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箱根の黑躑躅~源三郎 黄金探索記1 (3,4、終章)
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<第三章 姥子>
すでに日が落ちていて人通りも少ないので周りを警戒しながらゆっくり走った。
湖尻峠から姥子までは、二里もない程である。
途中、特に幕府の役人に呼び止められることもなく、戌の刻(午後八時)頃に姥子の宿にたどり着いた。
番頭に案内させ、部屋にいくと三人が待っていた。
「早かったな。無事にたどり着いたようだの。武器は大丈夫だったか」
「ケッ、俺よりお前らの荷物が大事ってことか」
「なんか、あったかい?」
「おお、大ありだぜ。あとでゆっくり報告するわ。今日はもう仕事はねえのか?」
「ああ、今日はゆっくりしてもらっていいぞ。ここも安全だから、まずは湯につかってきていいぞ」
「それはありがてえな。じゃあ、ちょっと行ってくるわ」
岩風呂のような露天の湯につかった。
(いや~、気持ちいいな)
甲賀を抜けてからは高山に登ったりしながら近畿から信越、関東を彷徨ってきた。
猟師や山の民の邪魔をしないよう、獣、魚、山菜などを捕獲して自分で食べたり、ものによっては里で売ったりして味噌、塩、穀類などと交換することもできた。猪や鹿の肉は結構いい値で買ってもらえた。
金があるときは、よく山あいの湯宿でゆっくりした。
戦場や忍び探索などばかばかしくなってくる時だった。
それでも、鍛錬は欠かさなかった。信濃・甲斐・相模の名だたる山はあらかた登った。
ゆっくり風呂に入って部屋に戻った。
「ところで表街道はどんな様子だったんだ。こっちはずっと山の中だったからな」
「人は思ったより多かったわ。商人、旅人、牢人、修験者など雑多だ。
幕府の役人らしき奴もみかけたが、あまり取り締まっている感じはなかったな。
まあ、中には黄金探しの奴等もいたんだろうが、特に気になることはなかった。」
宿というほどでもない、湯屋のようなところだが、夕餉は川魚や山菜、猪鍋など旨いものが並び、酒も好きなだけ飲めと言われた。たっぷり金を積んで準備させたようだ。
明日は忍び活動はないということだった。
「まずは、源三郎の出会ったことを報告しろ。それによっては予定を変更するかもしれんからな」
源三郎が湖尻峠での経緯を語った。
源三郎が語り終えたあと、付け加えたのは、幕府方の頭と思われる剣士についてだった。
「とんでもない技量と速さを持った剣士だ」
「太刀筋をみたのか」
「見きれなかったよ。鎖を使う奴が出て来たので、どんな使い方をするのか興味があって、倒された幕府側の相手に苦無がぶち込まれるまでじっと見てしまったよ。
そのあと、中央の方に目を向けたら、倒れた幕府側の奴に苦無をぶち込んだ、追われ側の中央の奴が両断されていた。あの間合からの距離を考えると、尋常な速さじゃねえ」
経緯を聞いた権助が言った。
「おそらく柳生の裏の奴だろうな。あと軒猿については越後からみという意味だろう」
「そうだろうが、なんで軒猿と思ったんだろうな」
「幕府の生き残った二人は年かさはどんなもんだった」
「結構、いっていたな。権助さんと同じくらいかな」
「だったら、そいつらのいずれかが、軒猿とやったことあるか、話を聞いたことがあってさっきの鎖の技か苦無の特徴などを知っていたのかもしれんな。
軒猿と裏柳生とはややこしいことになってきたな。幕府の奴らは松平忠輝公がまだ絡んでいると読んだかもしれん」
「しかし、忠輝公も長安の件で謀反の疑いをかけられていながら、まだやるかね」
―軒猿―
軒猿は上杉謙信が関東・信濃地域で武田、北条などと各地で熾烈な戦闘を行っていた頃、忍びの中心となっていた集団だ。
謙信の没後、上杉景勝が後継となっており、秀吉の時代には五大老となっているので、諜報活動はまだ重要だったはずである。
慶長3年(1958年)、秀吉の命により会津120万石に加増移封された。
その折に軒猿の軍団が会津に呼ばれたのか、越後に残ったかは不明である。
現在の藩主は家康の六男、松平忠輝である。慶長15年(1610年)よりこの地を収めている。
越前の前田家を抑えるために一族を越後に配したという思惑があったためとも言われている。
―柳生新陰流・裏柳生―
柳生家は、秀吉の時代に奈良・柳生の荘を没収の憂き目にあっている。
その後、柳生宗矩が父親石舟斎とともに家康に謁見して、その技を披露して認められ、家臣として取り立てられ、宗宗矩が二代将軍秀忠の兵法指南役に迎えられ、出世を遂げていく。
柳生新陰流の正流は、石舟斎の孫(宗矩の甥)兵庫介に引き継がれ、その後、御三家の尾張家の兵法指南役となり尾張柳生家となる。
家康は徳川幕府を開いたおり、本能寺の変後の伊賀越えでの徳川家への協力や、関ケ原での甲賀の協力に対して伊賀・甲賀へ報いる形で、江戸城を守る部隊として召し抱えた。
幕府のご流儀となった柳生新陰流は外様・譜代を問わず各地の兵法指南役として抱えられた。
ここで、宗矩は一部の柳生一派の剣士に忍びの術を習得させ、全国の大名たちのもとに送り込み、諜報活動を行わせた。
また、伊賀・甲賀の忍びたちも柳生家の藩士として、または市井の者として全国の大名家に潜りこませた。
正式に幕府惣目付として、老中、諸大名の観察役となるのはかなり後のことであるが、
宗矩はこの頃より家康・秀忠公認の元、大老など幕府幹部とは別に柳生・伊賀・甲賀の合同による裏組織の構築を着々と推し進めていた。これが、裏柳生の所以である。
源三郎の報告をきいた権助は考えた。
山伏たちの件は箱根神社からみに間違いないと読んだ。
箱根神社の探索は依頼主よりの個別項目のひとつであった。
その追われていた山伏姿がどこで、なにをつかんだかかが問題だったが、白昼、本殿もしくは庫裏などの探索に成功したとは考えづらいが、幕府側があれだけの員数を繰りだしたことを考えれば何かつかんだか、あるいは入ってほしくない所にでも迫ったのでないか。
もしそれが箱根神社にからんでいたら探索には相当な危険が伴うと見た方がいいだろう。
追われていた連中が戻って来ることは考えられないが、別の一派もあり得るので、警備はより強められている可能性が強い。
それと、裏柳生と思われる剣士とその配下たち、おそらく伊賀か甲賀の者だが、そいつらが張っていれば脅威だ。
「依頼者からの指定で箱根神社は中まで探るように言われていて、夜陰に忍ぶことを予定していた。
だが、源三郎が出くわした件を考えるとまずは見合わせたほうがいいだろう。
明日、参拝者を装って箱根神社の様子を見に行く。まだ、日程には余裕がある」
「そんな探索でいいのかい?」
「いろんな噂が飛び交っていて、そんなものを大金持ちや大名の元へもってくる輩が沢山いるわけだ。
多分、依頼者もいろんなネタを数多く持ち込まれていて、今はその選別をしている最中ということだろう。俺達はその中の一コマであるだけだ。お前らの命までかけさせるつもりはねえさ。
源三郎が出くわした、幕府の連中や相手の決死の覚悟など俺は求めていないさ。
だから、俺の報告も、例えば、そこには何もないかことが分かっただけでもいいわけだ」
「権助さんにしちゃ随分やさしい配慮じゃねえか」
源三郎はこのとき、鳶と平蔵が初めて少しにやついたのを見た。
翌日、一行は最初の商人の体をして朝からゆっくりと箱根神社に向かった。
<第四章 箱根神社>
箱根神社は、奈良時代の七五七年、修験道に精通した僧侶の万巻(満願とも)によって建てられたと言われている。この頃から修験道の霊場となっていた。
修験道は、神と仏が結びついた神仏習合の信仰で、古代から箱根山に対する山岳信仰は盛んであった。
伊豆に流されていた源頼朝も崇敬し、治承四年(1180年)8月24日、石橋山で大庭景親らの平氏方に敗れたときには箱根神社の勢力に大いに救われ、その後真鶴から房総へ逃れ、源氏再興の軍を起こした。
それがあり、頼朝は鎌倉幕府開府後も箱根神社を重んじた。
当時の参道がいまハイキングコースとなっている湯坂道である。
箱根湯本から、浅間山、鷹の巣山などを経て芦の湯で国道一号線に合流するするルートである。
戦国時代、関東を席巻した北条五代の時代には、早雲の四男玄庵が別当になるなど、北条家とも厚い関係であった。
天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原征伐の際に焼失したが、江戸幕府開府後に徳川家康が社殿を再建した。
鎌倉時代より、武家に敬われた名刹である。
現在の社殿は昭和11年に改築されたもので、鬱蒼と茂る杉木立の中に朱塗権現造の社が美しい。
昭和39年(1964年)、西武鉄道の創始者の堤康次郎氏が、箱根の神様に奉納した社殿である。
余談であるが、昭和初期から箱根の観光地化に向けて、西武と東急の熾烈な争いが展開していた。
先の堤氏の西武グループに対して、小田急、それをバックアップする東急の創始者五島慶太氏率いる現在の東急グループの対決だった。
ようやく1968年に箱根地区におけるバス路線の相互乗り入れにおいて、今後は友好的に協力し合うことを確認し、協定書に調印が行われた。
この時点で、箱根における西武グループと小田急グループの企業紛争は終結した。
