帝国のセレスティア 

花蝶楓月

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1.父の書斎と政略結婚

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 ローディア王国国王の書斎は、いつもどおりの重い沈黙と寒々しい空気に包まれていた。きらびやかな内装でさえ、それを打ち消すことができないほどの冷たい空気だ。
 セレスティアがこの部屋へ呼ばれるのも実に一年ぶりのことである。

「来たか」

 父でありながら、セレスティアを呼ぶ声には微塵も上など込められない温もりを欠いた声。

「王国の不滅なる光に、謹んで挨拶申し上げます」

 対するセレスティアも事務的な口調と態度で深々と頭を下げる。形式的で、まるで従者が主に対して行う礼のようだった。
 セレスティアへ座るように促すことすらせず、国王は言葉を続ける。セレスティアの顔をチラリとも見ず、視線は手元の書類に落とされている。

「お前に役目を与える」

 国王は一枚の書簡を机の上に置き、それを指先でセレスティアの前へ押しやった。
 そこにはザインツベルグ帝国が、ローディア王国の王女と婚姻を結ぶことを求めると書かれている。

「ザインツベルグ帝国皇帝エヴェリオスとの婚姻を命じる」

 セレスティアは一瞬だけ息をのみ、すぐに無表情を装った。

「理由を伺っても?……なぜ私なのでしょう」

 国王が僅かに眉をひそめた。

「いま、誰とも婚姻を結んでおらん王女がお前だけだからだ」

 セレスティアはその言葉を冷静に受け止めた。もう、父の言葉にいちいち動揺するほどの純粋さは持ち合わせていない。父の無感情な言葉に従うしかない現実。それが、セレスティアが今まで繰り返してきたことだ。

 それに父の言葉は正しい。セレスティアの一番上の姉はすでに結婚し王宮を出ているし、二番目の姉はついこのあいだ婚式式を執り行ったばかりだ。

「それでは……」セレスティアは無表情で父を見つめた。「私に選択肢はない、ということでございますね」

 国王は僅かに目を細めにらみつける。

「言葉には気をつけよ」

 セレスティアが再び頭を下げる。是の言葉はないまま。

「選択肢などない」国王は短く答える。「ローディア王国の未来を守るためのいしずえとなれることを幸運と思え」

 セレスティアは机の上に置かれた書簡をじっと見つめた。

「この婚姻が私の務めであるならば、慎んでお受けいたします」

 エヴェリオス皇帝ーー冷徹で無情な独裁者。彼の噂はどれもその卓越した知略を称えるものでありながら、彼への畏怖を隠さない。皇帝になるために兄すらその手にかけたといういうのだから。

 そして、ザインツベルグ帝国。大陸の北方に位置する強大な覇権国家。長い冬が支配する過酷な環境にありながら、そのなかで繁栄を築き上げた大国だ。中でもその軍事力はすさまじく、ひとたび戦争になれば無敗の強さを誇るという。ローディア王国にとって、帝国は常に恐れるべき隣人だった。

 そんな国に嫁ぐことになる……。

 心に波紋のように不安が広がるのを感じる。

 ローディア王国は大陸の中心部に位置し、東西南北をつなぐ重要な交通の要所として知られている。ザインツベルグ帝国ほどでなくともそれなりの大国で、交通の関税のおかげでここ数十年安定している商業国家だ。
 
 大陸北部に位置するザインツベルグ帝国とは、王国の中央を流れる一本の壮大な大河、セリス川によって結ばれている。セリス川は北の険しい山岳地帯から流れだし、帝国の主要都市を通過したあと、ローディア王国の肥沃な平野へと流れ込む。採取的に、南の広大な海へと注がれるこの川は古くから両国の生命線として機能してきた。

 冬になるとザインツベルグ帝国の北部の港は流氷により機能が停止する。この大河こそが帝国にとって貴重な交易のルートとなるのだ。一方、ローディア王国はその中流域に位置し、川沿いの発達した交易網を通じて商品を各地へと効率よく流通させている。そのため、この大河は単なる自然の境界を超えて、両国を経済的に結びつける重要な存在となっているのだ。

 そして、その価値故にこの河川の支配権を巡って両国間の緊張が高まることもしばしばである。この大河は単なる川ではない。両国の運命を左右する鍵なのだ。

 つまり、この婚姻はローディア王国とザインツベルグ帝国の友好関係を示すためのもの。友好関係を維持しながらも、常にその裏に対立の火種を抱えてきた二つの国の架け橋となるべく差し出される人質こそ、セレスティアなのだ。

 そう、これは政略結婚である。
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