俺の名前を呼んでください

東院さち

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あなたの側にはいられない

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 「ルーファス、苦しくないか?」

 クルド神官長の声が聞こえた。ゆっくり目を開けると、微笑みながらも心配だと目で語りかけてくる。少し低めの柔らかい声音が心地よかった。

 神学校についてすぐ「お前の体力じゃここの勉強は無理だ」とクルド神官長に止められた。
 真実は明らかにすべし。隠し事をよしとしないこの神学校の理念の前にクルド神官長の言葉は嘘も偽りもない。

「俺はもう行く所がありません。駄目でもやるしかないんです」

 俺の決意を聞いて、二ヵ月半の月日をクルド神官長は俺と一緒に島を駆けてくれた。すぐに体力の限界が来る俺を諦めもせず、根気良く鍛えてくれたのは、今を思えばアイリス王太后様のお願いだったからだろう。俺は何とか、訓練についていけるだけの体力をつけた。

「お前が寝込むのを見るのは久しぶりだな。ちゃんと食べているのか? 顔色も悪いし、顔も変だぞ」

「顔……。神官長様、クリス様は――?」

 少し引っかかるものは感じるものの何もいわないクルド神官長の態度からここにいるのがクルド神官長だけだと理解した。悲しいような気もするが、自分の予測が当たっていてホッとしたような気もする。
 ベッドに横たわる俺には寝台についている天蓋と俺を観察しているようなクルド神官長しか見えなかった。

「そうだな。私はお前に教えていなかったんだな。島でお前はちゃんと自分でオンとオフを使い分けていたから、わかっているのかと思っていたよ」

 クルド神官長の言葉に首を傾げた。

「王族は『星見』と一緒で感情を抑えなければいけないことが多々ある。けれど、ずっとそんな事をしていたら、心が壊れてしまうのだよ。感じないように意識したとき、身体の感覚が変わるのを気付いているね?」
「はい」
「あれは気持ちを抑制しているんだ。そこにはやはり負荷がかかる。だから、それは公の時だけでいい。普段は、感情の起伏の激しいルーファスのままでいいんだ。私もそんな君を可愛いと思っている」

 ニッコリと笑われた。感情の起伏の激しいと言われて顔が火照った。クルド神官長の前では、装っていたつもりだったから恥ずかしい。

「うん、そんなルーファスのほうがいい。島じゃ意識せずに使い分けていたのかな?」
「使い分けるてるつもりはなかったです。でも神官長様の意識の授業は鞭を使うので……緊張してしまって」

 ああ、とどこから出したのか鞭が握られていた。

「これか――。別に痛いわけじゃないだろう?」
「なんだか、鞭をみると体が竦んでしまって――」

 気の毒そうにポンポンと頭を撫でられてしまった。

「部屋に入ってきたときから、泣きそうな顔をしていたね。何があったか聞いていいかい?」

 クルド神官長は俺がクリストファーに抱かれたことがあると知っている。情事の跡を見られたこともそうだが、一緒に島を探検している時にうなされた俺が呼ぶ『クリス様……』という寝言も聞かれて『君が好きなのはクリス様という人なのかい?』と聞かれたことがあった。俺は、クリストファーはローレッタと結婚すると思っていたから『想うだけならいいですよね?』と訊ねた。クルド神官長は、『辛くなったら、記憶を封じてあげるよ』と心配そうに俺を見下ろしていた。

「あの……俺はクリス様の好みに育たなかったんです。きっと妻にしたけど、後悔している。昨日の朝はほとんど何も話してくれなかった……。夜も帰ってらっしゃらなかった……。俺は、あの部屋でじっと待つことが出来なかった。もう……クリス様は俺のことを前みたいに愛せないって……。神官長様、この結婚はなかったことにできませんか? クリス様は後悔しているんだと思います……」

 なんとか言い終えると涙腺が決壊した。もう十八にもなる男だというのに、涙が止まらない。クリストファーが俺を愛してくれるんだと期待しただけに、俺の我慢も一杯一杯だった。