その名残で現在も、鉄道・バス・ロープウェイ・遊覧船などにおいて二系統の箱根登山鉄道と伊豆箱根鉄道が混在している。
ただ、旅行者の皆様には不便ないよう配慮されているので、ご安心を。
鳥居をくぐり、本殿にゆっくりと向かった。
両脇に小さな庫裏のようなものいくつかあった。神事で使用する宝物や機材などが収められているのであろうか。
権助と平蔵は特にじっくりと観察しているようだが、源三郎は周辺の木々に注意を払っていた。本殿まできた。
商人や旅人などが数人参拝している後ろに続いて参拝した。
さすがに本殿の奥には武士の姿はみえなかったが、本殿への参拝者から見えない所にはいるかもしれない。
ここに何かがあるのか・・・
外には遠巻きに武士姿が数人いるが、小田原藩から警備に派遣されたものだろうか。
ただ、静寂な社の空気の中に殺気が感じ取れた。
小田原藩の藩士以外に、柳生・伊賀・甲賀の奴らがいるように感じ取れた。
参拝した後、参道を戻りながら両脇の庫裏、杉の大木などをじっくりみながら湖畔に向かった。
特に藩士に呼び止められることもなく、湖畔についた。
箱根神社から姥子までの道筋をじっくり観察しながら、姥子の宿に戻った。
権助が今後の予定を話した。
実は先乗りでもう一人全体の様子などを探索させているという。
忍び活動はしていないが、俺達が泊まった宿なども全てそいつが泊まって、点検して宿にもたっぷり包んで融通利かせるようにしてある。
三島もそうだったが、ここも安全で武器や衣装も隠しておける。
さすがの用意周到さに鳶と平蔵も驚いた様子だった。
鳶と源三郎は湖から向かって左の参道脇の藪の中を行ってくれ。おれたちは右側から行く。
本堂の中と床下を探る予定だが、幕府の奴らが張っていたら本堂へは入り込まん。
「それぞれの眼で観察すればいい。気になったことを覚えておいて、後で報告しろ。
あと、幕府側の警備が厳重なら、すぐに逃げろ。やばくなったら、火を放つ。平蔵は火術の達人だ」
「おい、箱根神社に火を放つのか?」
「勿論、大丈夫だ、一部燃やすだけだ。平蔵とは十分打ち合わせしてある。
ただ守り側にしたら大変なことだ。いくら賊がやったとしても、本堂にまで延焼でもしたら大変なことだ。
頼朝公、北条五代、徳川幕府も厚く扱う名刹だ。やつらは火消しに回らざるを得ないはずだ。
この作戦は守り側も想定しないはずだ。」
「いいじゃねえかい。幕府のやつらが守りを固めているところが怪しいってことか」
「俺の見立てでは、お前が見た、追いかけられていた山伏の連中の目指したのは箱根神社で間違いないと思われる」
「幕府側の奴等が守りを固めているところがあったら、よく観察してくれればいい」
「分かった。あと、昨日言った裏柳生の剣士らしい奴とは絶対にやるな。まず逃げろ。
権助さんはじめ、鳶さん、平蔵さんが忍びの達人だということは俺でもわかる。
だがあいつはやばいぜ。忍びの達人は剣の達人などには負けないと皆さん思っているだろうが、あれは物の怪に近いぞ。間合十間くらいでもやばいからな。苦無で打てるなんて思うな。」
「俺たちはそいつを見ていないんだぞ」
「背丈は俺より少し低くてやせ型でまあ美男子の顔立ちでかなり若い、あんたたちなら見れば一目でわかるよ。やばい使い手の匂いが強烈にするやつだ。まだそのあたりの修行が足りてねえ若さが弱点だろう。
あと左腿に一発くらっているが、動きは鈍いかもしれんが、油断は禁物だぜ」
早めの夕餉を摂ってしばらく休んだ。
俺と平蔵、源三郎と鳶、二人一組で行く。
亥ノ刻(午後十時)頃に出発した。各自、忍び装束となり、己の武器を装着した。
漆黒の闇の中をすすんで、箱根神社の脇にたどり着いた。
てはずはず通り、二手に分かれて本殿に向かった。
鳶と源三郎はゆっくりと進んでいった。
何か小さな建物が見えてきた。人の気配はない。
「鳶さん、何か匂うかい?」
「こんな静寂は久しぶりです」
「ほんとだな。俺でも何か神様にちかくなったような気がする」
昼間確認した神事に使う道具などを収めてあるであろう蔵のような建物がいくつか見えてきた。
みな、黄金を隠すにはいいところと思えてきた。
「鳶さん、俺は考えたんだけど、黄金の量がどんなものか分らんけど、佐渡や八王子から、箱根の山中に穴掘って埋めるなんて考えられないだろ。隠すなら、すでにある建物の中やその地下なんかに持ち込むほうが順当だろう」
「私も同感です。ここあたりの庫裏などは一番あやしいんですが、徳川幕府も手厚く保護した所で、皆小さな建物なんで、十分に探索できたはずなので、ここにはないんじゃないでしょうか」
「全く、そうだな。本殿だって幕府が人を使えば、すみからすみまで調べられただろうからな」
権助と平蔵も暗闇の中、右側の森をゆっくりと進んでいった。
本殿が近づいてきた。本殿の前が、広場のようになっている。
いた、本殿の前に5人の武士がいた。
中央に例の細身の剣士がたっていた。
「あいつがやばい柳生の剣士だな」
平蔵が答えた。
「私が見ても、相当な使い手とわかります。いままで見たこともない剣士です。他の者も忍びのようです」
「そうだな、源三郎の言うとおりだ。本殿への探索はむりだな。」
その時だった、右わきから礫が襲ってきた。
右にもいたのか?員数も大分いるようだ。
右方からに立て続けて撃ち込まれながら、平蔵がすかさず苦無を相手からの発射方向へ打ち込んだ。
それに続いて、権助も立て続けに打ち込んだ。
平蔵はすでに火薬の準備を始めた。
右からの攻撃に対して、まずは一発火薬玉を放った。
相手のいるあたりで爆発した、飛び道具の攻撃は一時やんだ。
これは、源三郎チームへの合図も兼ねた攻撃だった。
本殿前の五人が動き出した。
始まったか。
権助さんのほうだ。本殿前とは別に守備隊がいたんだろう。
いくぞ。
源三郎と鳶が走り出した。
「鳶さん、例の裏柳生の剣士にかかったら権助さんも平蔵さんもやばいぜ」
鳶が言った。
「平蔵が火を放てれば、逃げ切れると思います。そこは権助さんの裁量にかけるしかないです。
われらはとにかく奴らをかく乱しましょう」
「分かったぜ、鳶さん。やってやるぜ」
「鳶さん、細かいこと言っている暇はねえんだけど、俺は木の上から礫で相手を打つのが得意なんだ」
あの本殿前の五人組を迎え撃つ。
「木に登って、礫でやるから、倒れたやつがいたらとどめを刺してくれ。
ただ、動けそうもない奴はほっとけばいいぜ。無理しないでくれ」
「わかった」
鳶は腰の袋から、暗闇の中にぎらりと光る千枚通しを大きくしたような武器を出した。
刃渡りが五寸ほど、柄が一尺ほどの変わった武器だった。
「けっ、鳶さん、すげえいいもの持ってんじゃねか」
源三郎たちが本殿ちかくに迫った時には、まだ相手の守備隊は本殿前にいた。
5人が横一列になっていた。中央にあの裏柳生と思われる剣士がいた。
右手のほうで、戦闘が行われて様子だが、本殿前の5人は動こうともしない。
もちろん、右手の戦闘は幕府方と権助・平蔵ということだ。
「鳶さん、あいつら五人と正面切って戦うには勝ち目はねえぜ」
「権助さんのほうも、多分相手の方が、多勢とみられますが、そろそろ平蔵さんが火薬を使うと思います」
「どういうふうにやるのかな」
「右翼の今二人がいまいる所より一番近い小さな建物をまずは燃やし、その近くの本殿よりの大木に燃え移るようにし、本殿に延焼するように仕掛けると思います。
また、通ってきた藪の中から近い建物にも仕掛けはしてあると思います。芦ノ湖に向かっても火は走ると思います。」
そうすれば、本殿前の部隊がそちらに向かうはずです」
「そうか、本殿前の五人が向かうとしたら、あそこの杉の木あたりが絶好だな」
「もう行っていいと思います」
「よし、いくぜ」
源三郎は走りながら、鍵爪を両手に装着した。
礫はすでにたっぷりと用意してある。
目的の杉の木の下から、鍵爪を使ってあっというに木の7分目当りまで登った。
こりゃ、絶好のところだぜ。本殿前の守備隊がこの下を通って、権助たちに向かっていくところを襲撃するには最高の場所だ。
あとは、平蔵が火薬をうまく使えるかどうかだが。
鳶がいうには、とんでもない火薬使いのようだから、信じて待つしかないな。
爆裂音が響きわたった。
~きたぜ、平蔵さんやってくれたか~
本殿前の5人が動き出した。
権助たちが争っている、右側の林に走りだしている。
あの柳生の剣士も最後方から周りを警戒しながら最後尾についている。
さすがだな。あの爆裂騒ぎを陽動作戦とみているにかもしれん。
まあいいさ、とりあえず着たやつは全部ぶっ潰す。
いろんな石を用意してきた。
手のひらいっぱいから、指先大まである。
まずは、三人が右手の戦闘場所に向かっていった。
全速力ではなく、周りを警戒しながらゆっくりと走っている。
~来たな~
先頭の男に対して、相手の進行方向と速さを見極め、一番大きい石をつかんでふわりと落とした。
自然に落下していく石に相手は全く反応できなかった。
見事に脳天からあたって倒れた。
柳生の男ともう一人が最後尾からきているが、先頭の状況が見える位置にいないようだ。
やはり本殿が気になっているのに違いない。
源三郎はここが好機とみて、残りの二人に礫を叩きこみ、うずくまったところを鳶が素早く始末した。
あとから来た、柳生の剣士ともう一人の連れは絶句した。どうゆうことだ?
