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第四章
第四章 「過去の痛みと赤の夜」
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第四章 「過去の痛みと赤の夜」
1
王都から外れた小さな村。そこには魔王軍敗北を機に武器を捨て、普通の生活を送る事を選んだ魔族達が住んでいる。終戦から十四年も経っているため、そこで生活する者達は全員戦いなど忘れて平和に生きていた。
「やめてくれ……」
しかし、今日は勝手が違うようだった。
「僕が何をしたと……」
恐怖の表情を浮かべる魔族の男、彼は今目の前にいる者から剣を向けられていた。
「元魔王軍幹部だな……?」
黒い鎧に包まれた禍々しい圧力を発する男が言った。
「十四年前の事だ……! 今はもう普通の生活をしているんだ……!」
必死で助けを乞う男に黒騎士は近付いていく。
「やめろ、おい……!」
「貴様は有害だ。死ぬがいい……」
剣を振り上げる腕に、男の顔は恐怖に染まった。
「ぐああああああああああああ!」
のどかな村には不相応な絶望の悲鳴が響き渡った。
「石鹸は……買った。新しいバスタオルも、うん、買った。あ……、キャンドルをまだ買っていない……」
買い物籠を弄りながらラウルスは王都を歩いていた。普段は買い出しはクオーレがするが、丁度彼女の研究が大詰めとなっているため、今日は箒で飛ぶ練習も兼ねてラウルスが担当する事になったのだ。
「久しぶりに王都に来たな……」
森での暮らしに慣れて来ていたので、久しぶりに見た職人街は一層華やかで明るい物に見えた。
普段の学校ならば今は授業中だろうか? あまりラウルスくらいの年の人が見当たらなかった。
「まぁ、あまり会いたいとも思っていないし……」
そう言って買い物に戻ろうとした時。
「ん?」
掲示板に張られたあるポスターが目に留まった。
「魔法大会?」
近いうちに開催される催しのようだった。
「興味があるのか?」
「え?」
突然話しかけられ、驚いてそちらに目をやると、そこにはモノクルが特徴的なロングコートを着た男性が立っていた。
「ゴールドハーツ……!」
そして、彼の瞳には最もランクが高いとされる模様が浮かんでいた。
「お嬢さんも魔法使いか? 魔法学校の生徒ではないようだが……」
この時間に町にいる学生は殆どいないからか、彼はばっちりと言い当てた。
「はい、魔女の先生に弟子入りをして、住み込みで勉強しています」
「そうか、成程」
モノクルの位置を整えながら彼は言うと、ポスターを見た。
「魔法使いの登竜門のような大会でな、毎年盛り上がる王都を代表する一大イベントなんだ」
「そうなんですね……」
ラウルスもポスターを見る。
「お嬢さんもゆくゆくは魔女を目指すというなら、出てみるといい。魔法が使えれば誰でも参加できるからな」
「本当ですか?」
ラウルスは心が躍るのを感じた。
(私が先生との修行の中でどれほど成長できたか確かめるチャンスかもしれない)
「考えてみるといい、出場して損するような大会ではないからな」
「はい……」
(帰ったら、先生に相談してみよう)
「誰か……!」
そんな事を考えていた時、背後で悲鳴が聞こえた。
「む……?」
「え?」
振り返ると、ひったくり犯の男が女性の荷物を奪ってこちらに走って来ていた。そしてその異常さにラウルスは気付く。
(風術で逃げ足を速くしている!)
「やれやれ……」
モノクルの男性も対処すべく詠唱を唱えようとしていたが、それよりも先にラウルスが動いていた。
「登れ……」
「……!」
モノクルの男性は目を見開いてラウルスの方を見たが、ラウルスは気にせず続ける。
「迷走の幻灯、是、逃避を縛る透明の足枷なり、甘い嘘で染め上げよ、向かう明日はアプサラスの堕落、自身の胸中を誇るならば、朧の唇は迷宮となる……水術〝霞道〟三の詩・マインドフォール」
「な……何だこれは……ッ⁉」
ラウルスの詠唱が終わると同時に、男は取り乱す。
「どんなものを見ているのかは分かりませんが、貴方が恐れている幻想を引き出し、定着させました。これで、抵抗は出来ないでしょう?」
「うぐぐぐ……」
ラウルスは男に近付きながら言う。
「魔法を悪用する者は許しません‼」
ステッキを出してラウルスはもう一つ唱える。
「弾め……瞬間の衛星、是、怒気の呻きを消す轡なり、停戦の渇望を掬い、繋げる制止のバラード、無益な傷を拒むならば、秩序の掌は喝破となる……光術〝光道〟三の詩・リヒトフォルテ」
詠唱と共に発生した光と音は男の意識を刈り取り、一瞬で無力化した。
「ほう、これは……」
笑顔で女性に荷物を渡すラウルスの声を聞きながら、モノクルの男性はもう一度、大会のポスターを見た。
「只今帰りました」
家のドアを開けてラウルスが言うと、クオーレが自室から出て来た。
「お帰りラウルス」
「買ったものはそれぞれの場所に置いておきますね」
「うん。ありがとう」
作業を始めるラウルスにクオーレが問う。
「何だか機嫌がいいみたいだけど、どうかしたのですか?」
「え? そう、ですね」
あまりにも分かりやすく態度に出ていたのかクオーレが笑う。
「今日買い物の途中で人を魔法で助けたのですが、その時にお礼を言ってもらえた事が嬉しかったです」
