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エディンからの提案
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屋敷の一角――陽のよく差すいつもの執務室で、レティシアは机上に山と積まれた文書と向き合っていた。視線を走らせ、ペンを動かし、時折ため息を一つ。
「……また同じ内容の再申請。これで三度目ですね」
小さく呟き、書類を脇に寄せる。内容の重みはない。けれど、処理は必要。地方の小さな許可申請から、予算の補正、些細な問い合わせに至るまで――この自治州を預かる者として、目を通さねばならぬものは山ほどあった。
そんな中。
「失礼します、レティシア様」
ノックとともに顔を覗かせたのは、エディンだった。書類の束を抱えてはいたが、その表情には、どこか話したいことを秘めた気配があった。
「少し、お時間をいただけますか?」
レティシアはペン先を止め、椅子の背にもたれて彼を見やった。
「ええ。どうぞ。何か、気になる報告でも?」
エディンは軽く頷くと、机の前に立ち、手元の書類を一瞥してから、少しだけ表情を引き締めた。
「いえ、報告というより――提案、です」
「提案?」
レティシアが目を細めると、エディンは深く頷いた。
「はい。……街づくりについて、です」
「街づくり……?」
「ローゼンの民たちは、自治州の変化を肌で感じ始めています。事件は落ち着きましたが、内心ではまだ不安を抱えている人も多い。だからこそ、今――新しい“何か”を示すべきだと思うんです」
レティシアはふっと目を伏せ、口元に静かな笑みを浮かべた。
「……相変わらず、あなたは前のめりですわね」
「褒め言葉として、受け取っておきます」
軽く笑ったエディンは、書類の一部を差し出す。
「草案です。まだ粗削りですが、住居区画の再編案と、中央広場の設計案。それから、医療と教育の拠点設置も視野に入れています」
レティシアは目を通し、ページをめくるたびに無言でうなずいた。
「……悪くはありませんわ。ただし、これは本当に大仕事です。私一人では手に負えません」
レティシアが静かにそう告げると、エディンは目を細め、わずかに微笑した。
「ええ、だからこその提案です。これは“レティシア様がやる”のではなく、“我々でやる”話です」
その言葉に、レティシアの眉がかすかに動いた。
「……我々?」
「はい。実は、私達の中でも有志が集まりつつあります。レティシア様が担っている“日常の政務”――本来、分担されるべき書類仕事も、ほとんど一人で処理されていると気づいている人間は、ちゃんといるんですよ」
レティシアは一瞬、視線を逸らす。図星だった。
「……そこまで見られていたとは、少し迂闊でしたわね」
「それも、忠誠の証です。誰よりも真面目で、誰よりも無理をしている。それを見て、黙っていられない人間もいるんです」
その声音には確かな熱が宿っていた。だが、それは押しつけがましいものではなく、ただ真摯で、まっすぐだった。
エディンはローゼンのために真摯に動いている――その思いが、言葉ではなく空気を通してレティシアに伝わってきた。机の前に立つ彼の姿勢、まっすぐに向けられた眼差し、それらすべてが何よりの証だった。
この数ヶ月、彼は誰よりも民の声を聞き、地図に印をつけ、現場に足を運んできた。あらゆる書類に目を通し、日が落ちても執務室に残って提案をまとめていた。その全てが、今この瞬間に凝縮されている――そう思えた。
レティシアは静かに息を吸い、手元の書類にもう一度視線を落とした。
「……あなたが、ここまで考えてくれていたなんて、正直、少し意外でした」
苦笑混じりにそう言うと、エディンは肩を竦めた。
「僕なりに、ずっと考えていたんです。それにレティシア様は、まだ民との交流をなさっていないようですし」
「それは――確かに、そうかもしれませんわね」