先の林の中で味方が戦っているのと別に、ここに敵がいるとは。
幕府の二人はまだ、倒れた仲間の体を検分していないので、鳶の存在には気づいていないだろう。
その時、呼子のような音が聞こえた。
~やばい、まだ後ろに兵隊がいるんだ。退散だ~
鳶さんと合流しなければ。
あの二人と、後ろからも援軍が来れば、鳶さんでも逃げ切れない。
後続がきているのは分っているはずだから、うまく身を隠してくれれば。
平蔵さん、もうちょっと派手にぶっ放してくれ。
一回、爆破音は聞こえたが、まだ建物に火は上がっていない。
あの柳生の剣士と後続の連中が鎮火にかかってくれないと厳しい。
権助と平蔵は、右手からかなり本殿に近いところまできていた。
右からの攻撃は、平蔵の爆裂弾で今はやんでいた。
呼子の音が聞こえた。まだ、後続がいるようだ。
源三郎と鳶の組も何人の相手をしているかわからなかった。
平蔵、撤収だ。火の準備は大丈夫か?相手を倒すことはいらんぞ、建物を燃やせばいい。
「今日の参拝のおり、建物・木の様子はしっかりと見ておきましたから、準備はできております」
来る途中通ってきた、建物とその間の道には油と火薬を仕込んでおります。
ここから、火を放てば来た途中にあった建物が続けて燃え上がります」
~さすがだな~
「できればその建物と一番近い本殿側の大木に燃え移るようにしようと思います」
「よし、それは俺がやる。おまえはとにかく早く準備しろ。そこの庫裏とあの木の間に油をまけばいいか」
「はい、これを使ってください」と油の入った竹筒を渡した。
「もういいですか。あっちの二人は大丈夫でしょうか」
源三郎と鳶は建物が燃えれば、退散するはずだ。無事に逃げてくれることを願うしかない。
「俺があそこの木までいったら火をつけろ」
「それでは、権助さんが危険です」
「おい、根来の権助だぞ。逃げるのなんぞ訳ねえよ」
平蔵はすぐ、脇にあった小さな建物に火を放った。
すぐ脇の本殿寄りの大きな杉の木に向かって権助が敷いた油の筋が走った。
さらに、蛇のように火の筋が湖側の建物に向かって走った。
権助が言った。
「火が回る前に、湖に向かって走るぞ。奴らより前を行く」
源三郎が慎重に木から降りようとした時に右手に火の手が見えた。
源三郎のいる木の上からは一件目の建物から火が上がってからすぐに、
道を走る火の筋が見えて、あっという間に隣の建物に向かっていった。
向こうの二人は、あの火走りの前を芦ノ湖まで一気に下るはずだ。
(さすがだぜ、平蔵さん。あとは鳶さんと会って、一気に逃げるぜ)
相手側を警戒しながら、木を下った。
あの裏柳生の剣士は、幕府側の守備隊の隊長のはずだ。
あれだけの火の手が上がれば、向かわざるを得ないはずだ。
鳶さんはまさか前に向かうはずない。
俺たちから見て、右手が大変なことになっている。
左手脇の藪の中あたりにひそんでいるはずだ。
源三郎は素早く木を降りた。
源三郎は木から降りて藪の中に入った。
周りに敵の姿はない。しかし用心しながら、「鳶さん、下るぜ」と低い声で言った。
「周りに敵はいねえ、逃げるのは今だ」
鳶の姿は見えなったが、藪をゆする音が聞こえた。返事だろう。
~よし、行くぜ~
藪の中を行くか、一気に下れる参道を行くか迷ったが、速さをとって、参道に出て全速力で下った。
鳶も無事に追走している。
箱根神社から芦ノ湖湖畔までは、わずか半里程度である。
湖畔に守備隊がいるかどうかが不安であった。来るときは湖畔の大分手前から林の中にはいったので湖畔の様子は分らない。
火の手は上がっている。
幕府側の後続の部隊は本殿への延焼を防ぐためにとられるはずである。
当時は消化栓などないから、燃えている建物や木を倒すしかない。
庫裏はともかく、本殿よりの杉の大木などに引火すれば、風向きによっては鎮火は容易でなくなる。
あの裏柳生と思われる剣士がどう判断するかだ。
もし、追って来たら今の差などないに等しい。
火消しを優先するか、賊を始末するかだが、今日の俺たちは本殿には入っていない。
途中であきらめて、撤退したと考えるだろう。
やはり、ここはまずは火消しを優先するはずだ。いや、それを願っていた。
すぐに芦ノ湖が見えてきた。
若い剣士は、柳生新之助という。
柳生の荘の農家の生まれで幼い頃から柳生道場に通っていた。
細身であったが身長は同年のものより大分高く、太刀筋の速さは際立っていた。
十三の頃、道場を訪れた江戸からの宗矩の弟子が稽古をつけたおりに立ち会った。
さあかかってこいと合図をしたとき、瞬きする間もなく目の前にきて竹刀を構えて打ち込みの態勢となり止まっていた。
少し、笑ったように見えた。江戸から来た柳生の高弟は、こいつは何者だと驚き、江戸に紹介した。その後、江戸柳生道場で修行し柳生の名をもらうとともに、まだ若いこともあり、宗矩の命により、隠密の修行も行い、将来最も強大な外様大名に送り込める人材として育てられていた。
新之助とともに本殿の中央にいたのは伊賀の組頭、楯岡三郎である。
三郎は幕府伊賀組の組頭で40絡みの男で、新之助がまだ若いので、年長の守備隊長をつけたのだろう。
「なんとか、本殿近くの大木は鎮火できたようです。庫裏のほうは今壊しにかかっています」
「じゃあ本殿は大丈夫ですね。あとは頼みます」
「私は下にいきます。奴らの姿がみたい」
「いいやまだ、本殿が安全とは限りません」
「私がいても火消しの役にはたちません。三郎さん、ここの指図はお願いします。私は賊を追います」
とりあえずの集合地点は現在の元箱根港のあたりだ。
振り返ると、本殿手前の庫裏あたりから火の手が見えたが、火は高くは上がってはいない。
本殿寄りの大木の上の方には火の手は見えない。勿論、あの大木が上まで燃えたら大変なことだ。
箱根神社全焼どころか、山火事まで起こしかねない。
(権助さんの指示で、俺達が逃げるのに必要なだけの火災を起こすように平蔵さんが仕込んだのだろうか。さすがだぜ、平蔵さん)
井戸などから、多少の水は供給出来るだろうが、燃えている建物と木を倒さなければならない。
相当な員数が必要なはずだ。
芦ノ湖湖畔にはやはり数人の武士たちがいた。
かわすか、倒すか、鳶が追いつてきた。
「鳶さん、権助さんたちを少し待つか」
「そうだな、湖畔にいる奴らも火のことが気になっているだろう。
多分、頭がいねえんで、判断できないなどだろう。
怪しい奴がいたら、捉えるか駄目なら斬れというくらいの指令しか受けてないんだろう」
「そのようですね。ちょっと一息いれましょう。」
「鳶さん、ここからどうするんだい」
「例の先乗りしている根来の奴が船を用意してあり、湖尻まで船で行きます」
「権助さん、大した作戦を立てているんだな。やっぱり、よっぽど金がよかったんだな」
「でも、俺にはそんなことなにも教えてなかったぞ」
「われらは、源三郎さんより一日前に合流しておりまして、箱根神社探索と万が一の逃げ方、先乗りの五一のこと、平蔵が火を使うことを聞いていただけです。
特に逃げるときの危険を配慮してのことです。皆の安全を配慮してのことですので理解ください。
ただわれらも、事の根っこが大久保長安の隠し金などとは聞いておりませんでした。
三島で聞いたときは驚きました」
参道のあたりから、権助と平蔵が見えてきた。後ろには追手はいないようだ。
それを見た、湖岸にいた幕府の侍が向かっていった。
五人だ。長刀を抜き放っている。
「あれは、権助さんと平蔵さんなら大丈夫かい?」
「ちょっとここからだと奴らの技量が分らんな。二人ぐらいはやったほうがいいかな」
「分った。俺が二人やる。鳶さんは二人を迎えてくれ」
こぶしで握れるほどの石を出した。
湖岸からやや上に向かったところの茂みに源三郎と鳶は控えていた。
丁度、幕府の連中が坂を上ってくる。
先頭の男の鼻の下あたりに石を叩きこんだ。
相手が体制を整える間もなく、二人目の男の鎖骨のあたりに礫を叩きこんだ。
さらにもう一撃、膝にも撃ち込んだ。
しかし、その間に残りの三人は勢いに任せてそのまま坂を上がっていった。
しばらくして権助と平蔵が坂を下ってきた。幕府側の三人を倒してきたようだ。
源三郎が叫んだ。「後ろはいねえか?」
「大丈夫だ。その先に船がいるはずだ。いくぞ」
その時だった。
一人の武士が走ってきた。皆が見た。閃光のように走ってきた。
数瞬まえに権助たちを見たときには後ろには誰もいなかった。
奴だ、やっぱり来やがったか。
俺が行く。皆が言った「源三郎やめろ、逃げるんだ」
「逃げたら、一人か二人はやられるぜ。大丈夫だ、逃げる為に戦うだけだ、顔を見られる前に先をいってくれ」
先に倒したふたりが、近くに倒れていた。権助が一番近くにいたので、頼んだ。
「権助さん、そいつから長刀を一本もってきてください」
幕府の剣士が迫ってきているので、目を離すわけにはいかなかったので頼んだ。
権助が倒れている幕府の藩士から長刀を引きはがして、源三郎のもとに走ってきて渡した。
「剣技で勝負するのか」
「挑発するだけですよ。多分奴は自分の剣には相当自身を持っていて、おそらく一度も負けたことはないでしょう。
ただ若くて、経験は少ないはずだ。いままで会った中では俺が一番強いと感じるはずです。
剣技で挑んでくるはずだ。
誘っておいて忍び技を放って、ひるませて逃げます。勝負はしないから大丈夫です。権助さんもう行ってください」
「わかった。頼む」
権助が鳶と平蔵を促して、元箱根方面に走りだした。
鳶が「一人で大丈夫ですか、四人でかかれば何とかなるでしょう」と聞いた。
「奴は一人の犠牲も出さない手を考えたんだ。何とかするだろう。大丈夫だ」
「剣の勝負に持ち込むつもりですか」
「剣の勝負に誘い込んで、忍びの技を繰りだして逃げる見込みだ。あいつは忍びの技もたいしたもんだが、実は剣術も達人の域だ」
