姫君は、鳥籠の色を問う

小槻みしろ

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一章

三十一話 奪われたもの2

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 ラルは邸の広間を歩いていた。昨日はエルガと歩いた道だが、どうにも今日は冷たく、別の場所のように感じる。
 それはラルの心が冷たく、油断ならずとしているからだ。

「そう意気込んで歩くなよ」

 転ぶぜ、かけられた声は、そよ風のようにやわらかな響きだ。けれど、ラルには、たいそう不安に感じられた。振り切るように、力を込めて歩くと、フ、と笑う音が聞こえた。先と全く変わらない距離感で。
 とっさにラルは振り返った。そして、言葉を吐き出そうとして、止めた。

「どうした? 言いてェことがあんだろ」
「アーグゥイッシュ」

 本来言いたかった言葉ではなく、相手の名前だった。

「何か? 姫」

 アーグゥイッシュはそれを察しているのかいないのか、やけに丁寧に返してきた。ラルは顔を背ける。
 ついてこないで、と言おうとした。けれど、やめた。今日はこの生き物が供で――選んだのは自分なのだから。

 先より時は戻って夕刻、ラルは一人、部屋でうずくまっていた。
 昨夜のことが、悲しかった。エルガの言葉はまっすぐで、いつものエルガだった。だから、動かしようがないことがわかった。

『奪ったのは――』

 エルガにあれ以上、言えなかった。エルガはすごく悲しそうな顔をしたから。
 エルガは、明るく、強く、優しい――でも、シルヴァスのことは嫌いなのだ。だったら、やはり頼ることは出来ない。この群と同じところにいるのだ。そう思うと、行き場がなかった。

(どうしよう、どうしたら、シルヴァスを助けられるの? シルヴァスのもとへ行けるの?)

 どうしたらいいのかな、シルヴァスを助けるには……
 ――そもそも、もう……――行き着いた最悪の想像を必死で振り払った。
 ジェイミのことを助けられたと言っても、自分の力じゃない。エルガが助けてくれたのだ。一番偉いのはラル――でも、力がない。ラルには何も力がなかった。結局、結局、誰かに頼んで、願っていくしかない。

(森へ帰りたい)

 どうしようもなく、心細く、息苦しかった。頑張ると決めたのに……。ラルが頑張らないと、また誰かが、罰を受けるのだ。
 エルガなら、ラルの次に偉いからきっと大丈夫だと、そう思ったけれど、そもそもシルヴァスが嫌いならどうしようもないではないか。

(それもこれも、ラルが自分で何も出来ないから、だめなんだ)

 目が痛くて、日中外も歩けない。部屋にこもって、服も、何もかも他者によって動かされている。自分で力があれば、森へ行ける。ここの理が何か知っていれば、罰の防ぎ方もわかる。ラルが一番のはずなのに、こんなにも不自由なのは、ラルが何もできず何も知らないから。
 森から出て、ずっとずっと、ラルは考えて、考えている。でも、誰にももう――。
 そのとき、何かが近づいてくる気配がして、顔を上げた。わざと気配を出して歩いている、そんな歩き方だった。
 エルガじゃない。そうわかると同時だった。

「いい夜だなァ?」

 ――朱金の髪に、金色の目――
 ラルが微動だにせず、そちらを見ていると、金色の目がふっと細められた。

「どうした? 供が必要なんだろ」

 見張りの兵を押し退け、部屋に入ってきた。ラルを見下ろすと、口角をあげた。

「来いよ。来られるならな」

 ラルは、知らず唇をかんでいたことに気づいた。おなかの奥が、ぐるぐるとしていた。見下ろしてきた目をにらみ上げる。金色の目には、ラルが映っている。――怖い顔をしていた。
 この生き物はいやだ。
 それでも、何か強いものに背を押されるように、ラルは立ち上がり、部屋の外に向かっていた。

