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第三章 わだつみの娘と海の国の物語
16、海の国の王との会食
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「そろそろ海姫に借金を返済に行って来い」
海賊スミス一家の先代ハリー・スミスは、船を譲った息子にそう言った。
とある海賊が海姫を売ったという情報をつかんだのはつい先日の事である。
それを知った息子がどうしたものかと珍しく逡巡しているのを知っていた。
「あのお嬢ちゃんに会ってなけりゃお前に船は譲らなかったかもしれないからな。行って一言忠告してやれ」
ハリー・スミスもまた多少なりとも海姫に恩に似た物を感じていた。整った顔立ちの壮年の男は息子に向けてにやりと笑って見せた。
海賊スミス一家の首領ハリー・スミスが初めて海姫と呼ばれるドレファン一家の養女を見たのは、海の国がまだ議会制だった頃だ。
放蕩息子が馬鹿をしでかした時、年下の娘に世話になるという何とも情けない話だった。
度胸があり、頭が切れる。
人を惹きつける魅力と、強運の持ち主。
海姫に出会ってから、息子エミリオ・スミスは少し変わった。
女癖の悪さは相変わらずだが、そのあたりは父親譲りなので文句を言う権利はない。しかし船を譲ってもいいと思えるほどには、頭を使うようになった。
あの日、ウォルター・ドレファンも養女をとんでもない娘に育てたものだと思った。
そしてそんな海姫の傍らについた、やたらと顔のいい錆色の髪の男も妙に気になった。
海姫に添うその姿にその男がドレファン一家を継ぐのかと問えばウォルターは肯定も否定もしなかったが、まさかあれが後のオーシアン国王だったとは。
思わず笑いがこみ上げた。
さすがは海王と呼ばれる男である。
議会に追われる海の国の王子を3年も自身の船に乗せていたのだから。
◆―――――――◆―――――――◆
スミス一家の新頭領エミリオは、オーシアン国王レオニーク・バルトンと二度食事をした。
「借りを返すにはいい機会だろ」
そう、先代の船長である父親に唆されて夜会に潜り込んだ翌朝のことである。
宿の部屋を出たところで気付いた。
━━静かすぎる。
しみじみと後悔した。
ああ、恋人の所へ行くべきじゃなかったか。
さっさとオーシアンを離れるべきだった。海姫がこんな真似をするとは思えないが、この状態が答えか。
誰も上がってくる気配が無いので1階に降りれば、一人の男がずいぶんと浮いた様子で簡素な木のテーブルについていた。
場にそぐわないのは当然だ。
この国では元帥の肩書を持ち、海軍と王城の護衛隊の長を務め、宰相まがいと言われる男であるのだから。
そんな男が笑顔で朝の挨拶をしてくる。
「陛下が食事をご一緒したいとおっしゃっております。お迎えに上がりました」
夜会に忍び込んだ昨夜、レオンの意思を読み取ったグレイが護衛隊副隊長であるジェイドに指示して突き止めた宿。
窓を見やれば外には海軍の制服の男達が綺麗に並んでいる。
その物々しい様に、エミリオは芝居がかった様子で小さくため息をついたのであるが。
朝食にしては少し遅い時間に、まさか本当にレオニーク・バルトンと文字通り食事をする事になるとは思わなかった。
それは空色の美しい瞳を持つ艶めかしい色気のある国王と、優男風の金髪の男二人の優雅な朝食風景であった。
「昨夜は妻が失礼した。北の台地とつながりをお持ちであるなら貴殿に仕事の依頼をしたい」
海の国の王は海賊の首領たるエミリオに穏やかにそう告げた。
内心意外に思った。興味が頭をもたげてくる。
「内容と報酬次第ですよ、陛下」
余裕を繕って笑って見せた。