権助が語ることによれば、源三郎は甲賀を抜けたあと、近畿より東の方に向かい自給自足で生きながら、山の中をうろついていた。
詳しいことは聞いていないが、あるとき大けがを負って山の中さまよっている時に老人に助けられ、その老人の草庵で養生させてもらった。
大分回復してきたころ、源三郎はこの老人は剣術の達人と感じてきて聞いた。
「ご老人は大層な剣術の名人でありませんか。私に教授ねがいませんでしょうか」
「お前は忍びの者か」
「もう抜けておりまして、ただの風来坊です」
「まあ、すきなだけいてもいいが、それほど教えることもないぞ」
どのような修業をしたのかは、源三郎は語らなったが権助は一度だけその凄腕をみたことがあった。
ある藩に潜入したおり、権助と二人で牢人の体でいたところ、五人の藩士に囲まれ話が聞きたい事があるので近くの神社まで一緒に来いと言われ従った。
「ぬしらはこの藩でなにをしている」と聞かれた。ただの牢人ではないと思われたようだ。
潜入前の設定どおりに返答したが、聞き入れられず番所へ連行すると言われた。
権助は強硬突破で逃げると決め、源三郎も権助の顔色を見てそれを悟った。
権助が「お断り申す」といいうと、五人がすぐに抜刀した。
権助と源三郎はこのような状況は想定していなく、連携は打ち合わせしていなかった。
お互いの裁量でいくしかなかった。
権助はいきなり、前を向いたまま後ろへ下がりながら走って苦無を放った。二人の顔面に突き刺さった。権助はこれを見た源三郎は動きながら同じように苦無を放つかと思ったが、源三郎はその場に佇んで抜刀しないまま左腰のつばのあたりに右手を置いていた。二人が上段に構えながら突進していった。
源三郎が腰を沈めたあと、刃の煌めきが見えたと思ったが、その後には二人が倒れていた。
源三郎に相手二人が襲い掛かった時には、権助はすでに苦無を放ち終わっていたので、この一瞬はしっかりみていたが、刃の煌めきが一瞬見えただけだった。
これは噂に聞く、抜刀術か。
残りの一人は恐れをなして逃げ去ったので、二人は悠々と逃げ去った。
知識豊富な権助だが、抜刀術については話に聞きおよんでいる程度で、勿論みたことなどもなかった。
源三郎が世話になったのは、その道の先駆者で達人の林崎甚助ではないかと権助は思っていた。
ー林崎流抜刀術ー
林崎甚助は1542年、出羽国楯山林崎(現・山形県村山市林崎)で生まれた。父は浅野数馬、幼名民治丸。1547年、父が坂一雲斎に恨まれ、夜更けに碁打ちの帰宅中を闇討ちされ、仇討ちのため楯岡城の武芸師範東根刑部太夫について武術に精進し、1556年、林崎明神(熊野明神)に参籠し祈念した所、神より居合の極意を伝授されたという。その後1561年、齢19にして仇討ちを果たした。
その後、諸国を廻国修行する傍ら幾多の弟子を育てていて、その途中で加藤清正に招かれ加藤家の家臣を指南したとも伝えられる。
林崎新夢想流の伝書には、林崎甚助は塚原卜伝より鹿島新当流も学んだと伝えており、伝書にも卜伝流剣術の目録が存在している。また、鞍馬流剣術の伝書においても林崎甚助が第2代として系譜されている。他にも多くの流儀を学んだとされる。
元和3年(1617年)、70代にして諸国へ再度廻国修行に出て、その後の行方は知れないという。
林崎甚助の弟子には、田宮重正(田宮流開祖)、関口氏心(関口流開祖)などがいる。
甚助が神託を得た林崎明神は、仇討ちの帰途、信国の太刀を奉納されたと伝わる。現在では林崎甚助も祀られて林崎居合神社と呼ばれている。
「源三郎が俺たちを逃がし、抜刀術の構えで待ち受ければ奴は間違いなく柳生新陰流で勝負しようと向かってくると読んでいるんだ。おそらく剣技で負けたことのない奴だ。そこでさらに奴を挑発して、若さにつけこむってわけだ」
柳生新之助は箱根神社からの坂を自慢の快速で下ってきた。昨日、くらった左腿に痛みは残るが、走ることは出来た。
湖が見えてきたころ、まずは湖岸守備の者が三人倒れていた。通りすぎると、さらに二人。「む・・・」
神社周りの火災といい、守備隊の死傷者といい思った以上の被害だった。奴らは何者だ。
その先、四人が見えてきたので、一旦止まった。賊は三~四人と思われたが、分散して多方面に逃げたと読んでいた。一人でも補足しようと早く走れる主参道を下ってきた。まさか四人が集まっているとは思わなかった。
すると三人が逃げ出して、一人が残って刀をだらりと下げて立っていた。
(三人逃がして、一人で向かってくるというのか)
これまでの惨敗と相まって、怒りの気持ちが煮えたぎってきた。
(こいつを一撃でたおせば、まだ残りの三人を追える)
まずは、一気に差を詰めるべく走りだした。通常であれば、最後に一気に加速して、走りながら上段に振りかぶり一気に両断だが、しかし五間ほどのところで急停止した。本能だった。
敵は体を斜めにし、体に隠すように太刀を下段にして腰を落として構えている。これまで感じたことのない殺気とすきの全くない構えだった。すると相手が語りだした。
「やるかい。きのう左腿にくらったせいか、走るのが少し遅かったじゃねえかい。いまなら俺の方が速そうだから、逃げてもよかったんだけどな」
「きさまら、どこの者だ」
(大分、熱くなってきたな)
「こっちも聞きたいよ。なんで箱根神社をあんなに警備しているのだ」
「・・・・・」
「まあ、お互い言えないな。軒猿の件は何か分ったのか」
ますます挑発した。動揺と怒りが明らかにみえてきた。
「俺たちは大体読みきったぜ」と出まかせもかました。
「もう、仲間も逃げ切れるだろうから、そろそろやろうぜ」
新之助は昨日の経緯を見られたうえに、ここで時間稼ぎをさせられ、仲間を逃がしたことが分かって怒りは頂点に達した。
切り込みの態勢い入ったが、相手のスキのなさは今までに経験したことのないもので、体の影に隠れて太刀が全くみえなくなっている。
新之助は抜刀術に関しては全く知らなかった。
相手からは仕掛けてくる気配はない。こちらが動いたら後の先でくるのか。それは柳生新陰流の得意とするところである。それもこちらを知っているということの圧なのか。
新之助は相手の動きは無視して、真向からの一撃にかけることにした。
止まって対峙してしまった今、この相手とは良くて互角だ。左足のケガの分、分が悪い。
あとは己の太刀筋の速さに賭けるしかない。相手の柄にかかった右腕がかすかに動いた。
(こっちの意図をみとったか)と思い右手の手元に集中した時、右足に激痛が走った。
右腿に苦無のようなものが刺さっていた。激痛に思わず右ひざをついてしまった。それでも必死にとどめを刺しにくるのに備えた。
が、相手は振り向いて走りだしていた。
(逃げられた。おそらく足首あたりに膝から下の振りで飛びだせるように鋭い刃物を仕込んでいたに違いない。
視界には全身が入っていたが、こちらの意識が最も手首に集中している時を狙って放ったのだ。
足の振りは全く見えなかった。
最初から勝負などする気はなく、まずは仲間を逃がし、自分も逃げる策だったのだ。完全にやられた)
源三郎と同じくらいの歳の男が、湖岸に船を付けていた。五一という。
今回、先乗りで宿の手配をしたり、箱根全体の様子を探索していたものだ。
権助の親戚筋のもので、権助は忍びなどやめるよう言ったが、本人が望んだので幼い頃より面倒みていた。
忍びの術は十分達者であるが、他にその洞察力がたいしたもので、今回のように宿を特別な任務に使うについても、ただ金を積めばいいというものではない。
吉原の宿のように、古くから根来衆と関係があるところがあれば、当然同じように伊賀・甲賀や各大名に通じているところもあるのは当然である。
自分で検分して判断できる。
宿だけでなく、地形、街道、その町の治世状況を掌握することに長けていた。
権助が教えたのはごく一部であとは本人が自分で身に着けていったものだった。
「権助さん、よくご無事で」
「もう、皆無事でそろっている。早くだせ」
「源三郎、よく逃げられたな。助かったぜ」
「まあ、ぎりぎりに策通りにいったよ」
五一が暗闇の中、船をすすめていく。
源三郎は、月は出ているが、よくこんなとろこを、船を進めていけるものだなと思った。
山の中ばかりうろついているので、海や船は全くだめだった。やっぱり権助さんはすげえな。
<終章 仙石原>
湖尻に船をつけて、姥子まで歩いて向かった。
宿に入ったのは午前四時ごろだった。権助が指示した。
「とりあえず、ここは引き払うからな。
皆、疲れているかもしれないが、やつらも後始末で大忙しかと思うが、探索にやってこないとも限らんからな」
姥子の宿では一行は一睡もせずに、不要な荷物の処分を宿に頼んで、必要のものだけを持って早朝に出立した。
仙石原まで来た。夜が明けてきた。ここは坂東から西へ向かう主要路で、乙女峠を越えて御殿場に抜けている街道だ。
現在の国道138号線である。
権助が言った。
「今回はここで解散だ。皆、よく働いてくれた。依頼者への報告は十分にできる」
「だけど、謎は全く解けてないじゃねえか」
「謎解きを依頼された訳じゃねえ、今回は現地調査が請け負った仕事だ。これで十分だ」
「ただ、おまえ頭がいいところで、何か付け加えることないか」
「そうだな、気になったのは家康公がいつごろ箱根神社を再興させたかだ知らないが、大久保長安は土木・建築にも相当な知識があったといわれているだろう。
その箱根神社の再建に長安がかかわっていたなら、何か隠すにはもってこいだろう。
建設作業中に隠すのは、わざわざ、山の中に穴掘って埋めるよりよっぽど楽だろう。
ただ幕府が相当な探索をしたはずだから、箱根神社にはもうないと思うな」
「おい、どっちなんだよ。」
「俺達は湯本で少し休んで、江戸にいく。
この三人は小田原、鎌倉、江戸には来たこともないので、見聞させてやろうと思う。おまえもいくか」
