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最終章

010 ルゥナの一番

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 ヴェルナーに連れられ、ユーリは渋々店の外へと出て行った。
 本当の自分の空間にベネディッドがいる。
 いつも通りの笑顔を向けられているはずなのに、場違いなせいか、とても神々しく見える。何とも不思議な感覚だった。

「ベネディッド様って、やっぱり王子様なのですね」
「ん? そうだけど。それは褒め言葉かな?」
「どうでしょうか。この場所にベネディッド様は似合わないなって……」
「そうか? 私も物は大切にする方だぞ」
「はい?」
「この店は大切にされてきた事が良くわかる。擦れた床は沢山の人が訪れた証拠。屋根や棚も、壊れれば何度も修繕し使ってきたのだろう?」
「はい。ここは両親が遺してくれた店なんです」
「そうか。なら、この店は私が買い取って、ルゥナにプレゼントしよう! ん? それではルゥナはここに残ることになるから駄目だな。いやしかし……」

 腕を組み真剣に悩み始めるベネディッドは、あれこれ呟き、まだ打開策を考えてくれている。

「ふふふっ。ベネディッド様。お気持ちだけ有り難くいただきます。ですが、このお店はもういいのです」
「何故だ?」
「ここの一番の常連客はマルクさんでした。他にも何人かいらっしゃいますが、モッキュの回復薬の力を必要としていたのはマルクさんくらいだったんです。他の方には不必要な性能なのです」
「確かに、危険な魔物討伐でもない限り、あれ程の効力の薬は必要ないかもな」
「はい。ロンバルトの騎士の方が喜んでくださった時、とても嬉しかったです。ここの国は長閑で平和ですから、もっと必要な方がいるところでお店を開けたらなって考えています。それに、ここは私の店より、もっと実用的な商店が入った方が、街は活性化するのだと思います」
「ほぅ。なら、ロンバルトはどうだ。近隣国への航路を開拓する為に、魔物の討伐も盛んだ」
「駄目です。ベネディッド様は忖度しそうですし、これ以上お世話になる訳にはいきません。別の場所で、一から頑張ります」

 アレクシアから借りたお金は、ベネディッドが用意してくれた解毒薬代で返してもらった。ユーリもそれは正当な対価として受け取っていいと言ってくれたけれど、金貨五百枚は多いように思えて気が引けていた。

「そうか。一からか……。それなら丁度よい。えっと――」

 ベネディッドは襟を正し咳払いすると、ポケットからリングケースを取り出した。

「へ?」
「ルゥナ。まだ何も言っていないのに、その顔とその反応は酷いだろう。もうアレクシアでは無いのだぞ。これは、ルゥナ=パストゥールとして受け取って欲しい」

 ケースを開くと大きなダイヤのついた指輪が現れた。ベネディッドは頬を少し赤らめながら微笑み口を開く。

「君が好きなのだ。ずっと一緒にいたい」
「……私を」
「兄や父には私から説明する。私の妃になってくれないか」

 ルゥナの手を取り微笑むベネディッド。その優しい笑顔は、いつまでも見ていたくなるほど心が安まる。

「あ、ありがとうございます。ベネディッド様の笑顔は、とても癒やされます。でも、私には勿体無いくらいなのです。それに、私は妃にはなりたくありません。アレクシア様に成り代わり王女として過ごしましたが、私には王族の考え方も生き方も、何もかも合わないと分かりました。私は、元の私に戻りたいのです」
「ルゥナが、ルゥナらしく過ごせる環境は、私が整えてみせる。何も心配しなくて良い。城が駄目なら、他の場所を拠点にしても良い。それでも難しいのなら、王族であることを捨てても良い」    
「それは駄目です。ロンバルトにはベネディッド様が必要だと思います。ジェラルド様もロンバルト王も、ベネディッド様を頼りにされているでしょう。ベネディッド様だって、ご家族のお側にいたいですよね」
「それはそうだが……困ったな。私は君の本当の名前を知ったばかりだと言うのに、ルゥナは私の事をよく分かっているようだ」
「そんな事は……。ですが、ベネディッド様には、私よりももっと相応しい方がいらっしゃると思います」
「それは、ルゥナにも同じ事が言える、と言いたいのだろうか」

