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第一章 呼び覚まされた記憶
1旅立つもの
しおりを挟む真っ白な城壁に囲まれた領地だった。
本当にこれからこの街に行かないといけないのか、滞在しないといけないものなのだろうか、このまま突っ切って神都ニフタまで行ってくれないか、そんなメアリーの気持ちを一切合切無視して、ジャックはキャビンから真っ先に出て民衆に向かってお辞儀する。その後ろ姿には悪意はない。むしろどこか楽しげであることは確かだ。
現在メアリーとアリオストロが乗るキャビンは、北の街ポスの荘厳な作りの門を通りすぎ、なぜか人口密度の高い広場のような場所で止まっていた。
先ぶれを出していた、とはジャックの言葉だった。
この際、メアリーが戴冠者でなかった時のことは……なんて疑問の言葉は口には出なかった。
この人は最初からそんなこと考えていなかったのだろう。雄弁に「かの人たちこそ、戴冠者メアリーと選ばれしものアリオストロです!」なんて語る姿は最初から予行練習でもしていたのか、そう疑うくらいにはスラスラと言葉を羅列させてる。謎の民衆の熱い視線と熱気を感じながら気圧されるアリオストロの背中を軽く押す。
今この状況で猫背や不安暴走を引き起こされても、メアリーではなんのフォローもできない。
いや、そもそも、ここからの発言は慎重にしていかないといけない。
もちろんメアリーもだが、一番はアリオストロだ。
事実がどうであれ、次期王候補として持ち上げられるならそれに相応しい人であるべきと民衆は思っている。だからこの熱気を出しているのだし、期待したような瞳をこちらに向けてきているのだ。
これで次期王候補であるアリオストロがナヨナヨした姿を見せて仕舞えばどうなる。
王を決める儀式がもし民衆からの指事であった場合、圧倒的な不利を強いられる。
だから嘘でもハッタリであっても、今ここでアリオストロは擬似的なカリスマ性を見せないといけない。でも、もう民衆の前に曝け出されてしまった以上、メアリーはこの考えをアリオストロに伝えることが出来ないのだ。
計ったな、ジャックのやつ。
メアリーは心の中でそう吐き捨てた。
しかもこれでタチが悪いのが、メアリーたちを貶めることがジャックの目的ではなく、この状況に慌てるメアリーたちを観察することが目的であると言うこと。でなければ、睨みを効かせたメアリーに対して、ニマニマと嬉しそうな表情を浮かべるはずがない。
現在進行形で彼はホクホクしていた。
さて、そんな悪趣味な奴は放っておいて、思考の海から這い出て必死に打開策を考えていた。
思考時間にして0.5秒。流石は鶯鳴だったときの記憶があるからか、即決即断のための思考は常人よりも早かった。
民衆の波が荒れる中、メアリーはアリオストロよりも半歩前に出る。
多くの人々の黒だったり金だったり、果てには青色だったりする視線を受けながら、しかし緊張の様子を悟らせない姿で微笑む。思わずと言うように息を呑み込む人々を見て、メアリーはこの空間を支配することができたことに一安心した。
だがその安心という感情をすぐに呑み込んで、表情には出さない。
そう己を律することにメアリーは徹した。
いつかどこかで聞いたことがある。
微笑みとは一種の威嚇だ。相手の目を見て微笑むことは「お前をこちらも見ているぞ」と言う知らせになると、鶯鳴だった頃にメアリーは聞いていた。あのときは「へー」だか「ふーん」だか言って早々に飽きて話を切り上げさせたが、今こうしてそれが役に立っている。案外人の話はしっかりと聞いているべきだな、そんな考えをメアリーは浮かべる。
たとえ眉唾ものであったとしても、こうして役に立つ日が来るかもしれない。
「ご紹介に預かりました。こちら、私が選びました専属の護衛であるアリオストロです」
ふわり、時間が止まるように髪が舞いアリオストロのやや開いた目が視界に映る。