「いや、別に興味はねえんで、とりあえず、甲斐の方へ向かう」
「また山歩きか。甲斐駒か千丈あたりか、それとも八ヶ岳の方か」
「権助さん、よく知っているな。行ったことあるのかい」
「ばか、あんな高い山に登る気などあるわけないだろ。それに、そんなところに行く仕事なんぞもないわ」
「はは、まあそうだな。気の向くままだが、今度の権助さんの仕事で沢山金もらったんで、山中湖あたりでゆっくりして考ええるよ」
「いい身分だな。大阪には行く気はあるのか」
「冗談じゃねえ、行かねえよ。勝敗は見えているだろう。ただ、忠輝公の動きは気になるな。
権助さんは商売があるならやる気なのか」
「まあ分らんが、真田の連中には義理もあるからな」
「呼ばれたら行くってことか。そりゃやばいな。鳶さん、平蔵さん、五一さん、大阪の戦には絶対入っちゃだめだぞ。こいつからいわれても断れよ。
西軍でましては真田の一軍になんぞに入ったら玉砕覚悟だぞ、戦場では権助さんの指示なんか通じないぜ。まずは、行かないことだ」
「おい俺はいつでも死に駒など用いない。配下の命を優先して、仕事も受けて、作戦も立てる」
仙石原で別れることとなった。
権助と配下三人は右の湯本方面に、源三郎は左の御殿場方面に向かう。
別れ際、「権助さん、もう目も悪くなって見えねえかもしれんが、そこの崖の下を見てみな。
黒い花が咲いているぜ」
「な、な、なに・・・」
すでに日が落ちていて人通りも少ないので周りを警戒しながらゆっくり走った。
湖尻峠から姥子までは、二里もない程である。
途中、特に幕府の役人に呼び止められることもなく、戌の刻(午後八時)頃に姥子の宿にたどり着いた。
番頭に案内させ、部屋にいくと三人が待っていた。
「早かったな。無事にたどり着いたようだの。武器は大丈夫だったか」
「ケッ、俺よりお前らの荷物が大事ってことか」
「なんか、あったかい?」
「おお、大ありだぜ。あとでゆっくり報告するわ。今日はもう仕事はねえのか?」
「ああ、今日はゆっくりしてもらっていいぞ。ここも安全だから、まずは湯につかってきていいぞ」
「それはありがてえな。じゃあ、ちょっと行ってくるわ」
岩風呂のような露天の湯につかった。
(いや~、気持ちいいな)
甲賀を抜けてからは高山に登ったりしながら近畿から信越、関東を彷徨ってきた。
猟師や山の民の邪魔をしないよう、獣、魚、山菜などを捕獲して自分で食べたり、ものによっては里で売ったりして味噌、塩、穀類などと交換することもできた。猪や鹿の肉は結構いい値で買ってもらえた。
金があるときは、よく山あいの湯宿でゆっくりした。
戦場や忍び探索などばかばかしくなってくる時だった。
それでも、鍛錬は欠かさなかった。信濃・甲斐・相模の名だたる山はあらかた登った。
ゆっくり風呂に入って部屋に戻った。
「ところで表街道はどんな様子だったんだ。こっちはずっと山の中だったからな」
「人は思ったより多かったわ。商人、旅人、牢人、修験者など雑多だ。
幕府の役人らしき奴もみかけたが、あまり取り締まっている感じはなかったな。
まあ、中には黄金探しの奴等もいたんだろうが、特に気になることはなかった。」
宿というほどでもない、湯屋のようなところだが、夕餉は川魚や山菜、猪鍋など旨いものが並び、酒も好きなだけ飲めと言われた。たっぷり金を積んで準備させたようだ。
明日は忍び活動はないということだった。
「まずは、源三郎の出会ったことを報告しろ。それによっては予定を変更するかもしれんからな」
源三郎が湖尻峠での経緯を語った。
源三郎が語り終えたあと、付け加えたのは、幕府方の頭と思われる剣士についてだった。
「とんでもない技量と速さを持った剣士だ」
「太刀筋をみたのか」
「見きれなかったよ。鎖を使う奴が出て来たので、どんな使い方をするのか興味があって、倒された幕府側の相手に苦無がぶち込まれるまでじっと見てしまったよ。
そのあと、中央の方に目を向けたら、倒れた幕府側の奴に苦無をぶち込んだ、追われ側の中央の奴が両断されていた。あの間合からの距離を考えると、尋常な速さじゃねえ」
経緯を聞いた権助が言った。
「おそらく柳生の裏の奴だろうな。あと軒猿については越後からみという意味だろう」
「そうだろうが、なんで軒猿と思ったんだろうな」
「幕府の生き残った二人は年かさはどんなもんだった」
「結構、いっていたな。権助さんと同じくらいかな」
「だったら、そいつらのいずれかが、軒猿とやったことあるか、話を聞いたことがあってさっきの鎖の技か苦無の特徴などを知っていたのかもしれんな。
軒猿と裏柳生とはややこしいことになってきたな。幕府の奴らは松平忠輝公がまだ絡んでいると読んだかもしれん」
「しかし、忠輝公も長安の件で謀反の疑いをかけられていながら、まだやるかね」
―軒猿―
軒猿は上杉謙信が関東・信濃地域で武田、北条などと各地で熾烈な戦闘を行っていた頃、忍びの中心となっていた集団だ。
謙信の没後、上杉景勝が後継となっており、秀吉の時代には五大老となっているので、諜報活動はまだ重要だったはずである。
慶長3年(1958年)、秀吉の命により会津120万石に加増移封された。
その折に軒猿の軍団が会津に呼ばれたのか、越後に残ったかは不明である。
現在の藩主は家康の六男、松平忠輝である。慶長15年(1610年)よりこの地を収めている。
越前の前田家を抑えるために一族を越後に配したという思惑があったためとも言われている。
―柳生新陰流・裏柳生―
柳生家は、秀吉の時代に奈良・柳生の荘を没収の憂き目にあっている。
その後、柳生宗矩が父親石舟斎とともに家康に謁見して、その技を披露して認められ、家臣として取り立てられ、宗宗矩が二代将軍秀忠の兵法指南役に迎えられ、出世を遂げていく。
柳生新陰流の正流は、石舟斎の孫(宗矩の甥)兵庫介に引き継がれ、その後、御三家の尾張家の兵法指南役となり尾張柳生家となる。
家康は徳川幕府を開いたおり、本能寺の変後の伊賀越えでの徳川家への協力や、関ケ原での甲賀の協力に対して伊賀・甲賀へ報いる形で、江戸城を守る部隊として召し抱えた。
幕府のご流儀となった柳生新陰流は外様・譜代を問わず各地の兵法指南役として抱えられた。
ここで、宗矩は一部の柳生一派の剣士に忍びの術を習得させ、全国の大名たちのもとに送り込み、諜報活動を行わせた。
また、伊賀・甲賀の忍びたちも柳生家の藩士として、または市井の者として全国の大名家に潜りこませた。
正式に幕府惣目付として、老中、諸大名の観察役となるのはかなり後のことであるが、
宗矩はこの頃より家康・秀忠公認の元、大老など幕府幹部とは別に柳生・伊賀・甲賀の合同による裏組織の構築を着々と推し進めていた。これが、裏柳生の所以である。
源三郎の報告をきいた権助は考えた。
山伏たちの件は箱根神社からみに間違いないと読んだ。
箱根神社の探索は依頼主よりの個別項目のひとつであった。
その追われていた山伏姿がどこで、なにをつかんだかかが問題だったが、白昼、本殿もしくは庫裏などの探索に成功したとは考えづらいが、幕府側があれだけの員数を繰りだしたことを考えれば何かつかんだか、あるいは入ってほしくない所にでも迫ったのでないか。
もしそれが箱根神社にからんでいたら探索には相当な危険が伴うと見た方がいいだろう。
追われていた連中が戻って来ることは考えられないが、別の一派もあり得るので、警備はより強められている可能性が強い。
それと、裏柳生と思われる剣士とその配下たち、おそらく伊賀か甲賀の者だが、そいつらが張っていれば脅威だ。
「依頼者からの指定で箱根神社は中まで探るように言われていて、夜陰に忍ぶことを予定していた。
だが、源三郎が出くわした件を考えるとまずは見合わせたほうがいいだろう。
明日、参拝者を装って箱根神社の様子を見に行く。まだ、日程には余裕がある」
「そんな探索でいいのかい?」
「いろんな噂が飛び交っていて、そんなものを大金持ちや大名の元へもってくる輩が沢山いるわけだ。
多分、依頼者もいろんなネタを数多く持ち込まれていて、今はその選別をしている最中ということだろう。俺達はその中の一コマであるだけだ。お前らの命までかけさせるつもりはねえさ。
源三郎が出くわした、幕府の連中や相手の決死の覚悟など俺は求めていないさ。
だから、俺の報告も、例えば、そこには何もないかことが分かっただけでもいいわけだ」
「権助さんにしちゃ随分やさしい配慮じゃねえか」
源三郎はこのとき、鳶と平蔵が初めて少しにやついたのを見た。
翌日、一行は最初の商人の体をして朝からゆっくりと箱根神社に向かった。
<第四章 箱根神社>
箱根神社は、奈良時代の七五七年、修験道に精通した僧侶の万巻(満願とも)によって建てられたと言われている。この頃から修験道の霊場となっていた。
修験道は、神と仏が結びついた神仏習合の信仰で、古代から箱根山に対する山岳信仰は盛んであった。
伊豆に流されていた源頼朝も崇敬し、治承四年(1180年)8月24日、石橋山で大庭景親らの平氏方に敗れたときには箱根神社の勢力に大いに救われ、その後真鶴から房総へ逃れ、源氏再興の軍を起こした。
それがあり、頼朝は鎌倉幕府開府後も箱根神社を重んじた。
当時の参道がいまハイキングコースとなっている湯坂道である。
箱根湯本から、浅間山、鷹の巣山などを経て芦の湯で国道一号線に合流するするルートである。
戦国時代、関東を席巻した北条五代の時代には、早雲の四男玄庵が別当になるなど、北条家とも厚い関係であった。
天正18年(1590年)、豊臣秀吉の小田原征伐の際に焼失したが、江戸幕府開府後に徳川家康が社殿を再建した。
鎌倉時代より、武家に敬われた名刹である。
現在の社殿は昭和11年に改築されたもので、鬱蒼と茂る杉木立の中に朱塗権現造の社が美しい。
昭和39年(1964年)、西武鉄道の創始者の堤康次郎氏が、箱根の神様に奉納した社殿である。
