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この日の自家製弁当がいつもの数倍美味しく感じられたのは、たぶんまど子のおかげだった。
夏弥はそう思いながら、自分の料理で口をもごもごとさせていた。
午後の授業もつつがなく終わり、終業のチャイムが校内に響く頃。
最後の授業を終えて、ゆるやかな放課後の時間がやってくる。
これから部活動に励む生徒もいれば、帰ってアルバイトに時間を費やす生徒もいる。「夏弥、じゃあなっ☆」と意味深なイケメンスマイルをふりまいて消えていく洋平のように、恋愛事にかまけてるような生徒もたぶんいるのだろう。
そんな中、夏弥とその隣の席に座るまど子は、スクールバッグを机の上に置いて人が減るのを待っていた。
(なるべく人が居なくなったら動く。そう思ってたんだけど、どうやら月浦さんも同じことを考えてるらしいな……)
夏弥がチラッと横に目を向けると、まど子も特に意味もなくスマホを取り出したりしまったりしているようだった。
いかにも手持無沙汰な様子が見て取れる。
もう片方の手で三つ編みの毛先を指でいじったりしつつ、まど子はまど子で夏弥をチラチラと見たりしていて。
「……月浦さん、そろそろ行く?」
むず痒いようなその空気に一石投じたのは、夏弥のほうだった。
この、もどかしくてたまらない時間の過ごし方を、夏弥が心得てるわけもなかった。
「あ……うん」
「よし。行こう」
放課後の教室を十五分ほどやり過ごしたおかげか、教室内にいる生徒は片手で数えられるくらいだった。
夏弥は自分の机の上のスクールバッグを手に持ち、まど子を引き連れて教室を出ていった。
図書室までの廊下を二人で歩きつつ、夏弥は美咲にラインを送る。
(えっと『今日、友達と図書室で勉強してから帰ることになった』っと。これでいいかな…………。あ、そうだ)
そう送ってから、どうせなら夕食の件も言っておこうと気がついて、
(『ごめん。遅くなるかもしれないから、晩ごはんは先に一人で食べてて』っと……)
なんだかもう完全にお母さんである。
さて二年一組の教室から図書室までは、そこそこの距離がある。
二階の端から端まで歩くようなものだけれど、その中間地点には階段スペースの吹抜けがある。まだ夕陽になりきれていない陽の光が、ガラス窓からそこに入り込んできていた。
歩く二人は、もうすぐそこへ差しかかろうとしている。
「藤堂くん、数学以外にも勉強したい科目ある?」
「あ~、あるね。英語とか」
「英語?」
「うん。一応これでも中学の時は英検三級取ったんだけど、高校に上がってから付いていけなくなって……」
「え? そうなの? 三級って、確か試験内容に面接形式のスピーキングもなかった? それに合格したんだから、十分すごいと思う」
「いやいや全然だって。ていうか、月浦さんは前回の英語のテスト――」
夏弥とまど子が、階段スペースをスルーして、そのまま二階の一番向こうにある図書室へ向かっていた、まさにその時だった。
「あ、夏弥さん……?」
「……えっ⁉」
なんと一階から上がってきた女子生徒に声をかけられたのである。
その女子の明るい茶髪のショートボブヘアは夏弥にとって見慣れたもので、多少着崩されたブレザーも、短めでかわいく着こなすスカートも、すぐにその女子が誰なのかわかってしまう要因だった。
いやそもそも、洋平の妹らしいその綺麗な顔立ちひとつで美咲だとわかる。
「……なんで美咲が二階に?」
一年生の教室はすべて一階にある。