「そう、それは良かったわね。一歩貴方の目指すものに近付いたんじゃないかしら?」
クオーレが頭を撫でると、ラウルスも笑顔で頷いた。
「じゃあこの調子で頑張りなさい。もう少しで免許皆伝だしね」
「はい! 頑張ります!」
笑顔で答えるラウルスに、クオーレは微笑んだ。
2
「またか……」
殺された魔族の男性の遺体を見ながらザバスが顔を顰める。
「今回で五件目ですよ……」
「うーん……」
ザバスは困惑の表情で腕を組む。彼が調べているのは最近起こっている元魔王軍の魔族を標的に狙った通り魔事件である。
「魔王軍に所属していた以外は、共通点がないか……」
「隊長……!」
遠くから呼ぶ声がした。その場所に行ってみると何かを見つけたらしく、周囲の観察を行っていた。
「どうした?」
「見てください、この足跡、被害者の物ではありませんよ」
「何……?」
見てみると確かにサイズも形も違う。
「この跡は、グリーヴか……?」
「恐らく……。そしてこの跡が出来ている一帯から魔力の反応があります。被害者の魔法によって残った物と考えられます」
「つまり、この跡は……」
立ち上がってそこまで言う。
「はい、犯人の物と考えられます!」
その言葉にザバスも頷いた。
「よし、目撃情報を洗え。そして、元魔王軍所属魔族周辺の警戒も忘れるな」
「了解!」
団員達が各々の仕事の為に離れていく中、ザバスはずっと足跡を見ていた。
「このグリーヴの跡、何処かで……」
「魔法大会……?」
「はい、二週間後だそうです。私、出ようと思うんです」
浴槽の中でクオーレと向き合い、ラウルスは言った。
「先生のもとで自分がどれだけ成長できたか知りたいんです……!」
「そう……」
クオーレは少しだけ考えた後、口を開く。
「わかったわ、出場を許可しましょう」
「あ……ありがとうございます!」
ラウルスが言った時、クオーレは彼女の頬をつついた。
「ただし、条件があります」
「条件?」
ラウルスが聞くと、クオーレは言った。
「明日から、免許皆伝の為の最後の課題を出します。それをクリアして、晴れて私のもとから卒業してから出場しなさい」
「……!」
クオーレの言葉にラウルスは硬直した。
「明日から家事等の貴方の仕事はいいわ。その分課題に時間を割いてもらいます。それだけ難しい課題を出しますから」
「先生……」
ラウルスはまだ少し戸惑っていたが、クオーレは間髪入れずに言う。
「いいですか?」
「……」
ラウルスは少しだけ間を置いた。しかし直ぐに真剣な表情を作り、答えを出した。
「はい、頑張ります……!」
「うん」
ラウルスの覚悟を受け取り、クオーレは彼女を抱き寄せた。
「目撃情報、狙う標的、そしてあのグリーヴの跡……」
デスクに並んだ資料を睨みながらザバスは思考を巡らせる。
「……! いいや……」
推測の域を出ない考えが浮かんでは消えてゆく。
「……! し、しかし……」
その中で、少しだけ信憑性がある物も、グリーヴの跡を見た時から浮かんでいた。
「ぐぅ……そんな事……」
しかし、絶対にそれを信じようとしない自分もいた。
「クソッ……」
そんな風に頭を抱えていると、デスクに通信が来た。
「何だ……?」
「隊長……!」
受話器の先の声は酷く焦っている。
「六件目が起こりました……!」
そして飛び込んできたのは最悪の知らせだった。
「何だと? 警備に当たっていた者達は何をしていた……ッ⁉」
「それが……」
「……!」
その先を聞く前にザバスは理解した。
「直ぐに行く……」
「了解……」
力のない声を最後に通信は切れた。
「ぐ……まさか……」
唇を強く噛み締めて、ザバスもギルドの外に出る。そして、信じたくなかった考えが現実だった事を確信した。
朝の森の中で、クオーレとラウルスは最後の課題の準備を整えていた。
「先生……よろしくお願いします……」
「ええ、始めるわ」
クオーレは人差し指を立てて話す。
「まずはおさらい。魔法には大まかに五つの種類があるのは知っているわね?」
「光術、火術、水術、風術、土術です」
ラウルスが答えるとクオーレは頷いた。
「その通り。ただ、私が貴方に見せたものはそれだけではないわね?」
「はい、虹術〝鏡道〟ですね?」
クオーレは魔法で鏡を作り出す。
「そう、これよ。虹術と呼ばれる魔法」
鏡を解除すると授業に戻る。
「この虹術は最も難易度の高い魔法なのよ。使う為にはさっき言った五種類のうちどれかの魔法を掛け合わせる必要がある」
「……」
「そして、ここが重要だけれど、虹術を構成する魔法の比率を間違えると使えないの。私の使う虹術〝鏡道〟を誰も再現出来なかったように……」
そこまで言ってクオーレはラウルスの方を見た。
「最後の課題は……ラウルス、貴方だけの新しい虹術を作り出す事」
「私の……⁉」
「さっきも言ったとおり、この課題は本当に難しいわ。私も虹術〝鏡道〟を作るのに三年掛かったし、新しく作ろうと研究していたものは、十四年経った今も完成していないからね……だから、無理難題を押し付けているのは分かっています。ですが……」
「……!」
「私は、ラウルスならばそれが出来ると思っている」
「先生……」
「これからは、何も口出しはしません。いいですね?」
ラウルスは彼女の目を一度真っすぐ見て、直後、自身の周囲を魔力で包む。
「はいっ!」
