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康太郎の母親は、かつて酒を提供する飲食店で働いていたことがある。
その時期、彼女は酒臭い息を吐きながら早朝に帰宅してきたものだ。
もっとも、母の場合は泥酔して眠ってしまうことがほとんどで、酔って康太郎に絡むことはほぼなかった。
ところが、今、16歳になった康太郎の目の前で、40代半ばの男が――当時の母親よりも一回りほど年かさの成人男性が、酔ってぐだぐだと管を巻いている。
康太郎は人生で初めて、酔っ払いの面倒くささを身をもって痛感した。
(泊まるなんて言わなきゃよかった……)
時計を見るとまだ22時前だ。自転車で来ているので、これくらいの時間なら、別に外に出たところで問題ないだろう。
だが、この酔っ払いが康太郎を帰してくれるかどうかは別の話だ。
19時くらいまでは、普通だった気がする。
バラエティを見て、2人で笑っていた記憶もある。
いつの間にか、大輔の飲むものがビールからウィスキーのロックに変わり、そのあたりからおかしくなった。
酔っ払いの妄言の混じった長ったらしい言葉から要点を抜き出すと、つまるところ、大輔は優希に完膚なきまでに振られてしまったらしい。
それも、強引にホテルに連れ込もうとして、というわりと最低な理由に、無垢な康太郎はドン引きしてしまう。
「あの、大輔さん?」
「なに?」
呂律だけはしっかり回っているが、目つきがどうも怪しい。
「大輔さんは、優希さんが女の子のときに付き合ってたんですよね?」
「うん」
「今の優希さん、男の人ですけど、大輔さんもそういうあれなんですか?」
「違います~。だから振られたの、康太郎くん、わかるかなそのへん」
全然何を言っているのかわからない。康太郎は妙な汗をかきながら、麦茶を飲んで誤魔化す。
限界を突破したらしい大輔の目が、どんどん据わっていく。テーブルのねじをじっと見つめている姿は、正直、怖い。
「というかさ、俺だって調べてたよ? 色々大変なんだなってことくらいは、理解してたよ? でも、男には勢いってもんがあるじゃない。ねえ?」
「あ、はい」
ぬるくなった冷奴をつまみながら、康太郎はなるべく大輔と目を合わせないように生返事をする。
「そりゃあ、俺は女のほうが好きよ。ゲイじゃないから。でもさぁ、優希なら大丈夫かもって思ったから、忘れられないって思いのたけを伝えたわけよ。わかるでしょ、そういうの」
「わかります、わかります」
「優希もさ、いいなと思ってくれたから、家に呼んだり何かと相談してきたりしたわけでしょ? それならさあ、もう少しゆとりをもって、俺に色々教えてやろうって優しくしてくれてもよかったんじゃないの」
「ですよね」
大輔の愚痴は、康太郎にはどんどんよくわからない内容になっていく。
ただ、彼が優希のことを名前で呼ぶのは新鮮だった。素面のとき、大輔は優希を「北條」と呼んでいたはずだ。
(……優希さんを名前で呼ぶの、なんとなく俺だけだと思ってた)
そんなわけはないはずなのに、どこかもやもやしてしまう。
康太郎の内心などお構いなしに、大輔がぐだぐだと呟き続ける。彼はとうとうテーブルに突っ伏してしまい、康太郎は慌てて皿をテーブルから退避させた。
「優希って、結構、胸大きかったんだよ。知ってる?」
「知ってるわけないじゃないですか……」
「んー、そのへんに写真あったと思う……」
ごろりとカーペットに転がるようにして、大輔が本棚に這い寄った。
2㎝ほどの厚みのアルバムを取り出し、康太郎の目の前でばさっと開いてみせた。さすがに康太郎も好奇心を刺激されて覗き込む。
そこに写っていたのは、今とあまり変わらない優希の姿だった。
もちろん20年以上の月日の分、若いのだが、学生の頃から化粧をせずに地味な服を着ていたせいか、全体的な雰囲気はあまり変わっていない気がする。
