王と王妃の恋物語

東院さち

文字の大きさ
3 / 42

3 誤解の後で

しおりを挟む
 王は、力を緩めアラーナの背後から降りて、アラーナの寝間着を調えてくれた。その表情は硬くて、アラーナは声をかけることが出来なかった。何も言わずに目の前にある王の前髪をそっと引っ張った。暗い夜のような瞳がアラーナを見つめていたけれど、どんなことを思っているのか想像もつかない。
 黒く背中まである王の髪は、細いのにしっかりと芯があり、アラーナの明るい茶色に赤が混ざったような胡桃色の軟らかすぎる髪とは違って美しかった。

「どうした?」

 髪を摘んだまま何も言わないアラーナに王は訊ねる。王の瞳は優しくて、アラーナは慌てて手を離した。

「……髪の毛が綺麗でいいな……と思って」

 もっと何かいい様があったかもしれないけれど、何と言っていいかわからなかった。 訊ねたいことは色々あるけれど、アラーナが訊ねていいのかわからなかったのだ。

「そうか? お前の髪は柔らかくて私は好きだが。……名は何と言った?」

 あんなことまでして知らなかった事実にアラーナは驚いた。
 妾妃とか言っていたのに、子供を作る行為までしようとしたのに、名前さえ知らないという男に呆れるというよりショックを受けた。

 王とはそういうものなんだ……。

「アラーナです」
 こんな場所で、こんな格好で貴婦人らしくというのも無理があった。アラーナは母に見られたら大目玉をくらうだろうと思いつつ名乗った。
「俺はアルベルトだ」
 王は、アラーナに下着を返してくれたので、 慌てて下着を奪い取ると背中に隠した。
 王、アルベルトは笑ってアラーナの頭を撫でた。クシャクシャになるまで撫でられて、「何か誤解があると思う。しばらくここに居てもらうことになると思うが、酷い事はしないから、安心していい」という言葉をくれた。

「王様は、私がその……月のものが来ていないことを知らなかったのですか?」
「王……、アラーナにはアルベルトと名前を呼ぶことを許す。一緒に寝た仲だからな」

 真っ赤になったアラーナにアルベルトは、ちょっと悪い笑顔で頷いた。
「どうなっているのかは知らないが、俺の妾妃は十六歳以上の成人しか選定されていないはずだ。まぁ十六歳以上だったら、身体もほぼ大人だろう。アラーナは、アレント伯爵の娘で間違いはないのだな?」
「はい……。アレント家には、私と姉のマリーナの二人しか子供はおりません」
「なら、姉のほうが来る予定だったと思うのだが、アラーナはどうやってここにきた?」

 寝台の端に座って訊ねるアルベルトは、何かを確認しているようだった。

「私は……、家で眠ったはずなんです。お休みなさいって自分の寝台で横になりました。でも気がついたら……」
「ここにいたのか。アラーナには、怖がらせてしまって申し訳ないことをした」

 アルベルトはさっきまでとは大違いの優しい声で紳士的に謝ってくれたので、アラーナはもう忘れようと思った。
 恥ずかしい思いも悲しい思いもしたが、アルベルトは知らなかったのだからしかたがない。

「アルベルト様が酷い人じゃなくて良かった……」

 安心したアラーナは花が綻ぶように笑った。

「まだ朝は早い。もう少し眠るといい」

 アルベルトは頬を撫でて言った。そう言われれば眠気が襲ってきて、アラーナは頷いた。

「アルベルト様は?」
「俺はやることがあるからな。アラーナ、良かったら夜は一緒に……」

 アラーナは夜という言葉にピクリと震えたが、アルベルトの事を信じて言葉を待った。

「食事をしよう。しばらく不自由させるかもしれないが、欲しいものはなんでも侍女に言えば用意させよう。宝石でもドレスでも」
「では……馬に乗りたいです……」

 王宮の馬はきっと立派だろう。妾妃でないアラーナなら乗ってもはしたないと怒られないだろうかと上目遣いに見上げると、アルベルトは不思議そうな顔をしていた。妾妃候補だった姉は、怪我でもしたら大変だからと馬に乗ることは許されていなかった。少しだけうらやましそうにアラーナを見ていたように思う。

