの子に特別仲良くなって愛称で呼ばれたいってことか?」
「彼は、私と特別なものになるつもりはないのでしょう。それだけの話です」
彼はどれだけ親しくなろうと、他の者のように私を気安く「リック」と呼ばない。いつまでも「ロードリックさん」と他人行儀な呼び名を貫いていて、友人の距離なのかすら時折疑わしく思う。まるで部下か舎弟だ。その距離感もまた彼の実直さの表れのようで好ましいと思う反面、それはこれ以上親しくなるつもりは無いと宣言されているようにも受け取れた。
気が付くと不覚にも私の作業の手は止まっていて、胸中にはどんよりとした暗く重い感触だけがある。
「なんだそれ。じゃあやっぱり貴公があの子にご執心なのは事実なんじゃないか」
無意識に下がり切っていた視線を持ち上げると、イヴェット女史が呆れたように口の端を歪ませていた。
「……執心していますか」
「どう考えてもしてるだろう。ユセ君を懐に入れたくて仕方ないって話にしか聞こえん」
「……だとしても、何も変わりません」
私自身、自覚が微塵も無い、なんて訳では当然無いのだ。
ユセと親しく交友するようになってからの私は、唯一の友人を手にして、飽きもせず週末を楽しみにする浮かれた子供そのものだった。ユセと私の交友は頻繁で、場所は酒場や私の自宅だけでなく、町中、郊外、様々だったが、どこに行っても変わらず衆目をよく集めたが、他人の視線などどうでもよかった。そんなもの気になどならない程、知れば知るだけ私はユセに夢中になった。我ながら滑稽だと思う。
言ってしまえば、友人に向けるには強過ぎるユセへの感情を、私は持て余してしまっている。消してしまえもしないのに、成就させたいとも思わない。私の胸内には、マサチカへの慕情がしっかり残っているからだ。
ユセとの関係に名前を付けたくない腹の黒い私は、この中途半端な距離でいたいなどと思ってしまう。もし私のそんな考えをユセが知ったら、彼はどんな顔をするのだろう。軽蔑するのだろうか。それともいっそ、私に対してそこまで思う程の関心すらないだろうか。
「ユセは、チカに似ているんです」
私が白状するのを待っていたかのように、イヴェット女史がカップを片手に「ああ、そうだな」と低く相槌を打った。
始めこそ気にも留めていなかったユセとチカの相似点が、最近ではつい目についてしまう。ほっそりとした立ち姿であったり、少し癖のある抑揚だったり、どんな時もよく笑う所であったり、ふとした瞬間ユセにチカの面影を見てしまう。
元々は、ユセのどこまでもお人好しな人柄に惹かれたはずだった。でも今となっては、私は“ユセだから”好ましく思っているのか、“チカに似ているから”ユセに心寄せているのか、よくわからなくなってしまった。考えれば考える程に、後者なのではないかと疑う心が勝ち始め、あまりの自身の身勝手さが恐ろしくなる。
「貴公が言うんだから相当だよ。わたしが言うのとワケが違うわな」
最初にユセがチカと似ていると口にしたのはイヴェット女史だった。
「恋人に似ているからと友人を突き離して距離を置く事と、恋人に似ているから好きだと友人に告げて迫る事は、結局ユセからすればどちらも同じだけ私の独り善がりでしか無いと思いませんか」
私に厚い友情を向けてくれているユセにとって、どちらも言葉や態度にされた所で知った事では無い、酷く煩わしいものだろう。いっそ嫌悪されてもおかしくない。ならば、今の満たされた友人関係のままで良いではないか。
その私の考えに特段反論するつもりは無いらしく、イヴェット女史は「まー、それはそう」と驚く程軽薄に頷いた。
いつものようにこちらの研究室に我が物顔でやってきたイヴェット女史は、小動物のようなどんぐり目を意味深な笑みに眇めて得意の嫌味を飛ばした。どうやら、ここふた月程でユセと私が交友を深めている事をどこかで見聞きしたらしい。特段隠している訳でもないので当然と言えば当然だ。
だが、まるで私達が恋人関係のように囃し立てられる事は不本気だ。
「私は変わらず主教会を信仰しています。宗旨変えは語弊があります」
イヴェット女史とは目を合わさず、動作確認を終えた魔導具を脇に避けつつ、同机上に置かれた未検品のものを新たに手元に寄せる。
「あ?ロードリック、しらを切るつもりか?随分可愛げがあるじゃないか」
「そちらの研究室は仕事が立て込んでいるのでしょう。室長自らこんな所で油を売っていていいんですか」
ここ半月程、非常に重要な漂流物が発見された為に、その調査と各署への手回しで忙殺されていたとイヴェット女史自身がたった今ぼやいたばかりだ。こちらに来たのは記録用魔導具の新規持ち出しをする為であって、雑談をする為ではないはずだ。壁面付けの作業机にほぼ座るように寄りかかっている女史の足元には、すでに小型記録器が複数入った保存箱が置かれている。
「話をそらすって事は触れられたら反論できないってことでいいのか?」
「……屁理屈を捏ねるのはやめてください」
大仰に溜め息を吐いて、検品異常の出たものを隣席の机上の文箱の中に放る。離席中のアクロイドが戻れば勝手に調整し直すだろう。
