友達の妹が、入浴してる。

つきのはい

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 間違いなくそう口にした。

 美咲は、以前とある女子からアドバイスを受けていた。
 この甘々なセリフは、そのアドバイスに従ってみた結果なのかもしれない。


『――もし私が小説の子だったら、たぶんもう少し素直にならなきゃって思っちゃうかも』


 この言葉は、夏弥の同級生、月浦まど子のものだ。

 まど子は、いつもクラスのなかで浮いているような存在だった。
 三つ編みの黒髪に、黒縁の重たげなメガネ。加えて頬にはそばかすが散っていて、お世辞にも男子が惚れ惚れするようなルックスとは呼べない。

 クラスメイトからの会話をまるで避けるようにして読書にふける。決してルックスでは美咲にかないっこない地味な女の子。

 そんな彼女でも、「素直か否か」でいえば、美咲よりはずっと素直だった。

 まど子からのアドバイスは、夏弥が居ない隙にこの家で聞いたものだ。
 だから当然、夏弥は何も知らないままだった。


「夏弥さん、ラインで言ったよね」

 いつまでも夏弥が黙り込んでいたので、しびれを切らしたように美咲が話し出す。

「?」

「ほら。無条件で味方してくれる、って」

「ああ……。言った」

「なら、あたしの「甘えられてみたい」っていう気持ちの、味方をしてよ」

「そういう味方ですか……」

 美咲は夏弥の顔を真っ直ぐに見つめていた。

 本当に、夏弥のすぐ隣に座っている。

 お互い、クッションの上に置いた手の指先が、あと数センチで触れてしまいそうだった。
 きっと触れたら、相手の肌や体温をそこに感じる。

 美咲の澄んだ瞳を見ていると、夏弥の胸は焦げてしまいそうなくらいの熱に犯されていった。

「わ、かった」

「ふっ。……なんでカタコトだし」

「……。それで、俺はどうすればいいんだよ? 美咲の言う、あ、甘えられてみたいって気持ちはわかったけど……。実際、俺は誰かに甘えること自体、苦手っていうか……不慣れなんだよ」

「苦手って?」

 夏弥はありのまま、自分のことを説明しようと思った。

「いつも身の周りのことはよく自分でやるから。掃除も、料理も。だからあんまり甘え慣れてないんだ」

「……確かにね。夏弥さんて、一人でいろいろやっちゃうし」

「ああ」

「でも、手は、痛いんでしょ?」

「それはそうなんだけど……」

「じゃあ、あたしが、た、しかないでしょ」

「……そうなんのか。やっぱりそうなんのか」

 夏弥は自分を納得させるために、それと恥ずかしさをごまかすために二回言ってみた。もちろん、この程度で消える恥ずかしさじゃないのだけれど。

(ていうか、恥ずかしいのは俺だけなのか?)

 夏弥がそんな疑問を抱いているうちに、美咲は夏弥の箸を手に取る。
 それから一瞬だけ躊躇したかに見えたその箸を、本日のメインディッシュへと向けた。

(あ、ヤバい。本当に俺……このまま甘えちゃっていいのか?)

 冷しゃぶのためにサッと茹でられただけの、白い豚肉。
 それを美咲は箸でつまむ。

 いよいよ二人のイチャイチャ前線『あーん』が到来しようとしている。
 そんな時だった。

「あのさ、一つ、提案があるんだが」

「え。……何?」

 往生際悪くも、夏弥は自分達の距離感のために一つの折衷案せっちゅうあんを言い出す。

「こういうのは……その……ちょっと恥ずかしいだろ?」

「まぁ……そんなストレートに訊かれると身も蓋もないけど……そ、そうだね。ちょっと恥ずかしいかも」

 全然ちょっとじゃない。
 美咲もかなり恥ずかしいのが実情である。
 全然、これっぽっちも、ちょっとじゃない。

「だからさ、恥ずかしくないようにした方がいいと思うんだよ」

「例えば……?」

「ちょっとこう、ビジネスライクにやってみるとか……家畜と飼い主的な立ち位置で面白おかしくやってみるとか……。これって、シチュエーションのせいで恥ずかしいだけなんだ絶対」

