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箱根の黑躑躅~源三郎 黄金探索記1 (1章、2章)
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<第一章:三島宿>
慶長19年(1614年)春、東海道を東に行く四人の男たちがいた。沼津を過ぎ、三島宿に向かっている。
商人の体をした、五十代のような小柄の男とその後ろに三十から四十頃の二人と最後尾に一人の体格の良い30才前に見える青年の四人組だった。先頭を行く五十がらみの男が頭のようだ。最後尾の青年は荷物持ちのようで、背中いっぱいの大きさの、木の箱を担いでいる。
一行は沼津から三島へ向かっている。
四人組は三島の手前の街道脇の林の中に座り込み、昼餉をとるようだ。
一行は昨夜、東海道吉原宿のとある宿屋で合流した。長老の男から、仕事の依頼があり、承諾して集まった者たちだった。皆、忍びの者達だった。
年長の男が言った。
「皆無事、定刻通りに着いてくれたな」
この宿は、元の根来衆に縁のあるところで、普段は宿屋として普通に営業しているが、忍び活動を続けている根来衆の残党たちの隠れ拠点にもなっている。
長老は三人を知っているようだが、青年と残り二人は初対面のようだ。
「こいつは甲賀の抜け忍で源三郎という。わしとは以前に何度か仕事をやって、腕は確かだ」と青年を二人に紹介した。
さらにこの二人は、平蔵と鳶というわしの昔からの根来の仲間だと甲賀の源三郎に紹介した。
平蔵は商人の風体で体を隠しているが、がっしりとした体格のようで、三十なかばのように見える。
一方、鳶はきゃしゃな体でしわがれた顔の四十前後のように見え、猿のようなひょうきんな顔つきだった。
源三郎は軽く会釈しながら二人を見定めた。平蔵はなかなかの戦士ととらえた。一方、鳶は商人でも農夫でもなんにでも化けられそうだなと源三郎は思った。
年長の男は先乗りして、宿に隠してある各種の忍び道具や装束を準備したようだ。
源三郎はそこで背中に背負える大きな木箱を受けとり、ここまでは皆、無言で歩いてきた。
吉原から三島までは五里(20キロ)程である。全員、忍びだが、今は商人に変じているので、ゆっくりと歩いてきた。
沼津から三島は東海道の表街道で、茶屋や宿屋が多数あるが、敢えて店には入らなかった。
年長の男が話し始めた
「まずは昼餉にしよう」皆、宿で用意してくれた握り飯、水で昼餉をとりだした。
昼餉をとったあと、長老が今回の予定を語りだした。
「今日は三島泊りで、詳しいことはそこで話す。
もうあとわずかにて早入りだが、いろいろ説明することがあるでな。
ただ今日はゆっくりしていいぞ」
年長の男は通称「根来の権助」と呼ばれる男で、天正13年(1585年)、秀吉の根来攻めで壊滅した根来忍者の残党で、その後は各地で活動している。
根来寺は室町時代においては幕府の保護を背景に紀伊・和泉に8か所の荘園を領有し、経済力・武力の両面において強力であった。
戦国時代に入ると紀北から河内・和泉南部に至る勢力圏を保持し、寺院城郭を構えてその実力は最盛期を迎えていた。
天正3年(1575年)頃の寺内には少なくとも450以上の坊院があり、僧侶など5,000人以上が居住していたとみられる。
また根来衆と通称される強力な武力を擁し、大量の鉄砲と忍の軍団を装備していた。
その後、天正18年(1590年)秀吉が小田原北条氏を滅ぼし一度は天下統一をする。
しかし、秀吉の死後1600年には徳川家康が関ケ原の戦いを制して、江戸幕府が開かれる。
根来衆の一部はその技量を認められ徳川幕府に抱えられ江戸城警備役として、伊賀・甲賀の者と共にお庭番として抱えられたが、それはごく一部にて、多くは忍の業を捨て地元で農業や漁業をしたり、小規模であるが近畿地区を中心に各大名の忍び活動に従事していた。
権助はそれらの取りまとめ役といったところで、小規模の傭兵軍団の元締めといったところだが、旧根来衆に顔が広く、仕事を回してやっており、慕われてもいた。
源三郎が聞いた。
「権助さん、今回の仕事のこと、箱根での探索十日間ほどと、手当のことしか聞いてねえんだけど、手当が随分いいじゃねえか。一体なんの仕事なんだ」
「詳しいことは、三島の宿でじっくり話すが、おまえらも聞いたことあるだろうが、大久保長安の隠し金の件だよ」
源三郎が驚いて聞いた。
「なんだと、あんなもの四人で見つけられるわけねえだろう。去年幕府でも相当な探索したって聞いているぞ」
さすがに、平蔵と鳶も聞いていなかったようで、驚きの表情であった。
「源三郎、さすがにいろんなこと知っているな。まあ、俺達の役は今の状況の探索だから安心しろ」
「どっから、そんな仕事を受けたんだ。しかも大金でな」
「まあ依頼人は言えねえけど、まだあると思っている輩がたくさんいるんだよ。その方はいろいろと顔広い人で、今回の件とは問わず、いろんな奴が集まってくる人なんだ」
「大阪か?まさか都も絡んでいるんじゃねえだろうな」
「さすがだな、おまえを選んだのは、忍びの術を買ってだけでなく、頭の良さも買っているん
だよ。いろいろ知恵も出してくれ。今日は酒も肴もなんでもやってくれ。ただ、話は長いぞ、後は宿で話す」
一行は三島宿に向かった。
慶長六年(1601年)徳川家康は宿駅(しゅくえき)制度を作り、最終的には東海道に五十三の宿駅を設け、三島宿は江戸日本橋から数えて第十一番目の宿駅に指定された。
下田街道・甲州道との交差する位置にあった三島宿は、さまざまな地域の文化や産業の交流地点ともなっていた。
そして三島といえば、三島大社である。
三島大社は中世以降、武士の崇敬、殊に伊豆に流された源頼朝は深く崇敬し、源氏再興を祈願した。
頼朝旗挙げ成功以来、武門の崇敬篤く、東海道に面し、伊豆地方の玄関口として下田街道の起点に位置し、伊豆国 一宮として三嶋大明神の称は広く天下に広まった。
三島の宿に入った。まだ日は高い。
宿に着くと「まずは風呂でも入れや。ここは、いろいろ手配してあって、安全だからゆっくりして大丈夫だ」
風呂からあがった根来の三人はまるで別人だった。
忍者は体を鍛えているし、切り傷もあるのをすべて隠して、化粧など使い商人に化けていた。
「源三郎よ、顔忘れぬようにしておけよ」
「ああ、ちゃんと覚えたよ」
半刻ほど、酒・肴をやった。
三島は駿河湾に面して、海の幸が豊富だった。
この時期はさくらえび、いとより、あおりいか、鰺などが豊富な海鮮が揃っていた。