そのため、夏弥は自然に湧いて出てきたその疑問を美咲に投げかけていた。
「職員室に用があったから。……で」
で、そっちの女の子は誰なの? という美咲の心の声が、夏弥には聞こえてきそうだった。美咲は、冴えない夏弥ですらそう感じてしまいそうな視線を送ってきている。
もっとも、それは嫉妬なんかじゃない。
単に「今日の帰り道、あたしの後ろから付いてきてくれるっていう話だったじゃん。何してんの? 騙すつもりだったの?」という圧に他ならない。
「でってお前……。ライン送ったんだけど、見てない?」
「ライン?」
夏弥に促され、美咲は手にしていたバッグからスマホを取り出す。
そのあいだ、夏弥は横に立っているまど子をチラ見した。
まど子は、この二人のやり取りにどうしていいかわからず、ただ窓の向こうに映っている夕暮れ前の空に目を向けているようだった。
(月浦さん、昼休みに話してた美咲本人が目の前に現れて緊張してるっぽいな……。というか、相手の美咲は一年生なんだし、そんなに目を背けなくても……)
「――あ、今見た。ライン」
そんなまど子にお構いなく、美咲が話し続ける。
「まぁ、そこに書いてある通りだから。じゃあな」
夏弥は、下手なことを言う前に切り上げようと思っていた。
それは、美咲と鉢合わせしてしまった瞬間から思っていたことだ。
ここでちょっとでも口を滑らせると、まど子に美咲との同居がバレるかもしれない。
芽衣の時はまだ大したダメージじゃなかったけれど、さすがにクラスメイトにバレてしまうことはなるべく避けたかった。
というか、昼休みに恐れていた「縁を遠ざけるリスク」でいえば、美咲との特殊な関係がバレるわけにはいかないと感じていたのである。
図書室で一緒にお勉強。
順調にいけば、夏弥にも彼女ができるかもしれない。
ずっと前から自分を非モテだと嘆いていた夏弥のこんな淡い期待。
まだ芽すら出ていないその希望を、摘み取られたくはない。そう思ってしまう夏弥を一体誰が責められるだろう。
(これって、美咲との会話が長引けば長引くほど、どんどんリスキーになってくよな……)
そう思っていたのだけれど、
「あ、夏弥さん。それなら悪いんだけど、今日帰りにミネラルウォーター買ってきて?」
「ああ、わかった。買っていくよミネラルウォー、タアッ⁉」
夏弥の語尾がクンッと尻上がりになった。
困惑の「タアッ⁉」が廊下と階段に響き渡る。
一番恐れていた事を、美咲が口にしたのだ。
(おい何言ってんだ美咲⁉ 月浦さん横にいるんだが⁉ 普通に同棲してる男女っぽい会話してくるなよ⁉)
美咲の発言で、夏弥の表情が一気に曇りだす。
そんな夏弥の急降下した表情に、美咲もすべてを察したらしく、
「あっ」
とっさに口に手を当てる。
(あっ、じゃないが⁉)
夏弥と美咲の二人は、それから恐る恐るまど子の顔に目を向けた。
「えっ、何……?」
ただ、意外にもまど子は頭上にクエスチョンマークを浮かべていた。
二人がなぜ自分のほうを振り向いたのかまるでわからないといった様子で、美咲と夏弥の顔を忙しなく交互に見るだけだった。
(危ねぇ――⁉ ……ど、どうやらこの反応は大丈夫みたいだな……。窓の外に気を取られてて聞こえなかったのかな……?)
まど子の表情に安堵した夏弥は、美咲に無言で目を向ける。
美咲もほっと胸を撫でおろしていた。
この先は、夏弥と美咲のある種のテレパシーのようなものだ。
二人は目だけでこのような会話をしていた。(※おそらく)
(ラインで言った通りだから、今日は一人で帰ってくれ)
(いいけど……。ミネラルウォーターよろしくね?)
