王と王妃の恋物語

東院さち

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3 誤解の後で

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 王は、力を緩めアラーナの背後から降りて、アラーナの寝間着を調えてくれた。その表情は硬くて、アラーナは声をかけることが出来なかった。何も言わずに目の前にある王の前髪をそっと引っ張った。暗い夜のような瞳がアラーナを見つめていたけれど、どんなことを思っているのか想像もつかない。
 黒く背中まである王の髪は、細いのにしっかりと芯があり、アラーナの明るい茶色に赤が混ざったような胡桃色の軟らかすぎる髪とは違って美しかった。

「どうした?」

 髪を摘んだまま何も言わないアラーナに王は訊ねる。王の瞳は優しくて、アラーナは慌てて手を離した。

「……髪の毛が綺麗でいいな……と思って」

 もっと何かいい様があったかもしれないけれど、何と言っていいかわからなかった。 訊ねたいことは色々あるけれど、アラーナが訊ねていいのかわからなかったのだ。

「そうか? お前の髪は柔らかくて私は好きだが。……名は何と言った?」

 あんなことまでして知らなかった事実にアラーナは驚いた。
 妾妃とか言っていたのに、子供を作る行為までしようとしたのに、名前さえ知らないという男に呆れるというよりショックを受けた。

 王とはそういうものなんだ……。

「アラーナです」
 こんな場所で、こんな格好で貴婦人らしくというのも無理があった。アラーナは母に見られたら大目玉をくらうだろうと思いつつ名乗った。
「俺はアルベルトだ」
 王は、アラーナに下着を返してくれたので、 慌てて下着を奪い取ると背中に隠した。
 王、アルベルトは笑ってアラーナの頭を撫でた。クシャクシャになるまで撫でられて、「何か誤解があると思う。しばらくここに居てもらうことになると思うが、酷い事はしないから、安心していい」という言葉をくれた。

「王様は、私がその……月のものが来ていないことを知らなかったのですか?」
「王……、アラーナにはアルベルトと名前を呼ぶことを許す。一緒に寝た仲だからな」

 真っ赤になったアラーナにアルベルトは、ちょっと悪い笑顔で頷いた。
「どうなっているのかは知らないが、俺の妾妃は十六歳以上の成人しか選定されていないはずだ。まぁ十六歳以上だったら、身体もほぼ大人だろう。アラーナは、アレント伯爵の娘で間違いはないのだな?」
「はい……。アレント家には、私と姉のマリーナの二人しか子供はおりません」
「なら、姉のほうが来る予定だったと思うのだが、アラーナはどうやってここにきた?」

 寝台の端に座って訊ねるアルベルトは、何かを確認しているようだった。

「私は……、家で眠ったはずなんです。お休みなさいって自分の寝台で横になりました。でも気がついたら……」
「ここにいたのか。アラーナには、怖がらせてしまって申し訳ないことをした」

 アルベルトはさっきまでとは大違いの優しい声で紳士的に謝ってくれたので、アラーナはもう忘れようと思った。
 恥ずかしい思いも悲しい思いもしたが、アルベルトは知らなかったのだからしかたがない。

「アルベルト様が酷い人じゃなくて良かった……」

 安心したアラーナは花が綻ぶように笑った。

「まだ朝は早い。もう少し眠るといい」

 アルベルトは頬を撫でて言った。そう言われれば眠気が襲ってきて、アラーナは頷いた。

「アルベルト様は?」
「俺はやることがあるからな。アラーナ、良かったら夜は一緒に……」

 アラーナは夜という言葉にピクリと震えたが、アルベルトの事を信じて言葉を待った。

「食事をしよう。しばらく不自由させるかもしれないが、欲しいものはなんでも侍女に言えば用意させよう。宝石でもドレスでも」
「では……馬に乗りたいです……」

 王宮の馬はきっと立派だろう。妾妃でないアラーナなら乗ってもはしたないと怒られないだろうかと上目遣いに見上げると、アルベルトは不思議そうな顔をしていた。妾妃候補だった姉は、怪我でもしたら大変だからと馬に乗ることは許されていなかった。少しだけうらやましそうにアラーナを見ていたように思う。

「深窓の姫君のように見えたのに、意外とお転婆なんだな」
「深窓の姫君は、姉なんです。アルベルト様もみたら絶対好きになります」

 良かったですねと言おうとしたのに口が開かなかった。
 自分のように背ばかりが高く胸が小さい女ではなく、姉のように美しく優しい貴婦人がアルベルト王の横に立つのが相応しい。そう思っているのに、何も言えなかった。

