海の国再興譚~腹黒国王は性悪女を娶りたい~

志野まつこ

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第三章 わだつみの娘と海の国の物語

15、事の顛末を語ろう

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 海の国オーシアンに迎えを要請する数日前、シーアはソマリの女子修道院に面会に訪れたエミリオに交渉を持ちかけた。

「なぁ、わたしを送り届ける役目、売ってくれないか?」
 その役目を不遇な立場に置かれているであろう護衛隊隊長にさせてやりたいと、そう思ったのだ。

 本来ここは多くの子女を保護する崇高な修道院で、男子禁制の場である。
 しかし、その運営のためシーアのような訳有りの人間の保護で糧を得る側面を持っていた。それを知るのはごく一部の富裕層や、エミリオのような裏事情に精通した者に限られている。
 今回の策の片棒を担ぐこの男が多額の寄付を渡しているからこそ、彼はここに平然と現れる。

「オーシアンの英雄の座を譲れと?」
 打てば響くように拒否したが、もともと海賊たる彼はそんな物に食指は動かない。しかし、素直に譲る気もなかった。

「一晩。君が付き合ってくれるならいいよ」
 常識人であれば卑怯と罵られても仕方のないようなエミリオの言葉にシーアは馬鹿にした笑いを発する。
 そこに動揺は微塵にも見られなかった。

「馬鹿か。なんで私がこんなところにこもってると思ってるんだ」
 由緒ある女子修道院に入ったのは、身の潔白を証明するためだ。
 記憶を失ったとされる王妃が、帰還後に妊娠するような事があれば出自を疑われる。それを回避するためであった。

「出来ないよう最大限の努力はするし、君は『森の民』と親しいだろ。子供が出来ない方法も知ってるんじゃない?」
 シーアは冷たい目で笑顔の男を見やった。
『森の民』━━それは医療技術に優れた民族である。必要に応じて毒の精製を依頼していた。
 彼等はドレファン一家のように信頼出来ると判断した相手としか取引しない。

 左の口角の上を指でなぞりながら森の民の老婆に教わった暦を計算する。自分の結婚が決まった頃から繰り返ししてきた事だ、すぐに計算の答えは出た。

 ━━仕方ない、か。
 嘆息して視線をずらした。
 男気に溢れ気がいいのにつけこんで、自分が巻き込んだ人間を放置しておくわけにもいかない。
 あの護衛隊長は国とってとても重要な人間で国王にとって大切な人間だ。
 このまま批判の的にしておくつもりはないし、失脚させる気もシーアにはなかった。

 だが困ったことに今の自分は身を守る手段を何も持ち合わせていない。

 まいったな、と思うもののこの男も『森の民』を知っているのであれば薬の一つや二つは持ち合わせているだろう。
 なんせ世界中に恋人がいる男だ。

 めんどくさいな。

 男から伸ばされた手が背けていた視界に入る。
 その時エミリオの目を見ていたら揶揄の色に気付いただろうが、シーアは視線をそらしたままだった。
 言った方のエミリオは非常に悪趣味な冗談のつもりでしかなかった。
 しかし残念ながらこの男の普段の素行を考えると、誰しもがそれは冗談には聞こえない代物である。

 ほのかな男性用の香水の香りがふわりと漂ったその瞬間、シーアは理解する。

「西の航海路ひとつで取引しないか?」

 受け入れられないと判断した毅然とした声だった。
 エミリオはシーアの力強い拒絶の瞳に深い満足を覚える。冗談のつもりがこれで受け入れられていたらと思うとぞっとする。
 そこには凛とした眼差しの、他を圧倒する海姫と呼ばれる女の姿があった。
 
「その癖、気を付けた方がいいよ」
 エミリオは笑った。
 意図をはかりかねて怪訝そうに喜色に染まる優男を見れば、彼は自身の口元をトントンと人差し指で叩いた。
「考え事する時、いつもやってる」
 ああ、前にもウォルターに一度言われたな。
 結局治らなかったか。いつの間にこんなものが身についてしまったのか。まさかこの男にまで指摘されるほどになっていたとは。
 何かと腹の探り合いの多い身である。少し不都合を感じた。
 
 左側の口角の少し上。
 彼女がそこに無意識に触れるのは算段をしている証であり、同時に何らかの決断を下す時である。

 そこはかつて、レオンが触れた場所だった。
 口づけなどではなく、単に空気を口移ししただけの行為。
 切ったばかりのひげが、十代だった彼女の柔らかい肌に痛痒感を残した。
 決断を迫られた時、我知らず触れていた。
 そこに恋しい気持ちは無い。
 ただ、集中し冷静になれる気がした。
 あの男がそうだった。
 あの男はいつも冷静に分析し、見極めて判断を下していた。
 オーシアンで過ごすようになって、それはより強烈な印象となった。

 知らぬうちに無意識に身についた癖である。
 悪癖のきっかけなど往々にして思い至るものではない。むろんシーアも例外ではなくこの先本人がその答えに行きつくことはない。

 西の航海路。
 そこは海の難所の一つと言われる海域である。そんな物が存在するならばそれは船乗りならば誰もが驚愕し、渇望するような海域。
 やはり海姫はこうあるべきだとエミリオは内心歓喜に震えた。しかしそれをおくびにも出さず、嫌そうに不服を唱える。