「おい、源三郎、甲賀の生まれで、いまも山の中うろついているお前には、海の幸は最高だろう」
「ああ、うまいものばかりだわ。
このまま箱根で湯につかって、お仕事おわりで、手当がもらえれば最高だが、<権助の仕事>にそんなことがあるわけないんだろうな」
源三郎は旨そうに酒、海鮮類を楽しんでいた。これは、権助を信頼していることの証だろう。
鳶と平蔵は寡黙だったが、酒は結構飲んでいた。
「この部屋は端部屋で隣には客を入れてない。だから話は大丈夫だが、だが静かに話すにこしたことはねえな。
まずは、おまえらも噂には聞いているだろうが、大久保長安の隠し金について説明しよう」
権助がその内容を語った。
大久保長安は武田信玄お抱えの猿楽師の父の子に生まれ、家臣として信玄・勝頼に仕えた。
武田家滅亡後は徳川家の家臣に取り立てられ、鉱山開発、土木事業、町、道路整備などに秀逸な才能を発揮して、徳川幕府黎明期に大いに貢献し、外様家臣としては例にない出世をとげ、慶長18年(1613年)4月25日に死去した(享年69才)。
特に、金山奉行として石見、佐渡、伊豆などにおいて、多いにその採掘、精製に手腕を発揮した。
ただし、その死後が大事だった。
ひとつは、邸宅より七十万両もの黄金が蓄財されていたこと、もう一つは、家康の六男松平忠輝、その岳父伊達政宗(忠輝の正室は伊達政宗の娘、五十八姫)とともに幕府を倒す計画を立てていたことが分かり、その軍資金を何処かに秘匿しているという驚愕の内容であった。
これにより、子息七人が切腹となり、他にも多くの処分者が出た。
忠輝、伊達政宗については、咎めはなかったが忠輝の家老・花井三九郎は切腹の憂き目にあっている。忠輝を守るために犠牲になったとも伝えられている。
幕府としても手前の高官の不祥事を、外様の大大名伊達家や加賀前田家への抑えとして配置した家康の子息忠輝公に押し付けるわけにはいかなかっただろう。
花井三九郎は忠輝と長安の関係をどこまで知っていたのか定かではないが、幕府としても全くお咎めなし、というわけにもいかなかったところを見越して、忠輝を守るため自ら命を絶って幕引きを図ったのだろう。三九郎の死を知った、忠輝の慟哭は測り知れないものであった。
その軍資金について「仙石原から南へ数町行った、富士山のよく見える場所に生える、黒い花の咲くツツジの根本」にあるとの文書が見つかったと伝えられている。
これが長安の隠し金の由来である。
「こんな経緯があって、幕府は去年、仙石原周辺から伊豆までも大捜索したが見つからなかった。暮れからは雪もあるし、捜索を中断した。
今年に入ってからは、皆も知っている通り、いよいよ大阪攻めが近くなってきて、雲をつかむような黄金話に手をかけている暇がなくなったようだ。そこを狙って、一攫千金を目論む輩が出ているということだ」
この年の10月初めに豊臣家では旧恩の有る大名や浪人に檄を飛ばし戦争準備に着手し、兵糧の買い入れを行っている。
10月11には家康が軍勢の指揮を執り駿府を出発した。大阪冬の陣の始まりであった。
源三郎が聞いた。「そんな大事なネタが外に漏れるなんてことあるか?幕府側がガセを流したんじゃねえのか」
「普通に考えればそうだ。ただ、長安に関しては死の前よりいろいろと疑惑があったようで、従前より探索も行われていたようだ。死後の捜索も相当大がかりだったようだ。そうなれば、多くの員数が関与する。話が漏れてもおかしくない。あの程度の文だ。覚えておいて、それを売ったりした奴もいたかもしれん。役人なんぞそんなもんだ」
次は今回の作戦について説明が始まった。
「昨日、言ったように俺たち四人の任務はまずは今の箱根全体の様子と依頼人からいくつか申し受けていることについて探索して、報告することで、隠し金を見つけることではない」
「明日からについてだが、俺たち三人はこのまま商人の体で表街道をいく。
源三郎はその葛篭をもって芦ノ湖の西側をいってくれ。修験者の装束が入っているので、それを使ってくれ。
西側は何もないし、目印になるような場所もないので、外から探っている奴はいないとみる。
役人が少しはいるかもしれんが、様子を見ながら行ってくれればよい。
ただ、葛篭は二重底になっていて下段には俺たちの忍び道具が入っている。」
「けっ、そうゆうことか。ただの荷物運びじゃなくて武器の運び屋というわけか。
それで、俺だけ西山を行くと言うわけか。どうりで重いと思ったぜ。一番危なねえ役じゃねえか」
「商人の体の俺たちだって、見とがめられる危険はあるんだ。それでも丸腰で行くんだから、危険は変らねえさ。
もし役人に会って行先を聞かれたら、箱根西山(箱根外輪山西側)を経て金時山、明神まで行くとでも行っておけ。おまえは、箱根周辺も十分歩き回っているだろう。」
「ああ、まあ、あらかたの道は分る。」
「集合は姥子のこの宿だ」と言って簡単な地図と宿の名前を書いた紙きれを渡した。
「宿というほどでもない、小屋みてえな所だが、十分に言い渡してあるんで、そのまま番頭を呼び出してくれればいい。
明日の朝頃までを目途にしてくれ。もちろん早い分には全くかまわん。番頭には言い渡してあるで、真夜中でも入れる。お前ならゆっくり行っても間に合うだろう」
「途中、なにもなければな。しかし、随分準備がいいじゃねえか。よっぽど危ない仕事のようだな。それで金がよかったんだな」
「そう決まったわけじゃねえさ、普段の俺たちの仕事は相手や場所が決まっているだろう。
忍び込んで情報をとったり、まわりの地形や情報を集めたり、場合によっちゃ決まった奴をやったりだ。
戦うとすれば相手の守備隊だが、今回はどんな連中が集まっているか分らんし、幕府も一旦は中断したが、どの程度外から来る連中を警戒しているのか分らんのだ。依頼人はその辺の様子も知りたいのだろう。
そんな訳で、危険の度合いもよく分らんので、俺が依頼人に十分にふっかけてやったのさ。ありがたく思えよ」
「姥子までは、さっき言った依頼人から個別に頼まれていることはない。
まずは、無事に入ることたが、道中幕府側、外からの黄金探しの奴らの動きなど注意しておいてくれ。それも、依頼人への報告の一部だからな」
(まったく、相変わらず食えない奴だな。ただ、相当な準備はしているようだな)
東海道で東西を行き来するには、小田原、三島間に箱根越えの難所がある。
一般に箱根八里と呼ばれ、三島~箱根、箱根~小田原が各四里(約16Km)ということだ。