(わかった。わかったから)
(……夏弥さん、嘘つきじゃん)
(それは申し訳ない。本当に)
大体このようなやり取りを、十秒ほどの沈黙とアイコンタクトで二人は済ませたのだった。
「じゃあ、あたし行くから」
美咲はそう言い残して、同じ階の職員室へ向かっていった。
残された夏弥とまど子は、お互いため息(?)をついて図書室へとまた歩きだす。
「あの子が……美咲ちゃん、だよね?」
歩きながら、まど子からそう切り出される。
「え? うん、そうだよ」
「すっごく可愛い子だったね! モデルさんみたいで驚いちゃった! 前に見掛けた時は、雨のせいであんまり顔がわからなかったから」
「顔は、ね。洋平の妹っていうだけあるよなぁ……」
「そういえばそっか! 確かに似てるかも」
夏弥は、心底ほっとしていた。
まど子に同棲の件を勘付かれていない。そう思っていた。
ただそれは、夏弥の単なる思い込みに過ぎなかったのだけれど。
夏弥はそう思いながら、自分の料理で口をもごもごとさせていた。
午後の授業もつつがなく終わり、終業のチャイムが校内に響く頃。
最後の授業を終えて、ゆるやかな放課後の時間がやってくる。
これから部活動に励む生徒もいれば、帰ってアルバイトに時間を費やす生徒もいる。「夏弥、じゃあなっ☆」と意味深なイケメンスマイルをふりまいて消えていく洋平のように、恋愛事にかまけてるような生徒もたぶんいるのだろう。
そんな中、夏弥とその隣の席に座るまど子は、スクールバッグを机の上に置いて人が減るのを待っていた。
(なるべく人が居なくなったら動く。そう思ってたんだけど、どうやら月浦さんも同じことを考えてるらしいな……)
夏弥がチラッと横に目を向けると、まど子も特に意味もなくスマホを取り出したりしまったりしているようだった。
いかにも手持無沙汰な様子が見て取れる。
もう片方の手で三つ編みの毛先を指でいじったりしつつ、まど子はまど子で夏弥をチラチラと見たりしていて。
「……月浦さん、そろそろ行く?」
むず痒いようなその空気に一石投じたのは、夏弥のほうだった。
この、もどかしくてたまらない時間の過ごし方を、夏弥が心得てるわけもなかった。
「あ……うん」
「よし。行こう」
放課後の教室を十五分ほどやり過ごしたおかげか、教室内にいる生徒は片手で数えられるくらいだった。
夏弥は自分の机の上のスクールバッグを手に持ち、まど子を引き連れて教室を出ていった。
図書室までの廊下を二人で歩きつつ、夏弥は美咲にラインを送る。
(えっと『今日、友達と図書室で勉強してから帰ることになった』っと。これでいいかな…………。あ、そうだ)
そう送ってから、どうせなら夕食の件も言っておこうと気がついて、
(『ごめん。遅くなるかもしれないから、晩ごはんは先に一人で食べてて』っと……)
なんだかもう完全にお母さんである。
さて二年一組の教室から図書室までは、そこそこの距離がある。
二階の端から端まで歩くようなものだけれど、その中間地点には階段スペースの吹抜けがある。まだ夕陽になりきれていない陽の光が、ガラス窓からそこに入り込んできていた。
歩く二人は、もうすぐそこへ差しかかろうとしている。
「藤堂くん、数学以外にも勉強したい科目ある?」
「あ~、あるね。英語とか」
「英語?」
「うん。一応これでも中学の時は英検三級取ったんだけど、高校に上がってから付いていけなくなって……」
「え? そうなの? 三級って、確か試験内容に面接形式のスピーキングもなかった? それに合格したんだから、十分すごいと思う」
「いやいや全然だって。ていうか、月浦さんは前回の英語のテスト――」
夏弥とまど子が、階段スペースをスルーして、そのまま二階の一番向こうにある図書室へ向かっていた、まさにその時だった。
「あ、夏弥さん……?」
「……えっ⁉」
なんと一階から上がってきた女子生徒に声をかけられたのである。
その女子の明るい茶髪のショートボブヘアは夏弥にとって見慣れたもので、多少着崩されたブレザーも、短めでかわいく着こなすスカートも、すぐにその女子が誰なのかわかってしまう要因だった。
いやそもそも、洋平の妹らしいその綺麗な顔立ちひとつで美咲だとわかる。
「……なんで美咲が二階に?」
一年生の教室はすべて一階にある。
そのため、夏弥は自然に湧いて出てきたその疑問を美咲に投げかけていた。
「職員室に用があったから。……で」
