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【九】霜女覚書

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 家老・小笠原少斎が細川ガラシャの介錯を務めた後、切腹。
 その頃には既に、少斎と河喜多の仕掛けた爆薬が、屋敷を赤く染めあげていた。気持ちいいほど、ぼぉぼぉ燃えた。

 命辛々、落ち延びた数名の侍女。
 それらを率いて訪れたのは、堺の教会。

 敵に渡すまいとしたガラシャの遺体を、その骨を、丹念に拾い集めた人物がいる。オルガンティノ神父その人だ。妻の死を嘆き悲しんだ忠興は、このオルガンティノ神父に依頼し、教会にてガラシャを葬った。だが結局は、後に寺へ改葬している。

 徳川家康のキリシタン国外追放令による一連の弾圧で処刑された中には、ガラシャの影響を受けキリシタンとなっていた細川家所縁の者が少なからずいた。残忍且つ無情。常に天下人となる人物を嗅ぎつけ従う才能が、細川忠興にはあったように思う。だからどうという事もないのだが。

 忠興の親友、キリシタン大名の高山右近は私財を棄て海を渡り、異国で聖人として迎えられて死んだ。

 殉教とそうでない死様のキリシタンを見るに、あの日棕櫚が叫んだ台詞には考えさせられるものがある。異国の神を主とした細川珠が、なにを考えていたのかはわからない。ただその死という事実が、後の殉教者たちに繋がっている事は確かだ。

 祈る声を、今も思い出せる。

 あの日、忠義より情が勝った。己の道を踏み外した棕櫚を罰すべきであった私が、秘薬で人格を奪い、自由にしてやった。棕櫚は死んだと、報告した。実際、棕櫚は消えたのだ。秀林院。珠。ガラシャにくれてやった。今はどこでなにをしているやら。

 でうすという奴がいるのなら、再びあの目を、あの口を、開かせるがいい。


「……」

 
 まあ。
 生きているか死んでいるかさえ、もう与り知らぬ事。昔の話だ。

 私は筆をとる。
 老いた此の身の、最後の仕事となるやもしれぬ、誠を込めた嘘八百。細川珠の侍女として生きた霜なる老婆に、あの日の出来事を報告せよと御上からの御命令。

 『秀 林 院 様 御 果 て 成 さ れ 候 次 第 の 事』

 其れを正保五年二月十九日と締め括れば、過ぎた歳月に笑いのひとつも出るというもの。よくも生き永らえました。あの世の口も、ぱっくり開いて構えております。

 もしあの世で会えぬなら……。
 きっとふたりとも、ぱらいそにいるのでありましょう。



                                 (完)
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