 歩いていると、アーグゥイッシュが後についてくる。足取りは静かで、穏やかだ。ただ、ラルの心中に反するように。勢い込んで歩いていくと、ふいに段差があり、ラルはつまずいた。

「言わんこっちゃねえ」

 腰をすくわれるように。体を支えられる。ラルはその腕からはじけるように逃れた。とっさの行動だった。アーグゥイッシュは、ラルの反応に、一瞬虚をつかれたような顔をしたが、鼻で笑った。
 供に選んだのは、ラルだ。ラルにはこの生き物に責任がある。でも、早くも後悔してきていた。この生き物と、一緒にいるのがつらい。どうしてもつらいことに、二人になってわかった。何か、自分の内でぐるぐるとまわっているものがあって、それを吐き出してしまいたくなる。

「ずいぶん、大人しくなったなあ、姫さんよ」

 お前も少しは働かす頭があったんだなと、アーグゥイッシュが黙ったままのラルに、声をかける。アーグゥイッシュは、ラルの葛藤をわかっているのか、やけにやわらかく、ラルののどもとを撫でるように話しかけてくる。ラルは、また知らず唇をかみしめていた。

「ここで、一番偉いのはラルだから」
「へぇ?」
「ラルがちゃんとしないと、皆、罰を受ける」

 ラルは、そこまで言うと、足を止めた。自分を落ち着かせるように、二度三度、深く呼吸をする。そうして、さっとアーグゥイッシュを見上げた。

「あなたもそうでしょ」

 感情を消すことに、ラルは努めた。アーグゥイッシュは、笑みを崩さず、ラルを見返した。しばしの沈黙が降りる。
 風がザァ……と二人の間を抜けていった。それがやけに冷たくて、ラルは身震いしそうになる。でも、ふるえたりしたくなかった――この生き物の前では。
 アーグゥイッシュの金の目に、愉しげな光が宿った。鼻で笑う。あざけりの色は、意外にも少なかった。

「言うようになったじゃねェか」

 フフ、と笑う。ラルはいぶかしげに眉をひそめた。アーグゥイッシュは口元を右手で軽く押さえ、愉しげに笑った。そのような笑いをするのは意外であり、ラルは少なからず動揺した。それに気を留める様子もなく、ひたすらアーグゥイッシュは自分の調子を崩さない。

「あいつも何も教えなかったわけじゃねェんだな」

 すっと顔をのぞきこんでんできた。

「シルヴィアスにそっくりだぜ。そのいけすかねえ面」

 シルヴァスの名を出されて、ラルの表情が凍った。唇がふるえる。お腹の底から、首もとまで、ざあっと熱が上がってきて、ラルの心を揺らした。アーグゥイッシュは心底愉しげだった。

「……シルヴァスのこと、悪く言わないで」

 強く黙り込んだ末に、どうにか吐き出したのは、そのたった一言だった。この一言を落ち着いて言うには、相当な力が必要だった。アーグゥイッシュの目が光る。獲物を見つけたウォーロウのような、そんな目だった。ラルは、拳を強く握りしめた。

「ずいぶんと頑張るなァ?」
「ラルは、言葉は大事にする」
「シルヴィアスの教えか?」

 ラルは黙っていた。アーグゥイッシュも、答えを求めてはいないようだった。
 先の言葉を違えたりしない。我慢しなければ、ラルが我慢しなければ……舌先が、チリッとはじけたような気がした。よく考えて、言葉にしなさい、大切な言葉ほど――わかってる。
 アーグゥイッシュの口角がやわらかく上がる。

「――なら、俺も一つ教えてやるよ、お嬢ちゃん」

 アーグゥイッシュが近づいた、と思うより速く、ラルの顎を右手でとらえた。そのまま、親指を下唇にかけられる。
 ラルは身を引こうとした。しかし、もう一方の手が、ラルの腰をがっちりと抱え込んでいた。

「夜、男の誘いにのったら、何をされても文句は言えねェんだぜ」

 唇に、アーグゥイッシュの唇が重なった。
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