で、そっちの女の子は誰なの? という美咲の心の声が、夏弥には聞こえてきそうだった。美咲は、冴えない夏弥ですらそう感じてしまいそうな視線を送ってきている。
もっとも、それは嫉妬なんかじゃない。
単に「今日の帰り道、あたしの後ろから付いてきてくれるっていう話だったじゃん。何してんの? 騙すつもりだったの?」という圧に他ならない。
「でってお前……。ライン送ったんだけど、見てない?」
「ライン?」
夏弥に促され、美咲は手にしていたバッグからスマホを取り出す。
そのあいだ、夏弥は横に立っているまど子をチラ見した。
まど子は、この二人のやり取りにどうしていいかわからず、ただ窓の向こうに映っている夕暮れ前の空に目を向けているようだった。
(月浦さん、昼休みに話してた美咲本人が目の前に現れて緊張してるっぽいな……。というか、相手の美咲は一年生なんだし、そんなに目を背けなくても……)
「――あ、今見た。ライン」
そんなまど子にお構いなく、美咲が話し続ける。
「まぁ、そこに書いてある通りだから。じゃあな」
夏弥は、下手なことを言う前に切り上げようと思っていた。
それは、美咲と鉢合わせしてしまった瞬間から思っていたことだ。
ここでちょっとでも口を滑らせると、まど子に美咲との同居がバレるかもしれない。
芽衣の時はまだ大したダメージじゃなかったけれど、さすがにクラスメイトにバレてしまうことはなるべく避けたかった。
というか、昼休みに恐れていた「縁を遠ざけるリスク」でいえば、美咲との特殊な関係がバレるわけにはいかないと感じていたのである。
図書室で一緒にお勉強。
順調にいけば、夏弥にも彼女ができるかもしれない。
ずっと前から自分を非モテだと嘆いていた夏弥のこんな淡い期待。
まだ芽すら出ていないその希望を、摘み取られたくはない。そう思ってしまう夏弥を一体誰が責められるだろう。
(これって、美咲との会話が長引けば長引くほど、どんどんリスキーになってくよな……)
そう思っていたのだけれど、
「あ、夏弥さん。それなら悪いんだけど、今日帰りにミネラルウォーター買ってきて?」
「ああ、わかった。買っていくよミネラルウォー、タアッ⁉」
夏弥の語尾がクンッと尻上がりになった。
困惑の「タアッ⁉」が廊下と階段に響き渡る。
一番恐れていた事を、美咲が口にしたのだ。
(おい何言ってんだ美咲⁉ 月浦さん横にいるんだが⁉ 普通に同棲してる男女っぽい会話してくるなよ⁉)
美咲の発言で、夏弥の表情が一気に曇りだす。
そんな夏弥の急降下した表情に、美咲もすべてを察したらしく、
「あっ」
とっさに口に手を当てる。
(あっ、じゃないが⁉)
夏弥と美咲の二人は、それから恐る恐るまど子の顔に目を向けた。
「えっ、何……?」
ただ、意外にもまど子は頭上にクエスチョンマークを浮かべていた。
二人がなぜ自分のほうを振り向いたのかまるでわからないといった様子で、美咲と夏弥の顔を忙しなく交互に見るだけだった。
(危ねぇ――⁉ ……ど、どうやらこの反応は大丈夫みたいだな……。窓の外に気を取られてて聞こえなかったのかな……?)
まど子の表情に安堵した夏弥は、美咲に無言で目を向ける。
美咲もほっと胸を撫でおろしていた。
この先は、夏弥と美咲のある種のテレパシーのようなものだ。
二人は目だけでこのような会話をしていた。(※おそらく)
(ラインで言った通りだから、今日は一人で帰ってくれ)
(いいけど……。ミネラルウォーターよろしくね?)
(わかった。わかったから)
(……夏弥さん、嘘つきじゃん)
(それは申し訳ない。本当に)
大体このようなやり取りを、十秒ほどの沈黙とアイコンタクトで二人は済ませたのだった。
「じゃあ、あたし行くから」
美咲はそう言い残して、同じ階の職員室へ向かっていった。
残された夏弥とまど子は、お互いため息(?)をついて図書室へとまた歩きだす。
「あの子が……美咲ちゃん、だよね?」
歩きながら、まど子からそう切り出される。
「え? うん、そうだよ」
「すっごく可愛い子だったね! モデルさんみたいで驚いちゃった! 前に見掛けた時は、雨のせいであんまり顔がわからなかったから」
「顔は、ね。洋平の妹っていうだけあるよなぁ……」
「そういえばそっか! 確かに似てるかも」
夏弥は、心底ほっとしていた。
まど子に同棲の件を勘付かれていない。そう思っていた。
ただそれは、夏弥の単なる思い込みに過ぎなかったのだけれど。
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