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〈牙の章〉
(牙)7 願い。
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翌朝、凱と私は書斎を整理して奥に木枠を組み、煌の手足を麻縄で結んでいた。宮司や勘の鋭い奴らに悟られないよう、波覇鬼が消えたと偽装するため、摂社ではなく蛇木家に封印してほしいと煌が言ったのだ。
「大丈夫なの? なんだか、死体遺棄みたいで恐いんだけど」
「死なないよ。眠るだけ。その代わり、いざというときのために、凱以外でも封印が解けるようにしておくから覚えておいてね」
「いろいろできるのね」
「贄の血でも解けるようにしておくんだよ。そうすれば吹季ちゃんが解ける。奏くんは吹季ちゃんといるし、紗南は僕といるだろ? 抜かりはない」
縛られた煌と、その煌に覆いかぶさるようにして座る凱が、朗らかな笑顔で私を見ていた。でも煌が突然、切なそうに眉を顰めた。
「はぁ。紗南ちゃんを見てると名残惜しくて辛いよ。だってすごく綺麗だ」
「煌。僕の許嫁だ」
「わかってるよぉ。結婚式には立ち合えないけど、こうしてひっそりと一緒に暮らせるんだから、我慢する」
「キモイ」
人間の死体に似た蛇神と同居なんて変な感じだけれど、最善策だから仕方ない。新しい壁を作って埋めてしまう予定だけれど、それがいいのか悪いのかもすごく微妙だ。
煌がますます情けない顔になって、くねくねと悶え始めた。
「ああ、だめ。紗南ちゃんがいると気が散っちゃう。つい見ちゃう」
「はいはい。邪魔者は退散します」
もしかして封印の儀というのは、えげつなく、痛々しく、おどろおどろしすぎて見るに堪えないものなのかもしれない。それで追い出そうとしているのだとしたら、騙されてやるのが人情だ。
「散歩しておいでよ」
「わかった。ついでに、朝の市でなにか買ってくる」
「ありがとう」
書斎を出る間際、煌がもう一声あげた。
「おやすみぃ~! 紗南ちゃん、またね!」
「はーい。おやすみ、波覇鬼サマ」
念のために稽古用の居合刀を納めたケースを担いで家を出る。河原や畦道で素振りしている姿は村の誰もが見た事のある、ありふれたものだ。だから怪しまれたりはしない。
商店街の朝の市で食材を買い込んで、帰り道を歩く頃にはたいぶ日が高くなっていた。
みんな昨日の事が嘘のように、あるいはなんでもない普通の事のように、いつも通りに接してくる。気味が悪い。でも、私も真実を悟られるわけにはいかないのだからいつも通りに笑った。
空は快晴。
吹季は今、どの辺りだろう。
「──」
曲がり角の向こうから、中邑が姿を現した。歩道での袴姿は、居合刀を担ぐ私より遥かに場違いで浮いている。
清々しい朝の気分が、台無しだ。
「藤生紗南」
「昨日はお世話様」
たっぷりと嫌味を込めて微笑んでやる。
「貴様らは、甕津神様の巫女を穢し、神聖なる守り神を愚弄した」
「そう? どうかしら」
私は昂り、憤り、そして勝ち誇っていた。
「身重の女を選ぶくらい耄碌した神様なんて、最初から嘘っぱちでしょ」
昨日、待ち合わせをした石段の上で、妹にされた内緒話。
吹季は奏の子を妊娠していた。
だからどの道、普通の高校生活を送れはしなかったのだ。
顔を見れば喜んでいるのがわかった。安心して、誰にもあれこれ言われずに産んで育てるためにも、こんな閉鎖的で狂った村は出たほうがいい。
「そうか」
中邑が低く、呟いた。
「そうか。それは、丁度よかった」
「?」
空気が禍々しく変わる。
中邑が懐から短刀を取り出した。
背筋が冷える。
私は買い物袋を地面に落とし、担いだケースから居合刀を出して構えた。
耳の奥から、自分の血の音が聞こえた。遠くで落ちた鞘の弾む音が、聞こえた。
「我らの守り神であらせられる甕津神様は、その蛮行と狼藉を許し、穢された巫女である藤生吹季の代わりに貴女をこの善き年の巫女に選ばれた。謹んで、受けよ」
「……は?」
邪悪な笑みを浮かべ狂気を目に宿した中邑が、短刀を鞘から抜いて私に向ける。
私の、右目に。
汗が噴き出してきて、手が、震えた。
「なに、言ってるの……? 私は、蛇木凱の許嫁──」
「であるならば、神職の伴侶となるべき女。婚礼まで、契りは結ばない」
中邑は、本気だった。
今、私はひとりだ。
吹季が逃げている。吹季は、奏が守ってくれる。
中邑が勝利に酔い、低く間延びした笑いを洩らした。
「……!」
この村は狂っている。
この男は、狂っている。
凱は今、蛇神を封印している。成功したのだ。その存在を感じないからこそ、中邑はここまで自分の勝利に酔い痴れて笑っていられる。
私は、勝てるだろうか。
凱は、この村から逃れられない。