彼女がこの地に来てからというもの、多くの問題に向き合ってきた。密偵事件、王政との距離、本家からの対応……。けれど、民そのものと向き合う時間は、確かに後回しになっていた。
エディンは続ける。
「街づくりは、建物を建てるだけじゃありません。広場に集まる声や、子どもたちの笑顔、年寄りたちの愚痴――全部が、“アルンヘルム”を作るんです」
「それなら、わたくしも少しは“顔”を出さなければなりませんわね。領主として」
「はい。領主である以上に、“ローゼンの一人”として、です」
その言葉に、レティシアはほんの少しだけ、笑みを見せた。
「……あなたには敵いませんわね、エディン」
エディンは照れたように頭をかいた後、すぐに表情を引き締め、明るく声を弾ませた。
「では早速、レティシア様。街まで行ってみましょう!」
「えっ、今から?」
思わず目を見開いたレティシアに、エディンはにっこりと笑って見せた。
「今が一番、自然な姿が見られます。広場には市場も立ってますし、街路の補修をしている職人たちもいます。きっと、これからの“ヒント”になるはずです」
そう言って、エディンはすっと背筋を伸ばした。
「それに、ミリアさんもカイルも連れて行きましょう。彼らも街には詳しいですから。僕ひとりじゃ頼りないですしね」
冗談めかした口調に、レティシアは思わず笑みを漏らす。
「ふふ……じゃあお願いしようかしら」
レティシアが微笑みながら応じると、エディンは少しだけ表情を引き締め、胸に手を当てて一礼した。
「お任せください、レティシア様。今日くらいは、書類の山を忘れて、風に触れてください」
その一言に、レティシアはわずかに目を細めた。
「……分かりました。では、少しだけ贅沢をさせていただきますね」
エディンは頷くと、すぐに踵を返して部屋を出ていった。廊下の向こう、ミリアとカイルの姿を探しに行くのだろう。足取りは軽く、どこか誇らしげですらあった。
レティシアはその背を見送り、小さく息をついた。
「……さて。外に出るなんて、いつ以来かしら」
そう呟きながら、椅子から立ち上がる。棚の扉を開け、外出用の薄手のマントを手に取る。
今日は――少しだけ、歩いてみようと思えた。
「……また同じ内容の再申請。これで三度目ですね」
小さく呟き、書類を脇に寄せる。内容の重みはない。けれど、処理は必要。地方の小さな許可申請から、予算の補正、些細な問い合わせに至るまで――この自治州を預かる者として、目を通さねばならぬものは山ほどあった。
そんな中。
「失礼します、レティシア様」
ノックとともに顔を覗かせたのは、エディンだった。書類の束を抱えてはいたが、その表情には、どこか話したいことを秘めた気配があった。
「少し、お時間をいただけますか?」
レティシアはペン先を止め、椅子の背にもたれて彼を見やった。
「ええ。どうぞ。何か、気になる報告でも?」
エディンは軽く頷くと、机の前に立ち、手元の書類を一瞥してから、少しだけ表情を引き締めた。
「いえ、報告というより――提案、です」
「提案?」
レティシアが目を細めると、エディンは深く頷いた。
「はい。……街づくりについて、です」
「街づくり……?」
「ローゼンの民たちは、自治州の変化を肌で感じ始めています。事件は落ち着きましたが、内心ではまだ不安を抱えている人も多い。だからこそ、今――新しい“何か”を示すべきだと思うんです」
レティシアはふっと目を伏せ、口元に静かな笑みを浮かべた。
「……相変わらず、あなたは前のめりですわね」
「褒め言葉として、受け取っておきます」
軽く笑ったエディンは、書類の一部を差し出す。
「草案です。まだ粗削りですが、住居区画の再編案と、中央広場の設計案。それから、医療と教育の拠点設置も視野に入れています」
レティシアは目を通し、ページをめくるたびに無言でうなずいた。
「……悪くはありませんわ。ただし、これは本当に大仕事です。私一人では手に負えません」
レティシアが静かにそう告げると、エディンは目を細め、わずかに微笑した。