「ドレファン一家と揉めるのはごめんだよ」

 さすがに飛びつかないか。まぁ、そうでなければここまで片棒を担がせたりはしない。シーアは自分の人選に間違いはなかったと思いながらも、面倒くさそうに説明した。

「わたしの個人財産だ。こういう時のためにって、船長が餞別代わりにくれたんだ。わたししか知らない」
 見つけた時、海王とも呼ばれるウォルターに喜々として申告しようとしたら発言を制された。
 海姫が船を降り、危険な仕事から足を洗った彼らには不要だと言った。
 シーアの見つけた航路は、ドレファン一家の腕があれば安全に航海できる。
 そこを使えばより早く航海できるのは確実であったが、ウォルターはシーアに持たせたのだ。他に売れそうな航路が2つと、あまり需要の見込めない航路を5つばかり持っている。
 エミリオはその取引を受け入れた。

「結婚したんだし、妊娠してる可能性もあるのによくあんな事思いついたな、と思ってたんだけど」
 しぶるシーアに先払いで、と海図を書かせながらエミリオは尋ねた。
 ふと「まさか」という嫌な可能性に気付いたのだ。
 よどみなく手を動かしながら、シーアはチラリと一瞬男を見上げた。
「出来そうな時期は逃げてたからな」
 絶句した。
「まあ気休めでしかないけど」
 さすがに薬を使うような事はしていない。
 そう言いはするが。
 男として、それはひどく自尊心を傷つけられるものだと感じた。

 お前、それはひどいわ。

「国母の座は重かった?」
 エミリオの揶揄するような態度を、シーアはうるさげに一瞥した。
「今のままだと何かと面倒な事になる可能性が高いからな。今回がいい例だ。どうせなら全部排除してからの方がいいだろ。ほらよ」
 こっちは逃げ道を残している。あいつにも逃げ道を残してやるのが筋だと思った。
 しかしそれをこの部外者に説明する筋合いはない。
 適当にそれらしい事を答えた。

 書きあがった海図を受け取り、航路を確認するとエミリオは満足そうにそれを懐にしまう。
 そしてシーアを見詰めた。
 確かにこれは鼻を明かしたくなる。そう思った。

「言ってなかったんだけどさ。こんないい物くれたからさすがに良心が痛むんで白状するよ」
 上辺だけの笑顔が張り付いていた。形のいい薄い唇が言葉を紡ぐ。

「悪いけど二重契約してるんだ」

 漢の言葉にシーアは切れ長の目を大きく見張った。
 濃い動揺の色を見取ってエミリオは笑む。
 そうだ、この顔が見たかった。

「先約がいるもんでね」
 美しい顔立ちの男はそう言って嫣然と笑ったのだった。

 しまった。やられた。シーアは思わず息を飲んだ。
 肉体関係云々はこちらの判断能力を鈍らせるための物だったのか。
 一気に血の気が引くのを感じる。
「相手は━━」
 動揺するな、自分に言い聞かせたが険しい顔で問うた声は不本意にもかすれた。
 誰と組んだ。
 ここまで来たというのに。
 動揺と衝撃に胸の奥がかっと熱くなり強い鼓動を感じる。

 まさかこの男がそんな真似をするとは━━想定外だった。
 信じすぎたのか。
 甘かったのか。
 陸に上がって、勘が鈍ったと言うのか。
 鼓動が激しい。
「相手はどこだ?」
 鋭いまなざしで相手を見据え、再度同じ質問を繰り返した。

北の台地レイスノートに君を5千万で売る話がまとまったよ」

 目の前が真っ暗になった気がした。
 進水式の前からすでに協定があったのか。
 その頃にはすでにこのシナリオが描かれていたのか。

 いや。だが━━
 ふと眉間に皺を寄せるシーアの様子を、エミリオは興味深げに観察していた。

 そう、この男は馬鹿じゃない。
 目先の利益に飛びつくだろうか。
 先ほどドレファン一家と揉めたくはないと言ったばかりだ。
 海賊を生業としているこの男が、ここでレイスノートに自分を売った後の事を考えないとは思えない。

「お前、何を企んでる?」

 真っ直ぐ見つめてくるシーアの言葉に、勘と察しの良さは彼女の魅力の一つである事を改めて実感しながらスミス一家の若頭領が嗤った。
「企んでるのは俺じゃない。雇い主の方だよ」
 シーアの瞳が言葉の真意を見極めんとすがめられる。
 そして多くの女を口説き落としてきた彼らしく、妖艶な空気を滲ませて謳うように謎解きを一つほのめかした。

「きみなら、誰と組む?」
 試すように、なぶるように。
 余裕を感じさせるその様子。そこには隠しきれない子供のような高揚感が宿っていた。

 どこにつくのが得策か。
 誰に恩を売るのが最善で、今後も海賊としてやっていくための相手とは。
 まさか。
 一つの可能性に、シーアは信じられない思いで目を見張った。
 動揺に瞳が細かく左右に揺れる。

「そう」
 分かった?
 答えに行きついたらしい彼女の様子に、優男の笑みが一層華やいだようだった。
 それは正解を導き出した子供を褒めるような、満足そうな笑顔。

「きみの旦那さん」
 男はにっこりと、無邪気とも言える顔で笑ったのだった。
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