「甕津巫女、たっぷりと可愛がってやるぞ」
中邑の醜い高笑いに、私は歯を食いしばり……願いを込めた。
── 煌。 凱 を 、 守 っ て ……
(牙・終)
☆次章・大紋春菜編☆
「大丈夫なの? なんだか、死体遺棄みたいで恐いんだけど」
「死なないよ。眠るだけ。その代わり、いざというときのために、凱以外でも封印が解けるようにしておくから覚えておいてね」
「いろいろできるのね」
「贄の血でも解けるようにしておくんだよ。そうすれば吹季ちゃんが解ける。奏くんは吹季ちゃんといるし、紗南は僕といるだろ? 抜かりはない」
縛られた煌と、その煌に覆いかぶさるようにして座る凱が、朗らかな笑顔で私を見ていた。でも煌が突然、切なそうに眉を顰めた。
「はぁ。紗南ちゃんを見てると名残惜しくて辛いよ。だってすごく綺麗だ」
「煌。僕の許嫁だ」
「わかってるよぉ。結婚式には立ち合えないけど、こうしてひっそりと一緒に暮らせるんだから、我慢する」
「キモイ」
人間の死体に似た蛇神と同居なんて変な感じだけれど、最善策だから仕方ない。新しい壁を作って埋めてしまう予定だけれど、それがいいのか悪いのかもすごく微妙だ。
煌がますます情けない顔になって、くねくねと悶え始めた。
「ああ、だめ。紗南ちゃんがいると気が散っちゃう。つい見ちゃう」
「はいはい。邪魔者は退散します」
もしかして封印の儀というのは、えげつなく、痛々しく、おどろおどろしすぎて見るに堪えないものなのかもしれない。それで追い出そうとしているのだとしたら、騙されてやるのが人情だ。
「散歩しておいでよ」
「わかった。ついでに、朝の市でなにか買ってくる」
「ありがとう」
書斎を出る間際、煌がもう一声あげた。
「おやすみぃ~! 紗南ちゃん、またね!」
「はーい。おやすみ、波覇鬼サマ」
念のために稽古用の居合刀を納めたケースを担いで家を出る。河原や畦道で素振りしている姿は村の誰もが見た事のある、ありふれたものだ。だから怪しまれたりはしない。
商店街の朝の市で食材を買い込んで、帰り道を歩く頃にはたいぶ日が高くなっていた。
みんな昨日の事が嘘のように、あるいはなんでもない普通の事のように、いつも通りに接してくる。気味が悪い。でも、私も真実を悟られるわけにはいかないのだからいつも通りに笑った。
空は快晴。
吹季は今、どの辺りだろう。
「──」
曲がり角の向こうから、中邑が姿を現した。歩道での袴姿は、居合刀を担ぐ私より遥かに場違いで浮いている。
清々しい朝の気分が、台無しだ。
「藤生紗南」
「昨日はお世話様」
たっぷりと嫌味を込めて微笑んでやる。
「貴様らは、甕津神様の巫女を穢し、神聖なる守り神を愚弄した」
「そう? どうかしら」
私は昂り、憤り、そして勝ち誇っていた。
「身重の女を選ぶくらい耄碌した神様なんて、最初から嘘っぱちでしょ」
昨日、待ち合わせをした石段の上で、妹にされた内緒話。
吹季は奏の子を妊娠していた。
だからどの道、普通の高校生活を送れはしなかったのだ。
顔を見れば喜んでいるのがわかった。安心して、誰にもあれこれ言われずに産んで育てるためにも、こんな閉鎖的で狂った村は出たほうがいい。
「そうか」
中邑が低く、呟いた。
「そうか。それは、丁度よかった」
「?」
空気が禍々しく変わる。
中邑が懐から短刀を取り出した。
背筋が冷える。
私は買い物袋を地面に落とし、担いだケースから居合刀を出して構えた。
耳の奥から、自分の血の音が聞こえた。遠くで落ちた鞘の弾む音が、聞こえた。
「我らの守り神であらせられる甕津神様は、その蛮行と狼藉を許し、穢された巫女である藤生吹季の代わりに貴女をこの善き年の巫女に選ばれた。謹んで、受けよ」
「……は?」
邪悪な笑みを浮かべ狂気を目に宿した中邑が、短刀を鞘から抜いて私に向ける。
私の、右目に。
汗が噴き出してきて、手が、震えた。
「なに、言ってるの……? 私は、蛇木凱の許嫁──」
「であるならば、神職の伴侶となるべき女。婚礼まで、契りは結ばない」
中邑は、本気だった。
今、私はひとりだ。
吹季が逃げている。吹季は、奏が守ってくれる。
中邑が勝利に酔い、低く間延びした笑いを洩らした。
「……!」
この村は狂っている。
この男は、狂っている。
凱は今、蛇神を封印している。成功したのだ。その存在を感じないからこそ、中邑はここまで自分の勝利に酔い痴れて笑っていられる。
私は、勝てるだろうか。
凱は、この村から逃れられない。
「甕津巫女、たっぷりと可愛がってやるぞ」
中邑の醜い高笑いに、私は歯を食いしばり……願いを込めた。
── 煌。 凱 を 、 守 っ て ……
(牙・終)
☆次章・大紋春菜編☆
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