王と王妃の恋物語

東院さち

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16 亀裂

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 とても天気のいい穏やかな初夏の一日だった。
 
 一年と半分という時間をアルベルトと共に過ごしたアラーナは、三ヵ月後の自分の誕生日にアルベルトの妾妃となることが決まっていた。決まったのはアラーナが王城に暮らし始めてすぐのことだったので、それからの準備は長くもあり短くもあった。

 勉強などは詰め込むという荒業であったが、シエラは結婚するまでの間アルベルトと一緒に勉強を習っていた事もあり、優秀な教師でもあった。閨のことに関しては「お前は一切何も言うな」とアルベルトに厳命されていたこともありシエラはアラーナの役には立てなかったが、アルベルトの賢明な判断であろうと女官長以下侍女にまで思われていたことは内緒の話だ。

「アラーナ様、このドレスはお披露目の日に着るのですよね?」

 アラーナと歳の変わらない少女達は、部屋に飾っているドレスに釘付けだった。
 アラーナの妾妃になる日が決められてから一番取り掛かるのが遅かったのがドレスである。妾妃は跡継ぎを産んでこそ王妃となることができるので、結婚式などは予定されていなかったが、一人目の妾妃が立つ時だけお披露目として盛大な夜会が開かれるのである。
 アラーナは、自分の胸が大きくなることを願っていたので今の自分に合わせたドレスを作ることを最後まで嫌がった。それは素直なアラーナにとっては珍しい事だったので、アルベルトも笑いながらドレスを作るのに必要な日数を計算させて最後に用意することにしたのである。

「ええ、そうなの」
「この手の見事な事。刺繍だけで一年も掛かったとか」

 体型が変わっても一番支障のないスカートの部分から刺繍をはじめた職人達に足を向けて眠れないわと、アラーナは密かに心で呟いた。結局こだわった胸の部分も大して成長しなかったのだから余計申し訳ない。
 触らないように少し離れて見ている少女達の目に映るドレスは、そんな苦労などは微塵も感じさせないできばえで、まさしくアラーナの未来のように輝いていた。

「このドレスを着たアラーナ様を早く見てみたいわ」
「エレノラ、貴女はいいわ。私なんて、アラーナ様より誕生日が後だから、お披露目に参加できないのだもの」

「そうね、私は今月に舞踏会デビューだから、お願いしていれば拝見できるわ。ルイーザ様は旦那様とでしょう?」

 三人はアルベルトがシエラや女官長の意見を聞いて招いたアラーナと歳の近い令嬢達であった。アラーナにとっては、もう一年近くの付き合いになるので気心もしれた女友達だ。

「ええ。アラーナ様と色んなお話が出来るようになると思うと楽しみだわ」

 ルイーザは二歳年上で、唯一結婚している。本当は、知識のあまりないアラーナにあれやこれやを教えて赤面させてやりたいと思ってはいるのだが、普通の夫人達のお茶会と違って、このお茶会はアルベルトの指示で下ネタはない。初めのころに招かれた同じ事を考えた人が実行して、それから招待されなくなったので、夫の将来も慮って我慢しているのだ。

「もう、私だってそのうち結婚するから、教えて頂戴」
「ヴィオラったら。ルイーザも変なことを教えたら陛下に怒られてしまうわよ」

 思わず扉を振り返ったエレノラの視線を追って扉を見ると、丁度狙ったかのように開いた扉から皆に凝視されて、少し驚いたようなシエラが入ってきたところだった。

「驚いたわ、シエラだったのね」
「陛下かと思って心臓が飛びそうになったわ。いつも陛下は凄いタイミングで現れるのですもの」

 ルイーザは胸に手をあてて驚きを表現した。堪えたもののヴィオラが我慢出来ずに噴出すと、耐えることが出来ずに皆で声を揃えて笑った。

「シエラ? どうかしたの?」

 おずおずと入ってきたシエラが、アラーナの問いかけに困ったように微笑む。

「あの、皆様には申し訳ないのですが、アラーナ様に急用が出来たので……」

 シエラの声に三人は更に笑った。

「陛下がお呼びなのね。アラーナ様は大変だわ。友達とゆっくりお茶もしていられないのね」

 そう苦笑しながら、三人は立ち上がり綺麗なお辞儀をしてアラーナに退出の挨拶をする。

「アラーナ様、今度はゆっくりお話させてくださいませね」
「アラーナ様、私のために披露の後でいいのでそのドレスを着て見せてくださいませね」
「アラーナ様、楽しゅうございましたわ」

 良家の子女である彼女達の美しいお辞儀に応えて、アラーナも「ごきげんよう、次に会えるのを楽しみにしていますわ」と洗練された仕草で送りだした。サラサラと衣擦れの音と共にに少女達は帰っていった。

 お茶会で少女達をもてなしたアラーナをシエラは感慨深く見つめた。

 王城に来る前に成長期が来て背が高かったアラーナだったが、少しずつ細すぎた身体にも女らしい柔らかい肉がついてきた。とはいっても細身であることは変わらないが。
 残念なことに胸はささやかで、あと三ヵ月ではどうにもならないとアラーナは少しだけ残念がっていたが、シエラはそんなにアルベルトがアラーナの胸にこだわっているわけでないと知っている。アラーナがアルベルトのことを想って胸を育てたいと知っているだけに水を差しそうで言えないだけだ。

