お兄様、奥様を裏切ったツケを私に押し付けましたね。只で済むとお思いかしら?

百谷シカ

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3 乳母が胡散臭いです

 困惑の境地。
 泣き叫ぶ赤ん坊、甥のカルミネを落っことさないように抱きながら、だんだん足から力が抜けていくのを感じた。

 座ろうかしら……


「ソニア」


 こんな時だけ察しよく、兄が椅子をすすめてくる。
 まあ、座ったわよ。


「ふぎゃっ!」


 パンチも食らった。
 もう慣れたし、鼻の穴よりはましよ。

 ただ、座った関係で、目に届くようになったわ。
 指が、ね。


「いたッ!」

「心配する必要はない。お前に面倒を見ろとまでは言わない。これが乳母のスージーだ」

「乳母……?」

「ふぎゃっ」


 乳母車の後ろのチェストの脇から、女が……


「え?」


 待って。
 普通、そこに隠れて待ちます?


「すべて私にお任せくださいませ。よろしくお願い致します、ソニア様」

「……は?」


 スージーという乳母は、乳母らしい格好はしている。
 でも、それだけ。
 
 目鼻立ち。
 身体つき。
 あと、なにより、目つき。

 そして空気。


「……」


 あ。

 そういう事ね。

 愛人が亡くなったというのは嘘。
 スージーが、兄の愛人だ。


「カルミネ様をこちらに」

「……」


 さも当然のように、スージーが腕を伸ばしてくる。
 自分の息子の名前に、様をつけて。


「ぎゃあああぁぁぁぁっ!!」

「?」


 スージーに赤ん坊を渡しながら、私はハッとさせられた。

 赤ん坊が、もっと泣いたから。
 スージーの〝乳母〟の仮面は完璧だった。
 それは母性でも奉仕でも愛でもなく、本当の彼女を隠すための〝乳母〟という仮面。

 私は、泣き叫ぶ赤ん坊を抱いて揺れるスージーを見つめた。


「ソニア」

「!」


 兄に呼ばれ、我に返る。
 

「お前の続き部屋を息子の部屋にするか?」

「……はい?」

「ソニア様、赤ん坊は始終このように泣き通しですよ。夜も眠れませんし、気がおかしくなります」

「……」

「排泄もします」

「……」

「お前が選ぶといい。下々の者どものように子育てに関わるか、貴族然として乳母に一任し子が熟するのを待つか」

「……」

「お任せください、ソニア様」


 なるほど。
 丸め込めると思っているのね。

 
「続き部屋に」


 私は宣言した。
 兄は少し、眉をあげた。

 意外だった?
 
 お兄様……これは、大きな過ちというものよ。
 見縊ってくれたわね。

 
「スージー。ベビーベッドと一緒に私の続き部屋へ来なさい。あなたが疲れたら私が変わる」

「……お気持ちは、ありがたいですが」

「まあ、いいじゃない。やってみましょう。私が音を上げたら泣き声の届かない部屋まで移ればいいじゃない。いいですわね? お兄様」

「え、あ、ああ……」

「では、スージーと失礼いたします。スージーと、息子とね」


 私は笑顔で頬の涙を拭いた。
 

「ベビーベッドはすぐに運んでくださいますわね? 乳母車に寝かしておくなんて、私たちが馬車暮らしをするようなものですわ。大切なお兄様の血を引く男児ですもの、誰よりも敬うべきですわ。そうですわね?」


 矢継ぎ早に言ってやった。

 スージーと兄は目で語りあい、兄の「行け」という顎の指示に、頷きもせず従った。

 
「あ、待って!」


 赤ん坊を乳母車に乗せようとしたスージーを、私は止めた。
 そして邪魔されないよう大股で突進して、乳母車を確保した。


「私が運ぶから、あなたは息子を抱いていて。とんでもなく泣いてるもの。抱っこに慣れてもらいましょう」

「はんぎゃああっっ! あががががっ!! んぎゃっ!!」
  
「……」


 さあ、スージー。
 どうするの?


「畏まりました、ソニア様」


 乾いた返事をした瞬間、赤ん坊のパンチがスージーの顎に決まった。
 
 そうよね、坊や。
 こんな胡散臭い女、嫌よね。

 母親だろうと、二人きりにはできないわ。


「では」


 私は空の乳母車を押して部屋を出た。
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