友達の妹が、入浴してる。

つきのはい

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 潜り込まれたことに気が付いた夏弥は、窓のほうに身体を向けたまま一度だけ顔を振り向かせた。

「……」

 もぞもぞと波打つ掛布団は、その下に美咲がいることを表わしている。
 それから間もなく、夏弥のお隣にひょこっと美咲が顔を出す。

「ふぅ。…………ちょ、ちょっと入ってみた」

「は、入ってみた……?」

 夏弥はすぐに顔を窓側に向け、美咲を背にしたまま彼女の言葉に答えた。
 美咲は、夏弥のほうに顔も身体も向けている。

(もうちょっとで眠れそうだったのに。何やってるんだ美咲のやつ。……というか、呼吸が聴こえるし、近い近い。ほとんど密着してる。ど、どういうつもりなん……?)

 暗いリビングの一室。
 一台のベッド。一緒に横になる二人。

 そんなシチュエーションで、美咲はボソッとこんなことを口にする。

「……あたし、本当に料理、全然ダメだったね」

「まだ気にしてたのか。……それはいいって言っただろ」

 夏弥は振り向くことなく会話を続ける。

 美咲がすぐそばにいることは、振り向かなくてもわかる。
 布団のなかに閉じ込められているから。
 美咲の息遣いも、体温も、匂いも。その声も。

「夏弥さんはそれで良くても、あたしは良くないんだよ」

(気が晴れないって言いたいのかな。でも実際、どうしようもないだろそんなの。いっそキレイさっぱり忘れたほうがいい。…………料理の練習でもすればまた話が違ってくる、とか、そんなことを言いたいんだろうか)

「……あたし、男子って生き物のこと、よくわかってるつもりなんだけど」

「……?」

 黙り込む夏弥の背中に向けて、美咲はセリフを続ける。

「男子って、女の子のが好きなんだよね。……唇とか手とか、あと胸とか。でも、女の子自体は好きじゃないんでしょ? むしろ、中身でいえば男子は男子といる時のほうがいいんじゃない? 気が合うし、疲れなくてずっと楽なんじゃないかって思うの。これ、女子側にも同じように言えることなんだろうけど」

「……」

「聞いてる?」

「聞いてる」

「そ。…………だから夏弥さんも、女の子の身体は、好きなんじゃないの?」

「まぁ……どうだろうなそれは。少なくとも美咲は、含まれてない、と思う」

「ひどすぎ謙信じゃん。なにそれ。…………ねぇ。

「もう寝なさいって」

がいいんだ」

「……」

「…………夏弥さん、あの人のこと好きでしょ」

 一段と囁くようにして、美咲はいきなりそんな事を言った。
 話の毛色がちょくちょく変わる。

「あの人って、月浦さんのこと? なんでそう思うんだよ」

 それまでの話題をぶつ切りにされた気がしたけれど、夏弥は「あの人」が誰なのか言い当ててみせる。

「え? そんなのもうバレバレでしょ。あんな、話題にした途端ゆるゆるキモキモの顔してれば」

「ゆるゆるキモキモって……。そ、そんなに? 俺、そんなにゆるゆるしてた?」

「うん。超ゆるってた。……むしろなんでバレてないと思ってんの? わかりやすすぎ謙信だから」

「いや語呂悪っ。上杉謙信本人が聞いたら斬りかかってくんぞマジで。……まぁ別に、俺は月浦さんのこと好きじゃないよ」

 夏弥は、嘘を吐いたつもりはなかった。
 まど子のことは、まだ好きと確信を得られるほどの感情じゃない。好意を寄せつつはあっても「良い人」くらいなものだった。

「ふぅん。……でも、あたしの仮説には関係ないけどね」

「仮説?」

「そう。「男子は、別に好きでもない女の子にもドキドキする」っていう、そういう仮説。だいぶ前からそんな仮説があたしの中にはあって。だから女子はみんな惑わされるんだって思ってた。実際そうでしょ? 夏弥さんも、どうせ今ドキドキしてるじゃん」