若い頃のほうがややふっくらしているため、健康的ではある。
(……優希さん、こんなふうに笑うこともあるんだな)
康太郎の知っている優希は、たいてい仏頂面で、笑ったとしてもどこか控えめに微笑むばかりだ。
写真の中で口をあけて笑う優希の姿は、まるで他人のようだった。
「なー、結構可愛いだろ……この頃の優希を忘れられないからって、しかたなくない?」
「あ、ええ、そうですね……」
「でも俺は、今の優希のほうが可愛いと思う。ねえ?」
同意を求められて、康太郎は困ってしまう。
母の妹と聞いていたから女だと自然に思ったが、何も知らずに優希を見れば、やや女性的な顔立ちの男だと思ったかもしれない。
目鼻立ちがはっきりしているので、格好いいという表現は当てはまっても、可愛いというのは、何か違う気がした。
「……康太郎くんさぁ」
大輔が床にうつぶせになったまま、少し苦しそうに声を出した。
「なんですか?」
「そこの引き出し開けてくんない? そう……一番下の、工具とかのけて、その奥……」
康太郎がややうんざりしながらその指示に従うと、引き出しの奥から白い紙袋が出てきた。
中には正方形に近い箱と、やや薄い長方形の箱が、それぞれラッピングされて入っている。正方形のほうは、妙に年季を感じさせた。
「それ、優希に渡しといてよ……ホワイトデー……ケーキのお返しだって……」
「……自分で渡せばいいじゃないですか」
「合わせる顔がない!」
大声を出しながら仰向けになった大輔の顔は、一瞬、泣いているようにも見えた。
「ので、康太郎くん、頼むよ」
「……わかりましたから、そのへんにしときましょうよ、お酒」
「まだ全然、平気だけど」
と言いつつ、だけど、のあたりで大輔の目はしっかりと閉じてしまった。
「……さすがに置いてったらまずいかな」
周囲を見れば皿の山ができてしまっている。
康太郎は嘆息して皿をキッチンに運び、部屋の隅に畳まれていたブランケットを大輔にかけてやった。
酔いのせいか、どこか苦しげな寝顔だった。
その時期、彼女は酒臭い息を吐きながら早朝に帰宅してきたものだ。
もっとも、母の場合は泥酔して眠ってしまうことがほとんどで、酔って康太郎に絡むことはほぼなかった。
ところが、今、16歳になった康太郎の目の前で、40代半ばの男が――当時の母親よりも一回りほど年かさの成人男性が、酔ってぐだぐだと管を巻いている。
康太郎は人生で初めて、酔っ払いの面倒くささを身をもって痛感した。
(泊まるなんて言わなきゃよかった……)
時計を見るとまだ22時前だ。自転車で来ているので、これくらいの時間なら、別に外に出たところで問題ないだろう。
だが、この酔っ払いが康太郎を帰してくれるかどうかは別の話だ。
19時くらいまでは、普通だった気がする。
バラエティを見て、2人で笑っていた記憶もある。
いつの間にか、大輔の飲むものがビールからウィスキーのロックに変わり、そのあたりからおかしくなった。
酔っ払いの妄言の混じった長ったらしい言葉から要点を抜き出すと、つまるところ、大輔は優希に完膚なきまでに振られてしまったらしい。
それも、強引にホテルに連れ込もうとして、というわりと最低な理由に、無垢な康太郎はドン引きしてしまう。
「あの、大輔さん?」
「なに?」
呂律だけはしっかり回っているが、目つきがどうも怪しい。
「大輔さんは、優希さんが女の子のときに付き合ってたんですよね?」
「うん」
「今の優希さん、男の人ですけど、大輔さんもそういうあれなんですか?」
「違います~。だから振られたの、康太郎くん、わかるかなそのへん」
全然何を言っているのかわからない。康太郎は妙な汗をかきながら、麦茶を飲んで誤魔化す。
限界を突破したらしい大輔の目が、どんどん据わっていく。テーブルのねじをじっと見つめている姿は、正直、怖い。
「というかさ、俺だって調べてたよ? 色々大変なんだなってことくらいは、理解してたよ? でも、男には勢いってもんがあるじゃない。ねえ?」