余談であるが、昭和初期から箱根の観光地化に向けて、西武と東急の熾烈な争いが展開していた。
先の堤氏の西武グループに対して、小田急、それをバックアップする東急の創始者五島慶太氏率いる現在の東急グループの対決だった。
ようやく1968年に箱根地区におけるバス路線の相互乗り入れにおいて、今後は友好的に協力し合うことを確認し、協定書に調印が行われた。
この時点で、箱根における西武グループと小田急グループの企業紛争は終結した。
その名残で現在も、鉄道・バス・ロープウェイ・遊覧船などにおいて二系統の箱根登山鉄道と伊豆箱根鉄道が混在している。
ただ、旅行者の皆様には不便ないよう配慮されているので、ご安心を。
鳥居をくぐり、本殿にゆっくりと向かった。
両脇に小さな庫裏のようなものいくつかあった。神事で使用する宝物や機材などが収められているのであろうか。
権助と平蔵は特にじっくりと観察しているようだが、源三郎は周辺の木々に注意を払っていた。本殿まできた。
商人や旅人などが数人参拝している後ろに続いて参拝した。
さすがに本殿の奥には武士の姿はみえなかったが、本殿への参拝者から見えない所にはいるかもしれない。
ここに何かがあるのか・・・
外には遠巻きに武士姿が数人いるが、小田原藩から警備に派遣されたものだろうか。
ただ、静寂な社の空気の中に殺気が感じ取れた。
小田原藩の藩士以外に、柳生・伊賀・甲賀の奴らがいるように感じ取れた。
参拝した後、参道を戻りながら両脇の庫裏、杉の大木などをじっくりみながら湖畔に向かった。
特に藩士に呼び止められることもなく、湖畔についた。
箱根神社から姥子までの道筋をじっくり観察しながら、姥子の宿に戻った。
権助が今後の予定を話した。
実は先乗りでもう一人全体の様子などを探索させているという。
忍び活動はしていないが、俺達が泊まった宿なども全てそいつが泊まって、点検して宿にもたっぷり包んで融通利かせるようにしてある。
三島もそうだったが、ここも安全で武器や衣装も隠しておける。
さすがの用意周到さに鳶と平蔵も驚いた様子だった。
鳶と源三郎は湖から向かって左の参道脇の藪の中を行ってくれ。おれたちは右側から行く。
本堂の中と床下を探る予定だが、幕府の奴らが張っていたら本堂へは入り込まん。
「それぞれの眼で観察すればいい。気になったことを覚えておいて、後で報告しろ。
あと、幕府側の警備が厳重なら、すぐに逃げろ。やばくなったら、火を放つ。平蔵は火術の達人だ」
「おい、箱根神社に火を放つのか?」
「勿論、大丈夫だ、一部燃やすだけだ。平蔵とは十分打ち合わせしてある。
ただ守り側にしたら大変なことだ。いくら賊がやったとしても、本堂にまで延焼でもしたら大変なことだ。
頼朝公、北条五代、徳川幕府も厚く扱う名刹だ。やつらは火消しに回らざるを得ないはずだ。
この作戦は守り側も想定しないはずだ。」
「いいじゃねえかい。幕府のやつらが守りを固めているところが怪しいってことか」
「俺の見立てでは、お前が見た、追いかけられていた山伏の連中の目指したのは箱根神社で間違いないと思われる」
「幕府側の奴等が守りを固めているところがあったら、よく観察してくれればいい」
「分かった。あと、昨日言った裏柳生の剣士らしい奴とは絶対にやるな。まず逃げろ。
権助さんはじめ、鳶さん、平蔵さんが忍びの達人だということは俺でもわかる。
だがあいつはやばいぜ。忍びの達人は剣の達人などには負けないと皆さん思っているだろうが、あれは物の怪に近いぞ。間合十間くらいでもやばいからな。苦無で打てるなんて思うな。」
「俺たちはそいつを見ていないんだぞ」
「背丈は俺より少し低くてやせ型でまあ美男子の顔立ちでかなり若い、あんたたちなら見れば一目でわかるよ。やばい使い手の匂いが強烈にするやつだ。まだそのあたりの修行が足りてねえ若さが弱点だろう。
あと左腿に一発くらっているが、動きは鈍いかもしれんが、油断は禁物だぜ」
早めの夕餉を摂ってしばらく休んだ。
俺と平蔵、源三郎と鳶、二人一組で行く。
亥ノ刻(午後十時)頃に出発した。各自、忍び装束となり、己の武器を装着した。
漆黒の闇の中をすすんで、箱根神社の脇にたどり着いた。
てはずはず通り、二手に分かれて本殿に向かった。
鳶と源三郎はゆっくりと進んでいった。
何か小さな建物が見えてきた。人の気配はない。
「鳶さん、何か匂うかい?」
「こんな静寂は久しぶりです」
「ほんとだな。俺でも何か神様にちかくなったような気がする」
昼間確認した神事に使う道具などを収めてあるであろう蔵のような建物がいくつか見えてきた。
みな、黄金を隠すにはいいところと思えてきた。
「鳶さん、俺は考えたんだけど、黄金の量がどんなものか分らんけど、佐渡や八王子から、箱根の山中に穴掘って埋めるなんて考えられないだろ。隠すなら、すでにある建物の中やその地下なんかに持ち込むほうが順当だろう」
「私も同感です。ここあたりの庫裏などは一番あやしいんですが、徳川幕府も手厚く保護した所で、皆小さな建物なんで、十分に探索できたはずなので、ここにはないんじゃないでしょうか」
「全く、そうだな。本殿だって幕府が人を使えば、すみからすみまで調べられただろうからな」
権助と平蔵も暗闇の中、右側の森をゆっくりと進んでいった。
本殿が近づいてきた。本殿の前が、広場のようになっている。
いた、本殿の前に5人の武士がいた。
中央に例の細身の剣士がたっていた。
「あいつがやばい柳生の剣士だな」
平蔵が答えた。
「私が見ても、相当な使い手とわかります。いままで見たこともない剣士です。他の者も忍びのようです」
「そうだな、源三郎の言うとおりだ。本殿への探索はむりだな。」
その時だった、右わきから礫が襲ってきた。
右にもいたのか?員数も大分いるようだ。
右方からに立て続けて撃ち込まれながら、平蔵がすかさず苦無を相手からの発射方向へ打ち込んだ。
それに続いて、権助も立て続けに打ち込んだ。
平蔵はすでに火薬の準備を始めた。
右からの攻撃に対して、まずは一発火薬玉を放った。
相手のいるあたりで爆発した、飛び道具の攻撃は一時やんだ。
これは、源三郎チームへの合図も兼ねた攻撃だった。
本殿前の五人が動き出した。
始まったか。
権助さんのほうだ。本殿前とは別に守備隊がいたんだろう。
いくぞ。
源三郎と鳶が走り出した。
「鳶さん、例の裏柳生の剣士にかかったら権助さんも平蔵さんもやばいぜ」
鳶が言った。
「平蔵が火を放てれば、逃げ切れると思います。そこは権助さんの裁量にかけるしかないです。
われらはとにかく奴らをかく乱しましょう」
「分かったぜ、鳶さん。やってやるぜ」
「鳶さん、細かいこと言っている暇はねえんだけど、俺は木の上から礫で相手を打つのが得意なんだ」
あの本殿前の五人組を迎え撃つ。
「木に登って、礫でやるから、倒れたやつがいたらとどめを刺してくれ。
ただ、動けそうもない奴はほっとけばいいぜ。無理しないでくれ」
「わかった」
鳶は腰の袋から、暗闇の中にぎらりと光る千枚通しを大きくしたような武器を出した。
刃渡りが五寸ほど、柄が一尺ほどの変わった武器だった。
「けっ、鳶さん、すげえいいもの持ってんじゃねか」
源三郎たちが本殿ちかくに迫った時には、まだ相手の守備隊は本殿前にいた。
5人が横一列になっていた。中央にあの裏柳生と思われる剣士がいた。
右手のほうで、戦闘が行われて様子だが、本殿前の5人は動こうともしない。
もちろん、右手の戦闘は幕府方と権助・平蔵ということだ。
「鳶さん、あいつら五人と正面切って戦うには勝ち目はねえぜ」
「権助さんのほうも、多分相手の方が、多勢とみられますが、そろそろ平蔵さんが火薬を使うと思います」
「どういうふうにやるのかな」
「右翼の今二人がいまいる所より一番近い小さな建物をまずは燃やし、その近くの本殿よりの大木に燃え移るようにし、本殿に延焼するように仕掛けると思います。
また、通ってきた藪の中から近い建物にも仕掛けはしてあると思います。芦ノ湖に向かっても火は走ると思います。」
そうすれば、本殿前の部隊がそちらに向かうはずです」
「そうか、本殿前の五人が向かうとしたら、あそこの杉の木あたりが絶好だな」
「もう行っていいと思います」
「よし、いくぜ」
源三郎は走りながら、鍵爪を両手に装着した。
礫はすでにたっぷりと用意してある。
目的の杉の木の下から、鍵爪を使ってあっというに木の7分目当りまで登った。
こりゃ、絶好のところだぜ。本殿前の守備隊がこの下を通って、権助たちに向かっていくところを襲撃するには最高の場所だ。
あとは、平蔵が火薬をうまく使えるかどうかだが。
鳶がいうには、とんでもない火薬使いのようだから、信じて待つしかないな。
爆裂音が響きわたった。
~きたぜ、平蔵さんやってくれたか~
本殿前の5人が動き出した。
権助たちが争っている、右側の林に走りだしている。
あの柳生の剣士も最後方から周りを警戒しながら最後尾についている。
さすがだな。あの爆裂騒ぎを陽動作戦とみているにかもしれん。
まあいいさ、とりあえず着たやつは全部ぶっ潰す。
いろんな石を用意してきた。
手のひらいっぱいから、指先大まである。
まずは、三人が右手の戦闘場所に向かっていった。
全速力ではなく、周りを警戒しながらゆっくりと走っている。
~来たな~
先頭の男に対して、相手の進行方向と速さを見極め、一番大きい石をつかんでふわりと落とした。
自然に落下していく石に相手は全く反応できなかった。
見事に脳天からあたって倒れた。
柳生の男ともう一人が最後尾からきているが、先頭の状況が見える位置にいないようだ。
やはり本殿が気になっているのに違いない。
源三郎はここが好機とみて、残りの二人に礫を叩きこみ、うずくまったところを鳶が素早く始末した。
あとから来た、柳生の剣士ともう一人の連れは絶句した。どうゆうことだ?
