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背後でベランダの扉が開いた音がして、康太郎が呼びに来たのかと思ったら、肩越しに大きな手が伸びてきた。
「俺にも1本ちょーだい」
「やめたんじゃなかったの」
答えながら、ポケットから煙草の箱とライターを取り出して、手渡してやる。
「まあ、たまには」
大輔が優希の隣に立ち、煙草を口にくわえて火をつける。慣れた手つきだ。禁煙など、実際のところ、成功はしていなかったと見える。
「どれくらい減った?」
「3割くらいは」
「健闘したね。えらいえらい」
「3人がかりかと思ったのに、1人戦力外がいたせいで大変だったよ」
「そらご苦労様」
2人で並んで軽口を叩いていると、ふと優希は、学生時代に戻ったような錯覚に陥る。
20年前に破局して、10数年前に交流が復活してから、共通の知人を交えて彼と会うことはあった。
そのときには感じなかった感傷のようなものが、今夜の大輔を見ていると、ふと湧き起こってくる。
幅の広い肩。不精髭の生えた顎。人当たりのよい目尻。
あの頃とは確かに違うのに、何故だか、ひどく懐かしかった。
「康太郎くんと少し話したよ。あの子は、遠慮しすぎだな」
「そうかな。遠慮しすぎる子が、体一つで転がり込んでくると思う?」
「はは、まあ、そうだけど」
「猫かぶってんだよ」
大輔の薄い唇から、煙とともに、冬らしい白い息が吐き出された。月のない真っ黒な空へ煙ごと流れて消えていく。
優希はなんとなくそれを目で追った。
「子供には、物を与えることばかりがいいとは限らないよ、優希」
「子供に対する愛情の与え方なら習ってないな」
もう何本目になるかわからない煙草に火をつける。
大輔がちらりとこちらを見る目に、憐憫に似た色が浮かんで消えた。
「言葉や態度で示せないなら、与えるものを工夫しないと」
「たとえば?」
「あの子は将来大学に行ってみたいんだっけ。そのために何をすればいいか、わかるようなものとか、さ」
「塾の資料でも渡せって?」
「悪くないんじゃないか、それ」
手元の灰皿に灰を落とす。ぼんやりしていた内に、すっかり灰皿がいっぱいになってしまっている。
「ねえ、大学入るくらいで、塾って必要なの?」
「出たよ、秀才・北條。必要だからこれだけたくさん予備校だのなんだのがあるんでしょうよ」
「お勉強だけはできますから、わたくし」
「そうでしたね、次席卒業生殿」
「よく覚えてるね、そんなことまで」
「そりゃ、ね」
他愛のない会話を交わしていると、お互いに歳をとったなとしみじみと思わされる。
年齢だけで言えば、2人とも康太郎くらいの子供がいてもおかしくない。
「康太郎くんが、金の心配してた。優希が受け取らないって」
「子供に恵んでもらわなきゃいけないほど、悪い稼ぎはしてないよ」
「そういうこと、いちいち説明してやってないんだろ? だから不安なんだよ」
「そんなものか」
大輔に指摘されるまでもなく、自分が言葉足らずな自覚は優希にもある。
ただ、言いそびれているわけではなく、自分の判断で、言っていないだけだ。
その判断が誤っていると正面から訂正してくるのは、大輔くらいのものだろう。
「大学の学費とか、予備校費とか、出してやるつもり?」
「いや、全部は考えてない。バイト代から予備校代を出してもらうつもりだし、学費も奨学金を取らせるつもりだ。それでも足りない分とか、入学金とか、そのくらいは面倒見てもいいけど、基本的には自立してもらわないと困る」
「……卒業するまで置いてやるつもりなのか」
「本人が出ていきたくなるまでは、そのつもりだよ」
大輔の手が、優希から灰皿を奪い取った。吸い殻を突っ込みながら、大輔が優希を真正面から見る。
「それなら、それで、きちんと話し合いをしなよ、優希。そうやって自分だけで決めて、そばにいる人間の気持ちを聞かずに不安にさせるのは、おまえのよくない癖だ」
「……不安だったの、大輔?」
灰皿を取り返し、自分も吸い殻を放り込む。
いつも柔らかな大輔の目が、このときばかりは直視するのがきついほど鋭かった。
「不安じゃないと思ってた?」
「なんとなく……あんたは、まっとうだから」
ぐい、とダウンジャケットの襟を掴まれた。
唇をふさがれたと気づくのに、優希は2秒ほどを要した。
大輔は自分から体を離し、動揺の隠し切れない表情で何故か斜め下を見た。
「まっとう、では、ないんだろうな。世間の評価を基準にすれば、俺も、おまえも」
「……お互いに、難儀だね?」
「おまえがいうかね、それを」
思わず、優希は笑ってしまい、大輔もつられて笑い出す。
空からちらちらと細かい雪が舞い落ちてくる。
優希はさすがに冷えた体を自覚し、部屋に戻ろうと大輔に背中を向けた。
「優希」
「なに?」
「康太郎くんに、俺とおまえは、今はいいお友達なのかって聞かれたよ。どう思う?」
優希は立ち止まり、少し迷って大輔を振り返った。
「願わくば、そうでありたいと思うよ」
「それ以上の関係を俺が望んだらどうする?」
「さあ、ね。本当に私たちは、まっとうではないな」
でも、と優希は扉に手をかけて微笑む。
「あんたの理論で言えば、話し合いをする場面なんだろうね?」
「さすが、次席卒業生殿。応用が早いね」
大輔が2本目の煙草に火をつける。