「あ、はい」
ぬるくなった冷奴をつまみながら、康太郎はなるべく大輔と目を合わせないように生返事をする。
「そりゃあ、俺は女のほうが好きよ。ゲイじゃないから。でもさぁ、優希なら大丈夫かもって思ったから、忘れられないって思いのたけを伝えたわけよ。わかるでしょ、そういうの」
「わかります、わかります」
「優希もさ、いいなと思ってくれたから、家に呼んだり何かと相談してきたりしたわけでしょ? それならさあ、もう少しゆとりをもって、俺に色々教えてやろうって優しくしてくれてもよかったんじゃないの」
「ですよね」
大輔の愚痴は、康太郎にはどんどんよくわからない内容になっていく。
ただ、彼が優希のことを名前で呼ぶのは新鮮だった。素面のとき、大輔は優希を「北條」と呼んでいたはずだ。
(……優希さんを名前で呼ぶの、なんとなく俺だけだと思ってた)
そんなわけはないはずなのに、どこかもやもやしてしまう。
康太郎の内心などお構いなしに、大輔がぐだぐだと呟き続ける。彼はとうとうテーブルに突っ伏してしまい、康太郎は慌てて皿をテーブルから退避させた。
「優希って、結構、胸大きかったんだよ。知ってる?」
「知ってるわけないじゃないですか……」
「んー、そのへんに写真あったと思う……」
ごろりとカーペットに転がるようにして、大輔が本棚に這い寄った。
2㎝ほどの厚みのアルバムを取り出し、康太郎の目の前でばさっと開いてみせた。さすがに康太郎も好奇心を刺激されて覗き込む。
そこに写っていたのは、今とあまり変わらない優希の姿だった。
もちろん20年以上の月日の分、若いのだが、学生の頃から化粧をせずに地味な服を着ていたせいか、全体的な雰囲気はあまり変わっていない気がする。
若い頃のほうがややふっくらしているため、健康的ではある。
(……優希さん、こんなふうに笑うこともあるんだな)
康太郎の知っている優希は、たいてい仏頂面で、笑ったとしてもどこか控えめに微笑むばかりだ。
写真の中で口をあけて笑う優希の姿は、まるで他人のようだった。
「なー、結構可愛いだろ……この頃の優希を忘れられないからって、しかたなくない?」
「あ、ええ、そうですね……」
「でも俺は、今の優希のほうが可愛いと思う。ねえ?」
同意を求められて、康太郎は困ってしまう。
母の妹と聞いていたから女だと自然に思ったが、何も知らずに優希を見れば、やや女性的な顔立ちの男だと思ったかもしれない。
目鼻立ちがはっきりしているので、格好いいという表現は当てはまっても、可愛いというのは、何か違う気がした。
「……康太郎くんさぁ」
大輔が床にうつぶせになったまま、少し苦しそうに声を出した。
「なんですか?」
「そこの引き出し開けてくんない? そう……一番下の、工具とかのけて、その奥……」
康太郎がややうんざりしながらその指示に従うと、引き出しの奥から白い紙袋が出てきた。
中には正方形に近い箱と、やや薄い長方形の箱が、それぞれラッピングされて入っている。正方形のほうは、妙に年季を感じさせた。
「それ、優希に渡しといてよ……ホワイトデー……ケーキのお返しだって……」
「……自分で渡せばいいじゃないですか」
「合わせる顔がない!」
大声を出しながら仰向けになった大輔の顔は、一瞬、泣いているようにも見えた。
「ので、康太郎くん、頼むよ」
「……わかりましたから、そのへんにしときましょうよ、お酒」
「まだ全然、平気だけど」
と言いつつ、だけど、のあたりで大輔の目はしっかりと閉じてしまった。
「……さすがに置いてったらまずいかな」
周囲を見れば皿の山ができてしまっている。
康太郎は嘆息して皿をキッチンに運び、部屋の隅に畳まれていたブランケットを大輔にかけてやった。
酔いのせいか、どこか苦しげな寝顔だった。
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