「よろしい」
ラウルスの返事を聞いて、クオーレは頷いた。
3
夜になって、王立図書館は殆ど人がいなくなっている。そこに一人の男がやって来た。
「お前がここに来るのは珍しいな」
そして、彼にモノクルを着けた男が話しかけた。
「要件を聞こうか、ザバス……」
「ああ、シルフィー」
シルフィーと呼ばれた男はモノクルをネクタイで拭いて再び装着する。
彼もまた、ザバス同様魔王を討伐した英雄の一人である。今はこの王立図書館の館長をしている。
「今日、元魔王軍の魔族が何者かに殺され、それを守っていた憲兵八人も同じように殺された……」
「……最近の通り魔事件か」
ザバスは一呼吸間を置くと、口を開いた。
「犯人が分かった」
「……!」
「今から俺はそいつを止めに行こうと思う」
「そうか……。それで、僕は何をすればいいんだ?」
「ああ、一つ頼まれてくれないか?」
ザバスは口を動かした。
「違う……やり直し……」
ラウルスは魔法を唱えては消す作業を一日中繰り返した。しかし、これと言って成果が出た訳ではない。
「やっぱり、難しい……」
(こんな魔法が使えれば……)
「っ……」
何度失敗してもラウルスは繰り返した。自分の中で方向性を定め、其処に向かって手持ちの魔法を組み合わせていく。
「駄目、これも違う……」
そんな言葉が次第に増えていく。しかし、ラウルスは手を止めなかった。
ラウルス自身どうしてこんなに続けられるのかが分からなかったが、クオーレが彼女に対し「出来ると思っている」と言ったから、不思議と心の奥では負ける気がしなかった。
そんな作業を毎日繰り返すうちにあっという間に一週間が経った。
「これ、いいかもしれない……」
ラウルスの口からその言葉が出たのはそんな時だった。
「芽吹け……」
そして、無意識に頭に浮かんだ詠唱を口に出してみる。
ラウルスは確実に前へ進んでいった。
夜の路地裏で、二人の男が向かい合っている。二人は少しも動かなかったが、尽きる事のない闘気と圧力が絶えず闘争本能を刺激していた。
そして、先に口を開いたのは、ザバスの方だった。
「まさか……いいや、やっぱりお前だったのか……」
「……」
「何か言ったらどうだ?」
何も言わない黒騎士にザバスは気にせず言葉を紡ぐ。
「なぁ……わからないんだがな、お前はどうして今更になって魔族を殺して回っているんだ?」
「……」
「魔王は倒され、戦争は終わり、十四年が経った。もう何もないだろう……」
「……」
「お前はそれ以上何を望む……」
「……」
何も言わず、黒騎士は剣を構える。
「ふん、俺と話す事は何もないってか?」
「……」
「ならいい、わかった……」
そう言ってザバスも臨戦態勢を整える。
「言いたい事も、聞きたい事も山ほどある。だから先ずは、少しだけぶん殴らせてもらうぜ」
「……」
少しの間を置いて、ザバスは一直線に走り出す。鉄のような拳を限界まで握り、殴り掛かる。
(狙うのは奴の顔面のみ……!)
「オラァアア!」
「……」
夜の空に、ザバスの声が木霊した。
4
「目を開けてください……!」
トパーズのような瞳を持つ女性が必死に叫んでいた。彼女の腕の中では黄金色の頭髪の青年が胸から血を流していた。
「どうして……」
どんどん冷たくなっていく彼の体を思いきり抱き締めながら、女性は泣き続けていた。
「違う……やり直し……」
そんな言葉を繰り返しながら、クオーレは「虹術」の研究を続ける。あと一歩まで来たと思ったら、また振出しに戻る。そんな日々を繰り返してもう、十四年が経った。
「違う……やり直し……」
一日に何度呟くか分からない言葉を吐き続け、クオーレは何度も左手を翳す。
「違う……やり直し……やり直し……やり直し……」
壊れたように同じ言葉を吐き続けた時、
「どうして……!」
突然翳した左手を握り、叩き付ける。
「はぁ……はぁ……」
荒い呼吸を繰り返しながらクオーレは俯いた。
「っ……⁉」
そして、余程心が擦り減っていたのか、周囲の様子に気付いていなかった。
「先生……?」
困惑するような表情でこちらを見る弟子の顔を見てようやく我に返る。
「ラウルス……!」
「あの、どうしたんですか……?」
近付いてくる彼女にクオーレはいつもの調子に戻って接しようとした。
「……何でもないですよ。ラウルス。その、気にしないで……」
しかし、ラウルスは真剣な表情を崩さなかった。
「説得力がないです。そんなにボロボロ泣いていては……」
「え……?」
言われるまで気が付かなかったが、クオーレの目から雫が溢れていた。
「あ……、ぇ……何で……」
「先生……」
クオーレの手を握りながらラウルスは言った。
「教えてください。どうして、そんなに追い詰められてまで、虹術を作ろうとしているのですか? 過去に、先生に一体何があったのですか?」
「ラウルス……」
クオーレは最初は何も言わなかったが、踏ん切りが付いたのか口を開いた。
「わかったわ……」
ラウルスの手を引き、クオーレは歩き出した。
「全部教える」
「先生……」
言葉とは裏腹に、ラウルスの目に映る彼女はまだ躊躇しているように見えた。
ソファに腰かけ、ラウルスを隣に座らせると、クオーレは重々しく口を開いた。
「以前大きな戦いの中で、私の〝左手の薬指に指輪を填めてくれた親友〟を、死なせてしまった事があってね……。助ける事が出来なかったのよ……」