優希はドアの下に灰皿を置いて、康太郎の待つ部屋に静かに戻った。
「俺にも1本ちょーだい」
「やめたんじゃなかったの」
答えながら、ポケットから煙草の箱とライターを取り出して、手渡してやる。
「まあ、たまには」
大輔が優希の隣に立ち、煙草を口にくわえて火をつける。慣れた手つきだ。禁煙など、実際のところ、成功はしていなかったと見える。
「どれくらい減った?」
「3割くらいは」
「健闘したね。えらいえらい」
「3人がかりかと思ったのに、1人戦力外がいたせいで大変だったよ」
「そらご苦労様」
2人で並んで軽口を叩いていると、ふと優希は、学生時代に戻ったような錯覚に陥る。
20年前に破局して、10数年前に交流が復活してから、共通の知人を交えて彼と会うことはあった。
そのときには感じなかった感傷のようなものが、今夜の大輔を見ていると、ふと湧き起こってくる。
幅の広い肩。不精髭の生えた顎。人当たりのよい目尻。
あの頃とは確かに違うのに、何故だか、ひどく懐かしかった。
「康太郎くんと少し話したよ。あの子は、遠慮しすぎだな」
「そうかな。遠慮しすぎる子が、体一つで転がり込んでくると思う?」
「はは、まあ、そうだけど」
「猫かぶってんだよ」
大輔の薄い唇から、煙とともに、冬らしい白い息が吐き出された。月のない真っ黒な空へ煙ごと流れて消えていく。
優希はなんとなくそれを目で追った。
「子供には、物を与えることばかりがいいとは限らないよ、優希」
「子供に対する愛情の与え方なら習ってないな」
もう何本目になるかわからない煙草に火をつける。
大輔がちらりとこちらを見る目に、憐憫に似た色が浮かんで消えた。
「言葉や態度で示せないなら、与えるものを工夫しないと」
「たとえば?」
「あの子は将来大学に行ってみたいんだっけ。そのために何をすればいいか、わかるようなものとか、さ」
「塾の資料でも渡せって?」
「悪くないんじゃないか、それ」
手元の灰皿に灰を落とす。ぼんやりしていた内に、すっかり灰皿がいっぱいになってしまっている。
「ねえ、大学入るくらいで、塾って必要なの?」
「出たよ、秀才・北條。必要だからこれだけたくさん予備校だのなんだのがあるんでしょうよ」
「お勉強だけはできますから、わたくし」
「そうでしたね、次席卒業生殿」
「よく覚えてるね、そんなことまで」
「そりゃ、ね」
他愛のない会話を交わしていると、お互いに歳をとったなとしみじみと思わされる。
年齢だけで言えば、2人とも康太郎くらいの子供がいてもおかしくない。
「康太郎くんが、金の心配してた。優希が受け取らないって」
「子供に恵んでもらわなきゃいけないほど、悪い稼ぎはしてないよ」
「そういうこと、いちいち説明してやってないんだろ? だから不安なんだよ」
「そんなものか」
大輔に指摘されるまでもなく、自分が言葉足らずな自覚は優希にもある。
ただ、言いそびれているわけではなく、自分の判断で、言っていないだけだ。
その判断が誤っていると正面から訂正してくるのは、大輔くらいのものだろう。
「大学の学費とか、予備校費とか、出してやるつもり?」
「いや、全部は考えてない。バイト代から予備校代を出してもらうつもりだし、学費も奨学金を取らせるつもりだ。それでも足りない分とか、入学金とか、そのくらいは面倒見てもいいけど、基本的には自立してもらわないと困る」
「……卒業するまで置いてやるつもりなのか」
「本人が出ていきたくなるまでは、そのつもりだよ」
大輔の手が、優希から灰皿を奪い取った。吸い殻を突っ込みながら、大輔が優希を真正面から見る。
「それなら、それで、きちんと話し合いをしなよ、優希。そうやって自分だけで決めて、そばにいる人間の気持ちを聞かずに不安にさせるのは、おまえのよくない癖だ」
「……不安だったの、大輔?」
灰皿を取り返し、自分も吸い殻を放り込む。
いつも柔らかな大輔の目が、このときばかりは直視するのがきついほど鋭かった。
「不安じゃないと思ってた?」
「なんとなく……あんたは、まっとうだから」
ぐい、とダウンジャケットの襟を掴まれた。
唇をふさがれたと気づくのに、優希は2秒ほどを要した。
大輔は自分から体を離し、動揺の隠し切れない表情で何故か斜め下を見た。
「まっとう、では、ないんだろうな。世間の評価を基準にすれば、俺も、おまえも」
「……お互いに、難儀だね?」
「おまえがいうかね、それを」
思わず、優希は笑ってしまい、大輔もつられて笑い出す。
空からちらちらと細かい雪が舞い落ちてくる。
優希はさすがに冷えた体を自覚し、部屋に戻ろうと大輔に背中を向けた。
「優希」
「なに?」
「康太郎くんに、俺とおまえは、今はいいお友達なのかって聞かれたよ。どう思う?」
優希は立ち止まり、少し迷って大輔を振り返った。
「願わくば、そうでありたいと思うよ」
「それ以上の関係を俺が望んだらどうする?」
「さあ、ね。本当に私たちは、まっとうではないな」
でも、と優希は扉に手をかけて微笑む。
「あんたの理論で言えば、話し合いをする場面なんだろうね?」
「さすが、次席卒業生殿。応用が早いね」
大輔が2本目の煙草に火をつける。
優希はドアの下に灰皿を置いて、康太郎の待つ部屋に静かに戻った。
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