そこからの付き合いであった。
「レイスノートとの交渉を貴殿に任せたい。どうだろう? 可能だといいのだが」
嫌な言い方をする。エミリオは内心鼻白んだ。
まるで試すようではないか。お前に出来るか? そう問われているに等しい。
「アイスクとの条約締結を考えていたのだが━━」
アイスクとは、レイスノートの北側に位置し「最北の地」とも呼ばれる小さな民族国家である。
中規模の港を有しているが一年のほとんどを雪と氷に閉ざされ、使える期間は実に短い。
レオンがあえて言葉を濁せば、その空色の瞳が続きを催促しているのが分かってエミリオは辟易としながらも答えた。
「有事の際のレイスノート北部から進撃してもらう、ですか? 見返りはレイスノートの領土の一部譲渡とかですかね。最北の氷地が戦をふっかける可能性もなきにしもあらず、ですか━━あまりいい手立てとは言えませんね」
エミリオの返答にレオニーク・バルトンは目を細め満足そうな笑みを浮かべた。
「さすが。妻が貴殿を絶賛していただけはあります」
正確には「軽薄な間抜けだが、馬鹿じゃない」と言っただけだ。しかしレオンにとってはそれで十分だった。それは彼女にすれば褒め言葉だ。
美貌の国王の笑顔に黒い物を感じてエミリオはためらいを見せる。
「海の国が、海賊を雇うというのはいかがなものかと思いますが」
それはオーシアンという海運が主産業たる国家の信頼が揺らぐだろう。
エミリオはそう反論を試みたつもりだった。
「先に海賊を雇い入れたレイスノートに文句を言われる筋合いはないかと」
それを断ったスミス家の首領が赴くのだから、言い逃れのしようもないだろう。
レオンのその口調は穏やかだったが、冷気を孕む声だった。
「まあ念のため、スミス一家への依頼ではなく貴殿個人への依頼ということにします」
「オーシアンにも優秀な外交官は大勢いらっしゃるでしょうに」
微かに渋る様相を見せたエミリオに、レオニーク・バルトンは魅力的な微笑を向ける。
「私が貴殿と組めば、少しは妻の鼻も明かせるかと」
エミリオは一瞬固まった。
━━え、そこはレイスノートの、じゃなくて? 嫁さんなの?
オーシアン国王の自信に満ちた魅力ある笑顔にエミリオも反射的に笑顔を浮かべたが、それは少し不自然に引きつったもので、本人は後にそれをひどく後悔した。
それが一度目の邂逅であった。
二度目の会食は、王妃が行方不明になった後に開催された。
エミリオはレイスノートとの本格交渉の開始を予期して挑んだ。
それなのにレオニーク・バルトンは想定外の依頼を持ちかけて来たのだった。
「妻の身代金をレイスノートに要求していただきたい」
突然の申し出は、エミリオの理解の範疇を軽く超えていた。
一瞬言葉を失い、それから「何を言い出すのか」とそんな顔を取り繕う事に成功したエミリオであったが、内心戦慄を覚えた。
この男は、どこまで知っているのだろう。
窮地に立たされたと思った。
「妻が面倒をかけて申し訳ない。あれは元気にしているだろうか?」
単刀直入に言われ、自信に満ちたその笑みにエミリオは降伏を認めた。
レオニーク・バルトンの諜報力は、海王ウォルター・ドレファン直伝のものである事を思い知らされた瞬間だった。
スミス一家の首領であるエミリオは、かつてレイスノートから仕事の依頼のあった伝手をたどり、レイスノートの幹部につなぎを取る事から始めた。
「海で黒真珠を拾った」
そう言えば、簡単にレイスノート国王とその弟との密談がかなった。
「半年前はご依頼に応じる事が出来ず、申し訳ない事をいたしました」
殊勝に言って、優雅に礼を取る。
「お詫びと言ってはなんですが、黒真珠の取引に参りました。5千万で引き渡します。ただし、納品先はオーシアンとさせていただきます」
