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第3章 次鋒戦

第25転 流血試合

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 異世界転生軍側観客席、VIP席。観客席の最上段にあるその場所には二人の人間がいた。

「うん。最初は心配だったけど、調子が出てきたみたいだね、ニール」

 一人は青年。新緑色の髪に快晴色の瞳をしている。年齢は十代後半。青マントを着けた白銀の甲冑で身を覆っている。一見すると優男だが、滲み出る闘気と、それに反する落ち着いた所作が、彼が只人ではない事を示している。

 彼こそが『勇者』アーザー。異世界転生軍の序列二位。西の大陸を侵略する『西方魔王』を撃破した男。魔法世界カールフターランドにおける人類の英雄だ。一方で地球人類にとっては億単位の大量殺人者でもある。
 余談だが、『盗賊』イゴロウが討ち取ったのは『南方魔王』だ。『東方魔王』であるニールとの交戦記録はない。

「まおうさま がんばれー!」

 もう一人は少女だ。その容姿はなんと、あのジャクリン・ガードナーに瓜二つだった。
 だが、細部が異なる。灰褐色の体毛は陰り、肌は青白く血が通っていない。目は幽霊のように虚ろで、表情はぎこちない。何より呼吸をしていないのが異常だった。
 それもその筈。彼女は動く死体――生ける屍リビングデッドという魔物なのだから。

 ンガイ・ジャクリン・ガードナー。
 最も無傷に近かったジャクリンの亡骸を外装にして、ンガイ村の住人全員の無念が集まってできた不死者アンデッドだ。ニールが村を立ち去ってしばらくした後、村人達の呪いが村の残骸を掻き集めて彼女を生んだ。自然発生型の不死者だ。

 不死者は蘇生とは違う。不死者になるというのは、言うなれば虫の変態のようなものだ。芋虫が蛹を経て蛾になる。それと同様に殆ど違う存在になるのが不死者化だ。生前の面影こそ残しているが、同一ではない。
 ましてや彼女はンガイ村の集合体。よって、ジャクリンではなくンガイと呼ぶのが正しい。

「ゆうしゃさまも まおうさまを おうえんして!」
「勿論。応援しているさ。声には出していないだけでね」
「むー」

 ンガイが不満そうに頬を膨らませるが、アーザーは眉尻を下げて笑顔で流した。

 ンガイは魔王ニールの正室だ。ニールが魔王に就任した直後に魔王城に現れた。不死者として復活した後、当てもなく彷徨い、それでも本能的にニールの魔力を追って、彼の下に辿り着いたのだ。
 ニールは彼女を迎え入れ、婚姻を結ぶ事で彼女の身柄を確保した。かつての幼馴染の成れの果て。そんな彼女が姿を現した時に彼が何を思ったのか。その胸中は余人に推し量れるものではない。

「本当に彼の事は応援しているんだよ。人類への報復心を抑えて僕達に協力してくれているんだから。有難い事さ。そうでなくても魔族は全員、人類への敵意を抱えているというのに」

 魔族の人類蹂躙じゅうりんの衝動は欲求というよりも生態に近い。鳥が空を飛んで移動するように、魚が泳ぎ方を知っているように、ごく自然に「どうすれば人間を殺せるか」と考えてしまう。
 鳥や魚と違って魔族には理性があり、衝動の抑制は不可能ではない。しかし、それは決して楽な所業ではない。ニール曰く、「人間を前にして手を出さないのは息苦しさを感じる。鳥や魚が無理して歩いているみたいだ」との事だ。魔王軍はそれを堪えて異世界転生軍と結託してくれているのだから、アーザーとしては感謝の念に堪えない。

「まあ、だからといって彼は人類からの応援なんて不快なだけだろうけどね」

 だから応援を声に出す事はできないんだよ、とアーザーは溜息を吐いた。





 ニールと波旬との戦いはどこまでも激化した。
 黒剣と火剣。剣閃は幾つもの残像となり、残像が重なって見る者の網膜に焼き付く。激突の度に爆発音を奏で、巻き込まれた地面が掘り散らされ、試合場アリーナの大気がヒステリックな悲鳴を上げる。

 戦況は互角だった。力も技も波旬が上だが、ニールは手数が違う。両の手刀という時点で波旬よりも得物が一本多いというのに、本来は十爪だ。ニールが指を開き、突き出せばそれだけで五刃の一斉刺突となる。それを一本の火剣で防ぐのは至難の業だ。
 更には、