当時は一般の旅人で、1日40Kmほど歩いたようだ。ただ箱根は登り下りがあるので、上で一泊するのが普通である。
本格的に箱根宿として整備されるのは元和4年(1618年)頃で、小田原と三島から宿屋を50軒ずつ調達して、宿場町が出来上がった。本陣の数は6件にて街道最大だったという。
<第2章 湖尻峠>
箱根峠までそのまま行って、そこで別れることとなった。
三島宿から箱根峠までは四里ほどで一行は箱根峠に着いた。
街道からそれて藪の中に入り、源三郎が着替えるのを三人が見張りした。
「湖畔でも、上をいって三国山越えでもいいぞ。どっちが安全か自分で決めてくれ。では、姥子でな」
「わかった」
(さて、どっちから行こうか。湖畔より林の中の上道のほうが安全か)
山道を行くことにした。
現在の箱根スカイラインに沿った山道で御殿場に続く乙女峠まで続いており、途中で湖尻峠から湖尻方面にでられる。そこから姥子まではすぐだ
箱根山は四十万年前に活動を開始した火山である。
カルデラと中央火口丘、二重の外輪山で構成され、内側には芦ノ湖を形成している。
山腹・山麓の多くの場所で温泉が湧出し、古くより湯治場として温泉郷が形成され箱根温泉が発展した。
源三郎が向かうのは、その西側、現在の静岡県との県境の外輪山に沿った道である。
山伏峠、三国山と越えていったが特に何もなかった。
時折、樹間から望める早春の芦ノ湖が美しかった。
三国山から湖尻峠に着いたあたりだった、この辺りもまだ人通りも少ない。
芦ノ湖に向かって下っていく道がある。
西の方に向かえば、駿河の岩波方面に出られる。一息、入れていた時だった。
湖側からせわしない足音が聞こえてきた。
自分を目指しているのでないのは明らかだが、かなりの人数の捕り物であるように直観した。
まずは身を隠さねばと、長年の経験が発信していた。
葛篭を背負って周囲を見渡していると、もう4人の山伏姿が上がってきて、後ろ三十間ほど(約50メートル)を侍姿の5人が追っている。
(やばい、両方とも忍だ!~)
走り方とその速さでわかる。
あっと言う間に源三郎の近くを山伏姿の四人とそれを追う武士姿の五人が通り過ぎていき、源三郎には見向きもしなかった。さらに、その後方からも追手が来ているようだ。
こりゃおもしれえと、自分には関係ないと思い、何とかこの顛末を見届けて、権助に売ってやろうなどと邪な思いしていたとき、後続部隊が近づいてきた。
先頭の武士が源三郎を確認して指を3本立てた。
後方部隊から3人が外れて、源三郎の方に向かってきた。
(しまった、奴らは前と離れていて様子が分らないので俺を追われている奴らの仲間と感違いしたんだろう。油断だった)
相手を観察して技量を測った。忍びはいないようだ。
逃げるのは簡単だが前の連中の顛末を何としても見届けたい。倒すか。
3人はすでに抜刀していた。
見たところ、それ程の腕ではないように見え、得物も長刀だけのようだ。
危急の時のため、衣服の下に、小刀・苦無・礫は隠してあるが、殺すまではないかと思い、山伏の錫杖と体術でいくかと思った。
錫杖には鋼の芯が仕込んであり、武器として使えるようになっている。
先頭の一人をたたきのめせば、残りは逃げそうだが、当然前の部隊の方に向かうだろうから、自分もそっちに行くのに邪魔になるな。3人とも動けなくするか。
こっちが戦う姿勢を見せれば、3人で向かってくるだろう。葛篭をおろし、ゆっくりと錫杖を左下段に構えた。
相手はやや間隔を広げ、横一列となった。真ん中が来るか、あるいはどちらかの翼から来るのか?
左から来た。
そいつを無視して、右側の侍に左下段から切り上げた。相手が振り下ろす間もなく右わき腹を強打した。
相手は倒れて、苦悶の表情を浮かべながらのたうち回った。ボクシングでのレバーブローだ。
撃ち込んだ反動できっさきを返すと、中央の相手が切り込んでくるのに合わせて、合し打ちで、左頬からあごにかけて強烈な一撃を叩きこんだ。
左顔面を強打された武士はその場に倒れ込んで、ピクリとも動かなくなった。
一瞬の太刀さばきで二人を倒した。
すさまじい迎撃に完全にたちすくんだ左翼の若い武士が狂ったように突っ込んできた。
振り下ろした刀を軽くかわして、錫杖で太刀を持った右手首を叩きつぶした。
若い武士はあまりの激痛にその場にうずくまった。
源三郎はそのまま突進して後ろにまわり、立ったまま首を絞めて、聞いた。
「お前は幕府の役人か?殺さんから答えろ」
「そ、そうです」
「前を行っているやつらは伊賀者か」
「分かりません、本当です。我らは、小田原藩より派遣されており、あの方々の指示に従うよう命じられていたものです」
「やつらをどこから追ってきた?」
「私たちは箱根神社の周辺あたりが受け持ちの地区で、いつものようにおかしな奴などいないか見回っておりました。
そしたら、あの方たちから、修験者4人組をつけるから後続に着くよう申し受けました。
もし戦いになったら、迷わず参戦して切りつけろといわれました。
最初は歩きにて、間を空けて追跡しておりましたが、湖尻あたりから走り始めて、我々にはとても追いついていけませんでした。そこにあなたがいたので、やつらの仲間と思って襲ったのです」
「分かったぜ、ありがとよ」絞めて落とした。
(これでしばらく起き上がれないだろう)
本隊を追いかけて、双方どんな連中かみてやろうと思った。ただ、時間をとってしまったので、少し離されてしまった。
(追いかけよう。後から遅れて追っていった残り二人いたやつらが邪魔だな。うまく、見つからないように脇の藪を通って、追い越せるか)
と思っていたとき、前方にその二人が倒れていた。あわてて、道をそれて藪に身をひそめた。
神経を研ぎ澄まして周囲の気配を感じ取った。
もう、こいつらをやった奴はいないようだ。
どういうことだ。周りに神経をとがらせながら、倒れている一人に近づいた。
うつ伏せに倒れている男の顔を見ると左の頬に大きな傷があった。
(飛苦無か)
体を返してみると、心の臓あたり当りに血だまりが見え、こと切れていた。
もう一人も倒れている様子から見るに同様だろう。
もう少し死体の検分などしたいところだったが、時間がないので先を行くことにした。
急ぎたい気持ちがあったが、あの二人をやった奴がどの辺いるのかが気掛かりだ。
一人がどこかで後ろに回って、後続を仕留めるとともに、挟み撃ちもできるということだろう。
最初に見た、走りぶりと先ほど2人をやった手口からも追われ側も相当の手練れがそろっているとみられる。
いた!