「俺は別にっ……深窓の姫君が欲しいわけでは……」

 モゴモゴとアルベルトはらしくなく口の中で呟いた。声が聞こえなかったので、アラーナはアルベルトが姉を想像して照れていると思った。

「アルベルト様……」
「なんだ?」

 意を決して、アラーナは告げた。きっとアルベルトも喜んでくれるに違いない。

「姉の胸は大きいです……」

 アルベルトは、気まずそうに目を逸らせると、アラーナに「忘れてくれ……」と一言だけ告げて、部屋を出て行った。
アラーナは改めて美しい人だとアルベルトの微笑む姿を思い出してドキドキした。
 切れ長の瞳は、王という地位についている割に随分表情が豊かだった。王の母親であったひとは随分美しかったというから、その方に似たのだろう。
 手に持っていた下着をごそごそと穿くと、スースーしていた脚の間が落ち着いた。
 何故ここに自分がいるのか全く理解していなかったが、きっとアルベルトが家に帰してくれるだろう。
 さっきまで怖ろしい思いをした寝台にもかかわらず、目を閉じた瞬間眠りに落ちていた。
 アラーナは大切に愛されてきた人間だったので、いい意味でそのあたりの神経は図太かった。

 目が醒めると昼近くだった。色々あって疲れていたからだが、知らない人がみればきっと自堕落な人間だと思うだろう。とはいえ、妾妃でもなくしばらくしたらここから出て行く人間なのだから、だれも気にしないだろうとアラーナは侍女を呼ぶ鈴を鳴らした。

「きゃあ! 本当に可愛い」

 その人は侍女というには朗らかだった。初対面の人間に対してそれは普通ではないだろう。

「あの……」

 アラーナは、王宮の侍女についてはあまり知らなかったが、伯爵家の侍女よりも自由なのだろうか。

「アルベルト様のお世話係をしているシエラです。アラーナ様、はじめまして」
「アラーナです。しばらくお世話になります。シエラ様、よろしくお願いします」
「私はお世話係ですから様はいりませんわ」

 妾妃ではないから年上の人には様をつけたほうがいいかと思っていたが、シエラは断固として頷いてくれなかった。

「わかりました。シエラさん」
「さんもいりませんよ。シエラと呼んでくださいませ。やっぱり可愛いわ。しばらく……?」

 何故か抱きつかれて、首を傾げられた。

 シエラは、王付きの側仕えで侍女とは違うらしい。少しアラーナより小さくて、可愛いのはシエラの方だ。アラーナは、アルベルトが間違っただけあって身長は成人している姉よりも高い。アルベルトが男性にしても高いほうだからアラーナが大きくは見えないかもしれないが、大体の男性はヒールをはいたアラーナとそう変わらない。

 シエラは「しばらくなんですの?」とアラーナの目を下から覗き込んでくる。

「はい……」

 アラーナは、俯き頷いた。
 シエラは考え込むようにしばらくアラーナを抱きしめていたが、ポンポンと背中を慰めるように叩いた。
 しばらくしたら姉が来るはず。大人になっていないアラーナではアルベルト王を満足させることも世継ぎを生むこともできないから。

「アラーナ様、髪型はどんなのがいいですか? ドレスは何色にされますか? 馬に乗るのは何時くらいがよろしいですか?」

 シエラは顔を洗ったアラーナの髪を梳き、この後のことを提案してくれる。

「乗ってもいいのですか?」
「はい、アルベルト様がアラーナ様のお好きなようにされていいとおっしゃってましたわ」
「アルベルト様は優しい方ですね」

 アラーナは少しだけ姉がうらやましくなってしまった。あんな美しく、逞しく(押さえつけらえたら身動きも出来なかった)優しい人が夫になるかもしれないのだ。
 変態が夫と思っていたことは既に記憶の彼方だった。
 鏡に映るシエラが顎が外れるかとおもうほど呆然としているのをアラーナは見ていなかった。

「アルベルト様が……お優しいんですか……。それはきっとアラーナ様が可愛いからですね」

 アルベルトがクシャクシャにしたので柔らかいアラーナの髪は、絡まり放題だった。シエラは無心でそれを梳かしながら、首を捻る。

 あの王は、笑えば容姿の秀麗さも相俟って甘いが、普段は雪山のごとく荒れた天気で吹雪いている。それをこの可愛いアラーナに告げるのはかわいそうだったので、シエラは無理矢理言葉を飲み込んだ。

 朝餉と昼餉は一緒にしてしまいましょうかというシエラの提案で、アラーナは遅い昼食をとった。小さく可愛らしく彩られた料理が少しずつ載せられている。

「こんなに美味しい料理は初めてです。お野菜の味が違いますね!」

 アラーナは細いが、食べないというわけではなかった。どちらかというと成長期で上に伸びるために栄養のほとんどが骨にいっているだけで、背が伸び始める前まではそれなりに娘らしい柔らかくポニョポニョしたお肉がついていた。

「お気に召しましたか? 好きなものとかありますか?」

 シエラは、アラーナのために紅茶を淹れながら訊ねた。控えていながらもアラーナが寂しくないように横について話相手をしてくれた。アラーナは、あんなことがあったけれど、ここに来られて良かったと、そう思うのだった。
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