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康太郎にせっつかれて、美容室の予約を入れたのは、打合せから3日後だった。
その間、康太郎はひどく上機嫌で、ときには鼻歌を歌いながら食事を作ることもあり、優希を不審がらせた。
(買い物がそんなに嬉しいのか……それとも髪を切ることへの解放感か?)
不思議ではあったが、16歳ならこんなものかと優希は適当に流し、彼を連れて電車に乗る。
「バイト始めたらこの路線使うんだから覚えるんだよ。これが大井町線で、このホームから出る電車に乗ればいいから」
きょろきょろする康太郎は、どこからどうみても「おのぼりさん」だ。
優希は他者の視線を気にするほうではないが、この状態の彼を連れて歩くのは少々気恥ずかしい。
数駅先の目的地で電車を降り、ついでに彼がバイトで使うことになる、乗り換えのホームまで連れて行ってやる。
「電車降りたら、改札を出ずにこっちの東横線に乗り換え。きみのバイト先は、この次の駅だから、迷うことはないね」
「朝はやっぱり混むの?」
「都内はどの電車も混むもんだよ。でも、康太郎の通勤時間ならラッシュからは外れてるかな」
康太郎は優希の言葉に、それでも少々不安そうな顔をした。
「優希さんは違う電車?」
「私は田園都市線だから……それに時間が合わないよ」
来期からも、優希の講義は金曜の5限と決まっていた。終わりは18時前だ。
康太郎は10時から17時までの勤務だから、お互いの通勤時間はまったく合わない。
「ま、大丈夫だって。初日だけは送ってやるから」
自分よりも背の高い少年の背中をぽんぽんと叩いてやる。
こんな小心者のくせに、よく地元から優希の家までたどり着いたものだ。
駅から徒歩5分の美容室に到着し、2人並んで髪を切ってもらう。
康太郎の顔はまさしく「こんなおしゃれなところに入るのは初めてだ」と書いてあるようだ。
「甥っ子さんでしたっけ」
「ああ。電話でも伝えたように、ヘアドネーションをしたいそうだから、よろしく頼むよ」
優希は普段あまり担当美容師と会話をしないのだが、今日に限っては連れがいるということで、多少は気を遣って口を開いた。
よろしく頼まれた康太郎の担当の若い美容師が、満面の笑みで「任せて」と頼もしく応えてくる。
「西島さん、髪綺麗ですよね。切るのちょっともったいないけど、切るからには、思いきり格好良くしましょう」
美容師に褒められ、康太郎はぎくしゃくと頷いた。
緊張が体中からあふれている。
しかし優希よりも歳の近い美容師と打ち解けるのにそう時間はかからず、長い髪を束ねて切り落としたときには、2人しておおはしゃぎしてツーショットの写真まで撮っていた。
「……若いねぇ」
優希がしみじみと呟くと、背後の美容師が吹き出した。
「北條さんもお若いじゃないですか」
「そういうお世辞が似合わない歳になってきたよ。白髪、増えたでしょ」
「うーん、前より少しは増えましたかね。お仕事大変なんじゃないですか。去年から大学の先生始められたんでしたっけ」
「週に1コマだから大した仕事量でもないよ」
「いや、でも、人に教えるって大変なことですから」
優希の髪を切っているのは店長である。
優希がこの店に通い始めた時はまだアシスタントだった彼も、今は人を指導する立場になり、色々と思うところもあるのだろう。
「私の場合は、経歴に箔をつけるために、やらせてもらってるようなところがあるからね……いや、だからって手を抜いているわけでもないんだけど、学生にとってはあまり重要な講義でもないんだよ」
「――これはうちの姉の話なんですけど」
話しながら、美容師の手元で鋏がリズミカルに動く。
「公務員になるために大学に行ったんですけど、他の学部の授業を受けて、それがすごく面白かったみたいで、今は貿易会社でキャリアウーマンっていうんですか、そういうのやってますよ。何がどう影響するかは、わからないものですよね」
「……私の講義で人生の変わる子はいなさそうだけどね」
ふと、高崎の顔が優希の脳裏にちらついた。
あの少女が優希の講義を受けていなければ、彼女は死ななかったのかもしれない。
(そういうifは大嫌いだったはずなんだけど、私も本当に年取ったな……)
鏡を見ると、お世辞にも若いとは言えない自分がこちらを見返している。
「……次は髪染めてみようかな」
「おっ! いいんじゃないですか。何色にします? 優希さん色白いから何でも似合いそうだな」
「普通の白髪染めにしてくれ」
勝手に盛り上がる店長に苦笑しつつ、横目で康太郎の様子をうかがう。
思ったよりも短く刈られていく髪と、長いまつげ。
鋏が動くたびに姉と似ている部分が削り落とされていくようで、優希は少しだけ複雑な気持ちになった。
その間、康太郎はひどく上機嫌で、ときには鼻歌を歌いながら食事を作ることもあり、優希を不審がらせた。
(買い物がそんなに嬉しいのか……それとも髪を切ることへの解放感か?)
