姫君は、鳥籠の色を問う

小槻みしろ

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二章

四十四話 群

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 ラルは椅子に座し、水を一口含んだ。水はやわらかくラルの口の中を冷やした。
 先の休憩の折り、キーズが小川に走り汲んできたものだ。息の音はひとつも乱れてはいなかったが、ずいぶん遠くまで走っていったのだろう。帰ってきたキーズからは、違う風のにおいがしていた。
 キーズは水を汲んだかめを置くと、新たな用をすませにまた走っていった。
 まったくひとところにとどまらない。
 アイゼとジェイミも同様に、始終せわしなく働いていた。
 旅が始まり、二日になる。
 アイゼ、ジェイミ、キーズの三人は、ラルの身の回りの世話に加え、ホロスの面倒や細かな雑事など、多くの用をこなしていた。
 また、

「姫様のお側にいる以上、何も出来ぬようでは困る」

 と、少しの時間が空けば、ジアンが兵士たちに三人に武芸の稽古をつけさせていた。
 実際こうして共に過ごすことで、見えてくるものがある。三人の姿を落ち着いて見ることができるのは、ラルの世話をしている時のみだ。邸ではどうだったかわからぬが、おそらく似たようなものなのだろう。
 三人は、まったく大忙しだった。
 ラルはというと、車の中か外でじっと座っているか、エルガやジアンについてもらい兵士たち群の近くを歩くくらいしかしていない。
 ラルは、三人の忙しさが心配になり、ジェイミに尋ねてみた。

「ちゃんと休み、食しております」

 と、返された。はぐらかされてしまったように感じたが、それでも世話はされなければならない。ラルが断れば、罰を受けるのは三人なのだ。
 旅が始まり二日。ラルは、ジアンから森の外のことを教わる以外、何もすることがない。それも、また一種の受け身であるので、何もしていないといってよかった。
 だからというべきか、いろいろと見ることも考える余裕はたくさんあった。

(これがラルの自由)

 ラルは、身の回りを自分以外の誰かに任せるのはいやだった。自由を奪われている気がしたからだ。
 しかし、なるほど、このような形でラルはまた、誰かから自由を奪っているらしい。
 ラルは自分の身の回りを任せるということに、何ら喜びを抱かないが、そうさせることで、三人から自由を奪っている。
 三人だけじゃない。エルガやジアン、ほかの兵士たちからも、ラルは自由を奪っているのだ。
 そうしてラルが得るものは、大きなものでは時間と思考だ。
 キーズが行くから、ラルは水を汲みに行かなくていい。その分、何もせず座っていられる、頭を使わないでいられる。衣を着るときも、食事の用意も、他のことでもそうだった。

(ラルがこうして座っていられるのは、誰かがラルに自由を差し出しているから)

 ラルは、布に覆われた目を伏せ、考える。
 そう考えると、ラルが得ているものは、――ラルが望むものとは違うにせよ――「自由」というものなのだろう。
 ラルが偉いからこれを与えられるのだとすれば、森の外では、これを皆ほしがるのかもしれない。

(けど、本当にそうなの?)

 そこまで考えて、ラルはまた、疑問を頭の中に投げ込んだ。周囲の兵士たちを、そっと観察する。
 兵士は立ち働くものと、休むものがいる。しかし、休んでいるものが必ずしも偉いとは限らなかった。
 エルガやジアンも、こうして休憩の間も指示を出したり何か話し合ったりと、働いていることが多い。
 エルガは、この群の中で、ラルの次に偉い存在だ。そしてジアンは、おそらくその次に偉い。
 ウォーロウの群の中でも、必ずしも、従うものがせわしく働くというものでもなかったから、その点については、さして不思議はない。
 しかし、そこからラルは、彼らとラルは、何か一つの群として、ばらついているように感じていた。
 同じ群ならば、与えられる自由の価値基準はだいたい同じはずだからだ。
 ウォーロウの群の頭は、群を率いる。群の主な決定権は頭にあり、群のものの命を握る責任の代わりに、群を自分の意のままにする自由を得る。
 従うものは、頭に命をあずける代わりに、選択の責任から自由になるのだ。
 エルガの率いる群の形は、ちょうどそれに似ているように感じる。
 となると、ラルはいったい何なのだ?
 ラルはちょうど、エルガやほかの兵士たち、アイゼやジェイミ、キーズ達に、この身を預けている。身の回りの世話も、選択を捨てることといって差し支えない。
 しかし、ラルはこの群の中で一番偉いのだ。
 ラルは休む兵士たちを見る。彼らとラルを分けるものは、何があるのだろう。他の者のから奪った自由の価値だろうか、量だろうか。
 そこまで考えてラルは、息をつく。
 そしてまた一口水を飲み、思う。
 これではまるで。

「別の群にいるみたい」

 車に揺られながら、ラルが言葉をもらした。同乗のジアンは、ラルに向けていた注意を強くした。そして、次の言葉を待つ。

「群の頭に求めるものと、もらえるものが自由というなら、エルガの自由とラルの自由は違うわ」

 ジアンの方を向いて、ラルは言葉を続けた。

「ラルの自由は、エルガの率いている兵士たちのものと似ている。でも、それは見せかけで、きっと違うんでしょう」

 うまく言葉に出来ない。ラルはもどかしかった。

「ラルもエルガも、他の生き物の自由を奪って、自分の自由も奪われている。エルガの群は、偉い者が選んでいく。それがエルガの群の一番の自由。でも、ラルはエルガより偉いけど、選んでいない。選べない」

 ラルはそこで少し黙った。ジアンも黙っていた。
 当初ジアンは、ラルのこう言った話し方は、力の誇示かと思った。しかし今は、ラルの言葉が率直なだけであるとわかっていた。だから、静かにラルの言葉を待っている。