「いいんだいいんだ。どうぞしらばっくれててくれ。もうほとんどの酒場の客は、貴公らのことを祝福してる。現に、最近は女の子から粉をかけられることも減っただろ?」
イヴェット女史は冗談めかしてからりと笑い、波々と紅茶を注いだ手元のカップに口を付けた。茶化す口振りではあるが、どうやら本格的にユセと私の間柄を勘違いしている。
イヴェット女史がこの件の何をどう私から聞き出したいのかは知らないが、顔の広いこの人に、ユセと私が恋仲だと思い込まれているのはなかなか面倒な事ではある。
「変な勘違いをしないでください。ユセは友人です」
「なんだ。ちゃんと会話できるじゃないか。勘違いとやらをされたくないなら貴公の言葉で弁明すればいいだろう」
先程より声を弾ませた女史は、カップを荒っぽく机に戻すと腰を浮かせて前のめった。明らかに面白がっている。他人の色恋の噂など探って何が楽しいのだろうか。
気乗りはしないが、浅く溜め息を吐いてから渋々と口を開いた。
「あの子は私の事を愛称で呼ばないんです」
「おい、待て。一体どこから話し始めるつもりなんだよ、この唐変木」
「貴女が私の言葉で話せと言ったんでしょう」
口煩くて厄介な相手だ。それを隠さず顔を顰めれば、相手も同じく厄介だと思ったのか、緩い表情で「あーあー、わかったよ」とわざとらしく肩をすくめてみせた。
「で、貴公はあの子に特別仲良くなって愛称で呼ばれたいってことか?」
「彼は、私と特別なものになるつもりはないのでしょう。それだけの話です」
彼はどれだけ親しくなろうと、他の者のように私を気安く「リック」と呼ばない。いつまでも「ロードリックさん」と他人行儀な呼び名を貫いていて、友人の距離なのかすら時折疑わしく思う。まるで部下か舎弟だ。その距離感もまた彼の実直さの表れのようで好ましいと思う反面、それはこれ以上親しくなるつもりは無いと宣言されているようにも受け取れた。
気が付くと不覚にも私の作業の手は止まっていて、胸中にはどんよりとした暗く重い感触だけがある。
「なんだそれ。じゃあやっぱり貴公があの子にご執心なのは事実なんじゃないか」
無意識に下がり切っていた視線を持ち上げると、イヴェット女史が呆れたように口の端を歪ませていた。
「……執心していますか」
「どう考えてもしてるだろう。ユセ君を懐に入れたくて仕方ないって話にしか聞こえん」
「……だとしても、何も変わりません」
私自身、自覚が微塵も無い、なんて訳では当然無いのだ。
ユセと親しく交友するようになってからの私は、唯一の友人を手にして、飽きもせず週末を楽しみにする浮かれた子供そのものだった。ユセと私の交友は頻繁で、場所は酒場や私の自宅だけでなく、町中、郊外、様々だったが、どこに行っても変わらず衆目をよく集めたが、他人の視線などどうでもよかった。そんなもの気になどならない程、知れば知るだけ私はユセに夢中になった。我ながら滑稽だと思う。
言ってしまえば、友人に向けるには強過ぎるユセへの感情を、私は持て余してしまっている。消してしまえもしないのに、成就させたいとも思わない。私の胸内には、マサチカへの慕情がしっかり残っているからだ。
ユセとの関係に名前を付けたくない腹の黒い私は、この中途半端な距離でいたいなどと思ってしまう。もし私のそんな考えをユセが知ったら、彼はどんな顔をするのだろう。軽蔑するのだろうか。それともいっそ、私に対してそこまで思う程の関心すらないだろうか。
「ユセは、チカに似ているんです」
私が白状するのを待っていたかのように、イヴェット女史がカップを片手に「ああ、そうだな」と低く相槌を打った。
始めこそ気にも留めていなかったユセとチカの相似点が、最近ではつい目についてしまう。ほっそりとした立ち姿であったり、少し癖のある抑揚だったり、どんな時もよく笑う所であったり、ふとした瞬間ユセにチカの面影を見てしまう。
元々は、ユセのどこまでもお人好しな人柄に惹かれたはずだった。でも今となっては、私は“ユセだから”好ましく思っているのか、“チカに似ているから”ユセに心寄せているのか、よくわからなくなってしまった。考えれば考える程に、後者なのではないかと疑う心が勝ち始め、あまりの自身の身勝手さが恐ろしくなる。
「貴公が言うんだから相当だよ。わたしが言うのとワケが違うわな」
最初にユセがチカと似ていると口にしたのはイヴェット女史だった。
「恋人に似ているからと友人を突き離して距離を置く事と、恋人に似ているから好きだと友人に告げて迫る事は、結局ユセからすればどちらも同じだけ私の独り善がりでしか無いと思いませんか」
私に厚い友情を向けてくれているユセにとって、どちらも言葉や態度にされた所で知った事では無い、酷く煩わしいものだろう。いっそ嫌悪されてもおかしくない。ならば、今の満たされた友人関係のままで良いではないか。
その私の考えに特段反論するつもりは無いらしく、イヴェット女史は「まー、それはそう」と驚く程軽薄に頷いた。
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