レイスノート王家の二人はたじろいだ。
なぜ、他国の王妃の身代金を払わねばならない。その気持ちもあった。
何を馬鹿な、実際そう吐いた。
馬鹿は、そっちだろう。彼らの前でなければエミリオはそう冷たく目を眇めていただろう。
彼らの前でエミリオは穏やかな表情でほほ笑んだ。
「私も海賊のはしくれでして。海に生きる者はドレファン一家とオーシアンを敵に回すと生きて行けないんですよ。どうかご理解ください」
スミス一家が海姫をレイスノートに売り渡したなどとは、世間に知られるわけにはいかないのだ。
「私が定刻に戻らなければ、黒真珠は刀傷で死亡したと公表される手筈となっています」
エミリオはそう言って己の身の安全を確保するとともに、制限時間を設ける事で彼らから余裕を奪った。それは見える物も見失い、疑心暗鬼を生み、そして冷静な判断を妨害する。
エミリオに全てを任せたレオニーク・バルトンが、一つだけ助言したのがこれだった。
海の国の護衛隊長達も剣を向けられたという現在は伏せられている情報を、エミリオの身の安全と、北の台地への牽制のために開示した。
保護した時にすでに刀傷を負っていたいたと公表されれば、レイスノートへの一層の糾弾と、進撃の大きな理由となる。
オーシアンの国民感情を煽る条件は整っていた。
まったく。清廉潔白な執政が信念です、みたいな顔をして何を言い出すやら。
エミリオは麗しき雇い主に呆れる。
「あちらは水面下ではありますが武器の増強を始めていますよ。黒真珠が戻れば、すこしは状況もマシになるかと思いますが」
このまま彼女が行方知れずの状態が続けば、オーシアンと戦争になる可能性も無視できない。
しかし、彼女が戻ればその最悪の事態は避けられる公算が強まる。
ただ、本当に最悪の事態が避けられるだけであるが。
加えてオーシアンの「宰相まがい」と言われるオズワルド・クロフォードの部下である有能な外交官が連日のように面会を求め、説明と謝罪を要求して追い込んでいる事をエミリオは知らされている。
エミリオの目的はレイスノート王族を甘言にも思える提案で真綿で首を絞めるように追い詰めることだ。
「今回の一件でレイスノートの荷を乗せた船の警護を請け負う専門家や半商半賊は限られてきます。ドレファン一家とオーシアンの反感は買いたくないですからね。そこを逆手に取った海賊達の格好の的になる可能性も出てきます」
海を持たない内陸の人間である彼等は、海の流儀に関しては全くの素人であった。
これだから素人と関わるのは面倒なのだ。
エミリオは内心辟易としながら、丁寧に説明してやる。
ドレファン一家に恩のある人間すべてを敵に回したと言っても過言ではない。
加えてオーシアンの進水式の際、捨て駒として雇った海賊団からもレイスノートは睨まれている。
「最悪はオーシアンに仲介貿易を依頼しないと立ち行かなくなりますよ」
護衛のつけられない船など、海賊にとって垂涎ものでしかない。
オーシアンが鉄鉱石の価格交渉を行い、オーシアンに仲介料を払う事で輸出を可能にする手段は、レイスノートとしてもなんとしても回避すべき事態であった。
すでにオーシアンの船会社はレイスノートの鉄鉱石の輸送を請け負う事に難色を示し始めていた。輸送費のあからさまな値上がりや、依頼を断られる事態が続いているとの報告を受けている。
エミリオ・スミスはオーシアン国王に『経営権を要求する事だって可能ですよ』と進言した。
海の国の王と話すうちに自分の腕を試したくなったのだ。
しかし、レオニーク・バルトンは静かに首を振っていつもの魅力的な笑顔を浮かべて首を横に振ったのだ。
『恨みを買うなら恩を売れ、と教えられていますので』
泰然と言う彼に、男である自分相手にそんな表情は不要だから本当にやめてくれとエミリオは暗澹たる心境になる。