「……!」
「虹術を作ろうとしたのは、そんな自分が、許せなかったからかな」
そう言って、左手の手袋を外した。
「彼の事は、一度だって忘れた事がない」
薬指に填まった指輪を見ながら、静かに笑った。
「前に言っていた、結婚を考えていたという話ですか……?」
「ええ、そうね……」
その話をする時にクオーレが見せた何処か寂しそうな表情を思い出し、ラウルスは唇を噛んだ。
(最初に話を聞いた時は、何か事情があって結婚をしなかったのだと思っていた……)
しかし、それは違った。クオーレは愛した存在を喪ったために、結婚ができなかったのだ。
「では、作ろうとしている虹術は……」
「人の怪我を治す魔法……。完成すれば魔法の常識が変わるような、まるで空想のような魔法よ……」
本来は人の負傷を治すのは、魔法使いの役目ではなく、リジェのような薬師の役目である。魔法はあくまで〝破壊術〟であり、戦闘において魔法使いは支援を担当する役職ではない。
そんな〝人を壊すための術〟を逆に〝人を治すための術〟に変えようとする事がどれほど突拍子もなく無謀な挑戦であるかは、ラウルスにも容易に理解できた。
「何も、死んだ人を生き返らせようとは思っていない……。ただせめて、私の周りの人が〝心臓を貫かれて死ぬ〟なんて結末を迎えないで、戦いとは離れた場所で死ねるように……。もう目の前で、大切な誰かが死ぬのを見たくはないの……」
「あ……」
クオーレの言葉で、彼女が愛した存在が残酷な最期を迎えた事、彼女がその記憶に長い間縛られていた事がラウルスにも分かった。
「先生……」
「でも、私には難しいみたい……。一体今まで、どれだけの数を〝硝子〟にしてきたのか……。私は、もう誰かを壊す詩しか読み上げられない……」
悲哀に満ちた目で暫く薬指を見つめた後、クオーレは手袋を填めた。その時ラウルスには、彼女の手首から上を包むステンドグラスが皮肉なくらいに綺麗に見えた。
「先生……」
「……さて、お風呂の用意をしてくるわね。今日は、もう休みましょう……」
ラウルスの顔から眼を逸らし、クオーレが立ち上がる。
「……っ」
その時の彼女の表情を見て、ラウルスの体が反射的に動いていた。
「……ラウルス?」
「……!」
気付けば、ラウルスはクオーレの左手を掴んでいた。
「先生……」
何となく、ラウルスにはこうする事が正しいと思った。今彼女を呼び止めなければ何か後悔が生まれるような気がした。
「私には、先生がどれだけの傷を負い、どれだけ重たいものを背負ってきたのか、とても想像が出来ません……。だけど……」
「っ……」
クオーレの左手を両手で握り、ラウルスは彼女の目をじっと見た。クオーレは目を見開いて困惑したような表情を浮かべていたが、ラウルスは続けた。
「私は、先生以上の魔法使いを知りません」
「ラウルス……」
「あの日、ゆっくりと死を待つだけだった私を……救い出してくれたのは先生です」
出会った日の敗北と、恐怖を溶かしてくれるような顔で笑った彼女を思い出しながら、ラウルスは言った。
「ずっと、私の才能を信じて……導いてくれたのは先生です」
彼女との日々が〝技術〟にしてくれたものを思い出しながら、ラウルスは言った。
「私に、勇気をくれて……夢を追いかける標を示してくれたのは先生です」
彼女の両手をもっと強く握り締めると、ラウルスは言った。
「だから、後ろ向きな言葉は吐かないでください。私は、世界一の魔法使いである、先生の事が大好きです」
「……!」
ラウルスがそう言った時、クオーレは再び目を見開いた。
「……」
それから暫くして、静かに微笑んだ。
「困るわ……ラウルス……」
そして、溶け込むような声でそう言った。
「先生……?」
「こうしてまた……喪いたくない存在が、増えてしまったじゃない……」
「……!」
クオーレはラウルスを抱き寄せた。
「約束しますよ。私、先生の前では死なないように、もっともっと努力します。いつか、先生の事も守れるくらいまで……立派な魔法使いになります……」
ラウルスがそう言った時、彼女を抱く師の目から、その身体の温度を帯びた雫が彼女の頬にひとつ落ちた。
「もう……置いて行かないでくださいよ」
何処か対象が曖昧になった要求を呟き、クオーレはラウルスを抱き締めた。
「……」
ベッドの中での腕の力よりも弱々しい抱擁だったが、ラウルスの頭にはこれを振り解く選択肢は存在しなかった。
5
「……」
不気味な程に綺麗な月明かりの下で、風化した路地裏の壁にもたれ掛かりながら天を仰ぐ男がいる。
「……」
傷だらけの体から滴る赤色を、最早意識から追放して、ただただ空を見上げていた。
「少し……名残惜しいが……もう……ここまで……だろう……な……」
力が抜けて、ずるずると姿勢が崩れていく音にすら搔き消されるくらいの小さな声で、そんな言葉を紡いでいた。
(早すぎるけどよ……ヴェール……今、そっちに行くぜ……)
体を支えていた力を失って、まるで糸が切れたように仰向けに倒れた男は、最後に呟いた。
「すまない……俺では……クオーレ……すま……ぃ……」
血だまりの中で急速に意識が暗転するのを感じながら、男は空を見上げていた。
翌日、剛力の戦士・ザバスの訃報が王都中を震撼させた。
第四章 「過去の痛みと赤の夜」
