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第三章

002 警戒心ゼロ

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 ロンバルトの湯船は広くて三人で入っても余裕だった。これはこの部屋についている湯船だそうだ。湯に浮かべると香りが広がる花弁やオイルが名を種類も用意されていて、この国の財力が伺えた。 

 湯から上がり、ルゥナがスーザンに髪を結ってもらっていると部屋の扉がノックされた。
 ユーリが扉を開けると、若草色の髪の青年が立っていた。背が高く細身で右目の黒い眼帯が目立つ。いかにも護衛といった雰囲気の青年だ。

 ルゥナが視線を向けると、深碧色の瞳で睨み返された。その瞳の鋭さにルゥナが若干引いているが、ユーリは気にせず青年に尋ねた。

「貴方がアレクシア様の護衛についてくださる方ですか?」
「ああ。ヴェルナー=イベールだ。アレクシア様の滞在中は向かいの部屋が俺の部屋だ。何かあればすぐ呼んでくれ」
「はい。私はユーリです。それから侍女のスーザンに……」
「私がアレクシア=ルナステラです。ヴェルナーさん。よろしくお願いいたします」
「ヴェルナーでいい。ベネディッド様が執務室でお待ちです。扉の前で待っているので、仕度が出来たらお出でください」
「はい。分かりました」

 ヴェルナーは用件のみ話すと部屋を出て行くと、モッキュがひょこっとルゥナの肩から顔を出した。

『モッキュン!』
「モッキュ? ヴェルナーが気に入ったの?」
「モッキュ?」
「ん?」

 モッキュとの会話が噛み合わないでいると、スーザンがポーチから可愛らしいリボンのかかった箱を取り出しルゥナへ見せた。

「アレクシア様。ベネディッド様へお土産をお持ちしていたのですが、どうされますか?」

 そう言えば、お土産にとチョコレートを持ってきていたのだ。数日一緒に過ごしてきたのに、今更お土産など渡すのは変だろうか。

「折角持ってきたのですし、良いのではないですか?」
「そうよね。渡してみるわ」

 チョコレートの箱を持って外へ出るとヴェルナーが待っていた。

「あら? その剣」

 腰にはベネディッドの魔剣ノワール・ルキゥールが見えた。

「あ、これは、城内では俺が預かっているのです。重たいので」
「へ?」
「お連れします」

 ヴェルナーは軽くお辞儀をすると廊下を進み、よく分からないが、ルゥナとユーリはその後について行った。

 ◇◇

 これはどんな状況なのだろうか。

 執務室へ入ると、ベネディッドが使用人の女性に膝枕してもらっている所だった。小さい子供が母親に甘えてお昼寝しているみたいな雰囲気だ。

「アレクシア。長旅ご苦労様。君もソファーに座るといい」
「……はい。失礼します」

 平然と話しかけられたので、この状況について触れられないまま、ルゥナはソファーに腰を下ろした。顔も声も謁見の間まで共にいたベネディッドと同じだけれど、何がどうしてこうなったのか、頭の中は混乱状態だった。

 ユーリは無言で記憶昌石を差し出し、ルゥナはハッと我に返り、それを受け取り起動させると、ベネディッドは目を丸くさせて興味深そうに昌石を見つめていた。 

「それは、記憶昌石か?」
「へっ!?」

 ユーリが驚いて声を上げた。
 昌石には人避けの魔法が掛けられているのだが、流石ベネディッド。モッキュが見えるだけあってこれも見えるのだ。しかも、記録昌石だという事も見抜かれてしまった。
 ルゥナは笑顔を取り繕った。

「はい。実は、ベネディッド様にお土産をお持ちしていたことをすっかり忘れておりまして、お持ちしたのですが、ベネディッド様の反応が楽しみで、記録させていただけたら嬉しいかと……」
「そうか。構わないぞ。お土産とはなんだ?」

 ベネディッドは使用人に支えられながら身体を起こすと、爽やかな笑顔をルゥナへ向けた。
 それは警戒心ゼロの少年のような笑顔で、ベネディッドの見せる初めての顔に、ルゥナは驚いて動けなくなった。城へ着くと魔剣も従者へ任せて無武装状態になるのだろうか。

「えっと……ち、チョコレートです」
「おお。甘いものは好きだぞ。礼を言おう。アレクシア」

 隣の使用人が箱を開けると、ベネディッドが選んだ一粒を手に取った。毒味でもするのかと思ったが違った。使用人はそのままベネディッドへチョコレートを食べさせて上げていた。

 だから、なんだこの状況!?

『モッキュ!』
「おお。モッキュか。一緒に食べよう」

 ベネディッドはモッキュを歓迎すると、チョコレートを使用人から受け取りモッキュに与えている。
 ベネディッドとモッキュが楽しそうにチョコレートを頬張っている。
 心を無にして見れば、美青年と小動物の絵になる癒し風景なのだが、いちいち使用人がベネディッドに食べさせている所が鼻につくし、外と中で変貌し過ぎだ。

「アレクシアも、ひとつどうだ?」
「いえ。結構です。私は、そろそろ失礼した方がよろしいでしょうか?」
「え? ああ。食べてばかりいて申し訳なかったな。アレクシアが予定より早く着いたから、兄の誕生パーティーまで時間があるだろう? だから、城を案内しようと思ったのだ。温室に、裏の湖畔、それから書庫もある。どこから行きたい?」
「ありがとうございます。どこでも、よいですが……」

 口の周りにチョコを付けたまま何を言っているんだろうか。駄目だ。頭が付いていけない。
 ルゥナが言葉を濁すと、空かさずヴェルナーが口を挟んだ。

「ベネディッド様。アレクシア様も、今日は長旅で疲れていらっしゃいますので、部屋でお休みいただいた方が良いのではないですか?」
「そうか。では書庫ならどうだ? 何もないと退屈だろう。本は好きか?」
「はい」
「では行こう」

 ソファーからゆっくりと立ち上がろうとしたベネディッドを、使用人は優しくソファーと押し戻すと、諭す様に彼に言った。

「ベネディッド様。お口の周りが汚れております」
「おお、そうか。アレクシア、先に部屋の前で待っていてくれ」
「……はい。失礼致します」

 ルゥナは作り笑顔で会釈をし、記憶昌石を回収してユーリと二人で部屋を出た。

「ユーリ。何あれ。誰あれ。あんなのだったかしら?」
「私も驚きました。あそこまで堕落する人間がいるなんて」

 今なら先ほどヴェルナーが言った、魔剣は重いから預かっている。という言葉の意味がよく分かる。 
 あんなフニャフニャ王子に魔剣は無理だ。

「魔剣って人格も変えるのかしら」
「さあ? 取り敢えず、不貞の証拠となり得そうな記録は一つ手に入れましたね。この調子でどんどん集めていきましょう」
「そうね。心置きなく探せるわ」
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