姫君は、鳥籠の色を問う

小槻みしろ

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一章

六話 夜の邂逅

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 深々と夜もふけた頃。邸には、ショウジョウの羽音が響いていた。ドミナンに多いその虫は、その甲羅が赤、内側の羽が青で彩られている。夜行性の虫らしく、飛べば青白く光をぶうんと放っていた。
 そのショウジョウの突撃を体に受けながら、アイゼはひとり歩いていた。

 あの後、急ぎ召使頭であるアルマの元へ向かったが、時すでに遅し。アルマ自ら食事を運びに行った後であった。

「ばか! お前、何してるんだ」

 給仕が早く行け、と背中を張り飛ばし、アイゼは大慌てで姫の部屋へ向かった。すると、なにやら周囲がざわざわとしていることに気づく。召使いの獣人達がこそこそと集まっているのである。目の前の部屋が誰のものであるか一応心得ている為、みんな声を押さえているが、それでもこそこそと互いに耳打ちしあい、いわゆる野次馬特有の騒がしさだった。
 どうしたんだろう、そう思っていると、今度は一斉に口をつぐみ、散り始めた。仕事を再開し、聞き耳など立てていなかったように振る舞う。
 怪訝に思ったが、その理由はすぐに理解した。聞こえたというのが正しい。木造の地面が、微かに軋む音だ。規則的で、踏みしめる音がやや硬質であることから、底の硬く、厚い靴を履いていることがわかる。ドミナンの人間は、柔らかい底の靴を履いている。――この邸の客人である軍団の、兵士の者だ。
 理解するが早いか、アイゼはその者が姿を現す前に居住まいをただそうとした。しかし、今は姫の部屋へ向かう最中である。姫の元へも急いで行かなければならない。どちらを優先させるべきか、迷い体が動きを停止させ、反応が遅れてしまった。結果、アイゼは姿勢だけ正した様子で半端に廊下に立ちすくんだとき、ちょうど角を曲がってきた兵士と対面してしまう羽目になった。
 それは背の高い、美しい男であった。白金の美しい髪を惜しげもなく肩に垂らしている。やはりというべきか、人間である。甲冑をはずしており、昨夜に迎えた時よりも幾分軽装になっていた。息づかいも微かな悠然とした様子で、どこか人を見下ろすように見る節がある。ドミナンでは珍しい姿に、アイゼは一瞬呆然とした。しかし、男の海石のような深い青の瞳がアイゼを見留めた時、即座に我に返る。
 男の目が、訝しげに眇められる。たったそれだけの事であるが、金の睫に縁取られた蒼が暗くなり、アイゼの体にかつてない緊張が走った。獣人が人間の前に立ちふさがるなんて、あり得ない失態。特に、ドミナン以外から来た人間には殺されても文句は言えない。
 男は歩を進めず、そこに立っている。言わんとすることがわかった。だが、一言も発さずアイゼが示すか見定めている。
 跪かなければ。そうでなくともせめて頭を下げねば、いやそれよりも端にもっと寄って道を譲らねばならない――速やかに動かねばならないのに、せわしなく思考が飛ぶせいで、混乱した体はぎくぎくと左右に振れた。
 ほんの少し、男の体が身じろいだかに見えた。実際はそよ風が吹いただけであったが、それが契機となった。アイゼは弾けるように体を跳ねさせ、その場に這い蹲った。硬直した体を無理に動かしたせいで、飛び上がって着地に失敗したかのようなやや滑稽な動きであったが、アイゼに格好を気にする余裕は無かった。
 男の歩く音が、近づいてきた。アイゼが這い蹲って間もなくの事であった。アイゼは、自身の血の脈動を間近に聞いた。緊張からの熱が皮膚一枚下でくすぶるのに、嫌な汗だけわき出て、一筋アイゼの首を伝った。
 沈黙。男の足音と、自身の心臓の音だけが響いていた。男は何も言わず、アイゼの前を通り過ぎると、部屋の中へと入っていった。そこはちょうどアイゼが目指していた部屋であった。
 それからまもなく、やけにしずしずと、しかしとても素早く部屋から退出してきた頭のアルマとはち合わせた。アルマの顔色は、先ほどひどく青ざめたが部屋から出たことで常の色をとりもどさんとしていている途中、といったような、青いのだか茶色いのだか半端な色をしていた。しかしそれでも十分に血の気は引いていた。
 それゆえだろうか。アルマは気力が萎えたのか、アイゼは特に今日の失態をとがめられることはなかった。もちろんアイゼを叱咤し、頬を打ったが、それはずいぶん形式的なものだった。
 そして夜に、執事含め、邸の召使達が執事長に集められた。この邸の召使は獣人であるが、主人と直接接する執事長のみは人間である。

「以前から通達したおいた通り、今日未明よりお出でのドルミール卿傘下の軍が、我らの邸に駐屯されている事は知っているな。今日過ごして、軍からはおまえたちの態度が悪いとの言葉をいただいた」

 召使たちは、困惑するもの、息を詰めるものそれぞれである。しかし、困惑する者が多かったと見え、辺りはざわめく。

「静かに!」

 執事長の叱責が飛ぶ。辺りは水を打ったように静かになった。執事長の背後より、護衛兵の内の数人が前へ現れた。召使い達が滅多に見ることのない、この邸直属の人間の兵であった。

「これから、その責として一人ずつ罰を受けてもらう」

 まず執事達の上着を脱がせ列に並べると、兵士達が背を鞭で打った。執事達は皆、呻きをかみ殺す。赤々としたミミズ腫れをぬらすように、血がにじんでいた。
 それから、今度は執事達が、給仕、厩番、雑務係、などの頭を呼び、常備している鞭で打ち据える。そうして、次はそれぞれの頭が自分の配下を杖で打ち据えた。それの繰り返しである。目上の者が目下を打つ。皆打つ者は、肌に血をにじませ痛みに耐えながらのものであったが、いつもの打擲より加減はなかった。
 血のにおいと、不安定な息づかいとが、辺りに不規則に散らばる中、平然と執事長は言い放つ。

「ここドミナンはおまえたち獣人に対して寛容である。それは、ただひとえに村長である当主様の温情に他ならない。しかしかの軍は、アテルラよりお越しだ」

 アテルラとは、ドルミール卿のお膝元、すなわち都市部である。

「その事をよくふまえて振る舞うように、と当主様は仰せだ。このありがたいお言葉をふまえ、行動せよ」

 皆、応と返事をするしかできなかった。緊張と不安が張りつめて、空気は重くなっていた。
 これで済んでよかったのだ。罰が軽かったのは、明日の業務に支障を起こさないためだ。元も子もないからな、そうジェイミが言った。
 召使達の部屋に帰る前に、アイゼは今一度、アルマから折檻を受けた。

「お前のせいだ。お前がしくじったから、皆このような目にあったのだぞ」

 息を荒げアイゼを打ち据えるアルマの顔に、新たな傷があるのを見つけた。アルマも他の頭達から、叱責を食らったのであろう事がわかった。アイゼは傷が痛んだが、それ以上に、自分の巻き添えを食らった皆を思うと心が痛かった。
 ここに雇われてから今まで、しくじったことは何度もある。しかし、こんな大失態は初めてであった。召使の部屋、特に年少の子供達が入る部屋の押さえがちなすすり泣きを聞いていられず、そっと抜け出して来てしまった。
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