右肩に取り憑いた美貌の背後霊が、俺を溺愛執着する神様だった話

こぶじ

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《二十三日目》
 前世の記憶の断片の中に、孤児院で育った男のものがある。親の顔は思い出せないから、きっと物心つく前に孤児院に預けられたんだろう。とても小さな孤児院で、年老いた養母と子供数人だけの暮らしだった。年の離れた末の子だった俺は、最後の一人として大好きな養母を看取った。兄や姉が巣立って行く度泣いたけど、その比でなく目が溶けるくらい泣いた。寂しかった。寂しかったけど、絶望はしなかった。養母や兄姉が与えてくれた生きる術があったからだ。彼らからもらったものは全て希望だった。自分の命こそ養母の遺した形見だった。だから、俺は自分を無意味に擦り減らす事無くその生を生き抜けた。

 俺は、もっと強い寂しさを知っている気がする。希望を知らず、絶望を絶望だと知らずに享受していた。
 ずっと昔の記憶だ。頭の中が取っ散らかっていて、古い記憶たちは殆どバラバラになっている。どれがどこに繋がるのかわからなくて漠然としている。
 どうせあまり役に立たない記憶ばかりだろうから、そんなもの触らずにおいた方がいいのに、俺はここ最近ずっと頭の中の謎の記憶達をこねくり回している。





「ひーん」

 限界だ。あいつがいなくなってから、自分のポンコツ振りが日に日に増して、呆れを通り越して怒りも燃やし尽くして恐怖も乗り越えて、今絶望し始めてる。
 同じ書類の同じ数字を六回書き間違えた所で、俺の口から出たのが、ひーん、だった。まじで脳みそ微塵も使ってない何の意味もない、ひーん、だ。涙出そ。

「マヌエル、これから我が家で一緒に夕飯でも食おう。君は魚が好きだろう。脂の乗った白身魚を鍋にでもしよう」

 気の良い上司が慌てて、今考え得る慰め言葉を総動員していた。穏やかに光る粒が俺にくっついた。

「マヌが好きな木苺のパウンドケーキも焼きましょう。クリームチーズも添えてあげるわ。ぜひいらっしゃいよ」

 善良な人の娘も善良で、父のとそっくりな粒が飛んでくる。とりあえず俺は食い物で釣れって思われてる事はよくわかる。
 なんであいつがいなくなっても、このピカピカ埃はずっと見えてんだろう。あいつが置いてった粒も、何故か長持ちして残ってる。
 もしかしたら、まだ近くにいてくれたりするんだろうか。

「……行く」

 ぼそっと呟いた俺に安心したように父娘は笑顔で顔を見合わせると、直ぐ様俺の手元にある書類を掻っ攫って締め作業を時短仕様で終わらせると、ずたぼろな俺を高台にある父娘の家に引きずって行った。
 引きずられながら、俺の手を引くマルヴィナを見てあいつが嫉妬でもしてくれたりしねえかな、なんてまるで実のない事を考えた。あいつの事を考えれば考える程、自己嫌悪が募るだけなのはこの数日で痛い程理解してるのに。


 勧められるままに鍋を食ってケーキを平らげて食後の紅茶をもらう頃には、底をついてた気力が二割くらい戻ってきて、やっとジュリアン先生とマルヴィナに正しく礼を言えた。

「マヌ、帰る前に絵を見てってくれない?貴方の提案してくれた神聖画を描いてるところなの」

 俺は絵に造詣があるわけじゃないから、見ても何かいい助言が出来るとは思わないけど、マルヴィナの動機づけにでもなれば良いと誘いに乗った。
 マルヴィナは絵を納戸で描いてるらしかった。下絵を終えて色をのせ始めた所だって言うから、確かに居室には置いておけないだろう。
 納戸の扉を開けると、すぐに溶かし油の強い香りがする。嗅ぎ慣れない人間にはキツいそれが、その絵を見た瞬間に全く気にならなくなった。