「深窓の姫君のように見えたのに、意外とお転婆なんだな」
「深窓の姫君は、姉なんです。アルベルト様もみたら絶対好きになります」

 良かったですねと言おうとしたのに口が開かなかった。
 自分のように背ばかりが高く胸が小さい女ではなく、姉のように美しく優しい貴婦人がアルベルト王の横に立つのが相応しい。そう思っているのに、何も言えなかった。

「俺は別にっ……深窓の姫君が欲しいわけでは……」

 モゴモゴとアルベルトはらしくなく口の中で呟いた。声が聞こえなかったので、アラーナはアルベルトが姉を想像して照れていると思った。

「アルベルト様……」
「なんだ?」

 意を決して、アラーナは告げた。きっとアルベルトも喜んでくれるに違いない。

「姉の胸は大きいです……」

 アルベルトは、気まずそうに目を逸らせると、アラーナに「忘れてくれ……」と一言だけ告げて、部屋を出て行った。
アラーナは改めて美しい人だとアルベルトの微笑む姿を思い出してドキドキした。
 切れ長の瞳は、王という地位についている割に随分表情が豊かだった。王の母親であったひとは随分美しかったというから、その方に似たのだろう。
 手に持っていた下着をごそごそと穿くと、スースーしていた脚の間が落ち着いた。
 何故ここに自分がいるのか全く理解していなかったが、きっとアルベルトが家に帰してくれるだろう。
 さっきまで怖ろしい思いをした寝台にもかかわらず、目を閉じた瞬間眠りに落ちていた。
 アラーナは大切に愛されてきた人間だったので、いい意味でそのあたりの神経は図太かった。

 目が醒めると昼近くだった。色々あって疲れていたからだが、知らない人がみればきっと自堕落な人間だと思うだろう。とはいえ、妾妃でもなくしばらくしたらここから出て行く人間なのだから、だれも気にしないだろうとアラーナは侍女を呼ぶ鈴を鳴らした。

「きゃあ! 本当に可愛い」

 その人は侍女というには朗らかだった。初対面の人間に対してそれは普通ではないだろう。

「あの……」

 アラーナは、王宮の侍女についてはあまり知らなかったが、伯爵家の侍女よりも自由なのだろうか。

「アルベルト様のお世話係をしているシエラです。アラーナ様、はじめまして」
「アラーナです。しばらくお世話になります。シエラ様、よろしくお願いします」
「私はお世話係ですから様はいりませんわ」

 妾妃ではないから年上の人には様をつけたほうがいいかと思っていたが、シエラは断固として頷いてくれなかった。

「わかりました。シエラさん」
「さんもいりませんよ。シエラと呼んでくださいませ。やっぱり可愛いわ。しばらく……?」

 何故か抱きつかれて、首を傾げられた。

 シエラは、王付きの側仕えで侍女とは違うらしい。少しアラーナより小さくて、可愛いのはシエラの方だ。アラーナは、アルベルトが間違っただけあって身長は成人している姉よりも高い。アルベルトが男性にしても高いほうだからアラーナが大きくは見えないかもしれないが、大体の男性はヒールをはいたアラーナとそう変わらない。

 シエラは「しばらくなんですの?」とアラーナの目を下から覗き込んでくる。

「はい……」

 アラーナは、俯き頷いた。
 シエラは考え込むようにしばらくアラーナを抱きしめていたが、ポンポンと背中を慰めるように叩いた。
 しばらくしたら姉が来るはず。大人になっていないアラーナではアルベルト王を満足させることも世継ぎを生むこともできないから。