それを無視してメアリーは「私は戴冠者のメアリー。メアリー・パートリッジです」と告げた。
今まで沈黙を貫いていた民衆たちが、火がついたように歓声をあげる。
だがアリオストロだけは、まるで世界から置いていかれるような、そんな気持ちに襲われた。なんでか胸が痛くなるような、きゅっと握られてしまうような、さっと血の気が引くようなそんな感覚と共に、深淵に呑み込まれるような感覚が体を襲った。
なんで、唇が形作ろうとした言葉は震えるばかりで止まった。
その先を聞いてしまえば、終わる気がして。あの苦しい日々がまた背後から迫って来るような気がして堪らなかった。
そんなアリオストロの様子を見ながら、ジャックは顔に微笑みを称えた。
華々しく歓迎の意を受けるメアリーと護衛として紹介されたアリオストロの心理的な格差。そのコントラストにジャックは美しさを見出した。加えてまるでわかっていないアリオストロの介護をするメアリーに憐憫の気持ちを向ける。全く先ほどまで命を狙われていたのに、お気楽なものだ。
そんなことを考えながら、ジャックはどさくさに紛れてキャビンと共に姿を消した。
さて状況を全く理解していないアリオストロときっと意図を汲んでくれただろうと思っているメアリーは現在進行形でまだすれ違っていた。黙りと気配を押し殺すアリオストロと、「戴冠者様」と持て囃されるメアリー。自分がここにいること自体が場違いだったんだ。そんなことを思い出し始めたアリオストロがあわや逃げ出す三秒前。
突如として咳払いが聞こえた。
それはものすごく大き音ではなかった。テノールの低い、むしろ響きにくい声色。だが、異様にこの空間で大きく響いたように聞こえた。
そう思ったのは、メアリーに集っていた民衆がさっと身を引いたからである。両端に綺麗に身を引く姿はかの有名なモーセの奇跡のように美しく、それでいて俊敏であった。
そしてメアリーの視界が晴れたとき、開いた道の先にいたのは二人のヒトであった。
一人はアリオストロと同じくらいの青年。もう一人は四十代後半から五十代前半くらいの男。
「いやいや、遅れて申し訳ない」
そう言ったのは男であった。
どの金色よりも鮮明な黄金色の髪を短く切った、体格のしっかりした男。彼は赤色の緑色のキトンを着て、赤色のマントをつけている。その姿からも一眼で権力者であることがわかった。プセーフォスとは比べることもできないカリスマというか、圧というか、そう言うものに気圧されながらもメアリーは微笑した。
「申し遅れた。私はブルゴーニュ。こっちは息子のシャルルだ」
大股で歩きメアリーたちの前に立ったブルゴーニュはそういう。
髭の生えた口元はニッと引き上がっており、逞しいと思う一方で恐ろしいなとメアリーは唇を噛む。
「これでもこの北の街ポスの領主だ。よかったら息子ともども仲良くしてほしい」
差し出された筋肉質の手を、メアリーは躊躇しつつも握った。
最悪なシナリオだ。この瞬間を領主であるブルゴーニュは待っていたのだろう。腹の読めないやつとの交流は嫌なのだが、今日は相当な厄日らしい。メアリーはジャックの顔を思い浮かべながら、人知れず息を呑み込んだ。
認知という言葉がこの世にはある。
知名度といっても差し控えない。あと空気という流れも付属しておこう。要は目の前のブルゴーニュは息子であるシャルルを次期王候補にしたい。そのためにもメアリー自身がシャルルを選ばないといけない空気にさせたいと策略しているのだろう。
そしてその効果は覿面である。
暗殺のリスクを考えて護衛として紹介したアリオストロを今更次期王候補として名乗らせることはできない。だがこの多くの民衆の目の前で領主直々にノーマークなメアリーにシャルルを紹介したと言う構図から、民衆はシャルルが次代の王であると誤認する。
選別方法が明確でないなか、それを逆手にとって脅されているのだ。
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