 素人が描いたものにしては緻密に色を重ねられていて、色配りが上手い。まだ絵の半分も色が付いていなかったけど、それが何を描いたものかはすぐにわかった。

「ああ。なるほど」

 陽神を抱え込む陰神の絵だった。神聖画としてはよくある構図だったが、陰神アメスの顔がよく描けている。艷やかな黒髪と透き通る湖面みたいな淡い水色の目、翳りのある知性的で凛々しい顔立ち。

 どう見ても、俺の愛おしい右肩男だった。

 不思議なもんで、一つ繋がるとバラバラだった一番深い所の記憶が手品みたいに一瞬で元通りの形を取り戻した。
 なんだよ。悩んで鬱々してた俺が馬鹿みてえじゃん。

「半身って俺じゃねえか」

 なんでこんな大事な事忘れてたんだろう。
 隠すように陰神に抱き込まれている陽神の顔は聖布の影でよく見えない。だけどこれが俺だとはっきりわかる。あいつは俺の為に存在してるから。

 ぶつぶつ独り言を言う俺を気味悪げに見てたマルヴィナだったが、俺が「すごくよく描けてる。本物そっくり瓜二つ」と褒めたら、「貴方は患者さんにもそうだけど、神様相手でも気安いのね」なんて笑った。そりゃそうよ。俺の男だし。

 枢機卿のお役目もあるし急がなきゃなあ。とは言え、任期の百年が終わる前に気がつけてまだ良かった。マルヴィナがいなければあと数年はここでくすぶってたかも。
 マルヴィナにもういいって言われるくらいに繰り返し深謝と賛辞を送りつつ居間に戻り、そこでくつろぐジュリアン先生に「先生、お願いがあるんです」と矢継ぎ早に話を切り出した。

「俺ちょっとやることあるんで近々ここの診療所を辞めます。だから主教会の医療施設辺りから臨時の医師と看護師を借りてきてもらえますか?」

 ジュリアン先生とマルヴィナがほとんど同じ顔でうわっ、といい反応で驚いてくれた。二人して俺がデカい借金でも作ったとか犯罪に手を染めたとか、人の子に有りがちな淪落の心配をしてくれたけど、そういう他者からの一臂必要なものじゃなく、てっきり忘れていた栄職を担いに行くのだと根気良く伝えたら、なんとかまあまあ理解してくれた。

「君の代わりの医師を雇い直せというのはとりあえずは理解したが、看護師も必要な理由はなんだい?この子がいてくれたら十分だろう」

 半信半疑の仕草で先生とマルヴィナは目を合わせた。

「だって、マルヴィナはヘイリーの大陸行商について行きたいんだろ?年単位の長期になるもんなあ。診療所の看護師は誰でも出来るけど、ヘイリーが連れて行きたいのはマルヴィナだけだぞ」

「……えっ、と。それは、そうなんだけど……」

 なんで知ってるんだ?って顔だな。知ってるよ。当たり前だろ。こっちはついこの間、扉一枚越しにいろいろ聞いちゃってんのよ。

「マルヴィナはさあ、俺と結婚して診療所継ぐのが大団円だとか、子供の絵本みてえな事思ってんだろうけど、お互い気持ちもねえのに診療所たった一つの為に結婚まで出来ねえよ。俺は無理。ジュリアン先生だってそこまでは望んでないでしょ。ね、先生」

 ジュリアン先生は慌てて首肯した。先生だってマルヴィナと俺が結婚したら、って一度くらい考えた事あるかもしれないけどさ、それと現実はまた別の話だ。俺らが恋仲じゃない事は、先生が一番わかってそうだけど。

「て事で、あとは親子で話し合って。方針が決まったら教えてください。俺もこれから連れ合いと話し合うから」

 父娘がまたそろって驚いた顔をしたけど、機嫌よく辞去する俺を二人とも引き留めはしなかった。
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