海姫は戻るのだ。そこまで追い詰める必要はない。
レオンは下手な恨みを買って長い禍根を残すと後が面倒だと判断した。
彼はこんな状況下でありながら、焦りを抑えて先を見越す事の出来る男だった。
鉄鉱石の産出と言う一大産業を得たレイスノートではあるが、その輸出に必要な運搬や護衛の依頼を受け入れる団体はどれほどいるだろう。
オーシアンに泣きつくか、リスクを冒して半商半賊や海賊を雇うか。
海に生きる者達はみな|《見物》みものだと、そう意地悪くその行く末に興味と関心を寄せていた。
「陛下、海に漕ぎ出すのであれば海の国と海王の一族を敵に回すのは得策とは言えません」
この国がこれから一層不利な状況に追い込まれる未来を知っているエミリオは穏やかに告げた。
エミリオ・スミスのもたらした成果にレオニーク・バルトンは満足した。
当初レイスノートの北側に位置する最北の氷地との条約締結を検討していた。
オーシアンとレイスノートが開戦した場合、北部からの進撃。
しかし、それをせずに済んだ功績は大きい。
レイスノートとの対話だけで済んだ。
レイスノートはオーシアンに対し、大きすぎる過失を作った。
オーシアン王妃への非人道的な暴挙と、それによってオーシアンの後継ぎと王妃の記憶を失うという償う事など到底できないものだ。
その結果レイスノートはオーシアンに対する交渉権を当面失ったのである。
条約もなければ、明文化したわけでもない。
しかし、そこには国民感情という無言の圧力がある。
レイスノートはオーシアン国民だけにとどまらず、海に生きる人々の心象を害した。
レイスノートが主産業となる可能性がある鉄鉱石を輸出するにはオーシアンを通すしか手段はない。少なくとも、この記憶が人々の中にくすぶり続けるうちはレイスノートの発言権は皆無に近い。
半世紀くらいで済めばいいけど、難しいだろうね、とエミリオは内心ほくそ笑んだのだった。
海賊スミス一家の先代ハリー・スミスは、船を譲った息子にそう言った。
とある海賊が海姫を売ったという情報をつかんだのはつい先日の事である。
それを知った息子がどうしたものかと珍しく逡巡しているのを知っていた。
「あのお嬢ちゃんに会ってなけりゃお前に船は譲らなかったかもしれないからな。行って一言忠告してやれ」
ハリー・スミスもまた多少なりとも海姫に恩に似た物を感じていた。整った顔立ちの壮年の男は息子に向けてにやりと笑って見せた。
海賊スミス一家の首領ハリー・スミスが初めて海姫と呼ばれるドレファン一家の養女を見たのは、海の国がまだ議会制だった頃だ。
放蕩息子が馬鹿をしでかした時、年下の娘に世話になるという何とも情けない話だった。
度胸があり、頭が切れる。
人を惹きつける魅力と、強運の持ち主。
海姫に出会ってから、息子エミリオ・スミスは少し変わった。
女癖の悪さは相変わらずだが、そのあたりは父親譲りなので文句を言う権利はない。しかし船を譲ってもいいと思えるほどには、頭を使うようになった。
あの日、ウォルター・ドレファンも養女をとんでもない娘に育てたものだと思った。
そしてそんな海姫の傍らについた、やたらと顔のいい錆色の髪の男も妙に気になった。
海姫に添うその姿にその男がドレファン一家を継ぐのかと問えばウォルターは肯定も否定もしなかったが、まさかあれが後のオーシアン国王だったとは。
思わず笑いがこみ上げた。
さすがは海王と呼ばれる男である。
議会に追われる海の国の王子を3年も自身の船に乗せていたのだから。
◆―――――――◆―――――――◆
スミス一家の新頭領エミリオは、オーシアン国王レオニーク・バルトンと二度食事をした。
「借りを返すにはいい機会だろ」