林道の先に開けた場所があり、十間(約18m)ほど離れて対峙している。
追われていた山伏姿が三人、横一列に並んでいる。
幕府側は前に三人、後ろに二人だ。
ということはまだ、追われ側の一人は後ろにいるということだ。
(俺よりは前にいるはずだ。どこだ)
まだ日が落ちるまでは時がある。
忍び同士が、白昼、複数で対峙するなど見たこともなかった。
追われ組は単純に逃げ切れるとは思えず、どこかで勝負に出るつもりだったのだろう。
それで、一人を後ろにうまく回し、勝算があるとみて対面決戦に挑んだのではないか。
しかし、奴らの技量を考えるとこれ以上近づけそうもない。
それでも、山道脇の藪の中をゆっくりと進んだ。
ようやく、決戦場所の人がはっきり見えるようになってきた。
ただ、もうこれ以上は近づくのは無理だ。
ここらで木に登ろう。
決戦場所への視界がある大木を見つけ、静かに登った。
視界は良好だが、枝葉もあり細かい技は見ることは無理だった。
よく見ると後ろの二人はこちらの方をみている。
俺を見ているようにみえるが、相手が一人減っているのだから、後ろに回った奴を警戒しているのだろう。
員数で勝っているはずの幕府側がなかなか仕掛けない。
源三郎は考えた。追われ側が玉砕覚悟で一人を逃がした可能性もある。
幕府側は後続の到着を待っているんだろう。
来なければ一人に後をとられたことになり、仲間が追いついてくれば相手は一人を逃がして、身を賭して時間稼ぎをするということだろう。
その場合はもう追いつくこと無理だろう。
(へへ~・・・、幕府の奴らも焦っているだろうな)
時の経過からすれば、後ろがやられたという結論になるころだ。
もう、一気に開戦するはずだ。
幕府側の後ろの二人に殺気が発散されてきて、後ろと横に注意を払っている。
自分の方を見られているようだ。
(また、間違えられたら、たまったもんじゃねえからな。後ろに回ったやつはどこにいやがるんだ)
考えをめぐらした。後ろの奴は、横から行くのではないのか。それも、戦闘が始まってから様子を見て側面から攻める。
それを察知しているから、幕府の後ろ二人は前の戦いには参加できないのだろう。
追われ側は一人でも逃げ伸びればいいと、捨て身に違いない。
まずはどいつが、どんな技でしかけるかを見ることにした。それまでは木の上から見るしかなさそうだ。
まだ、間隔は十間ほどある、切り合いの間合いではない。飛び道具を使ってくるのか。
幕府側は忍びとはいえ、武士の体をしている。それほど、武器はもっていないのではないかと予想した。
追われ側の方が武器はしこんでいるだろう。
(人数は幕府側が五対三で有利だが、二列目の二人は後ろに回ったと思われる奴に気をとられているのだろう。
こりゃ、おもしれえ戦いだ)
動いた。
源三郎からみて、右翼の追われ側の奴が何か礫を放ちながら、対面の相手に向かって突進していった。
(あいつは相打ち覚悟で対するつもりだ)
それを合図のように、追われ側の中央の奴が何か放った。
幕府側の真中と左翼に数発ずつ、信じられないようが速さだった。
しかしまだ、間合いがあるので、幕府側の二人は体をさばいて躱したり、刀でたたき落とすことができた。
その時、追われ側の左の男が身をかがめながら右手に何かをもって前進して、右側に体を倒しながら投げた。
鎖のようなものが低い軌道で飛んで見事に幕府の左の男の左足首を捉え、一気に引き絞って転倒させた。
(これを狙っていたんだ、最初の礫はおとりだったのだろう)
そこへ追われ側中央の男が前進しながら苦無を先ほどのように、すざましい速さで放った。
倒れている幕府側の左翼の男の顔面に数発叩きこまれた。
(早へ~、なんだ、こいつら)
と思って目を移すとさらに驚愕の場面があった。
追われ側中央の男が倒れていて、幕府中央の男がさらに左側の鎖の男に向かおうとしていた。
源三郎が鎖の登場に気をとられて左翼に目を凝らしているときに、幕府中央の男は一気に間合を詰めて相手側中央の男を一刀のもとに仕留めていたのだろうが、あの間合を詰める速さは尋常でない。
右翼の方は、予想通り追われ側の男が決死の切り込みをかけたようで、すでに体が接してもみ合いになっている。
それでも、後ろの二人は加勢しなかった。
(なんて奴等だ)
その時、短い矢のようなものが、幕府中央の男を襲った。
(やっときやがったか)
源三郎から見て左側からだった。源三郎や幕府方の後ろ二人のよりやや前で張っていたのだ。
よし、前にいって見るぞ。木から降りて、藪の中を慎重に前進していった。
静かになっていた。
(戦闘はやんだのか)
幕府側の後ろの二人が中央の男を介抱しているように見える。
その二人も傷を負っているようだ。あの矢にやられたんだろうか。
多分、中央の男が頭なのだろう。左の腿に矢が刺さっていた。
形状は矢と変わらないが、長さは三寸ほどですべて鋼のようだ。
独自に作成した短距離用の飛び道具なのだろう。
もう、追撃はあきらめたのだろう。追われ側も逃げ延びたと見える。
ただし、仲間の始末まではかなわなかったはずだ。いろいろと痕跡を残してしまうことになるだろう。
おそらく残ったのは、追われ側は鎖の奴と後ろからきた弓の奴、幕府側は頭と二人ということのようだ。
(痛み分けだな)
(早くこの場を立ち去って姥子に向かおう。
幕府側はあの中央にいた頭と思われる奴が重傷でなければ、一人が仲間がいる近い所まで走って仲間を呼んできて、現場の始末をするはずだ。
さっき倒した三人は使い物にはならないと思うが、湖尻あたりに常駐している奴はいるだろう。
その連中と出っくわすわけにはいかない。まだ、三人は座り込んでいる。先にいかなくては)
源三郎は走りだした。すでに日は落ちている。
立ち去る前にかすかに、「軒猿」という言葉が聞こえた。
慶長19年(1614年)春、東海道を東に行く四人の男たちがいた。沼津を過ぎ、三島宿に向かっている。
商人の体をした、五十代のような小柄の男とその後ろに三十から四十頃の二人と最後尾に一人の体格の良い30才前に見える青年の四人組だった。先頭を行く五十がらみの男が頭のようだ。最後尾の青年は荷物持ちのようで、背中いっぱいの大きさの、木の箱を担いでいる。
一行は沼津から三島へ向かっている。