しっ――!」

 僅かな隙を突いて波旬が火剣を薙ぐ。ニールの胸部に刃が横一文字に入る。だが、傷は付かない。ローブすら破れていない。ニールの全身を覆う闇――【闇魔法・影鎧シャドウアーマー】の防御力が高すぎるのだ。火剣の攻撃力では黒剣こそ押し返せても、影鎧を突破できない。敵の攻撃を無視して動けるのはかなりの強みだ。
 折角膂力で上回ってもダメージを与えられないのでは手の打ちようがない。むしろその状態で互角に戦えている波旬の剣技が並外れていると言える。

「無駄だ」
「っ……であるか」

 この攻防一体の戦闘力こそがニールのチートスキルだ。名を【闇黒の支配者ドゥエラー・イン・ダークネス】――闇属性強化スキル【宵闇イブニング】の最上級である。その内容は至って単純明快。闇属性のスキル全般に対して異常なまでの出力を発揮する事、それのみである。

 闇魔法の使用に限り、同じ魔法値MAGであっても他人の十倍以上の燃費の良さを得る。防御においては闇属性の攻撃は完全無効化。その気になれば反射も可能とする。実際にこのスキルで【呪い返し】を成した事もあった。
 単純、故に隙がない。魔族は全員が闇属性なので多かれ少なかれ闇に適性があるものだが、ニールの破格さには誰もついてこられなかった。故の『東方魔王』就任、故の異世界転生軍序列一位だ。

 闇の元素――呪いに対する親和性の高さ。転生の女神が見込んだ通りの才能だった。

「どうした、第六天魔王? 顔色が優れないが。余を本気にさせた事を後悔しているのか?」
「ハン。まさかだろ。勝つにしても負けるにしても、相手が全力を出していなかった時の方がよっぽど後悔する」
「武士道精神とやらか? 高潔なのは結構だが、果たして本当に負けた時にも同じ事が言えるかな?」

 攻防の合間に言葉を交わす波旬もニール。二人とも過度の全身駆動により汗は止めどなく落ち、息切れを起こしている。それでもなお双方共に手は緩めない。僅かにでも隙を見せれば、それが死に至ると理解しているからだ。

(――だからといって、ここで膠着していても仕方ねえだろッ!)

 波旬が斬り上げ――と見せ掛けて、ニールではなく地面を抉った。土塊と砂煙が巻き上がり、ニールの身を包む。土塊が当たった程度でダメージを受ける魔王ではないが、砂が目に入れば敵を見失う。目潰しと追撃を回避する為に後方に跳ぶ。
 だが、波旬の追撃はニールの跳躍をも上回っていた。

「【変生ヘンジョウ銃触土ガンブレード】最大出力――【他化自在天斬タケジザイテンザン】!」

 火剣が更に猛々しく燃え上がり、三倍もの大きさになる。噴出する火を推進力として波旬が加速、瞬きの間にニールに肉薄し、剣を唐竹割に振るった。瞬間、直感が悪寒となってニールの背骨を貫き、脊髄が両の手刀での防御態勢を選ぶ。

 火剣が【闇魔法・双狼を宿す手ブラックセイバー・スコルハティ】の両の手刀を打ち砕いた。手刀を繰っていた十指も伴って一息にし折られる。更に火剣は【闇魔法・影鎧シャドウアーマー】をも打ち破り、ニールの額を割った。脳を揺さぶられた上、多量の出血と共に力が抜け、ニールが膝を屈する。

「がっ……あああっ……!」
「……ちったぁ効いたか、小僧!」

 一方、波旬の銃からは炎が消えていた。今の一撃は銃の全火力を叩き込む彼の奥の手だった。銃は魔力を装填すればまた撃てるようになるが、すぐにとはいかない。ここからでは波旬も追撃も防御も叶わない。
 その隙をニールが見逃さない筈がなかった。

「舐めるな、人間! ――【闇魔法・血十字ブラッディクロス】!」

 波旬の足元に魔法陣が瞬時に描かれる。波旬は咄嗟に飛び退くが、判断が遅かった。魔法陣から現れた漆黒の杭が波旬の左肩を貫く。直後、杭と肩の交点から左右に杭が伸びた。左肩から鮮血が杭に沿って十字に飛び散る。

「っっっ……! て、めぇ……っ!」

 波旬の左腕が千切れて宙を舞った。
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