そう、先代の船長である父親に唆されて夜会に潜り込んだ翌朝のことである。
宿の部屋を出たところで気付いた。
━━静かすぎる。
しみじみと後悔した。
ああ、恋人の所へ行くべきじゃなかったか。
さっさとオーシアンを離れるべきだった。海姫がこんな真似をするとは思えないが、この状態が答えか。
誰も上がってくる気配が無いので1階に降りれば、一人の男がずいぶんと浮いた様子で簡素な木のテーブルについていた。
場にそぐわないのは当然だ。
この国では元帥の肩書を持ち、海軍と王城の護衛隊の長を務め、宰相まがいと言われる男であるのだから。
そんな男が笑顔で朝の挨拶をしてくる。
「陛下が食事をご一緒したいとおっしゃっております。お迎えに上がりました」
夜会に忍び込んだ昨夜、レオンの意思を読み取ったグレイが護衛隊副隊長であるジェイドに指示して突き止めた宿。
窓を見やれば外には海軍の制服の男達が綺麗に並んでいる。
その物々しい様に、エミリオは芝居がかった様子で小さくため息をついたのであるが。
朝食にしては少し遅い時間に、まさか本当にレオニーク・バルトンと文字通り食事をする事になるとは思わなかった。
それは空色の美しい瞳を持つ艶めかしい色気のある国王と、優男風の金髪の男二人の優雅な朝食風景であった。
「昨夜は妻が失礼した。北の台地とつながりをお持ちであるなら貴殿に仕事の依頼をしたい」
海の国の王は海賊の首領たるエミリオに穏やかにそう告げた。
内心意外に思った。興味が頭をもたげてくる。
「内容と報酬次第ですよ、陛下」
余裕を繕って笑って見せた。
そこからの付き合いであった。
「レイスノートとの交渉を貴殿に任せたい。どうだろう? 可能だといいのだが」
嫌な言い方をする。エミリオは内心鼻白んだ。
まるで試すようではないか。お前に出来るか? そう問われているに等しい。
「アイスクとの条約締結を考えていたのだが━━」
アイスクとは、レイスノートの北側に位置し「最北の地」とも呼ばれる小さな民族国家である。
中規模の港を有しているが一年のほとんどを雪と氷に閉ざされ、使える期間は実に短い。
レオンがあえて言葉を濁せば、その空色の瞳が続きを催促しているのが分かってエミリオは辟易としながらも答えた。
「有事の際のレイスノート北部から進撃してもらう、ですか? 見返りはレイスノートの領土の一部譲渡とかですかね。最北の氷地が戦をふっかける可能性もなきにしもあらず、ですか━━あまりいい手立てとは言えませんね」
エミリオの返答にレオニーク・バルトンは目を細め満足そうな笑みを浮かべた。
「さすが。妻が貴殿を絶賛していただけはあります」
正確には「軽薄な間抜けだが、馬鹿じゃない」と言っただけだ。しかしレオンにとってはそれで十分だった。それは彼女にすれば褒め言葉だ。
美貌の国王の笑顔に黒い物を感じてエミリオはためらいを見せる。
「海の国が、海賊を雇うというのはいかがなものかと思いますが」
それはオーシアンという海運が主産業たる国家の信頼が揺らぐだろう。
エミリオはそう反論を試みたつもりだった。
「先に海賊を雇い入れたレイスノートに文句を言われる筋合いはないかと」
それを断ったスミス家の首領が赴くのだから、言い逃れのしようもないだろう。
レオンのその口調は穏やかだったが、冷気を孕む声だった。
「まあ念のため、スミス一家への依頼ではなく貴殿個人への依頼ということにします」
「オーシアンにも優秀な外交官は大勢いらっしゃるでしょうに」
微かに渋る様相を見せたエミリオに、レオニーク・バルトンは魅力的な微笑を向ける。
「私が貴殿と組めば、少しは妻の鼻も明かせるかと」
エミリオは一瞬固まった。
━━え、そこはレイスノートの、じゃなくて? 嫁さんなの?
