呼吸

ゆずる

文字の大きさ
52 / 89

51

しおりを挟む
 康太郎の母親は、かつて酒を提供する飲食店で働いていたことがある。
 その時期、彼女は酒臭い息を吐きながら早朝に帰宅してきたものだ。
 もっとも、母の場合は泥酔して眠ってしまうことがほとんどで、酔って康太郎に絡むことはほぼなかった。

 ところが、今、16歳になった康太郎の目の前で、40代半ばの男が――当時の母親よりも一回りほど年かさの成人男性が、酔ってぐだぐだと管を巻いている。
 康太郎は人生で初めて、酔っ払いの面倒くささを身をもって痛感した。

(泊まるなんて言わなきゃよかった……)

 時計を見るとまだ22時前だ。自転車で来ているので、これくらいの時間なら、別に外に出たところで問題ないだろう。
 だが、この酔っ払いが康太郎を帰してくれるかどうかは別の話だ。

 19時くらいまでは、普通だった気がする。
 バラエティを見て、2人で笑っていた記憶もある。
 いつの間にか、大輔の飲むものがビールからウィスキーのロックに変わり、そのあたりからおかしくなった。

 酔っ払いの妄言の混じった長ったらしい言葉から要点を抜き出すと、つまるところ、大輔は優希に完膚なきまでに振られてしまったらしい。
 それも、強引にホテルに連れ込もうとして、というわりと最低な理由に、無垢な康太郎はドン引きしてしまう。

「あの、大輔さん?」
「なに?」

 呂律だけはしっかり回っているが、目つきがどうも怪しい。

「大輔さんは、優希さんが女の子のときに付き合ってたんですよね?」
「うん」
「今の優希さん、男の人ですけど、大輔さんもそういうあれなんですか?」
「違います~。だから振られたの、康太郎くん、わかるかなそのへん」

 全然何を言っているのかわからない。康太郎は妙な汗をかきながら、麦茶を飲んで誤魔化す。
 限界を突破したらしい大輔の目が、どんどん据わっていく。テーブルのねじをじっと見つめている姿は、正直、怖い。

「というかさ、俺だって調べてたよ? 色々大変なんだなってことくらいは、理解してたよ? でも、男には勢いってもんがあるじゃない。ねえ?」
「あ、はい」

 ぬるくなった冷奴をつまみながら、康太郎はなるべく大輔と目を合わせないように生返事をする。

「そりゃあ、俺は女のほうが好きよ。ゲイじゃないから。でもさぁ、優希なら大丈夫かもって思ったから、忘れられないって思いのたけを伝えたわけよ。わかるでしょ、そういうの」
「わかります、わかります」
「優希もさ、いいなと思ってくれたから、家に呼んだり何かと相談してきたりしたわけでしょ? それならさあ、もう少しゆとりをもって、俺に色々教えてやろうって優しくしてくれてもよかったんじゃないの」
「ですよね」

 大輔の愚痴は、康太郎にはどんどんよくわからない内容になっていく。
 ただ、彼が優希のことを名前で呼ぶのは新鮮だった。素面のとき、大輔は優希を「北條」と呼んでいたはずだ。

(……優希さんを名前で呼ぶの、なんとなく俺だけだと思ってた)

 そんなわけはないはずなのに、どこかもやもやしてしまう。
 康太郎の内心などお構いなしに、大輔がぐだぐだと呟き続ける。彼はとうとうテーブルに突っ伏してしまい、康太郎は慌てて皿をテーブルから退避させた。

「優希って、結構、胸大きかったんだよ。知ってる?」
「知ってるわけないじゃないですか……」
「んー、そのへんに写真あったと思う……」

 ごろりとカーペットに転がるようにして、大輔が本棚に這い寄った。
 2㎝ほどの厚みのアルバムを取り出し、康太郎の目の前でばさっと開いてみせた。さすがに康太郎も好奇心を刺激されて覗き込む。

 そこに写っていたのは、今とあまり変わらない優希の姿だった。
 もちろん20年以上の月日の分、若いのだが、学生の頃から化粧をせずに地味な服を着ていたせいか、全体的な雰囲気はあまり変わっていない気がする。
 若い頃のほうがややふっくらしているため、健康的ではある。

(……優希さん、こんなふうに笑うこともあるんだな)

 康太郎の知っている優希は、たいてい仏頂面で、笑ったとしてもどこか控えめに微笑むばかりだ。
 写真の中で口をあけて笑う優希の姿は、まるで他人のようだった。

「なー、結構可愛いだろ……この頃の優希を忘れられないからって、しかたなくない?」
「あ、ええ、そうですね……」
「でも俺は、今の優希のほうが可愛いと思う。ねえ?」

 同意を求められて、康太郎は困ってしまう。
 母の妹と聞いていたから女だと自然に思ったが、何も知らずに優希を見れば、やや女性的な顔立ちの男だと思ったかもしれない。
 目鼻立ちがはっきりしているので、格好いいという表現は当てはまっても、可愛いというのは、何か違う気がした。

「……康太郎くんさぁ」

 大輔が床にうつぶせになったまま、少し苦しそうに声を出した。

「なんですか?」
「そこの引き出し開けてくんない? そう……一番下の、工具とかのけて、その奥……」

 康太郎がややうんざりしながらその指示に従うと、引き出しの奥から白い紙袋が出てきた。
 中には正方形に近い箱と、やや薄い長方形の箱が、それぞれラッピングされて入っている。正方形のほうは、妙に年季を感じさせた。

「それ、優希に渡しといてよ……ホワイトデー……ケーキのお返しだって……」
「……自分で渡せばいいじゃないですか」
「合わせる顔がない!」

 大声を出しながら仰向けになった大輔の顔は、一瞬、泣いているようにも見えた。

「ので、康太郎くん、頼むよ」
「……わかりましたから、そのへんにしときましょうよ、お酒」
「まだ全然、平気だけど」

 と言いつつ、だけど、のあたりで大輔の目はしっかりと閉じてしまった。

「……さすがに置いてったらまずいかな」

 周囲を見れば皿の山ができてしまっている。
 康太郎は嘆息して皿をキッチンに運び、部屋の隅に畳まれていたブランケットを大輔にかけてやった。
 酔いのせいか、どこか苦しげな寝顔だった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)

MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

Zinnia‘s Miracle 〜25年目の奇跡

弘生
現代文学
なんだか優しいお話が書きたくなって、連載始めました。 保護猫「ジン」が、時間と空間を超えて見守り語り続けた「柊家」の人々。 「ジン」が天に昇ってから何度も季節は巡り、やがて25年目に奇跡が起こる。けれど、これは奇跡というよりも、「ジン」へのご褒美かもしれない。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

処理中です...