「ルーファス。冷静に判断できるように仕込んだつもりだったのだが」

 呆れたような声に俺は神官長様にさえ見放されたのかと、息を飲んだ。

「神官長……様っ」
「恋の前にそんなものは役に立たないのだな――。クリストファー、いい加減この泣き虫さんをなんとか宥めてくれ。ルーファス、もう私はお前の師匠ではない。お前は神殿の人間にはなれなかったからね。これからはクルドおじ様と呼ぶように。いくらでもクリストファーへの愚痴を聞いてあげるよ。でもその前に彼の言い分も聞いてあげるといい」

 歳の割りに若く見えるのは血筋だろうかと思う。王太后様もとてもお若い。若い中にも人生の重みを感じさせる微笑を浮かべて、部屋を出て行った。
 誰もいないと思っていた場所にクリストファーはいた。椅子に腰掛け頭を抱えるようにして声もなく座っていた。

「クリス……様……」

 俺の言葉は聞かれていたらしい。頭を上げて座ると少しだけクラクラとした。額の上には濡らしたタオルがあったが、それが落ちた。

「私は……、お前をそんなに不安にさせていたのか……」

 クリストファーはゆっくり立ち上がり寝台に座った俺の額に手をあてた。

「クリス様……」

 零れる涙をグイと拭き、泣きすぎて視界がぼんやりする中でクリストファーの手を握った。

「ごめんなさい、こんなに大きくなってしまった――。貴方が俺を抱かないのは、気持ちが悪いのでしょう? それなのに貴方が帰ってくるのを待っていた俺は馬鹿みたいだ。辛いからといって逃げて、皆に迷惑をかけてしまった――」

 許してくださいと声にならないまま、告げた。
 俺は消えるから。だから、許して欲しい――。

「お前に不満なんてあるものか――。大きくなったから? だからなんだというんだっ! お前は俺の愛しい妻だ。お前が待っているとわかっていたら、馬車が突っ込んだ店なんぞ迂回して帰ってきた」

 王族は公務の場合警備の都合上、決められた道以外で帰ることが許されていないらしい。 塞がった道が復旧するのを待っていたら俺の家出を知って、クリストファーは慌てて街を探させた。見つけた俺は楽しそうにマオと一緒に喧嘩をしていたのだから、怒りのパラメーターは急上昇したという。
 マオとは楽しそうに喋っていたのに、クリストファーの顔をみた瞬間から感情を表に出さないようになり、クリストファーは俺をグチャグチャにしてしまいたいほど、気持ちが昂ぶったのだという。アイリス王太后のお呼びがなければ、クリストファーは俺が感情をあらわにするまで押さえつけてなぶってしまっていただろうと、結婚式の後しばらく経った後でいわれて俺はゾッと背中を震わせたのはまたの話だ。

「愛しい……?」
「そこも信じてもらえていなかったのか……」

 ガックリとクリストファーは肩を落とした。

「だって、クリス様は、前みたいに愛せないって――」

 ヒックっと声を上げれば、寝台の端に座って抱きしめてくれた。

「前みたいな愛し方は無理だ――。余裕なんてあるものか。前のように一日抱いただけで離れるなんて無理だから、結婚式までは必死でお前を抱かないように努力しているのに……。足腰の立たないままで、ずっと私に抱き上げられて式を終えたいのなら、いつでも抱いてやる」

