上 下
2 / 26
第1章 路上試合/チュートリアル

第2転 桃太郎の転生者

しおりを挟む
 異世界転生軍による決闘宣言より四日後。岡山県某所。

「嫌だっつってんじゃん!」

 その少年――百地吉備之介ももちきびのすけは街中を疾走していた。
 日本人だが、髪は黒色ではなく桃色だ。癖っ毛で、あちこちが跳ねている。顔つきはそれなりに整っている方だが、凛々しいというよりも可愛らしいと言った方が近い風貌だ。服装は何の変哲もない黒の学ランである。

 そんな髪色以外はごく普通の学生といった容貌の少年が街中を逃げ回っていた。少年を追い掛けるのは五人の男だ。それぞれ鍛えられた肉体をスーツに包み込み、サングラスを掛けている。某逃走バラエティーのハンターを彷彿とさせる怪しさ抜群な出で立ちだ。

 男達は息も絶え絶えになりながらも吉備之介の事をこう呼んだ。


「――お待ち下さい、『桃太郎』様!」と。


「待つ訳ねえだろ! お前ら、俺を何だと思ってやがる!?」

 男達とは対照的に殆ど息を切らさず、吉備之介が怒鳴り返す。

「ただの高校生だぞ! それが何だ、急に決闘しろとか! しかも普通の人間じゃなくて剣と魔法の世界の住人が相手だと!? 意味不明にも程があるだろ展開! お前ら男子高校生に何を期待してやがんだ馬鹿か!」
「しっ、しししかしっ……! 貴方は『桃太郎』その人なのでは!?」
「それはっ……そうだけどよお」

 男達の指摘に吉備之介は言い淀む。その間にも彼らの脚は止まらない。

「ああ、そうさ。確かに俺の前世『桃太郎』だ。それはもう思い出している。それを誤魔化すつもりはねえよ」

 この少年――吉備之介は何を隠そう、『桃太郎』の輪廻転生者である。

 日本屈指の大英雄。侍の象徴的存在。御伽噺おとぎばなしの第一人者。それが桃太郎だ。前世を忘却して日本の一般家庭の子に転生し、学生として凡庸で貴重な青春を謳歌していた彼だったが、今は前世の記憶を取り戻していた。
 否、神々によって取り戻させられたのだ。この魔王城から決闘宣言が流れるよりも少し前に、神々が彼を自分達の尖兵にせんが為に。だが、

「けどな、それで『桃太郎』そのものになった訳じゃねえんだよ。俺は俺、ただの高校生の餓鬼だ。高校生がいきなり殺し合いをしろって言われて、できると思うか? 思わねえだろ常識的に考えろ!」

 戻ったのは記憶だけだ。人格まで『桃太郎』に戻った訳ではない。『桃太郎』としての自覚を持ちながら人格は吉備之介のままだったのだ。
 並外れて感情移入する映画を見た後のようなものと言えば分かり易いだろうか。『桃太郎』としての経験を後天的に植え付けられただけだ。結果、「軍人としての覚悟がないまま戦場に連行されそうになっている天才少年兵」というのが彼の現状だ。

「はあっ、はあっ……! そっ、それでも貴方の力が必要なのです! 異世界転生者と真正面から戦えるのは貴方しかっ……!」
「俺の他にも輪廻転生者はいるだろ! そっち当たれ!」

 目に付いたビルの非常階段を駆け上る吉備之介。全速力で上りながらも呼吸はまるで乱れていない。一方のスーツの男達は大分疲弊していた。一人が階段途中で力尽きる。それでも他の四人が諦めずに吉備之介に追いすがる。

 屋上まで駆け上がった吉備之介が隣のビルに跳び移る。同じように跳躍する男達。一人が失敗してビルの谷間に落ちる。次々とビルの屋上を渡る吉備之介。道中、あえて天窓トップライトを跳び越えて障害物にし、男の一人を蹴躓かせた。懸命に追う残り二人も徐々に距離が離されていく。

 とはいえ、ビルの隣接がいつまでも続くとは限らない。吉備之介が着地したビルの周辺四十メートル範囲内には建物がなかった。人類の走り幅跳び世界記録は九メートル弱。とても跳び移れる距離ではない。彼の逃走劇もここまでだと男達は胸を撫で下ろした。

 と思いきや、

「よっと」

 屋上に着地した吉備之介はそのまま立ち止まる事なく、更に加速した。そのままの速度で床を蹴り、フェンスを踏み抜いて高く跳躍する。数瞬、滑空する吉備之介。五十メートル先にあった建物の窓を突き破り、身を転がして砕けた窓ガラスから自身を守る。
 建物内に侵入した吉備之介の姿は最早目で追う事すら叶わない。屋上の取り残された二人は吉備之介の逃走をただ見送る事しかできなかった。





 数十分後。ある廃ビルの一室で。

「……で、完璧に撒かれたって訳?」
「申し訳ありません……」

 男達は集まっていた。五人揃って跪き、こうべを垂れている。
 男達が跪いているのは一人の少女だ。艶のある黒髪は吉備之介とは真逆のストレートで、腰の辺りまで伸ばしている。顔立ちは完全無欠と言っても過言ではない程の美少女だが、目つきだけは気だるげだ。身に着けたブレザーは袖が腕よりもやや長く、余っている。

 少女は一室の中にテーブルやティーセットを並べていた。視線は手中のスマホに向かっており、男達には目を向けようともしない。

「そんなに難題だとは思っていなかったんだけど。私の想定が甘かったのかしら? それともあんた達が期待外れだったのかしら?」
「恐れながら……あの少年の身体能力は並の人間を超えています。我々では手に負えないかと……」

 恐怖と屈辱に額に汗を掻きながらも自分達の力不足を肯定する男。彼の返答を聞いて、少女は仕方なしという溜息を吐いた。

「……そう。伊達に輪廻転生者じゃないって訳。精神は現代っ子でも肉体は大英雄のそれって事ね」
「はい。お恥ずかしながら貴女様に出て頂く他にないかと。どうかお願いします」

 先頭で跪いていた男が顔を上げ、少女の名に乞う。


「――『かぐや姫』様」
しおりを挟む

処理中です...