オーシアン国王の自信に満ちた魅力ある笑顔にエミリオも反射的に笑顔を浮かべたが、それは少し不自然に引きつったもので、本人は後にそれをひどく後悔した。
それが一度目の邂逅であった。
二度目の会食は、王妃が行方不明になった後に開催された。
エミリオはレイスノートとの本格交渉の開始を予期して挑んだ。
それなのにレオニーク・バルトンは想定外の依頼を持ちかけて来たのだった。
「妻の身代金をレイスノートに要求していただきたい」
突然の申し出は、エミリオの理解の範疇を軽く超えていた。
一瞬言葉を失い、それから「何を言い出すのか」とそんな顔を取り繕う事に成功したエミリオであったが、内心戦慄を覚えた。
この男は、どこまで知っているのだろう。
窮地に立たされたと思った。
「妻が面倒をかけて申し訳ない。あれは元気にしているだろうか?」
単刀直入に言われ、自信に満ちたその笑みにエミリオは降伏を認めた。
レオニーク・バルトンの諜報力は、海王ウォルター・ドレファン直伝のものである事を思い知らされた瞬間だった。
スミス一家の首領であるエミリオは、かつてレイスノートから仕事の依頼のあった伝手をたどり、レイスノートの幹部につなぎを取る事から始めた。
「海で黒真珠を拾った」
そう言えば、簡単にレイスノート国王とその弟との密談がかなった。
「半年前はご依頼に応じる事が出来ず、申し訳ない事をいたしました」
殊勝に言って、優雅に礼を取る。
「お詫びと言ってはなんですが、黒真珠の取引に参りました。5千万で引き渡します。ただし、納品先はオーシアンとさせていただきます」
レイスノート王家の二人はたじろいだ。
なぜ、他国の王妃の身代金を払わねばならない。その気持ちもあった。
何を馬鹿な、実際そう吐いた。
馬鹿は、そっちだろう。彼らの前でなければエミリオはそう冷たく目を眇めていただろう。
彼らの前でエミリオは穏やかな表情でほほ笑んだ。
「私も海賊のはしくれでして。海に生きる者はドレファン一家とオーシアンを敵に回すと生きて行けないんですよ。どうかご理解ください」
スミス一家が海姫をレイスノートに売り渡したなどとは、世間に知られるわけにはいかないのだ。
「私が定刻に戻らなければ、黒真珠は刀傷で死亡したと公表される手筈となっています」
エミリオはそう言って己の身の安全を確保するとともに、制限時間を設ける事で彼らから余裕を奪った。それは見える物も見失い、疑心暗鬼を生み、そして冷静な判断を妨害する。
エミリオに全てを任せたレオニーク・バルトンが、一つだけ助言したのがこれだった。
海の国の護衛隊長達も剣を向けられたという現在は伏せられている情報を、エミリオの身の安全と、北の台地への牽制のために開示した。
保護した時にすでに刀傷を負っていたいたと公表されれば、レイスノートへの一層の糾弾と、進撃の大きな理由となる。
オーシアンの国民感情を煽る条件は整っていた。
まったく。清廉潔白な執政が信念です、みたいな顔をして何を言い出すやら。
エミリオは麗しき雇い主に呆れる。
「あちらは水面下ではありますが武器の増強を始めていますよ。黒真珠が戻れば、すこしは状況もマシになるかと思いますが」
このまま彼女が行方知れずの状態が続けば、オーシアンと戦争になる可能性も無視できない。
しかし、彼女が戻ればその最悪の事態は避けられる公算が強まる。
ただ、本当に最悪の事態が避けられるだけであるが。
加えてオーシアンの「宰相まがい」と言われるオズワルド・クロフォードの部下である有能な外交官が連日のように面会を求め、説明と謝罪を要求して追い込んでいる事をエミリオは知らされている。
エミリオの目的はレイスノート王族を甘言にも思える提案で真綿で首を絞めるように追い詰めることだ。