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王都から外れた小さな村。そこには魔王軍敗北を機に武器を捨て、普通の生活を送る事を選んだ魔族達が住んでいる。終戦から十四年も経っているため、そこで生活する者達は全員戦いなど忘れて平和に生きていた。
「やめてくれ……」
しかし、今日は勝手が違うようだった。
「僕が何をしたと……」
恐怖の表情を浮かべる魔族の男、彼は今目の前にいる者から剣を向けられていた。
「元魔王軍幹部だな……?」
黒い鎧に包まれた禍々しい圧力を発する男が言った。
「十四年前の事だ……! 今はもう普通の生活をしているんだ……!」
必死で助けを乞う男に黒騎士は近付いていく。
「やめろ、おい……!」
「貴様は有害だ。死ぬがいい……」
剣を振り上げる腕に、男の顔は恐怖に染まった。
「ぐああああああああああああ!」
のどかな村には不相応な絶望の悲鳴が響き渡った。
「石鹸は……買った。新しいバスタオルも、うん、買った。あ……、キャンドルをまだ買っていない……」
買い物籠を弄りながらラウルスは王都を歩いていた。普段は買い出しはクオーレがするが、丁度彼女の研究が大詰めとなっているため、今日は箒で飛ぶ練習も兼ねてラウルスが担当する事になったのだ。
「久しぶりに王都に来たな……」
森での暮らしに慣れて来ていたので、久しぶりに見た職人街は一層華やかで明るい物に見えた。
普段の学校ならば今は授業中だろうか? あまりラウルスくらいの年の人が見当たらなかった。
「まぁ、あまり会いたいとも思っていないし……」
そう言って買い物に戻ろうとした時。
「ん?」
掲示板に張られたあるポスターが目に留まった。
「魔法大会?」
近いうちに開催される催しのようだった。
「興味があるのか?」
「え?」
突然話しかけられ、驚いてそちらに目をやると、そこにはモノクルが特徴的なロングコートを着た男性が立っていた。
「ゴールドハーツ……!」
そして、彼の瞳には最もランクが高いとされる模様が浮かんでいた。
「お嬢さんも魔法使いか? 魔法学校の生徒ではないようだが……」
この時間に町にいる学生は殆どいないからか、彼はばっちりと言い当てた。
「はい、魔女の先生に弟子入りをして、住み込みで勉強しています」
「そうか、成程」
モノクルの位置を整えながら彼は言うと、ポスターを見た。
「魔法使いの登竜門のような大会でな、毎年盛り上がる王都を代表する一大イベントなんだ」
「そうなんですね……」
ラウルスもポスターを見る。
「お嬢さんもゆくゆくは魔女を目指すというなら、出てみるといい。魔法が使えれば誰でも参加できるからな」
「本当ですか?」
ラウルスは心が躍るのを感じた。
(私が先生との修行の中でどれほど成長できたか確かめるチャンスかもしれない)
「考えてみるといい、出場して損するような大会ではないからな」
「はい……」
(帰ったら、先生に相談してみよう)
「誰か……!」
そんな事を考えていた時、背後で悲鳴が聞こえた。
「む……?」
「え?」
振り返ると、ひったくり犯の男が女性の荷物を奪ってこちらに走って来ていた。そしてその異常さにラウルスは気付く。
(風術で逃げ足を速くしている!)
「やれやれ……」
モノクルの男性も対処すべく詠唱を唱えようとしていたが、それよりも先にラウルスが動いていた。
「登れ……」
「……!」
モノクルの男性は目を見開いてラウルスの方を見たが、ラウルスは気にせず続ける。
「迷走の幻灯、是、逃避を縛る透明の足枷なり、甘い嘘で染め上げよ、向かう明日はアプサラスの堕落、自身の胸中を誇るならば、朧の唇は迷宮となる……水術〝霞道〟三の詩・マインドフォール」
「な……何だこれは……ッ⁉」
ラウルスの詠唱が終わると同時に、男は取り乱す。
「どんなものを見ているのかは分かりませんが、貴方が恐れている幻想を引き出し、定着させました。これで、抵抗は出来ないでしょう?」
「うぐぐぐ……」
ラウルスは男に近付きながら言う。
「魔法を悪用する者は許しません‼」
ステッキを出してラウルスはもう一つ唱える。
「弾め……瞬間の衛星、是、怒気の呻きを消す轡なり、停戦の渇望を掬い、繋げる制止のバラード、無益な傷を拒むならば、秩序の掌は喝破となる……光術〝光道〟三の詩・リヒトフォルテ」
詠唱と共に発生した光と音は男の意識を刈り取り、一瞬で無力化した。
「ほう、これは……」
笑顔で女性に荷物を渡すラウルスの声を聞きながら、モノクルの男性はもう一度、大会のポスターを見た。
「只今帰りました」
家のドアを開けてラウルスが言うと、クオーレが自室から出て来た。
「お帰りラウルス」
「買ったものはそれぞれの場所に置いておきますね」
「うん。ありがとう」
作業を始めるラウルスにクオーレが問う。
「何だか機嫌がいいみたいだけど、どうかしたのですか?」
「え? そう、ですね」
あまりにも分かりやすく態度に出ていたのかクオーレが笑う。
「今日買い物の途中で人を魔法で助けたのですが、その時にお礼を言ってもらえた事が嬉しかったです」
「そう、それは良かったわね。一歩貴方の目指すものに近付いたんじゃないかしら?」
クオーレが頭を撫でると、ラウルスも笑顔で頷いた。
「じゃあこの調子で頑張りなさい。もう少しで免許皆伝だしね」