「……してないし」

「じゃあ、手とか触ってみていい?」

 体勢的に、夏弥から美咲は見えない。
 なので、美咲の動きのすべてを夏弥は把握できるわけじゃなかった。

 けれどそう尋ねてくる美咲は、すでに夏弥の背中に指先を置いていて、肩甲骨の上から下へゆっくりと滑らせたりしていて。

「なぁ、寝るのの邪魔だし、それって大体違うだろ?」

「…………違うって?」

「俺達はそういう関係になるべきじゃないし、今の距離感を壊すべきじゃない、と思うんだ。……求めるなら違う相手に求めるべきだって言ってんだよ」

「……それは……あたしもそう思うよ。でも、ずっと夏弥さんに料理作ってもらい続けてるせいで、どんどん借りが溜まってくじゃん。……だから」

 ――だからその借りを返したい。どんな形でもいい。
 ――男子が無差別に好きだっていう女子の身体を、あたしは差し出すから。
 ――あたしの気持ちを楽にする意味でも、今ここで触ってほしい。

 そんな言葉が、美咲の「だから」の後に続きそうだと夏弥は思ってしまった。

 事実、それは美咲の喉元まで出掛かっていた言葉とそう変わらないもので。

「いや、そもそも、小さい頃から知ってるせいで、異性として見れないだろお互い」

「……異性」

「……」

「でもあたしは女の子で、夏弥さんは男の子じゃん。あたしの胸、小さい頃に比べてずっと大きくなったよ。……あたし達の身体がちっちゃい頃と違うのは、事実でしょ?」

「か、身体はそうでも、気持ちとか色々あるんだからそんなに単純じゃないって。……そう俺は思うんだけど。……美咲が、男子の手汗とか体温をキモく感じたみたいに、俺にだって似たような気持ちはあるんだよ」

 夏弥はただくすぶり続けるこの気持ち悪さを伝えたかった。
 親族を性的に見てみようとした時の気持ち悪さに、これはとてもよく似ている。
 だからその気持ち悪さがあるのだと、伝えたかった。

 けれど男子云々を引き合いに出したことで、美咲は誤解してしまう。

「…………そうなんだ。似たような気持ち」

 美咲は夏弥の言葉を取り上げて、じっくり味わうみたいにリピートしていた。
 落ち着いていて、思慮深い反応。
 夏弥の背筋に触れていた指も、気付けばスッと離されていた。

 その後、しばらく無言の時間が続く。
 二人が一言もしゃべらないので、壁掛け時計の針の音だけがやけに際立って聞こえる。

「ていうかいい加減、自分の部屋に戻ったら?」

 夏弥の問いかけに、美咲は返事をしなかった。

「おい……え?」

 夏弥が振り返ると、美咲はすうすう寝息を立てて眠っていたのだった。

(マジか。なんでここで寝てんだよ……。まぁ、美咲は美咲で今日いろいろ頑張ったから(※おもに料理で)疲れたんだろうけど。……とりあえずそっとしておこうか)

 無理に起こしてしまうのもためらってしまうくらい、美咲の寝顔は可愛らしい。薄暗いなかでボヤっとしか見えないその顔でも、夏弥はついドキドキしてしまう。

 ただ以前も今も感じたように、夏弥のなかの美咲は微妙な立ち位置だった。
 妹と他の女子高生との中間くらいの存在。
 言ってみればそれは、異性として見るには若干の不純物が混入しているような、そんな立ち位置だ。

(俺も寝よう。ベッドは結構広いし、まあ別に一晩くらい同じベッドでも何の問題もないだろう)


 そう思っていたのだけれど、それは違う意味で安直だった。

 夏弥が眠りに就いて一時間ほどたった時のこと。

「――あ、これぇ……あたし、んのぉっ!」

 ――ドゴッ。

「いてぇ――⁉」

 すやすやと寝ていた夏弥は、隣で眠る美咲に突如アゴのあたりを殴られた。

「……んむ……っすぅ……」

(急に殴られて何かと思ったけど、寝ぼけてんのか⁉ あ、ていうか俺の掛布団が……)

 もうすでに戦いは始まっていたのである。

 ベッドの上で、夏弥は上体をむっくりと起こしてみた。

 初めこそ、ちゃんと二人の上には掛布団が平等に掛かっていた。掛かっていたのだけれど、いつの間にかそれは美咲側に寄っていたのである。

 寝ているあいだに、じわじわとたぐり寄せられていたらしい。

「なぁ、掛布団」

「……んー……ふぅ……」

(起きる気配ナシだな。よし、もうこうなったらこっちも強硬手段だ)