「今回の一件でレイスノートの荷を乗せた船の警護を請け負う専門家や半商半賊は限られてきます。ドレファン一家とオーシアンの反感は買いたくないですからね。そこを逆手に取った海賊達の格好の的になる可能性も出てきます」
海を持たない内陸の人間である彼等は、海の流儀に関しては全くの素人であった。
これだから素人と関わるのは面倒なのだ。
エミリオは内心辟易としながら、丁寧に説明してやる。
ドレファン一家に恩のある人間すべてを敵に回したと言っても過言ではない。
加えてオーシアンの進水式の際、捨て駒として雇った海賊団からもレイスノートは睨まれている。
「最悪はオーシアンに仲介貿易を依頼しないと立ち行かなくなりますよ」
護衛のつけられない船など、海賊にとって垂涎ものでしかない。
オーシアンが鉄鉱石の価格交渉を行い、オーシアンに仲介料を払う事で輸出を可能にする手段は、レイスノートとしてもなんとしても回避すべき事態であった。
すでにオーシアンの船会社はレイスノートの鉄鉱石の輸送を請け負う事に難色を示し始めていた。輸送費のあからさまな値上がりや、依頼を断られる事態が続いているとの報告を受けている。
エミリオ・スミスはオーシアン国王に『経営権を要求する事だって可能ですよ』と進言した。
海の国の王と話すうちに自分の腕を試したくなったのだ。
しかし、レオニーク・バルトンは静かに首を振っていつもの魅力的な笑顔を浮かべて首を横に振ったのだ。
『恨みを買うなら恩を売れ、と教えられていますので』
泰然と言う彼に、男である自分相手にそんな表情は不要だから本当にやめてくれとエミリオは暗澹たる心境になる。
海姫は戻るのだ。そこまで追い詰める必要はない。
レオンは下手な恨みを買って長い禍根を残すと後が面倒だと判断した。
彼はこんな状況下でありながら、焦りを抑えて先を見越す事の出来る男だった。
鉄鉱石の産出と言う一大産業を得たレイスノートではあるが、その輸出に必要な運搬や護衛の依頼を受け入れる団体はどれほどいるだろう。
オーシアンに泣きつくか、リスクを冒して半商半賊や海賊を雇うか。
海に生きる者達はみな|《見物》みものだと、そう意地悪くその行く末に興味と関心を寄せていた。
「陛下、海に漕ぎ出すのであれば海の国と海王の一族を敵に回すのは得策とは言えません」
この国がこれから一層不利な状況に追い込まれる未来を知っているエミリオは穏やかに告げた。
エミリオ・スミスのもたらした成果にレオニーク・バルトンは満足した。
当初レイスノートの北側に位置する最北の氷地との条約締結を検討していた。
オーシアンとレイスノートが開戦した場合、北部からの進撃。
しかし、それをせずに済んだ功績は大きい。
レイスノートとの対話だけで済んだ。
レイスノートはオーシアンに対し、大きすぎる過失を作った。
オーシアン王妃への非人道的な暴挙と、それによってオーシアンの後継ぎと王妃の記憶を失うという償う事など到底できないものだ。
その結果レイスノートはオーシアンに対する交渉権を当面失ったのである。
条約もなければ、明文化したわけでもない。
しかし、そこには国民感情という無言の圧力がある。
レイスノートはオーシアン国民だけにとどまらず、海に生きる人々の心象を害した。
レイスノートが主産業となる可能性がある鉄鉱石を輸出するにはオーシアンを通すしか手段はない。少なくとも、この記憶が人々の中にくすぶり続けるうちはレイスノートの発言権は皆無に近い。
半世紀くらいで済めばいいけど、難しいだろうね、とエミリオは内心ほくそ笑んだのだった。
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