友達の妹が、入浴してる。

つきのはい

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◇ ◇ ◇

『絶対ミネラルウォーター忘れないでね』

 図書室まで歩くあいだ、別れた美咲から追い討ちのようにそのラインが送られてくる。

 美咲のミネラルウォーター好きには困ったものだ。
 かわいい女の子はみんなミネラルウォーターを摂取しているのか? と夏弥のなかでちょっとトんでる仮説が立つくらいだった。

 その後、夏弥とまど子の二人は、目的地の図書室へとたどり着く。
 たくさんの本が備えられている図書室は、一段と重くのしかかるような静けさと、埃っぽい独特な香りでいっぱいだった。

 六人掛けの広めの机には一人も生徒が座っておらず、奥の個室席にだけ数人の生徒が居るようだった。
 それぞれが勉強に集中していることは、シャーペンをカリカリ走らせるその音を聞けば一発でわかることだ。

「図書室に来たの久しぶりだなぁ」

「そうなの?」

「そうだよ。月浦さんはよく来る?」

「私は……たまにね? お昼休みに本を借りにきたりすることがあって」

「へぇ~、そうなんだ」

「うん」

 小声でそんな会話をしたあと、二人は窓際の六人掛けテーブル席に肩を並べて座った。

 席に着いてから、夏弥は数学の教科書とノートをテーブルの上に広げる。
 ページの内容は、今日の授業でも触れていた三角関数の一部だった。

「ここ、本当に難しくない? 公式の応用って言っても、さらに他の公式の応用だったりするじゃん……?」

「確かにそうね……。せめて、前に使ってた公式は覚えておかないと難しいかも」

「月浦さんはどうやって覚えてるの? ひたすら問題解いて覚えた、とか?」

 夏弥は、隣に座るまど子を一度見て、ふたたび教科書に目を向ける。

「えっとね? 私は、単語帳に公式とかを書いていつも持ち歩くようにしてるの。こういうの、なんだけど」

 そう言いながら、まど子はバッグから少し使い込まれた単語帳を取り出す。

 そこには、教科書に書かれていた数学の公式や演習問題なんかが、一枚一枚丁寧に書かれていた。

 それは、普段からまど子が勉強に励み、努力している人間だという証だった。

 まど子は、別に夏弥に気を遣って「私もわからないことがたくさんある」と言っていたわけじゃなかった。そこには、しっかり理由と呼べるだけのひたむきな行動があって、努力と呼べるだけの量があるに違いない。

「へぇ~! すごいな、これ!」

「あっ、ちょっと藤堂くん!」

 夏弥は、目の前に出されたまど子の単語帳に見入っていたせいで、思わずソレを掴んでしまったのだった。

「数学で単語帳使うのか、なるほどね。コレを持ち歩いてこまめにチェックすれば、確かに忘れな「と、藤堂くん、あの、手を離して!」

「あ! ご、ごめん。つい……」

 前のめりになって単語帳を見ていた夏弥は、まど子の必死の抵抗に気が付き、慌てて彼女の手から自分の手を放す。

「……だ、大丈夫……そ、そんなに気にしてないから……」

 まど子は顔を真っ赤に染めていた。

 数学の公式が書かれた単語帳をさらにぎゅっと握り込んで、その華奢な胸の上で抱きかかえるようなポーズをとっていた。

 手を掴まれたことがとても恥ずかしかったらしい。

(……そんな恥ずかしがられると、俺まで恥ずかしくなっちゃうんだけど……)

 頬をぽりぽりかきながら、夏弥は目をそらすしかなかった。

 普段、美咲から冷淡な対応ばかり取られているせいかもしれない。夏弥は、まど子の女の子らしい仕草にいちいちドキッとしてしまう。

「ねぇ、藤堂くん。……私、き、気になって勉強に集中できなさそうだから訊いてもいい?」

「え……訊いてもいいって何を?」

 単語帳を胸に抱えたまま、まど子は小さな声で話し始める。

「さっき……廊下で言ってたことだけど……。み、美咲ちゃんと、このあとどこかでまた会うの?」

「え」

 夏弥は耳を疑った。

 まど子の言っていることは、要するに夏弥に対する疑惑だった。
 先ほどのミネラルウォーターの話を聞いていたのだ。

 同棲してるとまでは疑ってなくても、今日どこかでもう一度会うかもしれないことを勘繰っているわけで。

(月浦さん、さっきの話やっぱり聞いてたのか……。まぁ、聞こえてないほうがおかしいもんな。あの距離で)

「いや、えっと、それは……」

「……」

(どう説明したらいい? もういっそ、はっきりと一緒に暮らしてますって言うべき……? いやでも、さすがにそんな事言ったら、月浦さんは引いちゃうかもしれないし。縁も何もなくなっちゃうよな……。

 何か嘘を……いやいや。それこそもっとダメだ。こんな純粋そうな月浦さん相手に、嘘はできるだけつきたくない。それに、洋平にも言われたことだ。「心掛ける」って、こういう場面で誠実に向き合うってことだよな、きっと)

 思い悩む夏弥の一方。
 そんな夏弥を見ていたまど子は、自分がいけない事を訊いてしまったのだと感じていた。

 普段まったくと言っていいほど男子と話す機会もないし、パッとしない地味な見た目の女子。そんな自分に話し掛けてくれた優しい男の子が、自分の言ったことのせいで困ってしまっている。

 そのことに、まど子は罪悪感を覚えていた。

 もちろん、本来なら罪悪感なんて覚えるほどの質問でもないはずなのだけれど、まど子は口に出さないだけで少し卑屈な部分があった。

 だから答えあぐねる夏弥に、優しく寄り添うような言葉をかけるのは、彼女のなかで自然な心のうごきで――

「藤堂くん、ごめんなさい。……やっぱり答えないで?」

「え、月浦さん……いいの?」

「うん。私から訊いたのに変だよね? ……でも、藤堂くんには藤堂くんの……プライバシーがあると思うから。それを、今日おしゃべりするようになったばかりの私に言うのも、ちょっとおかしな話よね? ……わ、私も、たぶん自分がいきなり訊かれたらイヤだなって思っちゃうから」

 蝶に指を差し出して羽根を休めさせるような、そんな心遣いを思わせる声だった。
 夏弥は、まど子の言葉に癒されていることを自覚する。

(なんだこの浄化作用……。最近、美咲相手で凍えきっていた俺の心が、癒えていくような……。申し訳ないな、ほんと。せめて、何か代わりにしてあげられたらいいんだけど……)

「じゃあ、数学から始める? 藤堂くん、もう開いてるから」

「そ、そうしよっか」

 それから、二人は図書室で静かに勉強を始めた。

 夏弥の予想通り、内容の七割くらいは、ほとんど夏弥が一方的にまど子から教えてもらう形になってしまっていた。

 残りの三割は、まど子も本当にわからない問題だったり、苦労している部分だ。
 残念なことに、それらの部分は夏弥もまるでわからなかった。
 結局、二人は協力態勢でそれらの問題を解いていくことになった。
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