「はい! 頑張ります!」
笑顔で答えるラウルスに、クオーレは微笑んだ。
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「またか……」
殺された魔族の男性の遺体を見ながらザバスが顔を顰める。
「今回で五件目ですよ……」
「うーん……」
ザバスは困惑の表情で腕を組む。彼が調べているのは最近起こっている元魔王軍の魔族を標的に狙った通り魔事件である。
「魔王軍に所属していた以外は、共通点がないか……」
「隊長……!」
遠くから呼ぶ声がした。その場所に行ってみると何かを見つけたらしく、周囲の観察を行っていた。
「どうした?」
「見てください、この足跡、被害者の物ではありませんよ」
「何……?」
見てみると確かにサイズも形も違う。
「この跡は、グリーヴか……?」
「恐らく……。そしてこの跡が出来ている一帯から魔力の反応があります。被害者の魔法によって残った物と考えられます」
「つまり、この跡は……」
立ち上がってそこまで言う。
「はい、犯人の物と考えられます!」
その言葉にザバスも頷いた。
「よし、目撃情報を洗え。そして、元魔王軍所属魔族周辺の警戒も忘れるな」
「了解!」
団員達が各々の仕事の為に離れていく中、ザバスはずっと足跡を見ていた。
「このグリーヴの跡、何処かで……」
「魔法大会……?」
「はい、二週間後だそうです。私、出ようと思うんです」
浴槽の中でクオーレと向き合い、ラウルスは言った。
「先生のもとで自分がどれだけ成長できたか知りたいんです……!」
「そう……」
クオーレは少しだけ考えた後、口を開く。
「わかったわ、出場を許可しましょう」
「あ……ありがとうございます!」
ラウルスが言った時、クオーレは彼女の頬をつついた。
「ただし、条件があります」
「条件?」
ラウルスが聞くと、クオーレは言った。
「明日から、免許皆伝の為の最後の課題を出します。それをクリアして、晴れて私のもとから卒業してから出場しなさい」
「……!」
クオーレの言葉にラウルスは硬直した。
「明日から家事等の貴方の仕事はいいわ。その分課題に時間を割いてもらいます。それだけ難しい課題を出しますから」
「先生……」
ラウルスはまだ少し戸惑っていたが、クオーレは間髪入れずに言う。
「いいですか?」
「……」
ラウルスは少しだけ間を置いた。しかし直ぐに真剣な表情を作り、答えを出した。
「はい、頑張ります……!」
「うん」
ラウルスの覚悟を受け取り、クオーレは彼女を抱き寄せた。
「目撃情報、狙う標的、そしてあのグリーヴの跡……」
デスクに並んだ資料を睨みながらザバスは思考を巡らせる。
「……! いいや……」
推測の域を出ない考えが浮かんでは消えてゆく。
「……! し、しかし……」
その中で、少しだけ信憑性がある物も、グリーヴの跡を見た時から浮かんでいた。
「ぐぅ……そんな事……」
しかし、絶対にそれを信じようとしない自分もいた。
「クソッ……」
そんな風に頭を抱えていると、デスクに通信が来た。
「何だ……?」
「隊長……!」
受話器の先の声は酷く焦っている。
「六件目が起こりました……!」
そして飛び込んできたのは最悪の知らせだった。
「何だと? 警備に当たっていた者達は何をしていた……ッ⁉」
「それが……」
「……!」
その先を聞く前にザバスは理解した。
「直ぐに行く……」
「了解……」
力のない声を最後に通信は切れた。
「ぐ……まさか……」
唇を強く噛み締めて、ザバスもギルドの外に出る。そして、信じたくなかった考えが現実だった事を確信した。
朝の森の中で、クオーレとラウルスは最後の課題の準備を整えていた。
「先生……よろしくお願いします……」
「ええ、始めるわ」
クオーレは人差し指を立てて話す。
「まずはおさらい。魔法には大まかに五つの種類があるのは知っているわね?」
「光術、火術、水術、風術、土術です」
ラウルスが答えるとクオーレは頷いた。
「その通り。ただ、私が貴方に見せたものはそれだけではないわね?」
「はい、虹術〝鏡道〟ですね?」
クオーレは魔法で鏡を作り出す。
「そう、これよ。虹術と呼ばれる魔法」
鏡を解除すると授業に戻る。
「この虹術は最も難易度の高い魔法なのよ。使う為にはさっき言った五種類のうちどれかの魔法を掛け合わせる必要がある」
「……」
「そして、ここが重要だけれど、虹術を構成する魔法の比率を間違えると使えないの。私の使う虹術〝鏡道〟を誰も再現出来なかったように……」
そこまで言ってクオーレはラウルスの方を見た。
「最後の課題は……ラウルス、貴方だけの新しい虹術を作り出す事」
「私の……⁉」
「さっきも言ったとおり、この課題は本当に難しいわ。私も虹術〝鏡道〟を作るのに三年掛かったし、新しく作ろうと研究していたものは、十四年経った今も完成していないからね……だから、無理難題を押し付けているのは分かっています。ですが……」
「……!」
「私は、ラウルスならばそれが出来ると思っている」
「先生……」
「これからは、何も口出しはしません。いいですね?」
ラウルスは彼女の目を一度真っすぐ見て、直後、自身の周囲を魔力で包む。
「はいっ!」
「よろしい」
ラウルスの返事を聞いて、クオーレは頷いた。
3