「こ、このっ……」

「ん……」

「返せっ! 俺の布団を返せ!」

「うぅん…………なーん……すんの」

 夏弥は美咲から布団をひったくろうとした。
 けれど眠りについた美咲は、掛布団を握って頑なに離さなかった。
 とんでもない力である。

「さすがに引っ張りすぎると布団が切れるか……」

「――なん……なの……バカじゃあん!」

「おわっ!」

 美咲の大きな声に夏弥は肩をすくませる。

(びっくりしたっ! な、なんだ寝言かよ……。普段の声のボリュームを余裕で上回るなよ……)

「掛布団……どうしようかな……」

 それから、夏弥は美咲の手をつかんでみた。
 美咲の手には変わらず掛布団がぎゅうっと握りしめられている。

 握ったまま離さないその姿はスッポン級である。
 仕方がないので、美咲のその丸め込まれた指先を、夏弥は丁寧に一本ずつほどいていくことにした。

 うんしょ、うんしょ、とほどいていくけれど、まあそうウマくいかなかった。

 人差し指を外し、中指を外す。それから薬指を外そうとするも、さっき外したはずの人差し指が元通りに曲げられてくる。その人差し指を食い止めようとすると、今度は中指が元通りに戻ってくる。

(なんだこれ。全部別の生き物か⁉)

 当たり前だが、全部同じ生き物である。

 その生き物もとい美咲は、未だ他人事のように眠り続けているのだから、いい気なものだった。

(……ていうかさっき、手を触るだのなんだの言ってたけど、寝てる時に触ってみると大してドキドキもしないな。……うん、やっぱりこれが俺の正しい反応のはずだ)

 夏弥は現在悪戦苦闘していた美咲の手を見つめ、しみじみと感じていた。

(俺は別に美咲にドキドキなんてしない。さっきの美咲の仮説は、たぶん合ってるのかもしれない。でもそれは、妹とか家族みたいな距離感になればなるほど、薄れていく代物だってことなんだろうな。……美咲と暮らして数か月。そういう意味で、もうだんだん俺とコイツのあいだには、本当に「無い」のかもしれない)

 夏弥の気持ちは複雑だった。

 一般常識として、人間は身内の者に劣情を抱かない。
 同じように、今の夏弥は美咲を恋愛対象としては見ていない。

 でもそれは、ここ数か月一緒に暮らしたからだという理由もあった。

 暮らし始めた当初、夏弥は無意識レベルで甘いことを考えていたのかもしれない。

 ほんの少しだけイチャついたりだとか、にやけてしまうアオハルルームシェア的なことを考えていたのかもしれない。

 思春期だしそれはごもっともな期待感だ。
 友達の妹と秘密裡ひみつりにいちゃつく背徳のラブライフ。

 けれど、リアルはいつも非情で、ショボいものである。
 複雑に絡んだリアルは、夢を簡単に蹴り飛ばす。

 不思議なもので、美咲と一緒に生活すればするほど、夏弥のなかの恋愛的な、性的な感情は小さくなっていくのだ。美咲に親しみを覚えたり、理解を示していけばいくほど、夏弥のなかの美咲は「女性」から「妹」に変わっていく。

「指……全然ほどけないじゃん」

 結局、夏弥は目の前ですうすう言ってる眠り姫から、掛け布団を奪還することができなかった。

(……もういいや。ソファのほうで寝よ)

 夏弥は脱衣室のほうで自分のカーディガンを一枚取り出し、それを羽織りながらリビングのソファで横になった。

(……たぶん、よっぽどのきっかけでもない限り、もうきっと「無い」んだろうな、俺達の距離が縮まることは。……いや、これがあるべき距離感のはずだよな)

 夏弥は、すぐ近くのベッドで眠る美咲をチラッと見てから、そのことを自覚する。
 少しのきっかけ程度じゃ、二人の関係がへ進むことはないのだと。

 七月の真夜中。201号室。
 リビングの一室に、夏弥と美咲の寝息が響いていった。
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