「ふぅーん……。なんか新しいこと言い始めたね」

「……ダ、ダメですか?」

 夏弥の問いかけに、美咲はほんの少しだけ悩む。
 悩んでから、自分の答えを言葉にしていく。

「ダメ。……今日はそういうの、ナシにしたいんだけど……」

「そういうの……」

「ビジネスライクとか、ふざけたりとか、そういうのってと思う。そうじゃなくてさ。あたしと夏弥さんだから、こ、こういうこと…………したいって、あたしは思ってるから」

「……」

 さっきからずっと、心臓の脈打つ音が夏弥を攻めている。

 緊張なのか、恥ずかしさなのか。
 もしかしたら、そのどちらともなのかもしれない。
 けれど今はそんなことより、目の前で唇をきゅっと食い締めている美咲に対し、夏弥も何か応えてあげるべきだった。

 夏弥は美咲から目をそらしつつ、ぽつりと応える。

「そ、それなら…………甘えさせてもらおうかな」

「……うん」


 ◇


「それじゃ……口、開けて?」

「うん。……んあ」

 夏弥はゆっくりと口を開ける。
 美咲が箸でつまんだ豚肉は、ゆっくりと夏弥の口のなかへエスコートされる。

「ん……ん……うまいな」

「そう?」

「うん。イイ感じにドレッシングと絡んでて、ご飯が進みそう」

(正直、恥ずかしくて味とかよくわからないけどな)

「それじゃあ、ご飯も行くよね?」

「そ、そうだな……」

 それから夏弥は、数回に渡って美咲に甘えた。
 つまみ上げられた晩ごはんの品々にパクついていく。

 昔から知っている間柄。
 どれだけ美咲が美少女然としていても、小さい頃によく遊んでいた幼馴染み。

 古い思い出のなかに、こうした「甘える・甘えられる」といった場面は何度かあったはずだ。

 そんな思い出のせいだろうか。
 一度やってしまうと、だんだん夏弥のなかの抵抗感も薄れていった。

 ただずっと、ほんのりと恥ずかしい。
 食べているうち、それだけは依然として消えてくれなかった。


 美咲が夏弥の箸で、肉や野菜をつまんで、彼の口へと運ぶ。
 ドレッシングが垂れても問題ないように、そっと左手を下に添えたりする。
 口の中へ入れたあと、夏弥の顔色を伺うような、そんな表情を露わにする。

 そんな一連の動作一つ一つが、いじらしいというか、健気なものに思えてきて。

 黙っていたけれど、夏弥は心のなかでずっときゅんきゅんしていた。


「で、でも美咲さん」

「え?」

 夏弥はたまらないその感情を紛らわすために、美咲をさん付けで呼び、ずっと感じていた疑問をぶつけることにした。

「なんで急に、ここまでやってくれるんだよ? 明らかに世話焼きすぎだと思うんだけどな」

「……だ、だって……こうしないと夏弥さん食べにくいじゃん?」

 美咲の言うことは、もっともなのかもしれない。
 これは同居人への手助け。
 そう言ってしまえば、ほんの些細なことのように思える。

 けれど、それでも夏弥にはまだ少し異論があって。

「じゃあもし、美咲が手を火傷した時…………俺が、今の美咲みたいに世話焼いてもいいっていうのか?」

「……」

 夏弥の言葉に、美咲は口をつぐむ。

 リビングが静寂に包まれ、数秒後。
 美咲はボソッと、小さくつぶやくようにして言った。

「その…………れたい」

「え?」

「……だから、その時はあたしも夏弥さんから「あーん」されたいって言ってるの!」

「……!」

「も、もう今日は終わり。……あたし、部屋に戻るから」

「え。……俺のご飯は⁉」

 美咲は言うことだけ言って、速攻で自分の部屋へ戻っていってしまった。
 綺麗な頬は、やっぱり恥じらいで赤いままだった。

(「あーん」されたいとか、美咲があんなこと言うなんて。……明日、雪でも降るの?)

 結局、夏弥は残りのご飯を自力で食べることになった。

 ヒリヒリと痛んでいた火傷も、その頃には大したことなくなっていて。
 運が良いのか悪いのか、食器を片付けることも可能になっていた。

 ちなみにその日は、深夜から朝にかけて小雨が降る予報だった。
 雪はいくらなんでも無理である。
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