 ドレスを作り始めた頃、出来上がった頃には大きくなった胸が入らないかもしれないと言うアラーナにアルベルトが、「私の妃になれば大きくしてやるから拗ねるな」といって「まぁ、そんなことができるのですか! なら早くしてくださいませ」と返されて絶句していた。必死に自重しているアルベルトを煽ってくれるなとシエラは困惑するアラーナに何度も笑いを飲みながらお願いをしたが、それもあと少しの話だ。

「シエラ、アルベルト様が呼んでいるの?」

 アラーナが仕事の合間にアルベルトの執務室に呼ばれることはよくあることだった。アルベルトは休憩をアラーナと一緒にすることを好んだからだ。それを知っているからアラーナの側にいる者達は、お茶会の途中でアラーナがいなくなることにも慣れていた。

「いえ、あの……リシェール・バルサム様が見つかってというか、戻ってきて陛下にお目通りされているそうなんですの」
「え、リシェール・バルサム様が? お姉様も一緒なのかしら?」

 アラーナは突然の事に驚きつつも姉の安否を気遣った。駆け落ちとはいえ、一年以上音沙汰もなかったのだ。

「それが、リシェール様は一人で来たそうですわ。陛下の部屋にいるそうですから、マリーナ様のことを聞くために隣の部屋で待っていてはどうでしょう?」

 シエラは、アラーナがマリーナのことを心配していることを知っていたから、そう提案した。頷くアラーナと一緒にアルベルトの私室の居間で待つことにした。

「陛下の部屋には誰も入れないように言われています」

 そう護衛騎士が告げたが、彼らも居間だったら問題ないだろうと思っていた。アラーナは特別だということを彼らも知っていたし、事実だったからだ。
 重厚な扉に阻まれて、隣の部屋の様子は一切知ることは出来ない。
 アラーナは、お茶を飲みながら静かに待っていた。よく観察すればアラーナの瞳が時折隣の部屋と続く扉を意識していることがわかるが、その程度だ。アラーナは、アルベルトの意向もあって公式と私事をわけるように気をつけている。

 マリーナは元気なのだろうか。
 リシェール・バルサムは、何故アラーナをアルベルトの妾妃と偽って連れてきたのか。
 そのことがあったから、アルベルトと出会えたと思っているが、やはり睡眠薬で眠らせてというのは怒ってもいいのよねと自問自答する。

「アラーナ様、アルベルト様がいいようにしてくださいますよ」

 シエラはアラーナの様子を見つめ、この一年で随分成長したと感心する。立ち居振る舞いもそうだが、自然と身についたオーラが既に伯爵令嬢だったころとは違う。

「あっ、アルベルト様」

 扉が開いた瞬間、アラーナは立ち上がり一歩だけ歩みを進め、アルベルトの怖ろしく冷たい怒号に立ち止まった。その扉は勢いよく開き、アルベルトの抑えきれぬ感情を表していた。

「――アラーナを家に帰せ!」

 アラーナ(わたくし)を……、帰す?  何故――っ!?

 アラーナはアルベルトの言葉が信じられず、衝撃に真っ白になってしまい、その場に立ち竦んだ。

「アルベルト様……」
「アラーナ様……」

 シエラの呆然とした声と被さったアラーナの震える声に、アルベルトが気付きゆっくりとこちらを向いた。
 何かの間違いだと言って欲しい――。
 二人の願いもむなしく、アルベルトはアラーナに酷く尖った視線を向けた後、顔を背けて部屋を出て行ってしまった。言葉は何もかけられずに、それ故にアルベルトの怒りの凄まじさをまざまざと目の前に突きつけられたのだった。
 残されたアラーナは、言われた意味を考えた。

「アラーナ様?」

 ヴァレリー・マルクスは、アルベルトを追ってきたのだろう。居間にいたアラーナに気付き、アルベルトを追いかけるために一度頭を下げて出て行った。

「アラーナ……。ごめんね、おれがちゃんとすれば君を傷つけることなんてなかったのに」

 その後、アルベルトの名を呼びながら出てきたのは、アラーナも見知ったリシェール・バルサムだった。記憶にあるよりも精悍な男になった彼は、アラーナの前まで来て膝を折った。王族である彼が、両膝をつき、頭を下げて謝罪する。それがどういうことかはわからないが、不吉な言葉は決定事項なのだとアラーナに認識させるのには十分だった。

「リシェール・バルサム様……お姉様は?」

 アラーナは声を出したが擦れてしまって、あまり音にはならなかったようだった。それでも頷いたリシェール・バルサムは、「元気にしてますよ、毎日怒られてばかりですが」と告げた。

「そう……。それなら、良かったわ……。私、家に帰らないといけないらしいので、これで失礼しますね」

 リシェール・バルサムの記憶にあるただ愛らしいだけだった少女は、白い手を前で組み、震える拳を押さえながら気丈にそう告げた。
 瞳が揺れていた。声は震えていた。それでも彼女(アラーナ)は泣かなかった。
 リシェール・バルサムの知るプライドの高い女と同じ凛とした気品を持つアラーナに、自然と頭を垂れる。それは王族である彼が騎士であり、アラーナを敬愛を注ぐ相手として認めたからでもあった。

 一歩足を踏み出すためにこれほどの気力がいるのかと思いながら、アラーナは自分の震える足に願う。
 みっともなく倒れたくない……。
 アラーナは確かにこの一年で矜持を得ていた。アルベルトを追っていったシエラが戻ってきたとき、アラーナは自身の部屋に入ったところで倒れていた。衝撃に耐えたアラーナも部屋に入った瞬間に気力を使い果たしてしまったのだった。
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