 覚悟しておけと低音で耳元に囁かれると、クラクラしている頭が更に酷くなった。

「眠れ――。私が悪いのはわかっているが、緊張のしすぎで三半規管がおかしくなっているんだろうと言っていた。眠ることがクスリだそうだ」

 瞼にチュッとキスを落として、クリストファーは俺の髪を撫でてくれた。
 気持ちが良かった――。

「ルーファス……。お前の体調がどんなに悪くても、一週間後の結婚式は延期はしない。立てないなら抱き上げたままで行うから……、頼むから早くよくなってくれ――」

 俺を寝かしつけながら、クリストファーは俺がいなくなってからのことを話してくれた。何をしたかだけではなく、どう思って行動したのか。

 俺は『星見』になりたかったからリザグル王国のあの孤島にある神学校への試験を十四歳のときに受けて通っていた。俺は、こういってはなんだが、実は勉強が出来る。あまり人と関わった生き方をしていなかったから、コミュニケーション能力や思考がネガティブ方向に進むという人間的欠陥はあるらしいが、人がそれに費やす時間をもっぱら勉強に費やしていたからだ。
 色んな国の物語を読みたくて外国語も沢山勉強した。十四歳であの試験を通るというのは、何十年年振りの快挙らしい。
 アルジェイドは十八歳で通ったがそれでも神童かとリグザル王国の社交界では有名になったといっていたくらいだ。それくらいに難しいから、俺の護衛に人を送り込もうとしたが難航したのだそうだ。

 まず、リザグル王国の神学校の入学試験を受けている人間が少ない。箔がつくということで受けても受からないし(カザス王国の学院はぬるい。性的にもぬるいが頭もぬるい。カザス学院牧場と揶揄されていると聞いた)、入学資格を持っていても年齢的に二十五歳を超えるともう入れない。そしてそれを持っていて、入学資格があり、俺を護ることの出来る、俺に手を出さないだろう人間というと、本当に見つかったのが奇跡のようなものだったとクリストファーは言った。
 俺に手を出す人なんていないのに。

「そういえば、あのアルジェイドとかいう男は兄上が見つけた護衛らしいな」

 ふと漏らしたクリストファーの呟きに、俺は衝撃第二段を受けていた。
 親友だと思っていた二人が、実は仕事で俺に親切にしてくれていただけだったなんて……。俺は、クリストファーに叩き落された『前のようには愛せない』と同じくらいの絶望感に苛まれた。

「どうした?」

 いきなり落ち込んだ俺に驚いたようにクリストファーが訊ねた。

「いえ、人生ってせつないな……と思って……」

 もう友達は作れないかもしれない――。

「そうか? 私も三年間せつなかったぞ」

 クリストファーは、俺に唇に掠めるようなキスをした。

「きっとお前は沢山の男に貪られてしまっているだろうと思っていたんだ。再会したお前は、有り得ないくらいに美しく育っているし、表情を全く読ませないから。それにダリウスに抱かれそうになっても抵抗しなかっただろう」

 思わず起き上がり「それはっ!」と慌てて弁解しようと思ったのだけど、グラッと視界が回った。

「それは……、クリス様が、セドリックを抱いて、ローレッタを性奴隷にしたって……ダリウス様が……。ロッティを助けたかったらジッとしていろって言われたから――」

 気持ち悪いけれどクリストファーが支えてくれたから、何とか言う事ができた。

「はぁ? 私が?」

 有り得ないとクリストファーは呆れたように俺を見る。ダリウスを怒るというよりもそんな嘘にひっかかった俺を心配しているようだった。

「俺にはわからなかったから。クリス様が俺に怒っていることしか……」

 再開した時のあの瞳の冷たさを思いだすと、また泣けてくる。

「悪かった。泣くな。ダリウスめ! あいつは八つ裂きにしても足りんな」

 クリストファーは俺に合わせてくれているのだろう。怒っている声をしているが、瞳は微笑っている。

「やめてください……。ロッティの旦那様になるんですよね」

 もうどうでもよくなって、適当にお願いすると「お前は優しすぎる」とやはりキスをされた。
 何度もいたわる様に宥めるように俺の顔にキスを降らせて、クリストファーは穏やかな顔で俺を抱きしめてくれた。昨日眠っていなかったこともあって、しばらくすると眠ってしまった。

 クリストファーの「愛している」の言葉を子守唄に。
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