四人組は三島の手前の街道脇の林の中に座り込み、昼餉をとるようだ。
一行は昨夜、東海道吉原宿のとある宿屋で合流した。長老の男から、仕事の依頼があり、承諾して集まった者たちだった。皆、忍びの者達だった。
年長の男が言った。
「皆無事、定刻通りに着いてくれたな」
この宿は、元の根来衆に縁のあるところで、普段は宿屋として普通に営業しているが、忍び活動を続けている根来衆の残党たちの隠れ拠点にもなっている。
長老は三人を知っているようだが、青年と残り二人は初対面のようだ。
「こいつは甲賀の抜け忍で源三郎という。わしとは以前に何度か仕事をやって、腕は確かだ」と青年を二人に紹介した。
さらにこの二人は、平蔵と鳶というわしの昔からの根来の仲間だと甲賀の源三郎に紹介した。
平蔵は商人の風体で体を隠しているが、がっしりとした体格のようで、三十なかばのように見える。
一方、鳶はきゃしゃな体でしわがれた顔の四十前後のように見え、猿のようなひょうきんな顔つきだった。
源三郎は軽く会釈しながら二人を見定めた。平蔵はなかなかの戦士ととらえた。一方、鳶は商人でも農夫でもなんにでも化けられそうだなと源三郎は思った。
年長の男は先乗りして、宿に隠してある各種の忍び道具や装束を準備したようだ。
源三郎はそこで背中に背負える大きな木箱を受けとり、ここまでは皆、無言で歩いてきた。
吉原から三島までは五里(20キロ)程である。全員、忍びだが、今は商人に変じているので、ゆっくりと歩いてきた。
沼津から三島は東海道の表街道で、茶屋や宿屋が多数あるが、敢えて店には入らなかった。
年長の男が話し始めた
「まずは昼餉にしよう」皆、宿で用意してくれた握り飯、水で昼餉をとりだした。
昼餉をとったあと、長老が今回の予定を語りだした。
「今日は三島泊りで、詳しいことはそこで話す。
もうあとわずかにて早入りだが、いろいろ説明することがあるでな。
ただ今日はゆっくりしていいぞ」
年長の男は通称「根来の権助」と呼ばれる男で、天正13年(1585年)、秀吉の根来攻めで壊滅した根来忍者の残党で、その後は各地で活動している。
根来寺は室町時代においては幕府の保護を背景に紀伊・和泉に8か所の荘園を領有し、経済力・武力の両面において強力であった。
戦国時代に入ると紀北から河内・和泉南部に至る勢力圏を保持し、寺院城郭を構えてその実力は最盛期を迎えていた。
天正3年(1575年)頃の寺内には少なくとも450以上の坊院があり、僧侶など5,000人以上が居住していたとみられる。
また根来衆と通称される強力な武力を擁し、大量の鉄砲と忍の軍団を装備していた。
その後、天正18年(1590年)秀吉が小田原北条氏を滅ぼし一度は天下統一をする。
しかし、秀吉の死後1600年には徳川家康が関ケ原の戦いを制して、江戸幕府が開かれる。
根来衆の一部はその技量を認められ徳川幕府に抱えられ江戸城警備役として、伊賀・甲賀の者と共にお庭番として抱えられたが、それはごく一部にて、多くは忍の業を捨て地元で農業や漁業をしたり、小規模であるが近畿地区を中心に各大名の忍び活動に従事していた。
権助はそれらの取りまとめ役といったところで、小規模の傭兵軍団の元締めといったところだが、旧根来衆に顔が広く、仕事を回してやっており、慕われてもいた。
源三郎が聞いた。
「権助さん、今回の仕事のこと、箱根での探索十日間ほどと、手当のことしか聞いてねえんだけど、手当が随分いいじゃねえか。一体なんの仕事なんだ」
「詳しいことは、三島の宿でじっくり話すが、おまえらも聞いたことあるだろうが、大久保長安の隠し金の件だよ」
源三郎が驚いて聞いた。
「なんだと、あんなもの四人で見つけられるわけねえだろう。去年幕府でも相当な探索したって聞いているぞ」
さすがに、平蔵と鳶も聞いていなかったようで、驚きの表情であった。
「源三郎、さすがにいろんなこと知っているな。まあ、俺達の役は今の状況の探索だから安心しろ」
「どっから、そんな仕事を受けたんだ。しかも大金でな」
「まあ依頼人は言えねえけど、まだあると思っている輩がたくさんいるんだよ。その方はいろいろと顔広い人で、今回の件とは問わず、いろんな奴が集まってくる人なんだ」
「大阪か?まさか都も絡んでいるんじゃねえだろうな」
「さすがだな、おまえを選んだのは、忍びの術を買ってだけでなく、頭の良さも買っているん
だよ。いろいろ知恵も出してくれ。今日は酒も肴もなんでもやってくれ。ただ、話は長いぞ、後は宿で話す」
一行は三島宿に向かった。
慶長六年(1601年)徳川家康は宿駅(しゅくえき)制度を作り、最終的には東海道に五十三の宿駅を設け、三島宿は江戸日本橋から数えて第十一番目の宿駅に指定された。
下田街道・甲州道との交差する位置にあった三島宿は、さまざまな地域の文化や産業の交流地点ともなっていた。
そして三島といえば、三島大社である。
三島大社は中世以降、武士の崇敬、殊に伊豆に流された源頼朝は深く崇敬し、源氏再興を祈願した。
頼朝旗挙げ成功以来、武門の崇敬篤く、東海道に面し、伊豆地方の玄関口として下田街道の起点に位置し、伊豆国 一宮として三嶋大明神の称は広く天下に広まった。
三島の宿に入った。まだ日は高い。
宿に着くと「まずは風呂でも入れや。ここは、いろいろ手配してあって、安全だからゆっくりして大丈夫だ」
風呂からあがった根来の三人はまるで別人だった。
忍者は体を鍛えているし、切り傷もあるのをすべて隠して、化粧など使い商人に化けていた。
「源三郎よ、顔忘れぬようにしておけよ」
「ああ、ちゃんと覚えたよ」
半刻ほど、酒・肴をやった。
三島は駿河湾に面して、海の幸が豊富だった。
この時期はさくらえび、いとより、あおりいか、鰺などが豊富な海鮮が揃っていた。
「おい、源三郎、甲賀の生まれで、いまも山の中うろついているお前には、海の幸は最高だろう」
「ああ、うまいものばかりだわ。
このまま箱根で湯につかって、お仕事おわりで、手当がもらえれば最高だが、<権助の仕事>にそんなことがあるわけないんだろうな」
源三郎は旨そうに酒、海鮮類を楽しんでいた。これは、権助を信頼していることの証だろう。
鳶と平蔵は寡黙だったが、酒は結構飲んでいた。