夜になって、王立図書館は殆ど人がいなくなっている。そこに一人の男がやって来た。
「お前がここに来るのは珍しいな」
そして、彼にモノクルを着けた男が話しかけた。
「要件を聞こうか、ザバス……」
「ああ、シルフィー」
シルフィーと呼ばれた男はモノクルをネクタイで拭いて再び装着する。
彼もまた、ザバス同様魔王を討伐した英雄の一人である。今はこの王立図書館の館長をしている。
「今日、元魔王軍の魔族が何者かに殺され、それを守っていた憲兵八人も同じように殺された……」
「……最近の通り魔事件か」
ザバスは一呼吸間を置くと、口を開いた。
「犯人が分かった」
「……!」
「今から俺はそいつを止めに行こうと思う」
「そうか……。それで、僕は何をすればいいんだ?」
「ああ、一つ頼まれてくれないか?」
ザバスは口を動かした。
「違う……やり直し……」
ラウルスは魔法を唱えては消す作業を一日中繰り返した。しかし、これと言って成果が出た訳ではない。
「やっぱり、難しい……」
(こんな魔法が使えれば……)
「っ……」
何度失敗してもラウルスは繰り返した。自分の中で方向性を定め、其処に向かって手持ちの魔法を組み合わせていく。
「駄目、これも違う……」
そんな言葉が次第に増えていく。しかし、ラウルスは手を止めなかった。
ラウルス自身どうしてこんなに続けられるのかが分からなかったが、クオーレが彼女に対し「出来ると思っている」と言ったから、不思議と心の奥では負ける気がしなかった。
そんな作業を毎日繰り返すうちにあっという間に一週間が経った。
「これ、いいかもしれない……」
ラウルスの口からその言葉が出たのはそんな時だった。
「芽吹け……」
そして、無意識に頭に浮かんだ詠唱を口に出してみる。
ラウルスは確実に前へ進んでいった。
夜の路地裏で、二人の男が向かい合っている。二人は少しも動かなかったが、尽きる事のない闘気と圧力が絶えず闘争本能を刺激していた。
そして、先に口を開いたのは、ザバスの方だった。
「まさか……いいや、やっぱりお前だったのか……」
「……」
「何か言ったらどうだ?」
何も言わない黒騎士にザバスは気にせず言葉を紡ぐ。
「なぁ……わからないんだがな、お前はどうして今更になって魔族を殺して回っているんだ?」
「……」
「魔王は倒され、戦争は終わり、十四年が経った。もう何もないだろう……」
「……」
「お前はそれ以上何を望む……」
「……」
何も言わず、黒騎士は剣を構える。
「ふん、俺と話す事は何もないってか?」
「……」
「ならいい、わかった……」
そう言ってザバスも臨戦態勢を整える。
「言いたい事も、聞きたい事も山ほどある。だから先ずは、少しだけぶん殴らせてもらうぜ」
「……」
少しの間を置いて、ザバスは一直線に走り出す。鉄のような拳を限界まで握り、殴り掛かる。
(狙うのは奴の顔面のみ……!)
「オラァアア!」
「……」
夜の空に、ザバスの声が木霊した。
4
「目を開けてください……!」
トパーズのような瞳を持つ女性が必死に叫んでいた。彼女の腕の中では黄金色の頭髪の青年が胸から血を流していた。
「どうして……」
どんどん冷たくなっていく彼の体を思いきり抱き締めながら、女性は泣き続けていた。
「違う……やり直し……」
そんな言葉を繰り返しながら、クオーレは「虹術」の研究を続ける。あと一歩まで来たと思ったら、また振出しに戻る。そんな日々を繰り返してもう、十四年が経った。
「違う……やり直し……」
一日に何度呟くか分からない言葉を吐き続け、クオーレは何度も左手を翳す。
「違う……やり直し……やり直し……やり直し……」
壊れたように同じ言葉を吐き続けた時、
「どうして……!」
突然翳した左手を握り、叩き付ける。
「はぁ……はぁ……」
荒い呼吸を繰り返しながらクオーレは俯いた。
「っ……⁉」
そして、余程心が擦り減っていたのか、周囲の様子に気付いていなかった。
「先生……?」
困惑するような表情でこちらを見る弟子の顔を見てようやく我に返る。
「ラウルス……!」
「あの、どうしたんですか……?」
近付いてくる彼女にクオーレはいつもの調子に戻って接しようとした。
「……何でもないですよ。ラウルス。その、気にしないで……」
しかし、ラウルスは真剣な表情を崩さなかった。
「説得力がないです。そんなにボロボロ泣いていては……」
「え……?」
言われるまで気が付かなかったが、クオーレの目から雫が溢れていた。
「あ……、ぇ……何で……」
「先生……」
クオーレの手を握りながらラウルスは言った。
「教えてください。どうして、そんなに追い詰められてまで、虹術を作ろうとしているのですか? 過去に、先生に一体何があったのですか?」
「ラウルス……」
クオーレは最初は何も言わなかったが、踏ん切りが付いたのか口を開いた。
「わかったわ……」
ラウルスの手を引き、クオーレは歩き出した。
「全部教える」
「先生……」
言葉とは裏腹に、ラウルスの目に映る彼女はまだ躊躇しているように見えた。
ソファに腰かけ、ラウルスを隣に座らせると、クオーレは重々しく口を開いた。
「以前大きな戦いの中で、私の〝左手の薬指に指輪を填めてくれた親友〟を、死なせてしまった事があってね……。助ける事が出来なかったのよ……」
「……!」
「虹術を作ろうとしたのは、そんな自分が、許せなかったからかな」
