妹のせいで婚約破棄になりました。が、今や妹は金をせびり、元婚約者が復縁を迫ります。

百谷シカ

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9 見慣れた封蝋

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「今にも噛みつきそうな顔をしているわ。そして、呻ってる」

「でも牙を剥いてないでしょう?」


 恐い顔で優しい声を出すから、それが一層、恐いのよ。
 未だかつて私たちの空気がこんなにも張り詰めた事はなかった。

 私は彼を宥める事に決めた。
 机に肘をついて、身を乗り出す。


「デュモン、心配してくれてありがとう。でも大した問題ではないわ。求婚を受けた事だけを喜んで、彼の事はうまくあしらう」

「……」


 あら、いやだ。
 錐のような眼差しで私を見たわ。


「……デュモン」


 息が詰まる。


「疑ってるの? 大丈夫。私は大人よ?」

「手を振って払える虫と、噛みついて毒を流し込んでくる虫と、世の中には2種類の虫がいますが、箱入り娘のあなたが後者のあしらい方を心得ているとは思っていないし、覚えてほしくもありません」


 怒っているみたい。


「喧嘩を売ってるの?」


 声音を真似て睨んでみた。
 しばらく睨めっこしていたら、どちらともなく笑い出したり……しないかしら。

 
「……」


 しないわね。


「……」


 困ったわ。


「……」


 焦ってしまったけれど、少し考えたら当たり前の事に気づいた。
 彼はデュモン、そして私はプリンセス・バルバラ。

 私はにっこりと笑いかけた。


「安心して。私にはカジミール・デュモンがいる」

「……」


 効いたわ。
 デュモンがいつもの微笑みを浮かべた。

 険悪なムードがシャボン玉のように弾けた瞬間、扉を叩く音がして執事のセシャンが書斎に入ってきた。


「ご主人様、御手紙です」

「害虫から?」


 デュモンが応対する。
 私は視線で執事を促し、手紙を受け取った。


「いいえ」


 執事が答え、私は言葉を失い、封蝋に釘付けになっていた。


「バルバラ?」


 デュモンに名を呼ばれた事にも気づかず、私はその見慣れた封蝋を見つめていた。


「……」


 執事がデュモンの腕に触れて退室を促す。


「いいえ」


 私は引き留めた。


「ふたりとも、ここにいて」


 自分でも、酷く乾いた声だと思った。
 ナイフで封を切り、書面を確かめる。

 長い手紙ではなかった。
 読み終えて、もう一度読んで、それを机に置いて窓辺に向かって歩いた。

 庭を眺める。そこに答えがあるわけではないけれど、心を落ち着かせる時間が必要だった。

 視界の隅で、デュモンが手紙を手に取った。執事は咎めない。
 彼も文面に目を通し、そっと手紙を戻した。それから聞き慣れない鼻歌を始める。異国の子守歌か、恋人たちの歌か、それとも神を讃える歌かは知らない。ただその旋律が、私の心を掻き乱す嵐を宥める助けになったのは事実だ。


「ご主人様」


 執事が声をかけてくれる。


「どうって事ないわ。会いたいって」


 動揺した声で、私は答えた。
 心臓が口から飛び出すか、私の体が弾けてしまうか、どちらが先か。
 
 大きく息を吸う。

 ルベーグ伯爵。
 爵位を継いだ元婚約者ジェルマン・アシル・ジリベールからの手紙だった。
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