「でもそれが、ラルが一番偉いということでもある。それがラルの自由」

 ラルは首を少し揺らした。黄金の髪が、ふわりと肩先で揺れる。

「ちぐはぐ。だから、別の群にいるみたい」

 それきり言葉を止め、ラルはジアンを見る。
 ジアンはしばし、ラルの言葉を待っていたが。ラルが黙ったと心得て、そっと笑んだ。

「おそれながら、姫様。姫様とエルガ卿はじめ私たちは、同じ群にございます」

 ジアンはすっと手を掲げた。

「われらはあなた様のもとに、ひとつの同じ群となるのです。そして、エルガ卿のように――いえ、エルガ卿以上に――あなた様もまた、選ぶのです。選ぶことの出来るお立場にあります。今はまだ、そのお立場につく半ばにおられる故、実感がわかぬかもしれませんが、いずれ必ずやそうなります」

 ジアンは言葉を切り、そっとまた膝の上に手を置く。ラルは、ジアンの言葉に耳を傾けた。ジアンは焦らずよどまず、言葉を続ける。

「ご明察の通り、姫様とエルガ卿の、今享受されている自由は、違うものです。ですから、あたかも別の群にいるように感じられましょう」

 ラルは頷いた。ジアンは続ける。

「しかし、それは、姫様とエルガ卿のお役目の違いと、――姫様の治められる国――群の大きさによるものです」

 ジアンは右手をすっと胸の前に掲げた。身振りをつけて話すのは、ジアンの何かを教えるときの癖だと、ラルはこの二日で知っていた。

「姫様の群は広大です。そのために、その中でまた、群が作られているのです」
「群の中で?」
「はい。たとえばエルガ卿は、この道中での姫様のお供のお役目を仰せつかりました。そうして、エルガ卿は率いている兵士らの頭であります。その意味では、一つの群の頭と言えましょう。このように、姫様の群の中には、群を率いる大勢の頭がいるのです」

 ジアンの目が、ラルの目をじっと見ているのが、覆いごしにもわかった。ジアンは指を折り、空に絵を描くように示しながら、ラルに説いた。

「群は、それぞれ色んな形をしております。別の群と言っても、まあ差し支えはないでしょう」

 一、二、三。指が群の数を示すように幾度か折られる。ジアンはひとしきりその動作を繰り返すと、両手をすっと自身の顔の前で組み合わせた。

「その頭たちをまとめ、一つの大きな群になすのが、姫様です」
「ラルが?」
「はい。あなた様という存在のもとに、多くの群は、一つとなるのです。そうなったときに、あなた様はお役目を果たされ、多くのことを選ばれるようになるのです」

 ぐっと組んだ両手をかたく握り、一度揺らして見せた。ジアンが微笑しているのが気配でわかった。ラルは、ジアンの言葉を、繰り返す。それから、少し考えて口を開いた。

「ラルは、森なのね」

 ネヴァエスタの森には、多くの群があった。命の連環はさておき、基本は各が独自の命の群をはぐくんでいた。しかしそれらの群を束ねる、頭というものはなかったと思う。
 ラルとシルヴァスは他の群とは何か異なる、ただ二人だけの群だった。そして、どの群ともつきあいがあった。
 シルヴァスはどの群からも一目置かれていた。生き物の中で頭を決めるなら、もしかすると、シルヴァスかもしれない。しかし、シルヴァスはどこにも属さず、束ねることもなかったと思う。
 だから、やっぱり生き物の群れたちを束ねる頭はいないが、それでも、もし頭という者があるとするならば、――森自体が、そうだったのだろう。ラル達は、森の中の命だったのだから。
 ジアンはラルの抽象的な言葉も、意を正しく汲み取った。そして、やや眉をひそめた。

「姫様をたとえられるには、かの森は相応しゅうありませぬ」
「どうして?」

 ジアンは少し言葉を留め置いた。卑しき森なれど、姫にとっては、これまでの生を過ごされた場所――急いではならぬ。

「森はそこに生きる者に名を与えますが、姫様は、それのみならず意味を与えます」

 ラルはジアンの言葉に、軽く首を傾げた。

「すべての器であり、頂点。より尊き、代え難いお立場にございます」

 ジアンが礼をとる。ラルは頷いた。
 器であり、頂点。口の中で繰り返した。何となくだが、わかったような気がする。

「ラルがいないと、群がばらばらになる。そして、皆が皆ではなくなる。そういうこと?」
「そのとおりにございます」
「ふうん」

 ラルは車の天井を仰いだ。低い天井は、すぐにラルの視線をとどめてしまうが、ラルは思考を車の外にとばしていた。

「おやくめって? 違いって何?」

 次いで、気になっていたことを尋ねる。

「お役目とは、生きる者のなすべきことです。生きとし生ける者は皆、それぞれお役目を持って生きています。生きるものはそれを果たすことで、生きることができ、また自分のいる群を生かすのです」
「ラルにも役目があるの」

 ラルがわずかに身を乗り出して尋ねる。ジアンはにこりと微笑し応えた。

「はい、この世でもっとも尊きお役目にございます」
「教えて」
「はい――」

 しかしジアンはそこで、言葉を紡ごうと開いた口を閉じた。表情が険しくなったのが、気配でわかった。
 空気が変わった。あたりが緊張している――そう感じるより速く、ラルはジアンに抱き込まれていた。

「ジアン」
「大丈夫です」

 ジアンの穏やかに抑えられた声が、ラルの耳に届いてまもなく、どこからか声があがった。

「敵襲!」

 車の外――おそらく斜め後ろあたりからの音だ。兵士たちの気配とは別の、何か大きな気配が膨れ上がるのを感じた。

魔生シャイダールだ!」
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