「この部屋は端部屋で隣には客を入れてない。だから話は大丈夫だが、だが静かに話すにこしたことはねえな。
まずは、おまえらも噂には聞いているだろうが、大久保長安の隠し金について説明しよう」
権助がその内容を語った。
大久保長安は武田信玄お抱えの猿楽師の父の子に生まれ、家臣として信玄・勝頼に仕えた。
武田家滅亡後は徳川家の家臣に取り立てられ、鉱山開発、土木事業、町、道路整備などに秀逸な才能を発揮して、徳川幕府黎明期に大いに貢献し、外様家臣としては例にない出世をとげ、慶長18年(1613年)4月25日に死去した(享年69才)。
特に、金山奉行として石見、佐渡、伊豆などにおいて、多いにその採掘、精製に手腕を発揮した。
ただし、その死後が大事だった。
ひとつは、邸宅より七十万両もの黄金が蓄財されていたこと、もう一つは、家康の六男松平忠輝、その岳父伊達政宗(忠輝の正室は伊達政宗の娘、五十八姫)とともに幕府を倒す計画を立てていたことが分かり、その軍資金を何処かに秘匿しているという驚愕の内容であった。
これにより、子息七人が切腹となり、他にも多くの処分者が出た。
忠輝、伊達政宗については、咎めはなかったが忠輝の家老・花井三九郎は切腹の憂き目にあっている。忠輝を守るために犠牲になったとも伝えられている。
幕府としても手前の高官の不祥事を、外様の大大名伊達家や加賀前田家への抑えとして配置した家康の子息忠輝公に押し付けるわけにはいかなかっただろう。
花井三九郎は忠輝と長安の関係をどこまで知っていたのか定かではないが、幕府としても全くお咎めなし、というわけにもいかなかったところを見越して、忠輝を守るため自ら命を絶って幕引きを図ったのだろう。三九郎の死を知った、忠輝の慟哭は測り知れないものであった。
その軍資金について「仙石原から南へ数町行った、富士山のよく見える場所に生える、黒い花の咲くツツジの根本」にあるとの文書が見つかったと伝えられている。
これが長安の隠し金の由来である。
「こんな経緯があって、幕府は去年、仙石原周辺から伊豆までも大捜索したが見つからなかった。暮れからは雪もあるし、捜索を中断した。
今年に入ってからは、皆も知っている通り、いよいよ大阪攻めが近くなってきて、雲をつかむような黄金話に手をかけている暇がなくなったようだ。そこを狙って、一攫千金を目論む輩が出ているということだ」
この年の10月初めに豊臣家では旧恩の有る大名や浪人に檄を飛ばし戦争準備に着手し、兵糧の買い入れを行っている。
10月11には家康が軍勢の指揮を執り駿府を出発した。大阪冬の陣の始まりであった。
源三郎が聞いた。「そんな大事なネタが外に漏れるなんてことあるか?幕府側がガセを流したんじゃねえのか」
「普通に考えればそうだ。ただ、長安に関しては死の前よりいろいろと疑惑があったようで、従前より探索も行われていたようだ。死後の捜索も相当大がかりだったようだ。そうなれば、多くの員数が関与する。話が漏れてもおかしくない。あの程度の文だ。覚えておいて、それを売ったりした奴もいたかもしれん。役人なんぞそんなもんだ」
次は今回の作戦について説明が始まった。
「昨日、言ったように俺たち四人の任務はまずは今の箱根全体の様子と依頼人からいくつか申し受けていることについて探索して、報告することで、隠し金を見つけることではない」
「明日からについてだが、俺たち三人はこのまま商人の体で表街道をいく。
源三郎はその葛篭をもって芦ノ湖の西側をいってくれ。修験者の装束が入っているので、それを使ってくれ。
西側は何もないし、目印になるような場所もないので、外から探っている奴はいないとみる。
役人が少しはいるかもしれんが、様子を見ながら行ってくれればよい。
ただ、葛篭は二重底になっていて下段には俺たちの忍び道具が入っている。」
「けっ、そうゆうことか。ただの荷物運びじゃなくて武器の運び屋というわけか。
それで、俺だけ西山を行くと言うわけか。どうりで重いと思ったぜ。一番危なねえ役じゃねえか」
「商人の体の俺たちだって、見とがめられる危険はあるんだ。それでも丸腰で行くんだから、危険は変らねえさ。
もし役人に会って行先を聞かれたら、箱根西山(箱根外輪山西側)を経て金時山、明神まで行くとでも行っておけ。おまえは、箱根周辺も十分歩き回っているだろう。」
「ああ、まあ、あらかたの道は分る。」
「集合は姥子のこの宿だ」と言って簡単な地図と宿の名前を書いた紙きれを渡した。
「宿というほどでもない、小屋みてえな所だが、十分に言い渡してあるんで、そのまま番頭を呼び出してくれればいい。
明日の朝頃までを目途にしてくれ。もちろん早い分には全くかまわん。番頭には言い渡してあるで、真夜中でも入れる。お前ならゆっくり行っても間に合うだろう」
「途中、なにもなければな。しかし、随分準備がいいじゃねえか。よっぽど危ない仕事のようだな。それで金がよかったんだな」
「そう決まったわけじゃねえさ、普段の俺たちの仕事は相手や場所が決まっているだろう。
忍び込んで情報をとったり、まわりの地形や情報を集めたり、場合によっちゃ決まった奴をやったりだ。
戦うとすれば相手の守備隊だが、今回はどんな連中が集まっているか分らんし、幕府も一旦は中断したが、どの程度外から来る連中を警戒しているのか分らんのだ。依頼人はその辺の様子も知りたいのだろう。
そんな訳で、危険の度合いもよく分らんので、俺が依頼人に十分にふっかけてやったのさ。ありがたく思えよ」
「姥子までは、さっき言った依頼人から個別に頼まれていることはない。
まずは、無事に入ることたが、道中幕府側、外からの黄金探しの奴らの動きなど注意しておいてくれ。それも、依頼人への報告の一部だからな」
(まったく、相変わらず食えない奴だな。ただ、相当な準備はしているようだな)
東海道で東西を行き来するには、小田原、三島間に箱根越えの難所がある。
一般に箱根八里と呼ばれ、三島~箱根、箱根~小田原が各四里(約16Km)ということだ。
当時は一般の旅人で、1日40Kmほど歩いたようだ。ただ箱根は登り下りがあるので、上で一泊するのが普通である。
本格的に箱根宿として整備されるのは元和4年(1618年)頃で、小田原と三島から宿屋を50軒ずつ調達して、宿場町が出来上がった。本陣の数は6件にて街道最大だったという。