不思議ではあったが、16歳ならこんなものかと優希は適当に流し、彼を連れて電車に乗る。
「バイト始めたらこの路線使うんだから覚えるんだよ。これが大井町線で、このホームから出る電車に乗ればいいから」
きょろきょろする康太郎は、どこからどうみても「おのぼりさん」だ。
優希は他者の視線を気にするほうではないが、この状態の彼を連れて歩くのは少々気恥ずかしい。
数駅先の目的地で電車を降り、ついでに彼がバイトで使うことになる、乗り換えのホームまで連れて行ってやる。
「電車降りたら、改札を出ずにこっちの東横線に乗り換え。きみのバイト先は、この次の駅だから、迷うことはないね」
「朝はやっぱり混むの?」
「都内はどの電車も混むもんだよ。でも、康太郎の通勤時間ならラッシュからは外れてるかな」
康太郎は優希の言葉に、それでも少々不安そうな顔をした。
「優希さんは違う電車?」
「私は田園都市線だから……それに時間が合わないよ」
来期からも、優希の講義は金曜の5限と決まっていた。終わりは18時前だ。
康太郎は10時から17時までの勤務だから、お互いの通勤時間はまったく合わない。
「ま、大丈夫だって。初日だけは送ってやるから」
自分よりも背の高い少年の背中をぽんぽんと叩いてやる。
こんな小心者のくせに、よく地元から優希の家までたどり着いたものだ。
駅から徒歩5分の美容室に到着し、2人並んで髪を切ってもらう。
康太郎の顔はまさしく「こんなおしゃれなところに入るのは初めてだ」と書いてあるようだ。
「甥っ子さんでしたっけ」
「ああ。電話でも伝えたように、ヘアドネーションをしたいそうだから、よろしく頼むよ」
優希は普段あまり担当美容師と会話をしないのだが、今日に限っては連れがいるということで、多少は気を遣って口を開いた。
よろしく頼まれた康太郎の担当の若い美容師が、満面の笑みで「任せて」と頼もしく応えてくる。
「西島さん、髪綺麗ですよね。切るのちょっともったいないけど、切るからには、思いきり格好良くしましょう」
美容師に褒められ、康太郎はぎくしゃくと頷いた。
緊張が体中からあふれている。
しかし優希よりも歳の近い美容師と打ち解けるのにそう時間はかからず、長い髪を束ねて切り落としたときには、2人しておおはしゃぎしてツーショットの写真まで撮っていた。
「……若いねぇ」
優希がしみじみと呟くと、背後の美容師が吹き出した。
「北條さんもお若いじゃないですか」
「そういうお世辞が似合わない歳になってきたよ。白髪、増えたでしょ」
「うーん、前より少しは増えましたかね。お仕事大変なんじゃないですか。去年から大学の先生始められたんでしたっけ」
「週に1コマだから大した仕事量でもないよ」
「いや、でも、人に教えるって大変なことですから」
優希の髪を切っているのは店長である。
優希がこの店に通い始めた時はまだアシスタントだった彼も、今は人を指導する立場になり、色々と思うところもあるのだろう。
「私の場合は、経歴に箔をつけるために、やらせてもらってるようなところがあるからね……いや、だからって手を抜いているわけでもないんだけど、学生にとってはあまり重要な講義でもないんだよ」
「――これはうちの姉の話なんですけど」
話しながら、美容師の手元で鋏がリズミカルに動く。
「公務員になるために大学に行ったんですけど、他の学部の授業を受けて、それがすごく面白かったみたいで、今は貿易会社でキャリアウーマンっていうんですか、そういうのやってますよ。何がどう影響するかは、わからないものですよね」
「……私の講義で人生の変わる子はいなさそうだけどね」
ふと、高崎の顔が優希の脳裏にちらついた。
あの少女が優希の講義を受けていなければ、彼女は死ななかったのかもしれない。
(そういうifは大嫌いだったはずなんだけど、私も本当に年取ったな……)
鏡を見ると、お世辞にも若いとは言えない自分がこちらを見返している。
「……次は髪染めてみようかな」
「おっ! いいんじゃないですか。何色にします? 優希さん色白いから何でも似合いそうだな」
「普通の白髪染めにしてくれ」
勝手に盛り上がる店長に苦笑しつつ、横目で康太郎の様子をうかがう。
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