上 下
37 / 52
「咎の雨に沈め」

37 新しい伝説

しおりを挟む
「私を連れて行って頂けませんか? 生娘でもなく、若くもないですが、私にはイトハと同じ血が流れています。千帆さんには、普通の人生を歩んでもらいたかったのですよね? 私を燃やしてください。私を生贄にして、力を取り戻してください」

「それは、できないよ」


 煌が静かに答えた。
 病室の扉がけたたましく鳴った。血相を変えた母が、勢い余ってベッドにぶつかる。髪を振り乱したまま、食い入るように煌を見据えた。


「私にして」

「……お母さん」


 見た事もない、母の真剣な表情。
 私は息を呑んだ。


「私も煌の血を呑んだよね? だったら、私でもいいはずだよね? 千帆を守って貰うためにした事だったのに、今になって千帆を連れて行くの? どうして?」


 母の声が震えている。
 煌は私の手をしっかりと握り直してから、口角をあげた。


「千帆はつがいになった。千帆を連れて行くよ」


 シーツを握りしめて泣き崩れたかと思ったら、母は突進してきて私の腕を掴んだ。それから煌を叩こうとして、私は咄嗟に、母の細い手首を掴んでいた。


「離しなさい!」

「お母さん」

「こんなんじゃない! こんな事、望んでない!!」

「お母さん!」


 私はただでさえ体が大きくて力が強かった。でも、母の抵抗をなんの努力もなしに封じてしまうほどではなかった。だって、母も見かけによらず、体が丈夫で怪力だったから。
 
 私は煌の魄を呑んだ。
 きっかけは母だったかもしれない。でも、過去の話だ。

 母は伯母の死を知り、凱おじさんに襲われ、娘を失うのだ。辛過ぎる。
 私は母の目を覗き込んで、その哀しみに胸が詰まった。


「きっと、お母さんと私には、別々の運命があるんだよ」

「……千帆?」


 怯えと戸惑いを湛えた瞳から、涙が溢れて頬を伝い、細い顎からぽたぽた落ちる。母は、私みたいな娘がいるようには見えないほど若い。16年前に、みんなが命を掛けて守った命。娘だからって、私が守っちゃいけない理由はない。


「私はやるべき事をやるよ。お母さんも、お母さんにしかできない事をして」

「千帆……」

「死ぬわけじゃないんだよね? 煌」


 母を片腕で抱えて見下ろすと、煌が私を見つめていた。
 私だけを、見つめていた。


「うん」

「ほら、ね? お母さん。娘なんてどうせいずれ嫁ぐんだから、これは早めの結婚式だよ。自分だって高校中退して私を産んだんでしょ? 一緒一緒」


 母を抱きしめて、背中をぽんぽんと叩く。
 そして煌の向こう、灰色の濡れた空を眺めた。
 

「私たちは生贄なんかじゃない。新しい伝説を作るんだよ」


 ふしぎなほど、心は鎮まっていた。
しおりを挟む

処理中です...