 ベネディッドの言う通り、ルゥナには別の人の顔が浮かんでいた。

「それは……」
「今、誰の顔が浮かんだ? 教えてくれないか?」

 ◇◇

 ユーリとヴェルナーは店先の窓から中の様子をこっそり伺っていた。ボロボロの壁は隙間だらけで、中の声はダダ漏れである。ユーリは、横目でヴェルナーの様子を観察していた。ベネディッドとルゥナを真剣な眼差しで見つめるヴェルナーは、終始落ち着かない様子で、何だか面白い。御主人様が振られるのが心配なのだろうか。 

「ヴェルナー。先程から変ですよ。ここで私達が何をしても、結果は変わりません。ベネディッド様の玉砕を見守りましょう」
「玉砕? ルゥナはベネディッド様を慕っているのではないのか?」
「は? 人として尊敬はしているかと思いますが、ルゥナはベネディッド様を心の拠り所にしていたことはありませんでしたから、恋愛対象では無いと思います。ベネディッド様は良い方ではありますが、私としても、ルゥナに王族なんて危険な立場にはなって欲しくありませんので好都合です」
「そうか……。そうなのだな」

 ヴェルナーは硬かった頬を緩め小さく息を吐いた。ユーリはその反応に小首をかしげる

「残念がるかと思っていましたが、意外です」
「いや。別に。……ざ、残念だ。ベネディッド様はお気の毒だな」

 早口で呟き、ヴェルナーはまた二人の様子に視線を戻した時、ベネディッドの不安げな口調の問いかけが耳に届いた。

『今、誰の顔が浮かんだ? 教えてくれないか?』

 店内のルゥナは返答に戸惑っていた。二人の間の緊張が伝わり、ユーリとヴェルナーも息を飲んだ時、ルゥナの晴れやかな声が聞こえた。

『……ユーリです。ユーリの顔が浮かびました!』
『ん? そうか、そっちか。参ったなぁ』
『私は、ユーリと二人でお店を開きたいんです。私の作った薬で喜ぶお客様を、沢山見たいんです。ですから、ベネディッド様のお気持ちには……』

 ユーリは隣のヴェルナーの視線を感じてそちらへ目を向けた。

「ルゥナの一番は、君のようだな」
「あ、当たり前の結果です。私は、ルゥナの家族ですから」

 ヴェルナーはそれを聞くと立ち上がり、店内へと入って行った。

「ベネディッド様。もうよろしいですか?」
「よろしくない。が、今の私にはユーリを超える術はない」

 恨めしそうにユーリに目を向けるベネディッドに、ユーリは胸を張って言い切った。

「一生、超えられないと思いますけどね!」
「くそっ。初めて女性に嫉妬した。しかし、ルゥナの夢を応援したいとも思う。――よし。先ずは取引先として仲良くなろう。ルゥナの回復薬はよく効く。ロンバルドにも欲しいのだ」
「はい。その際は特別価格でお取引させていただきますね!」
「盛るつもりか?」

 ルゥナの快諾にヴェルナーか素朴な疑問を投げかけると、ルゥナは驚いて反論した。

「そんなことしません。お安くしますってことです。ベネディッド様には、感謝しております。アレクシア様のことも助けて頂いて、私の借金も返してくださったのですから」
「いいのだ。私の方こそ、ルゥナには世話になった。――さて、折角ここまで来たのだし、土産ついでに兄の誕生日祝いになるものでも探してみる事にするよ。ルゥナ。明日にはロンバルトへ戻る。アレクシアにも、よろしく伝えておいておくれ。では、また」
「はい。お伝えしておきます。では、また」

 ベネディッドはユーリとも挨拶を交わし、雑貨屋を後にした。




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