「ええ、だからこその提案です。これは“レティシア様がやる”のではなく、“我々でやる”話です」
その言葉に、レティシアの眉がかすかに動いた。
「……我々?」
「はい。実は、私達の中でも有志が集まりつつあります。レティシア様が担っている“日常の政務”――本来、分担されるべき書類仕事も、ほとんど一人で処理されていると気づいている人間は、ちゃんといるんですよ」
レティシアは一瞬、視線を逸らす。図星だった。
「……そこまで見られていたとは、少し迂闊でしたわね」
「それも、忠誠の証です。誰よりも真面目で、誰よりも無理をしている。それを見て、黙っていられない人間もいるんです」
その声音には確かな熱が宿っていた。だが、それは押しつけがましいものではなく、ただ真摯で、まっすぐだった。
エディンはローゼンのために真摯に動いている――その思いが、言葉ではなく空気を通してレティシアに伝わってきた。机の前に立つ彼の姿勢、まっすぐに向けられた眼差し、それらすべてが何よりの証だった。
この数ヶ月、彼は誰よりも民の声を聞き、地図に印をつけ、現場に足を運んできた。あらゆる書類に目を通し、日が落ちても執務室に残って提案をまとめていた。その全てが、今この瞬間に凝縮されている――そう思えた。
レティシアは静かに息を吸い、手元の書類にもう一度視線を落とした。
「……あなたが、ここまで考えてくれていたなんて、正直、少し意外でした」
苦笑混じりにそう言うと、エディンは肩を竦めた。
「僕なりに、ずっと考えていたんです。それにレティシア様は、まだ民との交流をなさっていないようですし」
「それは――確かに、そうかもしれませんわね」
彼女がこの地に来てからというもの、多くの問題に向き合ってきた。密偵事件、王政との距離、本家からの対応……。けれど、民そのものと向き合う時間は、確かに後回しになっていた。
エディンは続ける。
「街づくりは、建物を建てるだけじゃありません。広場に集まる声や、子どもたちの笑顔、年寄りたちの愚痴――全部が、“アルンヘルム”を作るんです」
「それなら、わたくしも少しは“顔”を出さなければなりませんわね。領主として」
「はい。領主である以上に、“ローゼンの一人”として、です」
その言葉に、レティシアはほんの少しだけ、笑みを見せた。
「……あなたには敵いませんわね、エディン」
エディンは照れたように頭をかいた後、すぐに表情を引き締め、明るく声を弾ませた。
「では早速、レティシア様。街まで行ってみましょう!」
「えっ、今から?」
思わず目を見開いたレティシアに、エディンはにっこりと笑って見せた。
「今が一番、自然な姿が見られます。広場には市場も立ってますし、街路の補修をしている職人たちもいます。きっと、これからの“ヒント”になるはずです」
そう言って、エディンはすっと背筋を伸ばした。
「それに、ミリアさんもカイルも連れて行きましょう。彼らも街には詳しいですから。僕ひとりじゃ頼りないですしね」
冗談めかした口調に、レティシアは思わず笑みを漏らす。
「ふふ……じゃあお願いしようかしら」
レティシアが微笑みながら応じると、エディンは少しだけ表情を引き締め、胸に手を当てて一礼した。
「お任せください、レティシア様。今日くらいは、書類の山を忘れて、風に触れてください」
その一言に、レティシアはわずかに目を細めた。
「……分かりました。では、少しだけ贅沢をさせていただきますね」
エディンは頷くと、すぐに踵を返して部屋を出ていった。廊下の向こう、ミリアとカイルの姿を探しに行くのだろう。足取りは軽く、どこか誇らしげですらあった。
レティシアはその背を見送り、小さく息をついた。
「……さて。外に出るなんて、いつ以来かしら」
そう呟きながら、椅子から立ち上がる。棚の扉を開け、外出用の薄手のマントを手に取る。
今日は――少しだけ、歩いてみようと思えた。
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