そう言って、左手の手袋を外した。
「彼の事は、一度だって忘れた事がない」
薬指に填まった指輪を見ながら、静かに笑った。
「前に言っていた、結婚を考えていたという話ですか……?」
「ええ、そうね……」
その話をする時にクオーレが見せた何処か寂しそうな表情を思い出し、ラウルスは唇を噛んだ。
(最初に話を聞いた時は、何か事情があって結婚をしなかったのだと思っていた……)
しかし、それは違った。クオーレは愛した存在を喪ったために、結婚ができなかったのだ。
「では、作ろうとしている虹術は……」
「人の怪我を治す魔法……。完成すれば魔法の常識が変わるような、まるで空想のような魔法よ……」
本来は人の負傷を治すのは、魔法使いの役目ではなく、リジェのような薬師の役目である。魔法はあくまで〝破壊術〟であり、戦闘において魔法使いは支援を担当する役職ではない。
そんな〝人を壊すための術〟を逆に〝人を治すための術〟に変えようとする事がどれほど突拍子もなく無謀な挑戦であるかは、ラウルスにも容易に理解できた。
「何も、死んだ人を生き返らせようとは思っていない……。ただせめて、私の周りの人が〝心臓を貫かれて死ぬ〟なんて結末を迎えないで、戦いとは離れた場所で死ねるように……。もう目の前で、大切な誰かが死ぬのを見たくはないの……」
「あ……」
クオーレの言葉で、彼女が愛した存在が残酷な最期を迎えた事、彼女がその記憶に長い間縛られていた事がラウルスにも分かった。
「先生……」
「でも、私には難しいみたい……。一体今まで、どれだけの数を〝硝子〟にしてきたのか……。私は、もう誰かを壊す詩しか読み上げられない……」
悲哀に満ちた目で暫く薬指を見つめた後、クオーレは手袋を填めた。その時ラウルスには、彼女の手首から上を包むステンドグラスが皮肉なくらいに綺麗に見えた。
「先生……」
「……さて、お風呂の用意をしてくるわね。今日は、もう休みましょう……」
ラウルスの顔から眼を逸らし、クオーレが立ち上がる。
「……っ」
その時の彼女の表情を見て、ラウルスの体が反射的に動いていた。
「……ラウルス?」
「……!」
気付けば、ラウルスはクオーレの左手を掴んでいた。
「先生……」
何となく、ラウルスにはこうする事が正しいと思った。今彼女を呼び止めなければ何か後悔が生まれるような気がした。
「私には、先生がどれだけの傷を負い、どれだけ重たいものを背負ってきたのか、とても想像が出来ません……。だけど……」
「っ……」
クオーレの左手を両手で握り、ラウルスは彼女の目をじっと見た。クオーレは目を見開いて困惑したような表情を浮かべていたが、ラウルスは続けた。
「私は、先生以上の魔法使いを知りません」
「ラウルス……」
「あの日、ゆっくりと死を待つだけだった私を……救い出してくれたのは先生です」
出会った日の敗北と、恐怖を溶かしてくれるような顔で笑った彼女を思い出しながら、ラウルスは言った。
「ずっと、私の才能を信じて……導いてくれたのは先生です」
彼女との日々が〝技術〟にしてくれたものを思い出しながら、ラウルスは言った。
「私に、勇気をくれて……夢を追いかける標を示してくれたのは先生です」
彼女の両手をもっと強く握り締めると、ラウルスは言った。
「だから、後ろ向きな言葉は吐かないでください。私は、世界一の魔法使いである、先生の事が大好きです」
「……!」
ラウルスがそう言った時、クオーレは再び目を見開いた。
「……」
それから暫くして、静かに微笑んだ。
「困るわ……ラウルス……」
そして、溶け込むような声でそう言った。
「先生……?」
「こうしてまた……喪いたくない存在が、増えてしまったじゃない……」
「……!」
クオーレはラウルスを抱き寄せた。
「約束しますよ。私、先生の前では死なないように、もっともっと努力します。いつか、先生の事も守れるくらいまで……立派な魔法使いになります……」
ラウルスがそう言った時、彼女を抱く師の目から、その身体の温度を帯びた雫が彼女の頬にひとつ落ちた。
「もう……置いて行かないでくださいよ」
何処か対象が曖昧になった要求を呟き、クオーレはラウルスを抱き締めた。
「……」
ベッドの中での腕の力よりも弱々しい抱擁だったが、ラウルスの頭にはこれを振り解く選択肢は存在しなかった。
5
「……」
不気味な程に綺麗な月明かりの下で、風化した路地裏の壁にもたれ掛かりながら天を仰ぐ男がいる。
「……」
傷だらけの体から滴る赤色を、最早意識から追放して、ただただ空を見上げていた。
「少し……名残惜しいが……もう……ここまで……だろう……な……」
力が抜けて、ずるずると姿勢が崩れていく音にすら搔き消されるくらいの小さな声で、そんな言葉を紡いでいた。
(早すぎるけどよ……ヴェール……今、そっちに行くぜ……)
体を支えていた力を失って、まるで糸が切れたように仰向けに倒れた男は、最後に呟いた。
「すまない……俺では……クオーレ……すま……ぃ……」
血だまりの中で急速に意識が暗転するのを感じながら、男は空を見上げていた。
翌日、剛力の戦士・ザバスの訃報が王都中を震撼させた。
第四章 「過去の痛みと赤の夜」
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