「アラーナ様、髪型はどんなのがいいですか? ドレスは何色にされますか? 馬に乗るのは何時くらいがよろしいですか?」

 シエラは顔を洗ったアラーナの髪を梳き、この後のことを提案してくれる。

「乗ってもいいのですか?」
「はい、アルベルト様がアラーナ様のお好きなようにされていいとおっしゃってましたわ」
「アルベルト様は優しい方ですね」

 アラーナは少しだけ姉がうらやましくなってしまった。あんな美しく、逞しく(押さえつけらえたら身動きも出来なかった)優しい人が夫になるかもしれないのだ。
 変態が夫と思っていたことは既に記憶の彼方だった。
 鏡に映るシエラが顎が外れるかとおもうほど呆然としているのをアラーナは見ていなかった。

「アルベルト様が……お優しいんですか……。それはきっとアラーナ様が可愛いからですね」

 アルベルトがクシャクシャにしたので柔らかいアラーナの髪は、絡まり放題だった。シエラは無心でそれを梳かしながら、首を捻る。

 あの王は、笑えば容姿の秀麗さも相俟って甘いが、普段は雪山のごとく荒れた天気で吹雪いている。それをこの可愛いアラーナに告げるのはかわいそうだったので、シエラは無理矢理言葉を飲み込んだ。

 朝餉と昼餉は一緒にしてしまいましょうかというシエラの提案で、アラーナは遅い昼食をとった。小さく可愛らしく彩られた料理が少しずつ載せられている。

「こんなに美味しい料理は初めてです。お野菜の味が違いますね!」

 アラーナは細いが、食べないというわけではなかった。どちらかというと成長期で上に伸びるために栄養のほとんどが骨にいっているだけで、背が伸び始める前まではそれなりに娘らしい柔らかくポニョポニョしたお肉がついていた。

「お気に召しましたか? 好きなものとかありますか?」

 シエラは、アラーナのために紅茶を淹れながら訊ねた。控えていながらもアラーナが寂しくないように横について話相手をしてくれた。アラーナは、あんなことがあったけれど、ここに来られて良かったと、そう思うのだった。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

~春の国~片足の不自由な王妃様

クラゲ散歩
恋愛
春の暖かい陽気の中。色鮮やかな花が咲き乱れ。蝶が二人を祝福してるように。 春の国の王太子ジーク=スノーフレーク=スプリング(22)と侯爵令嬢ローズマリー=ローバー(18)が、丘の上にある小さな教会で愛を誓い。女神の祝福を受け夫婦になった。 街中を馬車で移動中。二人はずっと笑顔だった。 それを見た者は、相思相愛だと思っただろう。 しかし〜ここまでくるまでに、王太子が裏で動いていたのを知っているのはごくわずか。 花嫁は〜その笑顔の下でなにを思っているのだろうか??

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

幽閉王女と指輪の精霊~嫁いだら幽閉された!餓死する前に脱出したい!~

二階堂吉乃
恋愛
 同盟国へ嫁いだヴァイオレット姫。夫である王太子は初夜に現れなかった。たった1人幽閉される姫。やがて貧しい食事すら届かなくなる。長い幽閉の末、死にかけた彼女を救ったのは、家宝の指輪だった。  1年後。同盟国を訪れたヴァイオレットの従兄が彼女を発見する。忘れられた牢獄には姫のミイラがあった。激怒した従兄は同盟を破棄してしまう。  一方、下町に代書業で身を立てる美少女がいた。ヴィーと名を偽ったヴァイオレットは指輪の精霊と助けあいながら暮らしていた。そこへ元夫?である王太子が視察に来る。彼は下町を案内してくれたヴィーに恋をしてしまう…。

【完結】不貞された私を責めるこの国はおかしい

春風由実
恋愛
婚約者が不貞をしたあげく、婚約破棄だと言ってきた。 そんな私がどうして議会に呼び出され糾弾される側なのでしょうか? 婚約者が不貞をしたのは私のせいで、 婚約破棄を命じられたのも私のせいですって? うふふ。面白いことを仰いますわね。 ※最終話まで毎日一話更新予定です。→3/27完結しました。 ※カクヨムにも投稿しています。

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

なくなって気付く愛

戒月冷音
恋愛
生まれて死ぬまで…意味があるのかしら?

処理中です...