先の林の中で味方が戦っているのと別に、ここに敵がいるとは。
幕府の二人はまだ、倒れた仲間の体を検分していないので、鳶の存在には気づいていないだろう。
その時、呼子のような音が聞こえた。
~やばい、まだ後ろに兵隊がいるんだ。退散だ~
鳶さんと合流しなければ。
あの二人と、後ろからも援軍が来れば、鳶さんでも逃げ切れない。
後続がきているのは分っているはずだから、うまく身を隠してくれれば。
平蔵さん、もうちょっと派手にぶっ放してくれ。
一回、爆破音は聞こえたが、まだ建物に火は上がっていない。
あの柳生の剣士と後続の連中が鎮火にかかってくれないと厳しい。
権助と平蔵は、右手からかなり本殿に近いところまできていた。
右からの攻撃は、平蔵の爆裂弾で今はやんでいた。
呼子の音が聞こえた。まだ、後続がいるようだ。
源三郎と鳶の組も何人の相手をしているかわからなかった。
平蔵、撤収だ。火の準備は大丈夫か?相手を倒すことはいらんぞ、建物を燃やせばいい。
「今日の参拝のおり、建物・木の様子はしっかりと見ておきましたから、準備はできております」
来る途中通ってきた、建物とその間の道には油と火薬を仕込んでおります。
ここから、火を放てば来た途中にあった建物が続けて燃え上がります」
~さすがだな~
「できればその建物と一番近い本殿側の大木に燃え移るようにしようと思います」
「よし、それは俺がやる。おまえはとにかく早く準備しろ。そこの庫裏とあの木の間に油をまけばいいか」
「はい、これを使ってください」と油の入った竹筒を渡した。
「もういいですか。あっちの二人は大丈夫でしょうか」
源三郎と鳶は建物が燃えれば、退散するはずだ。無事に逃げてくれることを願うしかない。
「俺があそこの木までいったら火をつけろ」
「それでは、権助さんが危険です」
「おい、根来の権助だぞ。逃げるのなんぞ訳ねえよ」
平蔵はすぐ、脇にあった小さな建物に火を放った。
すぐ脇の本殿寄りの大きな杉の木に向かって権助が敷いた油の筋が走った。
さらに、蛇のように火の筋が湖側の建物に向かって走った。
権助が言った。
「火が回る前に、湖に向かって走るぞ。奴らより前を行く」
源三郎が慎重に木から降りようとした時に右手に火の手が見えた。
源三郎のいる木の上からは一件目の建物から火が上がってからすぐに、
道を走る火の筋が見えて、あっという間に隣の建物に向かっていった。
向こうの二人は、あの火走りの前を芦ノ湖まで一気に下るはずだ。
(さすがだぜ、平蔵さん。あとは鳶さんと会って、一気に逃げるぜ)
相手側を警戒しながら、木を下った。
あの裏柳生の剣士は、幕府側の守備隊の隊長のはずだ。
あれだけの火の手が上がれば、向かわざるを得ないはずだ。
鳶さんはまさか前に向かうはずない。
俺たちから見て、右手が大変なことになっている。
左手脇の藪の中あたりにひそんでいるはずだ。
源三郎は素早く木を降りた。
源三郎は木から降りて藪の中に入った。
周りに敵の姿はない。しかし用心しながら、「鳶さん、下るぜ」と低い声で言った。
「周りに敵はいねえ、逃げるのは今だ」
鳶の姿は見えなったが、藪をゆする音が聞こえた。返事だろう。
~よし、行くぜ~
藪の中を行くか、一気に下れる参道を行くか迷ったが、速さをとって、参道に出て全速力で下った。
鳶も無事に追走している。
箱根神社から芦ノ湖湖畔までは、わずか半里程度である。
湖畔に守備隊がいるかどうかが不安であった。来るときは湖畔の大分手前から林の中にはいったので湖畔の様子は分らない。
火の手は上がっている。
幕府側の後続の部隊は本殿への延焼を防ぐためにとられるはずである。
当時は消化栓などないから、燃えている建物や木を倒すしかない。
庫裏はともかく、本殿よりの杉の大木などに引火すれば、風向きによっては鎮火は容易でなくなる。
あの裏柳生と思われる剣士がどう判断するかだ。
もし、追って来たら今の差などないに等しい。
火消しを優先するか、賊を始末するかだが、今日の俺たちは本殿には入っていない。
途中であきらめて、撤退したと考えるだろう。
やはり、ここはまずは火消しを優先するはずだ。いや、それを願っていた。
すぐに芦ノ湖が見えてきた。
若い剣士は、柳生新之助という。
柳生の荘の農家の生まれで幼い頃から柳生道場に通っていた。
細身であったが身長は同年のものより大分高く、太刀筋の速さは際立っていた。
十三の頃、道場を訪れた江戸からの宗矩の弟子が稽古をつけたおりに立ち会った。
さあかかってこいと合図をしたとき、瞬きする間もなく目の前にきて竹刀を構えて打ち込みの態勢となり止まっていた。
少し、笑ったように見えた。江戸から来た柳生の高弟は、こいつは何者だと驚き、江戸に紹介した。その後、江戸柳生道場で修行し柳生の名をもらうとともに、まだ若いこともあり、宗矩の命により、隠密の修行も行い、将来最も強大な外様大名に送り込める人材として育てられていた。
新之助とともに本殿の中央にいたのは伊賀の組頭、楯岡三郎である。
三郎は幕府伊賀組の組頭で40絡みの男で、新之助がまだ若いので、年長の守備隊長をつけたのだろう。
「なんとか、本殿近くの大木は鎮火できたようです。庫裏のほうは今壊しにかかっています」
「じゃあ本殿は大丈夫ですね。あとは頼みます」
「私は下にいきます。奴らの姿がみたい」
「いいやまだ、本殿が安全とは限りません」
「私がいても火消しの役にはたちません。三郎さん、ここの指図はお願いします。私は賊を追います」
とりあえずの集合地点は現在の元箱根港のあたりだ。
振り返ると、本殿手前の庫裏あたりから火の手が見えたが、火は高くは上がってはいない。
本殿寄りの大木の上の方には火の手は見えない。勿論、あの大木が上まで燃えたら大変なことだ。
箱根神社全焼どころか、山火事まで起こしかねない。
(権助さんの指示で、俺達が逃げるのに必要なだけの火災を起こすように平蔵さんが仕込んだのだろうか。さすがだぜ、平蔵さん)
井戸などから、多少の水は供給出来るだろうが、燃えている建物と木を倒さなければならない。
相当な員数が必要なはずだ。
芦ノ湖湖畔にはやはり数人の武士たちがいた。
かわすか、倒すか、鳶が追いつてきた。
「鳶さん、権助さんたちを少し待つか」
「そうだな、湖畔にいる奴らも火のことが気になっているだろう。
多分、頭がいねえんで、判断できないなどだろう。
怪しい奴がいたら、捉えるか駄目なら斬れというくらいの指令しか受けてないんだろう」
「そのようですね。ちょっと一息いれましょう。」
「鳶さん、ここからどうするんだい」
「例の先乗りしている根来の奴が船を用意してあり、湖尻まで船で行きます」
「権助さん、大した作戦を立てているんだな。やっぱり、よっぽど金がよかったんだな」
「でも、俺にはそんなことなにも教えてなかったぞ」
「われらは、源三郎さんより一日前に合流しておりまして、箱根神社探索と万が一の逃げ方、先乗りの五一のこと、平蔵が火を使うことを聞いていただけです。
特に逃げるときの危険を配慮してのことです。皆の安全を配慮してのことですので理解ください。
ただわれらも、事の根っこが大久保長安の隠し金などとは聞いておりませんでした。
三島で聞いたときは驚きました」
参道のあたりから、権助と平蔵が見えてきた。後ろには追手はいないようだ。
それを見た、湖岸にいた幕府の侍が向かっていった。
五人だ。長刀を抜き放っている。
「あれは、権助さんと平蔵さんなら大丈夫かい?」
「ちょっとここからだと奴らの技量が分らんな。二人ぐらいはやったほうがいいかな」
「分った。俺が二人やる。鳶さんは二人を迎えてくれ」
こぶしで握れるほどの石を出した。
湖岸からやや上に向かったところの茂みに源三郎と鳶は控えていた。
丁度、幕府の連中が坂を上ってくる。
先頭の男の鼻の下あたりに石を叩きこんだ。
相手が体制を整える間もなく、二人目の男の鎖骨のあたりに礫を叩きこんだ。
さらにもう一撃、膝にも撃ち込んだ。
しかし、その間に残りの三人は勢いに任せてそのまま坂を上がっていった。
しばらくして権助と平蔵が坂を下ってきた。幕府側の三人を倒してきたようだ。
源三郎が叫んだ。「後ろはいねえか?」
「大丈夫だ。その先に船がいるはずだ。いくぞ」
その時だった。
一人の武士が走ってきた。皆が見た。閃光のように走ってきた。
数瞬まえに権助たちを見たときには後ろには誰もいなかった。
奴だ、やっぱり来やがったか。
俺が行く。皆が言った「源三郎やめろ、逃げるんだ」
「逃げたら、一人か二人はやられるぜ。大丈夫だ、逃げる為に戦うだけだ、顔を見られる前に先をいってくれ」
先に倒したふたりが、近くに倒れていた。権助が一番近くにいたので、頼んだ。
「権助さん、そいつから長刀を一本もってきてください」
幕府の剣士が迫ってきているので、目を離すわけにはいかなかったので頼んだ。
権助が倒れている幕府の藩士から長刀を引きはがして、源三郎のもとに走ってきて渡した。
「剣技で勝負するのか」
「挑発するだけですよ。多分奴は自分の剣には相当自身を持っていて、おそらく一度も負けたことはないでしょう。
ただ若くて、経験は少ないはずだ。いままで会った中では俺が一番強いと感じるはずです。
剣技で挑んでくるはずだ。
誘っておいて忍び技を放って、ひるませて逃げます。勝負はしないから大丈夫です。権助さんもう行ってください」
「わかった。頼む」
権助が鳶と平蔵を促して、元箱根方面に走りだした。
鳶が「一人で大丈夫ですか、四人でかかれば何とかなるでしょう」と聞いた。
「奴は一人の犠牲も出さない手を考えたんだ。何とかするだろう。大丈夫だ」
「剣の勝負に持ち込むつもりですか」
「剣の勝負に誘い込んで、忍びの技を繰りだして逃げる見込みだ。あいつは忍びの技もたいしたもんだが、実は剣術も達人の域だ」
権助が語ることによれば、源三郎は甲賀を抜けたあと、近畿より東の方に向かい自給自足で生きながら、山の中をうろついていた。
詳しいことは聞いていないが、あるとき大けがを負って山の中さまよっている時に老人に助けられ、その老人の草庵で養生させてもらった。
大分回復してきたころ、源三郎はこの老人は剣術の達人と感じてきて聞いた。
「ご老人は大層な剣術の名人でありませんか。私に教授ねがいませんでしょうか」
「お前は忍びの者か」
「もう抜けておりまして、ただの風来坊です」
「まあ、すきなだけいてもいいが、それほど教えることもないぞ」
どのような修業をしたのかは、源三郎は語らなったが権助は一度だけその凄腕をみたことがあった。
