海の国再興譚~腹黒国王は性悪女を娶りたい~

志野まつこ

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第二章 わだつみの娘と海の国の婚約者

31、幕間 シーア妃という人物。それはオーシアン史最大の謎。<中>

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「さっさと水門を閉じろ! あいつ投げやがった! 契約違反だ!」
 多くの国を巡る中で身につけた独特の化粧技術で絶世の佳人になりすまし、純白のドレスに身を包んだその姿で国王の婚約者とは到底思えない言葉を怒涛の勢いでシーアは吠え罵る。それはまさに悪夢のような光景で正気の沙汰とは思えない所業であった。

 お前、言ってたことが全然違うじゃねぇか。
 城壁に背を向けるようにして宙づりになっているシーアのその姿に安堵の吐息を吐く反面、グレイは彼女の口汚い咆哮に激しい脱力感を覚えた。

 ひとしきり自分が正しいと大音量で主張した後、シーアは腕の中の子供を見下ろす。
「よーし、よし。すぐ母さんのとこ返してやるからな」
 そう言って、破顔した。
 それは「海の国の黒真珠」と呼ばれるような楚々としたものではなく、無邪気とさえ言えるような屈託のない会心の笑顔だった。

 赤子が人質に取られた時からすでに隊員により堀を見回るための小さな船が準備されていた。
 それらはシーアが子供を確保するや彼女の間下へと向かい、堀の向こうでは泳ぎに自信のある男達が飛び込もうとしている。
 婚約者の罵詈雑言に一瞬戸惑った彼らも、もとはと言えば婚約者が「あの海姫」である事を思い出し、この火急の事態も手伝ってごく自然とそれを受け入れた。
 この辺りは気候が温和なせいもあり基本おおらかで、ざっくばらんな漁師気質の者が多い。まったくもって気のいい連中だと思う。
 しかしこの堀は潮の満ち引きで循環されるとはいえ生活排水も流れ込む堀であり、正直に言ってしまえばあまり衛生的ではない。

「グレイ! ロープ継いで延長するか、船乗りか船大工こっちに寄越してくれ!」

 暴れる子供を片腕に、片腕でロープにつかまるなどと少しも「もつ」気はしない。
 幸いにもここは海の国と呼ばれる国である。
 ヤードにもロープの扱いにも慣れた人材は多く、彼女の言葉に何人かが動きかける中恐ろしいまでによく通る声が響いた。

「俺が行こう」

 上着を脱いでそばにいた護衛隊員に託し、錆色の髪を持ち精悍さを滲ませながらも気品のある優美な顔立ちの国王は何の躊躇もなく胸壁に登った。
 シーアは背後で響いたその声に軽く瞠目し、同時に外堀の向こうで民が驚きの声を上げるのを目にした。
 そういや今日は海軍視察とか言ってたっけ。

 シーアは思わず「海姫」たるかおで笑む。
 もうお役ご免かな。

 この状況ながらそう判断すると唇をぱくぱくと大きく開閉させたり、舌を口蓋に当てて破裂音を発して赤ん坊の興味を引こうと試みた。
 やがて多少落ち着いた所で、故郷である島の子守唄を口ずさみながら体を前後に揺らし始める。
 その様子に母親は小さな悲鳴を上げ、グレイは「やめてやれ。お袋さん気が気じゃないだろうが」と苦く思う。

 本当は背を優しく叩きながら揺れる方が効果があるのだが、いかんせん片腕一本しか使えない。代わりに背を叩くのと同じリズムで子供の額に自分の頬を押しつけた。
 あの男が渡ると言うのだ。
 ヤードまがいの竿の上を渡るなど何年振りになるのか怪しい部分はあるが、普段の動きを見ている限り信用できるだろう。
 そう思って、シーアは何の不安もなく穏やかな気持ちで子供をあやすのに徹した。
 長時間に渡り火がついたように泣いて暴れ続けた子供は、緩んだ空気に抗いきれなかったのだろう。やがてシーアは肩に子供の小さな頭が乗るのを感じた。
 眠ったら眠ったで、子供って重たいんだよなぁ。そう苦笑しながらも眠れるのであれば、どこか痛めている事もないだろうと安堵に表情を緩める。

 レオンは慣れた様子で国旗竿の上を伝ってくると、シーアの上を通り越した所で踵を返す。
 方向を変えてから左手を竿につきながら腰を降ろし、ほどよい大きさの籠の入った布袋をシーアの目前に下ろした。
 用意のいい事で。
 その用途にシーアは片方の口角だけをゆがめて笑みを浮かべた。
「寝たとこだから。おろしたらまた暴れるかも。すぐ引き上げて抱っこしろよ。すぐだぞ、すぐ」
「ああ、分かってる」
 せーの、のシーアの合図で二人は一瞬で受け渡しを完了した。二人のその一連の動きは安定しており実にあっけないほどだった。

「ちょっと待ってろ」
 そう言って立ち上がろうとするレオンに、シーアは紅の刷かれた唇を開く。
「西の水門だ。特に三番と八番の用水路と出口を固めさせろ」
 シーアは現在地よりもかなり離れた用水路を告げ 、レオンはドレファン一家がするように瞳で応えたのだった。
 
 人々の大きな歓声の中、子供を抱いた男が危なげない足取りで胸壁にたどり着いたのを確認してから休めていた左手を使って両手でぶら下がる。
 竿を揺らさないよう彼が城壁に戻るのを待ってから自力で戻る気だったが、疲弊しきった両腕で国旗竿の上に登るのも面倒でおとなしく待つことにした。
 そもそもドレス姿で足を竿にかける事が難しい。出来ない話ではないが、シーアが躊躇うほどに見映えがあまりにも悪すぎる。
 ロープに両腕でぶら下がる花嫁姿の婚約者に、大衆は声援を送った。

 なんか、ものすごく間抜けだな。

 シーアはぼんやりそんな事を考えながらレオンの補助を待ったのだった。

※※※※※※※※※※※※※
次話で第二章完結となります。
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