<第2章 湖尻峠>
箱根峠までそのまま行って、そこで別れることとなった。
三島宿から箱根峠までは四里ほどで一行は箱根峠に着いた。
街道からそれて藪の中に入り、源三郎が着替えるのを三人が見張りした。
「湖畔でも、上をいって三国山越えでもいいぞ。どっちが安全か自分で決めてくれ。では、姥子でな」
「わかった」
(さて、どっちから行こうか。湖畔より林の中の上道のほうが安全か)
山道を行くことにした。
現在の箱根スカイラインに沿った山道で御殿場に続く乙女峠まで続いており、途中で湖尻峠から湖尻方面にでられる。そこから姥子まではすぐだ
箱根山は四十万年前に活動を開始した火山である。
カルデラと中央火口丘、二重の外輪山で構成され、内側には芦ノ湖を形成している。
山腹・山麓の多くの場所で温泉が湧出し、古くより湯治場として温泉郷が形成され箱根温泉が発展した。
源三郎が向かうのは、その西側、現在の静岡県との県境の外輪山に沿った道である。
山伏峠、三国山と越えていったが特に何もなかった。
時折、樹間から望める早春の芦ノ湖が美しかった。
三国山から湖尻峠に着いたあたりだった、この辺りもまだ人通りも少ない。
芦ノ湖に向かって下っていく道がある。
西の方に向かえば、駿河の岩波方面に出られる。一息、入れていた時だった。
湖側からせわしない足音が聞こえてきた。
自分を目指しているのでないのは明らかだが、かなりの人数の捕り物であるように直観した。
まずは身を隠さねばと、長年の経験が発信していた。
葛篭を背負って周囲を見渡していると、もう4人の山伏姿が上がってきて、後ろ三十間ほど(約50メートル)を侍姿の5人が追っている。
(やばい、両方とも忍だ!~)
走り方とその速さでわかる。
あっと言う間に源三郎の近くを山伏姿の四人とそれを追う武士姿の五人が通り過ぎていき、源三郎には見向きもしなかった。さらに、その後方からも追手が来ているようだ。
こりゃおもしれえと、自分には関係ないと思い、何とかこの顛末を見届けて、権助に売ってやろうなどと邪な思いしていたとき、後続部隊が近づいてきた。
先頭の武士が源三郎を確認して指を3本立てた。
後方部隊から3人が外れて、源三郎の方に向かってきた。
(しまった、奴らは前と離れていて様子が分らないので俺を追われている奴らの仲間と感違いしたんだろう。油断だった)
相手を観察して技量を測った。忍びはいないようだ。
逃げるのは簡単だが前の連中の顛末を何としても見届けたい。倒すか。
3人はすでに抜刀していた。
見たところ、それ程の腕ではないように見え、得物も長刀だけのようだ。
危急の時のため、衣服の下に、小刀・苦無・礫は隠してあるが、殺すまではないかと思い、山伏の錫杖と体術でいくかと思った。
錫杖には鋼の芯が仕込んであり、武器として使えるようになっている。
先頭の一人をたたきのめせば、残りは逃げそうだが、当然前の部隊の方に向かうだろうから、自分もそっちに行くのに邪魔になるな。3人とも動けなくするか。
こっちが戦う姿勢を見せれば、3人で向かってくるだろう。葛篭をおろし、ゆっくりと錫杖を左下段に構えた。
相手はやや間隔を広げ、横一列となった。真ん中が来るか、あるいはどちらかの翼から来るのか?
左から来た。
そいつを無視して、右側の侍に左下段から切り上げた。相手が振り下ろす間もなく右わき腹を強打した。
相手は倒れて、苦悶の表情を浮かべながらのたうち回った。ボクシングでのレバーブローだ。
撃ち込んだ反動できっさきを返すと、中央の相手が切り込んでくるのに合わせて、合し打ちで、左頬からあごにかけて強烈な一撃を叩きこんだ。
左顔面を強打された武士はその場に倒れ込んで、ピクリとも動かなくなった。
一瞬の太刀さばきで二人を倒した。
すさまじい迎撃に完全にたちすくんだ左翼の若い武士が狂ったように突っ込んできた。
振り下ろした刀を軽くかわして、錫杖で太刀を持った右手首を叩きつぶした。
若い武士はあまりの激痛にその場にうずくまった。
源三郎はそのまま突進して後ろにまわり、立ったまま首を絞めて、聞いた。
「お前は幕府の役人か?殺さんから答えろ」
「そ、そうです」
「前を行っているやつらは伊賀者か」
「分かりません、本当です。我らは、小田原藩より派遣されており、あの方々の指示に従うよう命じられていたものです」
「やつらをどこから追ってきた?」
「私たちは箱根神社の周辺あたりが受け持ちの地区で、いつものようにおかしな奴などいないか見回っておりました。
そしたら、あの方たちから、修験者4人組をつけるから後続に着くよう申し受けました。
もし戦いになったら、迷わず参戦して切りつけろといわれました。
最初は歩きにて、間を空けて追跡しておりましたが、湖尻あたりから走り始めて、我々にはとても追いついていけませんでした。そこにあなたがいたので、やつらの仲間と思って襲ったのです」
「分かったぜ、ありがとよ」絞めて落とした。
(これでしばらく起き上がれないだろう)
本隊を追いかけて、双方どんな連中かみてやろうと思った。ただ、時間をとってしまったので、少し離されてしまった。
(追いかけよう。後から遅れて追っていった残り二人いたやつらが邪魔だな。うまく、見つからないように脇の藪を通って、追い越せるか)
と思っていたとき、前方にその二人が倒れていた。あわてて、道をそれて藪に身をひそめた。
神経を研ぎ澄まして周囲の気配を感じ取った。
もう、こいつらをやった奴はいないようだ。
どういうことだ。周りに神経をとがらせながら、倒れている一人に近づいた。
うつ伏せに倒れている男の顔を見ると左の頬に大きな傷があった。
(飛苦無か)
体を返してみると、心の臓あたり当りに血だまりが見え、こと切れていた。
もう一人も倒れている様子から見るに同様だろう。
もう少し死体の検分などしたいところだったが、時間がないので先を行くことにした。
急ぎたい気持ちがあったが、あの二人をやった奴がどの辺いるのかが気掛かりだ。
一人がどこかで後ろに回って、後続を仕留めるとともに、挟み撃ちもできるということだろう。
最初に見た、走りぶりと先ほど2人をやった手口からも追われ側も相当の手練れがそろっているとみられる。
いた!