ある藩に潜入したおり、権助と二人で牢人の体でいたところ、五人の藩士に囲まれ話が聞きたい事があるので近くの神社まで一緒に来いと言われ従った。
「ぬしらはこの藩でなにをしている」と聞かれた。ただの牢人ではないと思われたようだ。
潜入前の設定どおりに返答したが、聞き入れられず番所へ連行すると言われた。
権助は強硬突破で逃げると決め、源三郎も権助の顔色を見てそれを悟った。
権助が「お断り申す」といいうと、五人がすぐに抜刀した。
権助と源三郎はこのような状況は想定していなく、連携は打ち合わせしていなかった。
お互いの裁量でいくしかなかった。
権助はいきなり、前を向いたまま後ろへ下がりながら走って苦無を放った。二人の顔面に突き刺さった。権助はこれを見た源三郎は動きながら同じように苦無を放つかと思ったが、源三郎はその場に佇んで抜刀しないまま左腰のつばのあたりに右手を置いていた。二人が上段に構えながら突進していった。
源三郎が腰を沈めたあと、刃の煌めきが見えたと思ったが、その後には二人が倒れていた。
源三郎に相手二人が襲い掛かった時には、権助はすでに苦無を放ち終わっていたので、この一瞬はしっかりみていたが、刃の煌めきが一瞬見えただけだった。
これは噂に聞く、抜刀術か。
残りの一人は恐れをなして逃げ去ったので、二人は悠々と逃げ去った。
知識豊富な権助だが、抜刀術については話に聞きおよんでいる程度で、勿論みたことなどもなかった。
源三郎が世話になったのは、その道の先駆者で達人の林崎甚助ではないかと権助は思っていた。
ー林崎流抜刀術ー
林崎甚助は1542年、出羽国楯山林崎(現・山形県村山市林崎)で生まれた。父は浅野数馬、幼名民治丸。1547年、父が坂一雲斎に恨まれ、夜更けに碁打ちの帰宅中を闇討ちされ、仇討ちのため楯岡城の武芸師範東根刑部太夫について武術に精進し、1556年、林崎明神(熊野明神)に参籠し祈念した所、神より居合の極意を伝授されたという。その後1561年、齢19にして仇討ちを果たした。
その後、諸国を廻国修行する傍ら幾多の弟子を育てていて、その途中で加藤清正に招かれ加藤家の家臣を指南したとも伝えられる。
林崎新夢想流の伝書には、林崎甚助は塚原卜伝より鹿島新当流も学んだと伝えており、伝書にも卜伝流剣術の目録が存在している。また、鞍馬流剣術の伝書においても林崎甚助が第2代として系譜されている。他にも多くの流儀を学んだとされる。
元和3年(1617年)、70代にして諸国へ再度廻国修行に出て、その後の行方は知れないという。
林崎甚助の弟子には、田宮重正(田宮流開祖)、関口氏心(関口流開祖)などがいる。
甚助が神託を得た林崎明神は、仇討ちの帰途、信国の太刀を奉納されたと伝わる。現在では林崎甚助も祀られて林崎居合神社と呼ばれている。
「源三郎が俺たちを逃がし、抜刀術の構えで待ち受ければ奴は間違いなく柳生新陰流で勝負しようと向かってくると読んでいるんだ。おそらく剣技で負けたことのない奴だ。そこでさらに奴を挑発して、若さにつけこむってわけだ」
柳生新之助は箱根神社からの坂を自慢の快速で下ってきた。昨日、くらった左腿に痛みは残るが、走ることは出来た。
湖が見えてきたころ、まずは湖岸守備の者が三人倒れていた。通りすぎると、さらに二人。「む・・・」
神社周りの火災といい、守備隊の死傷者といい思った以上の被害だった。奴らは何者だ。
その先、四人が見えてきたので、一旦止まった。賊は三~四人と思われたが、分散して多方面に逃げたと読んでいた。一人でも補足しようと早く走れる主参道を下ってきた。まさか四人が集まっているとは思わなかった。
すると三人が逃げ出して、一人が残って刀をだらりと下げて立っていた。
(三人逃がして、一人で向かってくるというのか)
これまでの惨敗と相まって、怒りの気持ちが煮えたぎってきた。
(こいつを一撃でたおせば、まだ残りの三人を追える)
まずは、一気に差を詰めるべく走りだした。通常であれば、最後に一気に加速して、走りながら上段に振りかぶり一気に両断だが、しかし五間ほどのところで急停止した。本能だった。
敵は体を斜めにし、体に隠すように太刀を下段にして腰を落として構えている。これまで感じたことのない殺気とすきの全くない構えだった。すると相手が語りだした。
「やるかい。きのう左腿にくらったせいか、走るのが少し遅かったじゃねえかい。いまなら俺の方が速そうだから、逃げてもよかったんだけどな」
「きさまら、どこの者だ」
(大分、熱くなってきたな)
「こっちも聞きたいよ。なんで箱根神社をあんなに警備しているのだ」
「・・・・・」
「まあ、お互い言えないな。軒猿の件は何か分ったのか」
ますます挑発した。動揺と怒りが明らかにみえてきた。
「俺たちは大体読みきったぜ」と出まかせもかました。
「もう、仲間も逃げ切れるだろうから、そろそろやろうぜ」
新之助は昨日の経緯を見られたうえに、ここで時間稼ぎをさせられ、仲間を逃がしたことが分かって怒りは頂点に達した。
切り込みの態勢い入ったが、相手のスキのなさは今までに経験したことのないもので、体の影に隠れて太刀が全くみえなくなっている。
新之助は抜刀術に関しては全く知らなかった。
相手からは仕掛けてくる気配はない。こちらが動いたら後の先でくるのか。それは柳生新陰流の得意とするところである。それもこちらを知っているということの圧なのか。
新之助は相手の動きは無視して、真向からの一撃にかけることにした。
止まって対峙してしまった今、この相手とは良くて互角だ。左足のケガの分、分が悪い。
あとは己の太刀筋の速さに賭けるしかない。相手の柄にかかった右腕がかすかに動いた。
(こっちの意図をみとったか)と思い右手の手元に集中した時、右足に激痛が走った。
右腿に苦無のようなものが刺さっていた。激痛に思わず右ひざをついてしまった。それでも必死にとどめを刺しにくるのに備えた。
が、相手は振り向いて走りだしていた。
(逃げられた。おそらく足首あたりに膝から下の振りで飛びだせるように鋭い刃物を仕込んでいたに違いない。
視界には全身が入っていたが、こちらの意識が最も手首に集中している時を狙って放ったのだ。
足の振りは全く見えなかった。
最初から勝負などする気はなく、まずは仲間を逃がし、自分も逃げる策だったのだ。完全にやられた)
源三郎と同じくらいの歳の男が、湖岸に船を付けていた。五一という。
今回、先乗りで宿の手配をしたり、箱根全体の様子を探索していたものだ。
権助の親戚筋のもので、権助は忍びなどやめるよう言ったが、本人が望んだので幼い頃より面倒みていた。
忍びの術は十分達者であるが、他にその洞察力がたいしたもので、今回のように宿を特別な任務に使うについても、ただ金を積めばいいというものではない。
吉原の宿のように、古くから根来衆と関係があるところがあれば、当然同じように伊賀・甲賀や各大名に通じているところもあるのは当然である。
自分で検分して判断できる。
宿だけでなく、地形、街道、その町の治世状況を掌握することに長けていた。
権助が教えたのはごく一部であとは本人が自分で身に着けていったものだった。
「権助さん、よくご無事で」
「もう、皆無事でそろっている。早くだせ」
「源三郎、よく逃げられたな。助かったぜ」
「まあ、ぎりぎりに策通りにいったよ」
五一が暗闇の中、船をすすめていく。
源三郎は、月は出ているが、よくこんなとろこを、船を進めていけるものだなと思った。
山の中ばかりうろついているので、海や船は全くだめだった。やっぱり権助さんはすげえな。
<終章 仙石原>
湖尻に船をつけて、姥子まで歩いて向かった。
宿に入ったのは午前四時ごろだった。権助が指示した。
「とりあえず、ここは引き払うからな。
皆、疲れているかもしれないが、やつらも後始末で大忙しかと思うが、探索にやってこないとも限らんからな」
姥子の宿では一行は一睡もせずに、不要な荷物の処分を宿に頼んで、必要のものだけを持って早朝に出立した。
仙石原まで来た。夜が明けてきた。ここは坂東から西へ向かう主要路で、乙女峠を越えて御殿場に抜けている街道だ。
現在の国道138号線である。
権助が言った。
「今回はここで解散だ。皆、よく働いてくれた。依頼者への報告は十分にできる」
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「謎解きを依頼された訳じゃねえ、今回は現地調査が請け負った仕事だ。これで十分だ」
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その箱根神社の再建に長安がかかわっていたなら、何か隠すにはもってこいだろう。
建設作業中に隠すのは、わざわざ、山の中に穴掘って埋めるよりよっぽど楽だろう。
ただ幕府が相当な探索をしたはずだから、箱根神社にはもうないと思うな」
「おい、どっちなんだよ。」
「俺達は湯本で少し休んで、江戸にいく。
この三人は小田原、鎌倉、江戸には来たこともないので、見聞させてやろうと思う。おまえもいくか」
「いや、別に興味はねえんで、とりあえず、甲斐の方へ向かう」
「また山歩きか。甲斐駒か千丈あたりか、それとも八ヶ岳の方か」
「権助さん、よく知っているな。行ったことあるのかい」
「ばか、あんな高い山に登る気などあるわけないだろ。それに、そんなところに行く仕事なんぞもないわ」
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「冗談じゃねえ、行かねえよ。勝敗は見えているだろう。ただ、忠輝公の動きは気になるな。
権助さんは商売があるならやる気なのか」
「まあ分らんが、真田の連中には義理もあるからな」
「呼ばれたら行くってことか。そりゃやばいな。鳶さん、平蔵さん、五一さん、大阪の戦には絶対入っちゃだめだぞ。こいつからいわれても断れよ。
西軍でましては真田の一軍になんぞに入ったら玉砕覚悟だぞ、戦場では権助さんの指示なんか通じないぜ。まずは、行かないことだ」
「おい俺はいつでも死に駒など用いない。配下の命を優先して、仕事も受けて、作戦も立てる」
仙石原で別れることとなった。
権助と配下三人は右の湯本方面に、源三郎は左の御殿場方面に向かう。
別れ際、「権助さん、もう目も悪くなって見えねえかもしれんが、そこの崖の下を見てみな。
黒い花が咲いているぜ」
「な、な、なに・・・」
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