林道の先に開けた場所があり、十間(約18m)ほど離れて対峙している。
追われていた山伏姿が三人、横一列に並んでいる。
幕府側は前に三人、後ろに二人だ。
ということはまだ、追われ側の一人は後ろにいるということだ。
(俺よりは前にいるはずだ。どこだ)
まだ日が落ちるまでは時がある。
忍び同士が、白昼、複数で対峙するなど見たこともなかった。
追われ組は単純に逃げ切れるとは思えず、どこかで勝負に出るつもりだったのだろう。
それで、一人を後ろにうまく回し、勝算があるとみて対面決戦に挑んだのではないか。
しかし、奴らの技量を考えるとこれ以上近づけそうもない。
それでも、山道脇の藪の中をゆっくりと進んだ。
ようやく、決戦場所の人がはっきり見えるようになってきた。
ただ、もうこれ以上は近づくのは無理だ。
ここらで木に登ろう。
決戦場所への視界がある大木を見つけ、静かに登った。
視界は良好だが、枝葉もあり細かい技は見ることは無理だった。
よく見ると後ろの二人はこちらの方をみている。
俺を見ているようにみえるが、相手が一人減っているのだから、後ろに回った奴を警戒しているのだろう。
員数で勝っているはずの幕府側がなかなか仕掛けない。
源三郎は考えた。追われ側が玉砕覚悟で一人を逃がした可能性もある。
幕府側は後続の到着を待っているんだろう。
来なければ一人に後をとられたことになり、仲間が追いついてくれば相手は一人を逃がして、身を賭して時間稼ぎをするということだろう。
その場合はもう追いつくこと無理だろう。
(へへ~・・・、幕府の奴らも焦っているだろうな)
時の経過からすれば、後ろがやられたという結論になるころだ。
もう、一気に開戦するはずだ。
幕府側の後ろの二人に殺気が発散されてきて、後ろと横に注意を払っている。
自分の方を見られているようだ。
(また、間違えられたら、たまったもんじゃねえからな。後ろに回ったやつはどこにいやがるんだ)
考えをめぐらした。後ろの奴は、横から行くのではないのか。それも、戦闘が始まってから様子を見て側面から攻める。
それを察知しているから、幕府の後ろ二人は前の戦いには参加できないのだろう。
追われ側は一人でも逃げ伸びればいいと、捨て身に違いない。
まずはどいつが、どんな技でしかけるかを見ることにした。それまでは木の上から見るしかなさそうだ。
まだ、間隔は十間ほどある、切り合いの間合いではない。飛び道具を使ってくるのか。
幕府側は忍びとはいえ、武士の体をしている。それほど、武器はもっていないのではないかと予想した。
追われ側の方が武器はしこんでいるだろう。
(人数は幕府側が五対三で有利だが、二列目の二人は後ろに回ったと思われる奴に気をとられているのだろう。
こりゃ、おもしれえ戦いだ)
動いた。
源三郎からみて、右翼の追われ側の奴が何か礫を放ちながら、対面の相手に向かって突進していった。
(あいつは相打ち覚悟で対するつもりだ)
それを合図のように、追われ側の中央の奴が何か放った。
幕府側の真中と左翼に数発ずつ、信じられないようが速さだった。
しかしまだ、間合いがあるので、幕府側の二人は体をさばいて躱したり、刀でたたき落とすことができた。
その時、追われ側の左の男が身をかがめながら右手に何かをもって前進して、右側に体を倒しながら投げた。
鎖のようなものが低い軌道で飛んで見事に幕府の左の男の左足首を捉え、一気に引き絞って転倒させた。
(これを狙っていたんだ、最初の礫はおとりだったのだろう)
そこへ追われ側中央の男が前進しながら苦無を先ほどのように、すざましい速さで放った。
倒れている幕府側の左翼の男の顔面に数発叩きこまれた。
(早へ~、なんだ、こいつら)
と思って目を移すとさらに驚愕の場面があった。
追われ側中央の男が倒れていて、幕府中央の男がさらに左側の鎖の男に向かおうとしていた。
源三郎が鎖の登場に気をとられて左翼に目を凝らしているときに、幕府中央の男は一気に間合を詰めて相手側中央の男を一刀のもとに仕留めていたのだろうが、あの間合を詰める速さは尋常でない。
右翼の方は、予想通り追われ側の男が決死の切り込みをかけたようで、すでに体が接してもみ合いになっている。
それでも、後ろの二人は加勢しなかった。
(なんて奴等だ)
その時、短い矢のようなものが、幕府中央の男を襲った。
(やっときやがったか)
源三郎から見て左側からだった。源三郎や幕府方の後ろ二人のよりやや前で張っていたのだ。
よし、前にいって見るぞ。木から降りて、藪の中を慎重に前進していった。
静かになっていた。
(戦闘はやんだのか)
幕府側の後ろの二人が中央の男を介抱しているように見える。
その二人も傷を負っているようだ。あの矢にやられたんだろうか。
多分、中央の男が頭なのだろう。左の腿に矢が刺さっていた。
形状は矢と変わらないが、長さは三寸ほどですべて鋼のようだ。
独自に作成した短距離用の飛び道具なのだろう。
もう、追撃はあきらめたのだろう。追われ側も逃げ延びたと見える。
ただし、仲間の始末まではかなわなかったはずだ。いろいろと痕跡を残してしまうことになるだろう。
おそらく残ったのは、追われ側は鎖の奴と後ろからきた弓の奴、幕府側は頭と二人ということのようだ。
(痛み分けだな)
(早くこの場を立ち去って姥子に向かおう。
幕府側はあの中央にいた頭と思われる奴が重傷でなければ、一人が仲間がいる近い所まで走って仲間を呼んできて、現場の始末をするはずだ。
さっき倒した三人は使い物にはならないと思うが、湖尻あたりに常駐している奴はいるだろう。
その連中と出っくわすわけにはいかない。まだ、三人は座り込んでいる。先にいかなくては)
源三郎は走りだした。すでに日は落ちている。
立ち去る前にかすかに、「軒猿」という言葉が聞こえた。
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